ミカサは不思議だった。
今までそんな衝動に駆られることはなかったのに、急に空が見たくなったのだ。
青と白のコントラストで彩られた自然のキャンバスをこの目で見たいと切望したのである。
なので自室の窓に手が伸びたのは当然のことだった。
 けれどそこにはミカサの求めたものはなかった。
窓の向こうに広がったのは真っ暗な空間だった。
空だけでなく辺りには霧が立ち込めて視界が全くきかない状態である。
 残念だ、と思いながらミカサは窓を閉めた。
空なんてまたいつでも見れるのだから。
晴れの日がきた時に休憩がてら見上げたらいい、と思って。



 ミュウは不思議だった。
これまで全てが順調に行っていたのに急に予想外のことが立て続けに起きていたからだ。
今のところはそれらに対処できているように思えるが、もし今後手に負えないことが起こったらどうしようかと、独りになると不安が押し寄せてくるのだった。
 けれど突如、部屋の外から聞こえてきたピアノの音でそれらの不安は一気に吹き飛んでしまった。
ああ、これだとミュウは歓喜に震える。
懐かしい音、懐かしい曲!塀の向こうの見知らぬ誰かが弾いていた曲だ。
あの頃はまだこのピアノを弾く者がどんな子かも知らなかった。
当時は誰もがと面識なんてなかったのだ。
 しかし今はそうではない。今となってはミュウもミカサも彼女のことを大切に思う程に親しみを感じている。
ミュウは自分の歩んできた道は間違いではなかったのだと確信して気分を良くし、
先程まで甘さをくどく感じて飲むのをやめていたオレンジジュースに手を伸ばした。
気持ちの変化のせいか少しぬるくなっている筈のジュースが非常に美味しく感じる。
 オレンジジュースの味に満足した彼は机の上に投げ出していた雑誌を手元に引き寄せてパラパラと捲った。
その雑誌は分子生物学についての論文が載っているものだったが、今のミュウには興味が持てなかった。
遺伝子すら操作してしまう技術を完全に人類が手にしてしまうのがそら恐ろしくもあったし、
ミュウ自身は見えない力、たとえばが時折してくれるタッチセラピーのようなものの効果などを信じたいと強く思っているからだ。
理系が好きな割には夢見がちだといつも自嘲するけれど、色々考えた上で最終的に残るのは見えない力に対する絶対的な信頼なのだった。
それというのもが撫でてくれた時は本当に心が癒されて活力が湧いてくる気がするからである。
恐らくには不思議な力があるのだとミュウは本気で思っている。
そして自分も特別でありたいと心から願っているのだった。



 は不思議だった。
目が覚めた彼女は仮眠室を出て休憩室の共有スペースに差し掛かったところで足を止めた。
何故ならそこには黒塗りのアップライトピアノが佇んでいたからだ。
 はこんなところにピアノがあっただろうか、と記憶を辿るが思い出せない。
自分が寝ている間に運ばれたのだろうか、と思いながらもピアノに近づき
衝動に導かれるまま蓋を開いてキーカバーを外し人差し指でEの音を鳴らした。
 アップライトピアノはグランドピアノとは違い、音が響きにくいのと連打の性能が劣ると本で読んだことがある。
一体どれくらい違いがあるのだろうか、という知的好奇心を満たす為、は椅子に腰かける。
 は子どもの頃に弾いていた曲を演奏してみた。
けれど祖母の暮らすあの家のグランドピアノで弾く音と変わりないように思えてそれも不思議だった。
それでも音の響きに懐かしさを覚えては他の曲も弾いてみたく思う。
どうせならナナミたちと出会った日に弾いていた曲を、と思い返してみるが、
窓の外から聞こえてきた声に気づいて手を止め窓辺に向かい、彼らと鉢合わせするシーンばかり印象に残っていてその前のことは全然思い出せないのだった。
 記憶力が低下しているのは睡眠時間をきちんと確保していないからだろうか、と不規則な生活のせいにして、
思い出せないのなら仕方がないと曲のことは頭の隅に追いやることにした。
 とはいえ、今は他の所員が出勤し始める時間帯だ。
朝早くから出勤して仕事をしている者もいるだろうし、こんな時間にピアノを弾いていては迷惑極まりない。
ああもう、自分はどうしてこう周りに気が回らないんだと己のことを嘆いた後、は辺りを見回しながら休憩室から出た。
廊下は静寂に包まれている。どうやらこの階の人間はまだ出社していないらしい。
よかったと、胸を撫で下ろしては向かいの自室へと向かう。

「おはよう、。ピアノ弾いてたね?」
「おはようございます、ミュウ。
 やはり聞こえましたよね…朝からすみません」

 共同スペースでオレンジジュースを飲みながら雑誌を眺めていたミュウは顔を上げると明るい笑顔を見せる。
そんな彼に、どうしても音を聞きたくなってしまって、とは我ながら情けないと思いながらも言い訳をした。
けれどミュウは満足そうな顔を彼女に向ける。

「勤務中ならともかく、このくらいの時間なら構わないんじゃない?
 それにボクは嬉しかったな!久しぶりにのピアノが聞けて」

 心から嬉しそうな顔をした彼は何度か頷くようにして読みかけの雑誌を閉じ、オレンジジュースを持って立ち上がる。
そして口笛を吹きながらご機嫌な様子で自らのブースへと戻っていった。
 そんな彼の姿を見るのは好きなのではまた折を見てピアノを弾こうと考える。
もしかしたらミカサも喜んでくれるかもしれないし、少しの間ならナヲミを連れてくることもできるかもしれない。
何だかも気分が良くなりミュウのように数回頷いてから自分のブースへと向かった。


 今日は非常に調子が良いと思いながらは午前中の仕事を終えた。
恐らく今朝ピアノを弾いたことでリフレッシュできたのだろうと結論付ける。
こんな時は誰かと一緒に食事を摂って午後からの仕事もいっそう気分よく取り組みたいと思った



ミュウのブースに足を運んだ。


ミカサにメッセージを送ってみた。


ミュウとミカサと三人で食事がしたいと思った。




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