彼女の場合 最終話<清亮ルート>
――人は日々選択して生きている。
人の未来まで左右するような重要なことであったり、
将又、テレビのチャンネルを変える程度の些細なことであったりと様々だ。
私の選択は誰を不幸にし、誰を幸せにしたのだろう。
自分だけに影響するならともかく、他者を巻き込むことになる選択はできるだけしたくないけれど…。
まさか予想通りに犯人がやってくるとは思っていなかった。来てほしいとは思っていたが、実際に現れると動揺する。
早朝なのに空振りだったら気の毒だとは思ったが、念の為初音たちに警備隊の傍で待機してもらっていて本当に良かったと胸を撫で下ろす。
私と清亮は奏のアパートの玄関側が見える敷地内の茂みに身を隠していた。
携帯端末の動画確認アプリを起動し、部屋の様子を窺う。
この情報は警備隊にいる初音と響士の携帯端末に共有できるように設定した為、きっと今頃担当者に見せている頃だろう。
まず玄関に設置したカメラの映像を確認してみる。
自動で噴射する消臭剤が反応する音が聞こえ、暗い中をゆっくり音を立てないように移動していく犯人の後ろ姿が見える。
手前から浴室、トイレと覗いて行くと冷蔵庫を開ける音が聞こえた。
暗闇に数分明かりが点り、調味料などの残量をチェックしているのか微かにビンのぶつかる高い音がする。
私はキッチンに仕掛けたカメラの映像に切り替えた。
犯人は一つずつ調味料の残りや作り置きしたおかずの内容、冷凍食品の有無などをチェックしていた。
それにしてもこの犯人は慣れている。
この様子からも日常的にこの部屋に侵入していたのだろうと推察できた。
更に、犯人は堂々と玄関の鍵を開けて奏の部屋に侵入した。
鍵は私の鞄の中にあるので合い鍵だろうということは察するが、どこで手に入れたのだろうか。
もしかすると初回はピッキングで無理やり開け、書類ケースに入っていた合い鍵を拝借してもう一つ合い鍵を作り、
何事もないように元の位置に鍵を戻しておいたのかもしれない。
だとすると彼はいつでも奏の部屋に入れたことになる。
まさか夜中に押し込まれたりしていないだろうなと私はぞっとしたが、それらしい形跡は見つからなかったので
犯人は奏のいない時間に侵入し、彼女に気付かれないように盗聴器を仕掛けたりコンピュータに仕掛けをして
こっそり部屋を覗くことを喜びにしていた、なんてことも有り得る。
私は鼓動の早くなった胸を無意識に抑えていた。
物事が自分の考えた通りに進んではいるが、最後までそうとも限らない。
相手は犯罪者だ。しかも既に一度奏に手を上げている。理性を振り切り殺意を一気に向けてくる可能性もあるのだ。
いくら逞しくて強そうな清亮が傍についていてくれるとしても、相手がなりふり構わず向かってきたら怪我を負うことも有り得る。
警備隊が来てくれるまで犯人を部屋に足止めさせておきたいが…。
「大丈夫か?」
私の不安を感じ取ったのだろう、清亮が私の肩をぐいっと引くようにして顔を覗き込んだ。
どうやら気が焦り体が前のめりになって茂みからはみ出ていたらしい。
「…正直に言うと凄く怖いよ。でも、やらなきゃ。
そうしないと私も奏も今後の平穏な生活は手に入らないもの。
――大丈夫だよ。今頃、初音と植松くんが警備隊に映像を見せてくれてるからきっと出動してる筈」
「ああ。でも、お前は何もしなくていい。もし、あいつが逃げるような素振りを見せたら俺に任せておけ。
今度こそ俺がまも――」
私は咄嗟に彼の口に人差し指を当てる。
暗い中ではっきりとは見えないが、清亮は面食らった顔をしていて何だか少しおかしい。
「楳澤くん、今日で全部終わりにしよう。私を奏の代わりに守ることも、奏に詫び続けるのも。
…悪いけど、今の状態の楳澤くんは信用できないよ。
私に負い目がある状態で危ない人と会わせられないもの。
私を庇って怪我なんてされたらたまったもんじゃないわ」
私は高校時代に後輩たちから呼ばれていた肩書きを心の中で繰り返した。
あの頃は皮肉だと受け取っていたが、今となっては誇らしく思える気がする。殊に今のような状況においては。
