彼女の場合 第十話
――人は日々選択して生きている。
生命を左右するような重要なことであったり、
将又、暇な時間にどの本を読むかといった些細なことであったりと様々だ。
私が選択した方は間違った選択肢だったのかもしれないけれど、
時間が戻ることはそれこそ有り得ないことだから、
私は自分の選んでしまったこの道を進むしかないのだ。
前日立てた予定通り、私たちは本日最後の授業後ソフィアというショッピングモールへ行くことにした。
清亮の家に寄り、親御さんの車をお借りしてのショッピング。何とまあ学生らしいではないか。
私は既に洋服に使うであろうお金も引き出して用意しており、いざソフィアへ!と高らかに声を上げる気持ちもなくはなかったのだが、
それ以上に引っかかっていることがあった。
今朝、教科書類を取りに奏のアパートへ寄った時、ヘアピンが地面に転がっていたのだ。
そして顔を合わせてすぐさま挨拶もしないうちに発された清亮の言葉。
「昨日バイトからの帰りに異変がないかと思ってお前のアパートの方を通って帰ってみたんだが
部屋がうっすら明るかったような気がするんだ。テレビとかコンピュータを暗い中で見たり触ったりしてるみたいな。
俺の気のせいかもしれないが…。お前、早朝の5時頃に家に戻ったか?」
「そんな時間に戻ったりしてない…」
それを聞いた時、全身から血の気が引いた。
ちょっとしたお遊びのつもりで仕掛けたトラップが反応し、それを証拠づけるような事象が目撃されている。
最初に奏の部屋に行った時から嫌な予感はしていたのだ。
他のソフトよりも後にインストールされた遠隔操作アプリ、使用者不在である筈の時間にアップデートされていたウイルスソフト、
最低3時間あけて噴出される消臭剤が帰宅時に反応したこと。
これは本当にやばいかもしれない――と私は対策を考えることに必死で、道中何を話したのか覚えていない程だった。
そして駐車場に着いた時、私はある考えを思いつく。
確実に犯人を捕まえる為の策を。
思いがけず洋服以外の出費が多くなってしまったが、必要なものは揃えた。
その上で私はある決断に迫られることになる。
それは、容疑者から響士と清亮を完全に外して良いものか、だ。
勿論、私は彼らに特別な情はない。
ここ数日世話になっていて頼りにしている部分もあるのだが、完全に信用してよいのかとなると簡単には頷けない。
けれどもし彼らが犯人ならば、これまでの間に私と二人きりになろうとしてとっくに殺しにかかっている気がする。
私の反応を見て楽しんでいる可能性も無きにしも非ずだが…そんなことを考えると世界中の人間が怪しくなってしまう。
「初音、教えて。
植松くんと楳澤くんは以前と比べて態度が変わったとか感じが違うとかない?」
「特に気付くようなことはないけど。
別にお姉ちゃんと比べて奏お姉ちゃんの方を贔屓してたような感じはないよ?
いやだ、お姉ちゃん。まだ二人のこと疑ってたの?」
「最後の段階に来てるの。
犯人を捕まえる為にはあの二人に協力してもらわないと無理そうだから、ここの決断で私や奏の運命は変わるのよ」
「大丈夫だって。
あの二人は絶対にお姉ちゃんに危害なんて加えない」
「……うん。そうだよね」
帰り際、彼らに気付かれないように洋服の陰でこっそりと話していた私と初音は結論を出して彼らの元へ向かった。
やはり彼らを疑う理由が見当たらなかった。
意地悪に、懐疑的な目線で彼らを見ようとしたけれど、
私に親切にしてくれることの裏に何かがあるのではと邪推する程度しか彼らを怪しむ要素はない。
その親切心も下心があったり企てがあるように感じないごく自然なものであり、
ありがとうと礼を言って素直に受け取れる程度のものだ。
変に見返りを期待して人に親切にすると受け取りにくい性質を帯びてきたりもするのだが、
それらを感じさせないというのは彼らが普段から奏に対しても他の人に対しても同じようにごく普通なこととして
人に優しくできる人柄を持っているからなのだろう、と思い至るのには時間がかからなかった。
そこで漸く私は彼らを完全に信じるという決断を下した。
彼らに手伝ってもらうことで、もしかしたら犯人を現行犯逮捕できるかもしれないのだ。
最悪、私人逮捕になってしまうが証拠があれば警備隊を動かすこともできるだろうし、その為の機材も買っておいた。
だが、犯人がいつ現れるのか分からないという不確定要素がある分、私たちは不利になる。
犯人の来る時間帯が分かれば…と考え、私はふと思いついた。
奏の新しいコンピュータに入っていた遠隔操作アプリ。
犯人がインストールしたものだとしたら。遠隔操作することでできることは何だろう。
コンピュータ内の情報やネットワーク使用履歴を盗み見ること、
奏の知らないうちにコンピュータ内のソフトやアプリを自由に使用できる…つまりは音声録音機能を使ったり、
コンピュータに備え付けられているネットワークカメラを起動させての盗聴や盗撮も可能だということだ。
