ミュウは焦っていた。
最近、思い通りに事が進まないのだ。
の影響だった。彼女が優秀すぎることがプレッシャーになっていた。
自分の力不足を切実に感じている彼は頭痛を抱えながら机に向かうことが増えた。
それでもやミカサと一緒にいられるなら頑張れる。
皆が一緒にいられるここは天国だ、とミュウは弱った自分に言い聞かせた。
ナナミを失った時は本当につらかった、とミュウは回想する。
ふさぎ込みがちだったミュウの暗い心を太陽のように明るく照らしてくれた。
傍で優しく見守るミカサとは違った温かさを彼女はくれた。
無邪気さと好奇心の塊だったナナミに導かれミュウは新しい世界を知ったのだ。
少々強引ではあったが、連れ出してもらえてよかったとミュウは思っている。
恐らくミカサだけだったらミュウが外に行きたいと言うまで連れ出すことはなかっただろう。
ミカサは優しすぎる、とミュウは頭を抱えながら微かに笑みを漏らした。
「ミュウ、一緒に食事しませんか?」
「――ああ、か。いいよ。
久しぶりだね、一緒に夕食食べるなんて」
医療チームの研究補助を始めてからと夕食を摂ることが減っていたミュウは
自分でも驚くくらいの明るい声が出たことに気づいた。
恥ずかしながら寂しかったらしい、と自覚しながらミュウはミカサも呼んで三人で食事をすることを提案する。
久しぶりに会ったような気がするのもおかしな話ではあるが、
は別人になったかのような強い光を瞳に宿していた。
やる気と自信に溢れた目だった。
これまでの“こんな自分が少しでも役に立てるなら”といった哀れな卑屈さが微塵も感じられなかった。
恐らく研究が上手くいっているのだろう、とミュウは察した。
四階のエレベータでミカサと合流した三人は食堂で食事を摂ることにし、雑談しながら本日のメニューを眺める。
どうやら今日から廃棄物を減らす為に夜のメニューは一種類しかないらしい。
そんな今日のメニューは塩漬けのオリーブを刻んだトマトベースのスープ、
じゃがいもとビーツのサラダ、香草とレモン汁を練り込んだバターを中心にしたカツレツ、
以前ミカサが食べていたひき肉を詰めたパイ。しかし今日は揚げているのではなく焼いている。
辺りには人気はなく、しんと静まり返っている。
厨房や階下には研究をしている医療チームもいる筈なのだが、
三人が席に着いてからは世界に自分たちしかいないような感覚をミカサは覚えた。
今までは特に感じたことがなかったが夜の研究所はこんなに不気味だったのかと思いながらミカサは食事を口に運んだ。
「そう言えばは研究の方はどう?
今、どんなことしてるの?」
「今は硬化した細胞を再生する方法を探しています。
骨髄細胞投与で若干効果が見られています。
その他には別の組織から細胞を摘出して増殖し、新たな細胞を作り出すことも視野に入れて研究しているところです」
「クローリングってこと?」
「そうですね、細胞培養です。
完全に新しい臓器を作り上げると時間がかかりますが、一部分だけでも正常な細胞を移植すると、
周りの細胞が少しずつ再生されていくという結果が出ています。
しかし、まだ非臨床試験の段階ですけどね」
「移植するのに必要な大きさってどのくらいなの?」
「その臓器における20分の1程度で良いようです。
細胞培養と言ってもミニチュアの臓器を作るわけでなく小さなシート状でいいんですよ。
それを臓器に貼り付けるような形で移植するんですよ」
「そうなんだ。それならナヲミも良くなるかもしれないね」
「はい」
は微笑んで頷いたが、心の中には不安が渦巻いていた。
それらが治験として実施されるようになるのはもっと先のことだ。
一応、ナヲミの細胞は既に培養しているが間に合うかどうかも分からないし、その方法が効くかどうかも分からない。
何年も先に発症する人は助かるかもしれないが、ナヲミがそうだとは限らない。
それまでにナヲミの症状が悪化しないことをは毎日祈っていた。
そんなとミュウの難しい会話をミカサは聞き流していた。
最近、集中力が落ちているように思えた。集中力だけでなく思考力も落ちている気がする。
ふとした時に白昼夢を見ているかのようなぼんやりとした感覚に陥るのだ。
もしかすると自分の脳には何か異常があるのかもしれない。
だからナナミのことも、ミュウやが覚えているとの出会いからナナミが死ぬまでの間の記憶がないのだ。
――そんな風に思っていた。
けれど恐ろしくて彼らには相談できなかった。
日常を逸脱するような出来事を口にしてしまったら、三人の世界が終わってしまいそうな気がして。
ミュウとと一緒にいられる時間がミカサは嬉しかった。
自他共に認めるクールな性分なので表に出すことはないけれど、繊細な彼らと一緒の時間は穏やかで幸せな気持ちになれるのだ。
ミカサは彼らが好きだった。彼らと過ごせるこの研究所が好きだった。
それを自らの手で崩すことはできない、とミカサは思うのだった。
「――あ、そう言えばさ。
ボクもミカサも働き始めてからずっと君のピアノを聞いてないよね。
近いうちにまた聞きたいな。ナヲミにも聞かせてあげたいよ」
突如そんなことを言い出したミュウの言葉はこれまでとは違い、すんなりミカサの耳に届いた。
ミカサも無性にのピアノが聞きたいと思った。
ピアノの音色が漏れていた塀のある屋敷のことははっきりと覚えていた。
ただミュウやナナミとどうやってそこに入り込んでと出会ったのかは思い出せない。
もしかするとのピアノを聞いたら思い出せるかもしれない、そんな風にミカサは考えた。
「そうですね。
ずっと泊まり込んでいて休みらしい休みも取っていませんし、今度、半日くらい休みを取りましょうか。
――あ、でも私たち三人が同時に休みを取るのは仕事に支障が出るので無理ですね。
ナヲミさんも外出許可が下りるのは難しいでしょうし」
「それもそうか」
しゅん、と見るからに元気をなくしたミュウであったが、
次の瞬間には無邪気な子どものように目をキラキラさせて顔を上げた。
「いっそ職場の休憩室にピアノを置いちゃいたいね。頼んでみようか?」
「まさか!流石にそんな贅沢な娯楽物は許可が下りませんよ」
「ちぇっ、良いアイデアだと思ったのになぁ。ねえ、ミカサ」
「流石に無理ですよ。
まぁ、小児病棟ならオルガン程度はあるんじゃないですか?」
「そうですね。そこならあるかもしれません。
ですがただ気分転換の為にそんなところを訪れるのは迷惑でしょうから…」
そんなことを話しながら食事は終わった。
久しぶりに三人でゆっくり話ができたことで活力を得たは
*ミュウともう少し話がしたいと思った。
*ミカサともう少し話がしたいと思った。
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