――常に全力を尽くし、どんな状況にも挫けることなき強い精神が私には宿っている。
「やばい、奥の部屋に行ったみたい。玄関を固めないと」
奥の部屋にはあるトラップを仕掛けていた。扉を開けた目の前にあるクローゼットの中にそれはある。
目立つし昨日新しく買ったワンピースの話をしたのだから、盗聴していたなら恐らく犯人は最初にクローゼットを開けて中を見るだろう。
(取りあえず俺が扉を押さえておくから、お前は下がってろ)
(分かった)
声にならないような小さな声と仕草で私たちは会話をし、
音を立てないように奏の部屋へと向かう。
一番近い警備隊分庁舎は徒歩10分程の距離にある。
この映像と初音たちの言葉を信じてくれたなら、もうすぐそこまでやって来ている筈だ。
早く来てよね、と私は祈りながら映像をクローゼット内のものに切り替えて携帯端末を注視した。
その時――眩しい光が画面を埋め尽くすと同時に「いぃっ」という小さい悲鳴のようなものが聞こえる。
彼がクローゼットを開けた瞬間、クローゼット内に設置していた熱源を感知して自動点灯するライトが点灯し
カメラに彼の顔をくっきりと映し出したのだ。
暗い背景に浮き立つ犯人の顔は残念ながら会った時に抱いたものとは違い爽やかとは正反対のものだった。
『何だ…何で…?』
犯人はこのアパートの近くにあったコンビニ店員だ。
戸惑ったような呟き声が聞こえたが、すぐにクローゼットの扉が閉められる。
奥の部屋に設置していたカメラの映像に切り替えると、彼は薄型テレビの裏に手を突っ込んでいた。
盗聴器はそこに仕掛けられていたのか、奏は電化製品の扱いが苦手だから掃除以外では気にも留めなかっただろう。
相手はそういう彼女の性格をうまく利用したのだ。
薄暗いが彼の手元にはカード型の携帯端末が握られている。
そうか、携帯端末が2,3台あれば簡単に盗聴できるではないか。
音声通話状態にして放置し、充電が切れる頃に部屋に侵入して充電しておいた別の端末を設置すればよいのだ。
設置しておいた端末は自動着信アプリを入れておきサイレントモードにしていれば振動や音で気付かれることはない。
そうすれば奏の部屋の明かりが灯ったのを確認してから部屋に仕掛けた携帯端末に音声通話をかければ、
アプリが起動して自動でその端末は通話可能、つまりは音声を拾う盗聴器となる。
顔に似合わず悪趣味な奴めと私は唇を噛んだ。
一昨日、私にかけた「その服、初めて見ますね」という言葉は(クローゼット内で見なかった)という意味だったのだ。
畜生、何が指輪チェックだ。彼は左手で商品を詰めていた。左利きだ。
清亮の見た犯人の特徴は間違っていなかった!
――突如、携帯端末の表示画面が切り替わった。響士から音声通話希望の通知が来ている。
慌てて私は通話をオンにした。
「警備隊も俺たちももうすぐ着くからできるだけ部屋に閉じ込めて!!
無理しちゃだめだよ!」
「うん」
響士たちもリアルタイムで犯人の動向を追っていたらしい。
流石に警備隊も事の異常さを分かってくれたのだろう。
通話を終了する時、走行音が背後に聞こえた気がした。
響士と初音も警備隊の車に同乗しているのかもしれない。
とりあえず目途が立ったと安堵のため息をを吐き出した瞬間、すぐ近くで音が聞こえた。
私は身体を強張らせる。
地面と靴底がすれるような音。慌てて乱暴に靴を履こうとしているのが分かる。
しかし玄関の扉に手をかけて違和感に気付いたのだろう。
ガチャガチャ、ドンドンと扉の向こう側から音が聞こえる。
「――だ、誰だ!?誰かドアを押さえてるな?!」
自分が犯罪を犯していることも忘れたのか、それとも余程必死なのか。
犯人はドアのこちら側に向かって声を荒げた。
「あなたこそ、どちら様ですか。
人の家に勝手に侵入して」
私は勇気を振り絞り、できるだけ落ち着いた低い声で彼に問い質した。
そんな私の声を聞き、彼は若干嬉しそうに声のトーンを上げて応える。
「奏ちゃんかぁ。
僕はね、君を殴った男だよ。覚えてる?」
「あのコンビニの店員ね」
「よく分かったね。あのクローゼットの仕掛けはいつしたの?