だとしたらそれを利用してこちらから犯人をおびき寄せることも可能かもしれない。
決めつけは危険ではあるが、いつ現れるかもわからない犯人をずっと隠れて見張り続けるわけにもいかないので、
盗聴器がある、という前提で一つ試してやろうと私は考えた。
丁度明日は学校が休みの日だ。
時間はあるし初音らも暇であるならこの作戦を試してみても悪くないし、
何より奏があの日、清亮と10時にカフェで待ち合わせをしていたことを知りうるには
盗聴する他に手段がないと思ったのでそれなりに自信はある。
盗撮に関しては今のところ確信が持てない。
カメラソフトを起動していたがコンピュータのみを使用していたのか、
他にもこちらの気付かない場所にカメラが設置されているのか。
もしカメラが設置されていれば失敗する可能性もあるが…。
「――ねえ、皆。協力してほしいの」
考えをまとめる為にずっと眉間に指を当てて黙っていた私が後部座席から呼びかけると、
皆はきょとんとした顔で「何を?」と各々返事をした。
「多分、私の部屋は奏を襲った犯人から盗聴されてるし、人がいない間に侵入されてる」
「嘘っ…、だったらこのまま警備隊に行こう!」
「いいえ、今言っても信じてもらえないかもしれないし、常時盗聴器を設置してるとは限らないわ。
犯人を確実に捕まえて罪を償わせるには証拠が必要なのよ」
私がそう言うと、運転をしていた清亮はタイミングよく左手に現れたスーパーマーケットの駐車場へ入った。
そして適当なところへ車を停めて、こちらを振り返る。
助手席の響士と、隣の初音も食い入るように私を見つめていた。
「まさかカナ、自分たちで捕まえようって言うのか?」
「ええ、そう。でも、大立ち回りしようってわけじゃないわ。
警備隊に奴が犯人だと信じ込ませ、出動させる為の証拠を手に入れるのよ」
「家に監視カメラでもつけるつもりか?」
「うん。でも、ただ録画するだけじゃ駄目よ。映像が悪くて逃げた犯人を特定できないかもしれない。
犯人がリアルタイムで住居侵入している姿を映像で記録し、それを警備隊員に見てもらうの。
そしてアパートに来てもらって捕らえてもらう。そうするのが一番確実だと思うのよ」
その為の道具として、私は電池式で携帯端末に映像を送ることもできる無線通信付きの小型ネットワークカメラを4台と、
同じく電池式の熱源に反応して自動点灯するライトも一台購入している。
設置する場所も考えてある。玄関、キッチン、奥の部屋、そしてクローゼットだ。
クローゼットにはライトも一緒に設置する。
扉を開けた瞬間ライトが灯るようにすれば、部屋の電気をつけていなくてもカメラにはっきり顔が映る。
そこで犯人は自分が罠に嵌められたことに気付くだろう。そして逃亡を図る筈だ。
冷静な者ならカメラを壊してから逃げるかもしれないが、すぐに逃げ出そうとしてもその前に玄関を開かなくして閉じ込めてしまえばいい。
一応、人が通れる程の大きさの窓は奥の部屋の南側に一箇所、東側に小さな換気扇用の窓が風呂場とトイレに二箇所あるが
二階なので余程追い詰められない限りは飛び降りたりはしないだろう。
その犯人を閉じ込める役を私ともう一人、できれば男性の響士か清亮にしてもらいたいのだ、と私は彼らに頼んだ。
初音ともう一人は警備隊分庁舎付近で待機し、もし犯人が現れた際は警備隊に携帯端末で犯人の姿を見せて出動を要請してもらいたい。
勿論、警備隊員が駆けつけたら彼らに任せるから、と。
「犯人が素直に閉じ込められるかも分からないのに、危ないよ。
第一、本当に犯人は現れるの?どうやって部屋に入ってるのよ」
「どうやって部屋の鍵を開けて中に入っているかは犯人にしかわからないけど、
ピッキングで鍵を開けて中に入ってる可能性はあるわ。
あのアパートは一つしか鍵はないし、中に人がいない限りはチェーンもかけられないもの。
それに危険なのは分かってるし、部屋に監視カメラをずっと起動させておいていればより安全なのも分かってるわ。
でも、犯人がカメラに気付く可能性もあるし、何より早く捕まえたいのよ。
別に犯人を直接ぶん殴って縛り上げようってわけじゃないわ。
犯人が不法侵入してるって証拠をいち早く警備隊に見せるだけ」
私が一歩も引くつもりがないと察したらしく初音は「はあ…もぉ…」とため息をついた。
響士と清亮も私の言葉に驚き呆れひとしきり心配した後、「分かった、協力する」と頷いた。
私は「ありがとう」と短く礼を言い、アパートに戻ってからのことを話す。
あそこではこの作戦に関することは一つも話せない。
もし必要なら携帯端末で文字入力してそれを直接相手に見せるか、紙に書いて回して伝達する必要があること、
明日の予定について話をし、明日は一日中部屋には誰もいないという偽の情報を犯人に与えること、
犯人には気づかれないように静かにカメラ類を設置すること、
犯人がクローゼットを開けたくなるような話を織り交ぜること。
