がミカサにメッセージを送るとややあって返事があった。
仕事の区切りがつくまでもう少しかかりそうだと書いてある。
は彼の仕事が一段落するのを待つことにし、そのことを書いて再びメッセージを送った。
「お待たせしました」
「いいえ、それ程でも。では、行きましょうか」
そして二人は食堂に行き、は売店でいつものサンドイッチを、
ミカサはテイクアウト用のメニューを購入し、四階の休憩室へと向かう。
「またそのサンドイッチですか?」
「手軽ですし、味も好きなんです」
「いつもあれこれ心配する癖に、栄養が偏っているのはの方じゃないです?」
「他の食事で調節してますから」
はむっつりした顔でミカサから差し出された炭酸水を受け取った。
そんな彼女の表情にミカサはクッと吹き出すように笑い、彼女の右側の席に腰を下ろす。
何だかは先日からミカサに子ども扱いされているような気持ちだった。
弱い部分を見せてしまった為にミカサに頼りない存在だと思われているかもしれない、とは心配になる。
ミカサには失望されたくないとは強く思っていた。
大切だと言ってくれた彼に不要だと思われたくなかった。
だから彼にとって自分があまりにも精神的に幼いようなら強くならなければとは考えているし、
彼が困った時に頼ってもらえるような人間になりたいと思うのだった。
とはいえ、ミカサから借りているハンカチを未だに返せずにいるのだけれど――と、
は机の引き出しに大事にしまっているハンカチを思い浮かべて心の中で溜息をついた。
休憩中にあのハンカチを眺めるととても癒されるのだ。
それと同時にミカサのことを思い出し、会う用事もないのにステートを確認してみたりもするようになっていた。
そんな自身の変化には気づいていた。
彼女の中でミカサの存在は“大切な友人”という枠から外れてきつつある。
大切なのは変わらないけれど、ミュウと同列の友人、ではないように思えた。
ミュウのことをステートで確認する程気にしたことはないし、二人でいる時に妙な緊張感を抱くこともないのだ。
あからさまに自分はミカサの前だと緊張している、とは自覚している。
彼の目線や表情が酷く気になるし、彼特有の他の人には分からない程度の微々たる笑顔を向けられると物凄く嬉しく思う反面、
胸の奥が締め付けられるような物悲しいような感覚にも襲われる。
こんな風に彼の一挙一動におたおたしているから頼りないと思われてしまうのだ、と
はサンドイッチを噛みしめながら、心の中で自分を叱咤するのだった。
「…何だか最近、は変わりましたね」
「えっ…んっ、ごほっ。
ど、どこがでしょうか」
サンドイッチにかぶりついていたは唐突に発せられたミカサの言葉に思わずむせた。
慌てて口元を拭って食べかけのサンドイッチをプラスチックケースに戻し、炭酸水ではなく野菜ジュースの方を飲んだ。
「すみません、そんなに驚くとは思ってなくて。
随分集中して食べてたんですね」
「え、ええ、まあ。
…それで、どこが変わったと思いますか?」
努めて冷静に振る舞い、は先程の言葉の続きを促した。
ミカサは口元に笑みを湛えてを見ている。
「なんというか、先程の慌てぶりとかもそうですが、前よりも感情豊かになったような気がします」
「ああ、そうですか。…確かにそうですね。最近は前よりも表情が出てきたような気がします」
はミカサの前で涙を零した時のことを思い出す。
確かに以前に比べて感情が豊かになった、というよりも、感情の波が激しくなったように思えた。
「何だかそういうのがいいなって思ったんです。
君は今、ナヲミの為に専門外のことを一生懸命勉強して手伝いをしているでしょう。
そんな頑張ってる姿も、拗ねたり微笑んだりするところも、感情が溢れて涙を流してる顔も僕はいいなって思ったんですよ。
…最近のは可愛げが出てきたなって」
そんな風に話すミカサの顔は穏やかで、最後の一文を除けばとても冗談を言っている様子ではなかった。
けれどは先程自分を叱咤したにもかかわらず動揺していた。
いいなとはどういうことなのだろうか、彼はどんなつもりで言ったのだろうか、という疑問と、
この会話の返しはどうしたらよいのだろうかというシミュレーションが頭の中を駆け巡る。
「か、可愛げって…昔はさぞ憎たらしい人間だったみたいですが」
漸く出たのは皮肉だったという事実には自己嫌悪に陥った。
けれどミカサは先程と変わらず優しい顔で彼女の顔を見つめる。
「は昔の自分をやけに卑下するでしょう。僕はそれが嫌なんです。
君は知らなかっただけで自分から人や感情を拒否したわけじゃなかったんだから、僕はそこまで嫌うことはないと思うんです。
人は変わっていくものでしょう。寧ろ変わっていくからここまで繁栄できたんです。
だから君がどんどん変わっていくのを傍で見ていられるのはとても嬉しいと思います。
けれど今の君は仕事も積極的に懸命に取り組んで自信に溢れているようなのに、
過去のこととなると急に萎んでしまうからそれだけが残念だなって。
…僕は覚えていないので偉そうなことは言えませんけど、過去があるから今の君がいるのは間違いないんです。
だから過去の自分のことや家族のことをつらそうに思い出すのはやめてください。
その人の価値なんて死ぬときにわかるんじゃないでしょうか。
君はまだこれから先も生きていく。今、過去の自分をどうこう判断する時期ではない筈です。
――そういうのがあって僕は君に笑って過去のことも話せるようになってもらいたいんですよ。
僕に話したようにおばあさんに全て話してしまいなさい。きっと過去のことは笑い話になる筈です。
そしたらきっと君はもっと素敵に笑えると思います」
はミカサの言葉に胸を打たれながらも、何だか彼がどこかへ行ってしまうのではないかという気がしていた。
もう二度と会えないことを悟って別れ際に想いを託していく物語の先輩騎士のようだった。
「返事は?」
「…はい、努力します」
「よろしい」
こんな口ぶりなのもどこかミカサらしくないとは思う。
そう思ってしまうと、なんだか彼が吹っ切れたような顔をしているように見えてしまう。
「…ミカサ、どこにも行きませんよね?」
「それは分かりません」
は根拠もなしにそう尋ねたが、その質問の深い意味を尋ねることも不思議がることもなくミカサは淡々と返事をし、
「だっていずれは異動の辞令が下る可能性だってあるでしょう」と続けた。
は直感的に嘘だと思う。きっとミカサは何かを隠している。
けれどそれは今は明かせないようなことなのだろうと思い至ったは、自分が頼りないから…と己を責めた。
「でも、僕の意思はこれからも変わりません。
これからもずっと君やミュウと一緒に働きたいと思っていますよ」
「ええ、私もそう思っています。これから先もずっと貴方と…」
その後の「一緒にいたい」という言葉が何故か口から出なかったのではただミカサを見つめるばかりだった。
そんな彼女にミカサはいっそう優しい表情を向けて食事の続きを促すので、
は味が分からなくなってしまったサンドイッチを飲み込むように食べた。
野菜ジュースを飲み干す頃にはの心は平穏を取り戻していた。
そして彼女は悟る。
ミカサを想うと胸が苦しくなるのは切なさという感情に因るものであり、
彼とずっと一緒にいたいという気持ちが恋しいという感情なのであると。
この時、は恋という感情を知ったのだ。
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