昨日は全然そんな素振りみせなかったのに。
何より今日は妹さんと日帰り旅行に行く予定だったんじゃないの?
今二人で必死にドアを押さえてるの?涙を堪えながら?
きっと可愛いだろうね」
私は清亮に人差し指で静かにとジェスチャーをしてから扉に向き直る。
正直、会話するのも気持ちが悪いが時間を稼がなければならないし、
万が一、窓から飛び降りて逃げられたりでもしたら大変だ。
「そう言えば記憶喪失なの?この間から何か変なこと言ってるよね。
僕が殴ったことが原因かな?それは良かった。
それならもう殺して僕のものにしなくてもいいね。これまでの記憶なんていらないもの。
君の傍にいるのは僕だけで十分だ。あの男たち二人して馴れ馴れしいんだよ。
君が苦手に思ってるのに気付きもしないで」
「貴方にはそんな風に見えたの?何故?」
「奏ちゃんは顔の傷がコンプレックスなんでしょう?形成外科のパンフレットを真剣に見てたの知ってるよ。
料金なんかもコンピュータで調べてたみたいだし。
その傷痕もあいつらが原因だってね?
君が留学を考えるほど嫌ってたのになぁ。ホントに奴らは馬鹿だよね。
あいつらが傍にいる限り、君は顔にコンプレックスを抱えた自分を背負い込むことになるんだ。
変わろうと思っても変われない。奴らが奏ちゃんを被害者として見る限り」
「それで…」
奏はあの“嫌なことから逃げられる”呪文を眺めていたのか、と言いかけて私は言葉を呑み込む。
不思議とこの犯人の言葉をすんなり受け止めていた。
奏は変わりたかった。けれど、受身の彼女は響士や清亮の無意識に抱えている彼女への印象を感じ取り、その枠からずっと抜け出せなかった。
それでも変わることを望んだからこそ、奏は傷痕を消そうと思ったし、彼らのいない別大陸に留学しようとしていたのだ。
あの日の奏も今の私と同じように全てを終わらせるつもりだったのかもしれない。
まず清亮に整形することと留学することを告げ、響士にも同じように伝えた後に交際を断るつもりだった。
そして彼らとの憂いを断ち切って新しい世界に飛び立つつもりだったのではないだろうか。
…とはいえ、これは全て私の想像に過ぎないのだけれど。
黙って扉を押さえていた清亮の表情が曇っているのが見える。
自分たちのせいで彼女が感情を押し殺していたということに衝撃を受けているようだ。
ましてや清亮は心の中でずっと詫びてきた人間だ。
そのことで余計に奏を縛っていたのだと知った今、彼は酷くショックを受けているに違いない。
だが、さっき話したようにそのことも全部今日で終わりにしよう、と私は思う。
奏はこの世界にいつ戻ってくるか分からない。
いつまでも彼女に対する咎を引きずり続けては彼の魂は救われないし前に進むこともできない。
そんな生き方は悲しいし、きっと彼女が逃れたかったのはそういうものからだと思うから。
――その前に、まずはこちらを終わらせよう。
「けれど、私は貴方を認めない。
どんなに貴方が奏のことを理解していたとしても、その情報収集の仕方は完全に違法だし、彼女の尊厳を無視してる」
静寂の中、背後から車のドアを閉める音が聞こえた。
警備隊の車両が着いたらしく、足音が微かに近づいてくる。
「嫌だなぁ、完全に第三者みたいな言い方して。
記憶喪失っていうよりも多重人格者みたいになっちゃってるよ?
