久しぶりに休憩室の奥にある仮眠室のベッドで眠りから覚めたはゆっくりを伸びをした。
一応は下に低反発マットを敷いてはいるが自室のラグで何時間も寝ると体が痛くなることもあるので
疲労がたまる頃に仮眠室のベッドを利用するのだった。
 三階に行き、売店で朝食用のドリンクタイプのヨーグルトと大豆成分で作られたエネルギーバーを購入した後、
洗濯乾燥機から洗濯物を回収し、手持ちの袋へ畳んで入れる。

、今から朝食ですか?」

 エレベータホールで後ろから声をかけられては振り返った。
予想はついていたがミカサがビニール袋を下げて立っている。

「――おはようございます、ミカサ。
 ええ、そう言うミカサもそうみたいですね。よければ一緒に食べませんか?」
「どうせ作業しながら食べられるものを買っているんでしょう?」
「それはそうですけど、好みの問題です。
 私はどこでどう食べようと、朝食はこの組み合わせが好きなだけです」
「はいはい、そうですか」

 微かに唇を尖らせたを見てミカサは苦笑しながらも「何階で食べますか?」と尋ねた。
四階の休憩室で食べることにし、二人は目的地へ向かう。
 ミカサが袋から取り出し机の上に置いたのはビスコット。
そして休憩室のセルフサーバーを利用し、甘党なので自分には砂糖とミルクたっぷりのカフェオレのようなコーヒーを入れ、
には食後用にレモンティーを用意してプラスチックの蓋をしてから彼女に渡した。

「そういえば、後でミカサにメッセージを送ろうと思っていたのですが、
 T社から依頼されている酸素濃縮装置ですけど、音声メッセージ機能が欲しいと追加依頼が来まして」
「そうなるとスピーカーのスペースが必要になるので…パネル部分の設計をもう少しコンパクトにする必要がありますね」
「忙しいところをすみませんがよろしくお願いします。こちらもプログラムを修正しておきますので」
「まぁ、まだプロトタイプを提出する期限にも余裕があるのが幸いですよ。
 とはいえプロトタイプが仕上がれば、多分そのまま製品化もいけると思いますが」
「頼もしいですね。では、お願いします」

 エネルギーを補給し、目を覚ます目的だけの食事を終え、とミカサはそれぞれ自室へと向かった。
が大部屋に入ると、手前の共同スペースに置いてあるソファにミュウが腰かけている。
目が合い「おはよう」と笑顔で挨拶した彼は薬学事典を読んでいた。
恐らく今日もナヲミの病の治療法がないかを彼なりに考えているのだろうとは思った。
 現在、ナヲミには成長ホルモンと葉酸を最小単位から投与して様子を見ている状況だ。
見た目の急激な変化は感じられないが、同負荷下におけるナヲミの体力消耗度は同年代に比べてはるかに高い。
 最悪の事態を考え、はABO型とHLA型、そしてリンパ球交差試験の検査を受けている。
そろそろ結果が分かる頃なので明日にでも医療チームに顔を出してみようかとは考える。

「ミュウ、おはようございます。
 ちゃんと睡眠はとりましたか?」
「またのところのラグを借りちゃったよ。あそこ居心地がいいんだよね。
 ベッドだと寝過ぎちゃうし」
「使用するのは構いませんが、あまり根を詰めすぎるのは駄目ですよ?
 貴方に何かがあったら皆が悲しみます」
「ありがとう、

 そう言うと、ミュウは分厚い本を閉じた。
そして共同スペースのラックに何故かいつの間にか立てられかけていた絵本を取りに行き、
その絵本を持ってソファに戻ってくる。
 隣に座っていたはミュウの手元の絵本を覗き込んだ。
それはの知らない本だった。タイトルは――『ぼくのせかい』
どんな内容なのだろう、と思った。

「そんな絵本があるなんて珍しいですね」
「ああこれね、小児病棟のものなんだけど内容が気になって借りてきたんだよ」
「ミュウが借りてきていたのですか。
 貴方が気になるなんて、一体どんな内容なんですか?」
「――何でも自分の思い通りになる世界に住んでる王様の話みたい。
 もし、この王様みたいに願いが何でも叶ったら幸せになれるのかな?
 はどう思う?」
「…分かりません。
 ですが、何でも手に入るということは、その実、何も手に入れられないのと似ているのかもしれませんよ。
 何でも手に入れられるということはそのものの価値が下がりますし、
 欲しいと思っていたものを手に入れるとそれに対する執着はなくなります。
 全てを手に入れ、欲しいものがなくなってしまった無感動な世界で王様は生きて行くことになるのです。
 それはとても悲しいことだと私は思います」