殆どは私が気を付けるべきことではあるのだが、明日の予定については話し合う必要があるので。
明日は初音と日帰り旅行に行く、という嘘の予定を立てることにする。
上手く話せるかなぁと不安がっていたが、いつものように話したらいいと言い聞かせ、
私はカメラやライトをすぐに設置できるよう蓋を開け、説明書を取り出し読み込むことにした。
包装容器などこれらのゴミとなるものは気取られないように実家に持って帰らなくてはならない。
買い物袋に詰め込んでもかさばってしまったが、清亮が車で実家まで送ってくれるというのでアパートにいる間は車中に置かせてもらおう。
「じゃあ、皆、よろしくね。後は自然に話して」
アパートに到着し、私は食材の入った買い物袋と洋服の入った袋でいくつかある中の一つを持って奏の部屋へと向かう。
今度はヘアピンに異常はない。ホッとしながらも気合いを入れてドアを開けると柑橘類の香りが瞬間広がる。
「さぁ、皆上がって!お好み焼きパーティーするよ!!」
そう言って私は台所のシンクの下からホットプレートを取り出した。
奏が持っていたのは私が所持していたよりも小さめではあったが、
皆で分け合いながら次々に新しいのを焼いて行けば問題ないだろう。
「初音は野菜切って。私は油除けの為に電化製品とか本棚にタオルかけていくから。
植松くんと楳澤くんはホットプレートの設置とお皿の用意お願い」
「はいはい。もぉお姉ちゃん、お客さん使うのやめなよー。
すいません、二人とも」
「いやいや、いいよ。早く準備して食べよう」
「ああ」
そう言って彼らは食事の準備をしてくれている。
私は自らの言った通りタオルを持ち出して家具の上から覆っていったが、それも済むとカメラ設置の準備を始めた。
音で察知されるわけにはいかないので彼らにはもう少し盛り上がって、とジェスチャーしてみる。
「そういえばさぁ、お姉ちゃん。明日休みじゃない。
久しぶりに日帰り旅行に行かない?」
「いいね!行きたい!!」
打ち合わせをしていた通りに初音が話しかけてくる。
その後は出発時間は朝の7時で、とかご飯はおにぎりを作って気動車内で食べようとか、
帰りはこっちの駅に着いてから駅前の店で食べて帰ろう、など
普段話しているようなテンポで話が進んだ。
「楽しみだなー。今日買った服、早速着ていっちゃおうかな。
でも、旅行なら動きやすい方がいいか。
じゃあこのワンピースは次のお出かけ時のお楽しみということで、ここに置いておこう」
大きな声で独り言を言いながら私はクローゼットを開けた。
そして音に気をつけながらクローゼットの上部右隅にカメラを取り付け、正面にライトを取り付ける。
一日程度ならば粘着テープで固定しても問題ないだろう、ということで見た目は悪いが。
その後、購入したワンピースをハンガーに通し、目立つところへ下げておいた。
背後では既に第一弾のお好み焼きを焼き始めている。
豚肉はいつ焼くのか、どこにトッピングするのかで議論が分かれているようだが、私は先に焼きその上から生地を流し込む派だ。
豚肉はカリカリとした焼き具合が好きなもので。
しかし初音が言うには、生地の上に生の豚肉をのせて焼いた方が脂が生地に染みわたり焼いた時に香ばしくなるらしい。
「最初は何お好み焼きなの?」
「シンプルに豚玉ネギもちトッピング」
「いいわね。その次はエビイカ玉がいいな。じゃがいもチーズトッピングで」
「ホタテコーンとかどう?」
「最後は全部入りだな」
「いいねえ!」
やることはやったので肩の力も抜けて後は純粋に食事を楽しめた。
こうしてわいわいと食事をするのはやはり楽しい。
今後もまたやりたいね、と言いそうになったがそれはやめておいた。
私はいつまでここにいることになるか分からないからだ。
それまで皆と同じ温度に感じていたのに急に一人だけ体温が下がったような感覚がした。
しかしそれも仕方がない。私はこの世界で生まれて育った皆とは違うのだ。
ほんのりとどこか寂しさを抱えながら、私は後片付けを済ませて家具に被せておいたタオルも回収し、
今回はヘアピンを設置せず、しっかりと施錠を確認してからアパートを後にした。
「今日は楽しかったよ、付き合ってくれてありがとう。
明日は特に早いけどよろしくお願いします」
「ああ、明日は気をつけて頑張ろう」
「全部終わるといいな」
「うん」
家まで送ってもらった私と初音は買い物袋を両手に持ち清亮と響士に頭を下げた。
最近の犯人の行動を考えると、犯人は明け方の5時頃に奏の部屋に侵入しているようだったので、
今回はその時間を目安に行動することにしたのだ。
まだ日も昇らない時間ではあるが、尚更犯人にとっては行動しやすい時間帯かもしれないし、
辺りが暗い方が我々や部屋に設置したカメラも見つかりにくい筈だ。
作戦の成功を祈り、私はある人物の顔をじっと見る。
明日のパートナーを決めたのだ。
・「植松くん、明日は私と一緒に来てくれる?」
・「楳澤くん、明日は私と一緒に来てくれる?」