もっと怖がってよ。めそめそ泣いて見せてよ」
速やかに音を立てず中腰の態勢のまま警備隊員が二名やって来て私をドアの陰になる方へ下がらせ、
犯人に気取られないように扉を押さえている清亮と交代する。
初音と響士は念の為に窓の方を見張っているようで姿は見えない。
「ねえ、良いことを教えてあげる」
私は犯人の息の根を止める覚悟で口を開いた。
彼の幻想を、夢を、心そのものすら砕いてやる。
「貴方の愛するか弱くて受身がちで大らかで優しくいじめがいのある奏ちゃんはもうこの世界には存在しない。
貴方は二度と奏には会えないし、歪んだ欲望も満たせない。
何より貴方のような人間を奏は絶対に愛したりしないし、受け入れない!」
私は警備隊員の一人に目で合図をした。
その瞬間、激しくドアに体当たりをする音がし、次のタイミングで警備隊員が扉から手を離す。
「確保!」
急に扉が開いたことで態勢を崩した犯人をすかさず警備隊員が挟み込むように捕らえ、コンクリートの床に腹這いにさせる。
彼の左手は背中の後ろで捩じりあげられ、右手に錠がかけられた。
「――奏ちゃん、用意周到だね。警備隊まで呼んでたなんて」
「当然よ。逃げられるわけにはいかないし、貴方にはちゃんと罪を償ってもらわないと。
一体、どれくらいの罪になるんでしょうね」
「君は本当にこれまでの奏ちゃんとは違う人間みたいだ。
でも僕は今の君は好みじゃない、その服装も、態度も」
「当たり前でしょう。
今、貴方の前にいるのは孤高の女王・カナ様なの。
私は貴方のような卑怯で陰湿な人間には絶対に屈しないわ!」
辺りに私の声が響いた。早朝の静けさの中でどこまでも振動していくようだった。
そんな私に迫力負けしたのか、犯人は大人しくなり警備隊員らによって連行されていく。
その様子を階段の上で眺めながら私は深呼吸をした。
爽やかな空気を吸い込み、少し冷静さを取り戻す。
犯人が車両に乗り込んだのを確認してから、運転担当の警備隊員が
「話を聞きたいので後程分庁舎まできてもらえますか」と私たちに話しかけた。
その隊員は犯人と同じ車両に乗せるわけにはいかないので家まで送れないのが恐縮ですが、と付け加える。
私たちは承諾し、犯人の乗った車両が去っていくのを見送った。
これで本当に終わったのだ。
「もうこんなことはやめてもっと健全に、もしくはその性癖に付き合ってくれるような人を見つけなよ。
貴方はこれから先もこの世界に縛られて、ここで生きていかなきゃならないんだから。
自分から世界を拒絶して自分の作り上げた妄想と幻想の中で生きていくなんて非生産的だわ。
…そんなの私だけで充分」
視界から完全に消えた車に向かって私は呟く。
馬鹿な男だ。見た目も良くコミュニケーション能力も高いのに何であんな性癖を覚えてしまったのか。
何でも備えているからこそ人とは違うことがしたかったのかもしれない。
だがそんな心理は理解できないし、したくもない。
「お姉ちゃん!!」
緊張の糸が切れたのか、いつの間にか私の後ろに佇んでいた初音がぶつかるような速度で後ろから抱き付いてきた。
衝撃に少しつんのめるも、緊張して手足が冷えていた私の身体に初音の温もりがじわじわと伝わってくる。
「今回は上手くいって良かったけど、もう二度とこんなことしないでよ!