 は感動を味わうことがなかった日々を思い出す。
灰色の世界で生きているように思えた毎日をつらいと感じる心すら当時は持っていなかった。
 確かに望みが全て叶う世界は魅力的だ。
もし神に「願いを叶えてやろう」と言われたらは迷わずナヲミの病の治癒を願うだろう。
ALの完成は自分たちの力で成し遂げるつもりではあるが、現状ナヲミの病だけはどうにもならない。
自分本位だと周りから攻められようとも誰よりも先にナヲミの病を治したいとは思っている。
 ――とはいえ、一つの絵本でここまで想像してしまうなんて、とは自嘲した。

「ミュウは今の願いが全て叶ったら、その後はどうしますか?
 …つまりは将来の展望というか」
「うん…そうだね。
 ――実はまだ考えつかないんだ。
 勿論、すぐにでもナヲミは治してあげたいし、ナナミのALもできるだけ早く完成させたい。
 …でも、こうやって毎日そのことだけを考えながら君やミカサと一緒に過ごすのって…何だか心地いいんだ。
 だからずっとこうしていられたらいいのにな、とは思っているんだけど」

 ミュウは照れ臭そうでもあり、どこか罪悪感を滲ませるような表情を見せた。
はその気持ちも何となく理解できた。
自分もミュウとミカサと一緒に同じ職場でいつも顔を合わせていられる現在の生活は非常に充実していると思えたからだ。

「確かにこの職場は働きやすい環境だと思います。私もずっと貴方やミカサと一緒に働きたいです。
 この先、願いが叶っても、きっとまた新しい目標が見つかりますよ」
「…そうなった時にはボクの傍にいてくれるのかな」
「ええ、勿論ですよ」
「ありがとう、

 そうして二人は己のブースへと左右に分かれた。
ALを早く仕上げたいが総合科学技術研究所で働いている以上、優先すべきは依頼である。
 現在、が並行して受けている依頼は3件。
既にプログラムをハードに組み込み、プレゼン待ちのものが1件、
開発部門から改良を支持されて戻ってきたものが1件、プログラムを組んでいる途中のものが1件だ。
プレゼン待ちのものも依頼人が改良や修正を望めばプログラムを最初から組み直すことも有り得るので
三つの依頼の期限を考えるとのんびりしていられない。
 は早速コンピュータに向かった。
そして次の休憩時間を決め、40分の作業に入る。
ミュウも作業を始めたようだ。隣のブースからカタカタという音が漏れ聞こえてくる。
ミュウは好きな音楽を聞きながら作業をすると捗るようで、集中したい時は密閉型ヘッドフォンを装着しているらしい。
とはいえ、ミュウがヘッドフォンをしている時は仕事中ではなく、
AL製作の時や好きな小説を読む時だったとは記憶しているが。
 ――ともかく自分も仕事に集中しようとは携帯端末のステートを“仕事中”に変更した。


 本日の勤務時間が終了する時刻が訪れた。
とはいえ、その時間にが帰宅したことは一度もない。
これからが私的な作業開始時刻なのだ。
 職場で私的な作業をしていることを咎められもせず過ごせているのは
これまでのやミュウの勤務態度や功績に因るものだろうとは自覚している。
もしかするとALの技術をいずれ総合科学技術研究所に取り込みたいと考えてのことかもしれないが、
恐らくミュウはナナミのALが完成した後はそのノウハウや権利は快く譲り渡してしまうのではないかとは考えている。
彼はあまり自分の手柄というものに興味がないのだ。
彼が努力して作り上げたものに対する正当な評価や権利などは保護されるべきだと思うのだが、と
は自分自身もあまりそういうものに興味がないにもかかわらず思うのだった。

「さて、区切りがいいですし食事でも摂りましょうか」

 長い間、言葉を発していないと声だけでなく言葉そのものも出にくくなると本で読んだことがある
長時間無言で作業した後は敢えて独り言を言うようにしていた。
普段からおしゃべりな方ではないので刺激が少ない分、脳の言語域の神経組織が人よりも衰えやすいかもしれないと考えていたし、使わないと声帯も衰えていくだろう。
ナナミのAL完成とナヲミの病の解明と完治まで一時も気が抜けないのに、
自分の健康度を下げている場合ではないのだ、とは考えている。
その割には会社に泊まり込んで睡眠時間を削っていることが一番の害ではあるのだが、と自覚はしているものの、
自由な時間が少しでも欲しい為にどうしても削りやすい睡眠時間を削ってしまうのだった。
 その次が食事の時間である。
ゆっくりと味わい、人と会話を楽しみながら食事をすることが大切だということは分かっているが、時間が気になるのでそうもいかない。
流石に健康の為にも一日のうち一回はそういう時間を作った方がいいだろうかと考えて、
は折を見てミュウやミカサを誘うようにしているのだった。

「さて、今日の夕食はどうしましょうか」




ミュウを誘う


ミカサを誘う




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