約束だからね!!!」
「うん、こんなことが起こらないように気をつけるよ。
――協力してくれてありがとう、初音。
楳澤くんも植松くんもありがとう」
彼女の方を振り返ると初音は今にも泣きそうな顔をし、私たちを見守っていた彼らはホッとしたような表情を向けている。
私も漸く肩の荷が下りたような気持ちだった。
これで奏がいつ戻って来ても大丈夫だ。
犯人は捕まったし、恐らく清亮と響士との関係も変わる筈だ。
彼女が望んだ気負い気負われのないフラットな関係に。
でも、私は――きっと何も変わらない。
元の世界に戻ったとしても、戻れずにこの世界で生きていくとしても。
もし変われるならば、私を変えてくれる存在が現れてくれるのを待つしかない。
しかし、私はこの世界にいる限りそれを求めないだろう。
とりあえずまだ太陽も完全に昇っていない時間なのと、
感情が高ぶっていて自分の家に帰っても時間を潰せないと思った私たちはファミレスに行くことにした。
アパートに鍵をかけ、騒動で目を覚まして起き出してきたお隣さんに簡単に事情を話して迷惑をかけたことを謝罪してから
私たちは徒歩で目的地へと向かう。
次第に日が昇り人の気配がし始め徐々に目覚めていく街中を歩くのはなかなか新鮮だ。
気候も相まって空気や光も気持ちよく感じるし、歩いていれば丁度いい気温である。
早朝の散歩をしている人や仕事へ向かう人とすれ違う度に「朝まで遊んでいたのか、この学生たちは」という目で見られるのは少々気まずいが、
本日、我が校は創立記念日で休校なのだ。何も後ろ暗いことはない。
「それにしてもお姉ちゃん、ばっちり聞こえたよ。
何が“孤高の女王・カナ様”よ!よくあんな状況でそんなフレーズ思いついたね」
「あら、私は嘘なんてついてないわよ。
高校時代に後輩からそう呼ばれてたの、私」
「「「えっ」」」
一気に視線を集めた気がする。
後ろを歩いている清亮と響士も驚いている様子だ。
そんな彼らに私はそう呼ばれるまでの経緯を話すことにした。
「私、高校二年生の時に物理担当の先生に一目惚れしたの。
その後、理数系が苦手だったにも拘わらずその先生が顧問をしていたロボット部に入部し、物理も猛勉強して成績を上げていったわ。
それだけじゃまだ個人的に注目されないと思った私は他の科目も勉強することにして、
二年生の後半からずっと学年一位の成績を収めるまでになったのよ。
でも、三年生の三学期の始業式でその先生が何年も付き合っていた女性と結婚したという話を聞いて私は固まった。
物凄くショックだったし何より酷く恥ずかしかった。
何も知らず気付きもせずに私は一方的に先生にアタックしてたんだもの。
その後はすっぱり想いを断ち切って私は残りの日々もひたすら自分を磨いた。
そんな私は卒業する時には100人くらいのファンを獲得し、
ファン以外の後輩たちからも“孤高の女王・カナ様”と呼ばれるようになったのよ。
経緯も知った上でのことだから皮肉めいた呼び名だったのかもしれないけど」
過去を思い出し私の気持ちが少し傾ぐ。
あんなに何もかもに全力でぶつかった日々が一瞬で壊れてしまったことの虚しさと、
その原因が失恋という俗なものだったことが今でも情けなくて。
「それから私は決めたの。
二度と相手のいる人に惹かれないって。
そしてこれからはあの時の私と同じくらいの熱量を持ってぶつかってくる人しか好きにならないって」
理系で周りに男性が多い環境にあった私に恋人がいなかったのもそういう理由だ。
友人として楽しく過ごせる人はいても、当時の私と同じくらいに全力で直向きに想ってくれる人がいなかったわけだ。
「そ、そんなことがあったの…」
半ば呆れたような顔をして初音が見上げてくる。
そんな彼女に「でも今はその肩書きを気に入ってるよ」と返した。
孤高イコール孤独という意味ではない。――誇り高く、ひとり自らの志を守ること。
進学校の生徒だった彼女らはきっと意味を知っていて名付けてくれたと信じている。
「でもね、お姉ちゃん。決めつけは良くないよ。
人を好きになるのって理屈じゃないんだから。
それに…」
不意に足を止めた初音は私の手を握った。
つられて私も立ち止まる。
「お姉ちゃんもこの先、この世界で生きていくんでしょう。
一人傍観者みたいに過ごすつもりだったんでしょうけど、そんなの私が許さない。
もし奏お姉ちゃんが戻ってきた時はその時だよ。
何で同じ存在のお姉ちゃんが遠慮する必要があるの?」
「…あれま、気付いちゃった?」
思わず間の抜けた声が出た。
私を見据える初音はへの字に口を結んだまま私の手をきつく握りしめる。
「気付いちゃったよ、何となく。
――さっきお姉ちゃんがぶつぶつ呟いてたの、聞こえたんだよ。
あれってそういう意味だったんでしょう?」
「…うん」
私はこの世界に特別な居場所はないと思っていたし、作ってはいけないと思っていた。
奏がいつ戻ってくるか分からないのに、友人や恋人などを作ってしまっては
奏が戻ってきた時に奏にもその人たちにも迷惑をかけてしまうし、悲しい思いをさせてしまう。
だから私は今以上に誰かと深く関わることなく過ごしていこうと思っていた。
そんな私の浅はかな考えは簡単に見破られてしまったらしい。
「お前がこの世界に来た時から、ここでの佐久良奏の人生はお前のものなんじゃないか。
もし今後、あいつと入れ替わる時が来たとしても、ここで過ごした時間を後悔しないように生きていけばいいと思う。
その時は戻ってきたあいつにお前のことを話してやるよ。勿論、比較とかは抜きに同じ名前を持った一人の人間として」
「そうだよ。遠慮して距離を置くなんて水臭いじゃないか。
カナはやりたいことをすればいい。君の人生は君のものだろ。
きっと向こうの奏も必死に生きてるさ」
清亮と響士は一旦立ち止まったものの、言いたいことを言ったら私たちを追い越して歩き始める。
それを見て初音が私の手を二回引いた。行こう、の合図らしい。
未だに手を離さない初音や清亮と響士の後ろ姿を私は呆然と見つめる。
何だか不思議な気持ちだった。
それまで一緒に過ごしてきたのは犯人を見つける・捕まえる為であって、初音以外は情で結ばれた関係とは言い難かった。
けれど今は彼らの言葉をとても嬉しく思う自分がいる。
「ねえ、皆。
これからもよろしくね」
少し照れながらそう言うと“何を今更”と三人から返された。
−その世界の先で−
犯人は幾多の軽犯罪法違反で逮捕、起訴された。
彼の部屋を捜索すると過去に奏以外にも同じようにストーカーをしていた女性がいたらしい。
また私が思った通り、彼は最初にピッキングで鍵を開けて侵入し、合い鍵を複製してからは
奏が大学へ行っている昼間に侵入していたようだ。
あまりに堂々と鍵を使って部屋に入っていたのでアパートの住人は奏の彼氏だと思っていた、という人間もいて
より犯人を不気味に思ったものだ。
その後、私は奏のアパートを引き払い、無理を承知で家族に現在のマンションからの引っ越しを提案した。
もし犯人が更生しなかった場合、家を突き止めてまた接触しようとするかもしれないと最悪の事態を考えてのことだ。
このままここに住んでいると家族に危険が及ぶ可能性があるので
災いの芽は摘んでおかなければと思ったことを素直に話したら両親も納得してくれたらしく、
早速家探しをしたところ丁度父の会社に近い場所に条件の良い平屋の家が見つかった為にそこに移住することになり、
これを機に母は小児科の看護師長を辞退し、今よりも時間に融通の利く整形外科への異動願を出した。
そして逆に家から大学まで遠くなってしまった初音は大学付近にアパートを借りることになった。
ちなみに、私が直接犯人と接触したことを警備隊からの連絡で知った両親からは数年分のお叱りを受けたが、
それ以上に温かい言葉と苦しいくらいの抱擁を私にくれた。
混乱させたくないので私が奏と入れ替わっていることは未だに伝えてはいない。
けれども前のような“奏のお父さんとお母さん”というような他人行儀な気持ちは消えた。
私が不幸にしてしまったかもしれない元の世界の両親にできなかった分、今の両親には親孝行したいなんていい子ぶったことを考えてもいる。
うんと考え、両親とも相談した結果、大学は一旦休学することにした。
今回の騒動で六法全書はとても役に立ったのだが本格的に法学部の勉強をする覚悟も興味もなく、
また急に工学部に転部するのも色々と怪しまれそうなこともあるし、
何より私の気持ちがまだどこか日常へ戻って来ていないこともあって、何年間かこの世界でのんびり過ごしたいと思ったのだ。
親孝行を考えている割には親泣かせな選択をしたとは思うが、理解してくれた両親には本当に感謝している。
「――というわけで、一緒に卒業はできません」
「それでもいいんじゃないか。お前と家族で決めたことだ」
私がこの世界で積極的に生きて行くことを決めてから、不思議と清亮と過ごす時間が増えていた。
主に彼がバイクの手入れをしているところを私が見ているだけだったり、後ろに乗せてもらったりするだけなのだが。
機械いじりが好きな私にとってバイクはとても格好良い乗り物であるし、
元々ドライブが趣味だった私にはバイク独特の風を切る感覚とバイクとの一体感が新鮮で面白く病みつきになり、
そんな趣向が清亮とマッチしたのだ。
「ところで、楳澤くんは何を目指してるの?」
「社会保険労務士」
「それってどんな仕事…って、馬鹿にしたな?
仕方ないじゃない、全然興味ない分野なんだもの」
別に馬鹿にしたわけじゃない、と一言断ってから清亮は説明してくれた。
労働関連法令や社会保障法令に基づく書類等の作成や代行等を行い、また企業の労務管理や社会保険に関する相談・指導を行う仕事らしい。
一生懸命に働いている労働者が安全で安心に働ける環境を作る手伝いがしたい、と彼は背中を向けてバイクを点検しながら話してくれた。
「その考え、素敵だね」と言うと彼からは特に返事はなかったものの耳が少し赤くなっている。
「でも、試験の合格率は低めなんだ。狭き門ってやつだな」
「そうなんだ。でも、挑戦しなきゃ始まらないもの」
「ああ、そうだな。だが就職先は既に決まってるんだ。
響士が事務所を開くんだとさ。何の事務所だと思う?
何でも屋…もとい探偵事務所、だと」
「えー!植松くん、そんな夢を持ってたの!?意外だ」
「とはいえ司法書士の資格を取るって言ってたし、どちらかというと企業向けの書類作成や代行、相談が主の仕事をするんだろう。
そんなわけで社会保険労務士の資格が取れたら俺も雇ってくれるんだとさ。
流石に浮気調査とかペットの捜索依頼なんかは向いてないから断るだろうが、普通に“法律事務所”とかにしとけばいいのにな」
「でも探偵事務所ってなんか夢があるじゃない。いいなー探偵業。孤高の女王・カナ様が名探偵・カナ様へ、なんてね。
私も入社させてもらいたいな。機械修理とかデータ復元・抹消とかそういう方面から攻めてみるのはどうだろう。
結構需要ありそうな気がするけど」
「俺に言うなよ。未来の社長…所長?は響士なんだからな」
そう言って清亮は笑いながら振り返る。
そんな彼が何だかいつもよりも幼く見えた私は「この表情いいな」と不意に胸の中で発していた。
「でも、その仕事に就く前にやりたいことがあるんだ」
「何?」
「旅をしたい、1年くらいかけて。
ジッカラートとチャイラをゆっくり一周するのもいいし、佐久良が行きたがってたアークバーン大陸を縦断するのもいい。
――お前だったらどこに行きたい?」
「私?そうだなぁ、私だったら…ネープル帝国かな。
科学技術の最先端を行く国だもの!きっと見たことのない新しい道具や機械が発明されてる筈よ!!」
恐らく目をキラキラさせていただろう私を見て清亮は柔らかな表情を浮かべた。
こういうところは兄貴分全開で何だか悔しい。
「だったら一緒にネープル帝国へ行こう。
俺はカナと世界の景色を見て回りたい」
「ん…、うん?」
軽いノリで「いいね!」と返そうとしたが、いつの間にか清亮の表情がそれを許さない深刻なものとなっていた。
恋愛事から遠ざかっていた私でも何となく彼の意図することは分かる。
「お前は守られるだけの女じゃないってよく分かったから、考えを改めた。
俺は頼ったり頼られたりしながらお前と一緒に生きていきたいんだ。
――指輪、受け取ってくれ」
そう言って清亮はジーンズのポケットからシンプルではあるが私の好きな青色の石がはめ込まれた指輪をぶっきらぼうに差し出してくる。
箱は部屋に置いてあるから心配するな、と真剣に話す姿に緊張が吹き飛ばされた私は、
ムードもへったくれもなく「あっはっは」と大きく口を開けて笑い、涙目になりながらその指輪を受け取った。
「清亮、これからもよろしくね」
「ああ。よろしく、カナ」
――人は日々選択して生きている。
生命を左右するような重要なことであったり、
将又、傘を持って行くか持たずに行くかといった些細なことであったりと様々だ。
「お姉ちゃん、さっきから玄関でボーっとしてるけど、どうかしたの?」
「傘を持って行こうかどうか迷っているの。
初音は今日の天気予報見た?」
「晴れ時々雨だから傘は持って行かなくていいんじゃない?
雨が降ったら買えばいいのよ。どこにでも売ってるんだもの」
「ふふふ、そうね。その時になったら考えようか。
ショッピングはできるだけ身軽な方がいいしね」
「そうそう!さ、早く行こう!!
そうだ、免許取れたらお姉ちゃんの車を私の名義にしたいんだけどいい?」
「構わないよ。私は免許持ってないし、免許取る為に初音が頑張ってるの知ってるもの。
駐車場代が勿体ない気がしてたし、使って。
但し、気をつけて乗るのよ?」
「はーい!」
私が選択した方は、きっと幸せな未来へ繋がっている。
そして、もう一人の私にとってもそうであることを私は心から祈っている。
−完−
※名前変換小説版と同じ後書きです
何でこの作品を作ろうと思ったのか、それは
「他の人を想っている(片想い)男の心も奪うようなモテる女に物語の中でくらいなってみたいぜ!」
という私の邪な心からです。
とはいえ、相手の男性が片想いだとしても人から奪うというのはちょっと罪悪感を感じると言うか気が引けるところがありまして(ビビりです)
ならば、別の世界の自分から奪うならまだ罪悪感少なくないか!?と思ったところから始まりました。
そんなわけでパラレルワールドが誕生し、もう一人の自分を起点に自分たちだけ入れ替わるという話になりました。
ここから逃げたいと思う程の気持ちってなんだろう、と考えた結果、一番は死の危険が迫った時かなと。
それでもう一人の自分は被害者になっていただくことになり、相手をどうしようか悩んだ結果、ストーカー男にしたのでした。
やっぱりもう一人の自分が恨まれてるなんて嫌ですし、一方的なものにしたかったんです。
犯罪を助長する意図はありませんし、もし被害に遭ってもあんな対応はせず安全第一で警察に相談&安全なところに身を隠すなどしてくださいね。
犯罪被害者の方にはつらい内容かと存じますが、その辺は自衛してくださっているものと思っております。
ちなみに、もう一人の自分は世界移動した後は色々とどたばたがあったようですが、怪我が治った後は穏やかな人生を送れたようです。
さて、もう一人の自分の思考や心情については、ほぼ犯人や主人公が語っているもので正解です。
彼女は響士や清亮とできれば普通の友人になりたかったんですね。
一人暮らしをしているのも精神的に自立したいという気持ちがあったからです。
けれど彼らと一緒にいるとちやほやされ甘やかされてしまい、またそれに慣れつつある自分が嫌で彼らとの接点(傷痕)をなくしたいと考えていました。
留学は遠い場所ならどこでも良かったようです。
清亮について。
ありきたりですが、見た目不良だけど心優しいごついやつ、です。
こういうタイプが好きなんです、私。
もう一人の自分に対しては友情以上の感情は抱いていません。
心の中で「すまねぇ、すまねぇ」と言い続けている奴です。
主人公はさばさばとしているのもあってか、彼女に対しては最初から結構好感度が高めです。
ちなみに、響士も清亮も、主人公が「自分と同じくらいの熱量〜」と言っているのを聞いていますので、
恋心自覚後はそれまでとは違い積極的に主人公にアタックしている感じです。
最後に指輪をむき出しで差し出しているのは、主人公が受け取らない限りずっと持ってる、という意志を表した感じです。
そのくらいの熱量でないと受け入れてもらえないと思っているので。主人公は鈍感で最後まで気付きませんが
そんな清亮を好きになってくださった方がいらっしゃいましたら幸いです。
ここまで読んでくださったお客様、ありがとうございましたm(__)m
裕 (2016.9.11)
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