幸せはここにある −4−


 私に一方的なプロポーズをしたアシュウは、ジーンズの後ろポケットから何かを取り出し、
「返事はこれを読んでから聞かせてくれ」と言って一通の手紙を渡して私から離れていった。
彼はそのまま真っ直ぐ波止場の先にある灯台の方へ歩いて行く。
 私は混乱しながらも言われるがまま受け取った手紙を開く。
文字を見た瞬間、手が震えた。それは麟太郎の書いた字だったから。

「――う、嘘よ!」

 手紙に目を通した私は無意識に叫んでいた。
そして二度三度と読み返す。
やはり私にはこの手紙に書いてあることが理解できない。
私は手紙を握り締め、アシュウのところへと全力で走った。

「アシュウ…。
 どうして麟太郎はアシュウにこんな手紙を書いたの?
 何でこんな…」

 私は麟太郎が亡くなった後に受け取った私宛の手紙のことを思い返す。




 桜子へ。
 子どもの頃からきみとは一緒にいたのに、何も話さずにいてごめん。
 きみにも、アシュウにも同情されたり心配されたくなかったんだ。
 みんなでわいわいと騒ぐ時間が好きだったから、病気のことを話してきみたちを
 がっかりさせたくなかったんだよ。――ねえ、桜子。きみが僕を
 好きだと言ってくれたこと、本当に嬉しかった。でも応えられなくてごめん。実はね、僕は
 きみではなく、アシュウのことが好きだったんだ。
 だからどうしてもきみの気持ちには応えられなかった。
 本当に、ごめんね。 
 気分を害してしまったらすまない。最期にこんなことをきみに話すなんて。
 だけど、きみにだけは知って欲しかった。きみは僕にとって家族のように大切な人だから。
 よければアシュウには黙っていて。これは僕らだけの秘密だ。
  最期まできみを傷つけて、本当にすまない。
 さようなら、桜子。きみの幸せを誰よりも祈ってる。
 よければアシュウを支えてあげて欲しい。いや、頼ってやって欲しい、かな。
 なんたってアシュウは桜子と同じくらい何でもできる男だもの。きみたちならお似合いだ。
 ラブラブになっても恨まないよ。僕が見られなかった未来をきみたちが紡いで欲しい。
                                                      麟太郎


 病室で意識を取り戻したわずかな時間に急いで書いたのか、それとも苦しみを耐えながらだったのかは分からないが、
彼の文字は酷く歪んでいて読み取りづらかったものの内容は問題なく読み取れた。
 しかし、この手紙を全てを読み終えた時の私の虚しさは例えようがなかった。
私が全身全霊をかけて愛した麟太郎はアシュウを愛していたなんて。
私が彼の理想に近づこうとどんなに努力したところで、最初から振り向かれる筈がなかったのだ。
どんなに自分を磨いても彼が見ていたのはアシュウで、麟太郎の中で私はきょうだいのような存在でしかなかった。
そんなことも気づかずに、私は何度も告白していたなんて。
 麟太郎の病気に最期まで全く気づかなかったことにも悔いていたのに、更に悔やむことが増えてしまった。
病気を隠して普通に振る舞う麟太郎を私は疲れさせてしまっていたかもしれない。
無理をさせていたかもしれない。
 私が自分の感情ばかり優先してしまったせいで、麟太郎にこんな手紙を書かせてしまった。
――ごめんね、麟太郎。
もし私たちが普通の幼馴染みだったら「今までありがとう、さよなら」だけで良かったのにね。
私が余計な感情を持ち込んだせいで、麟太郎の気持ちを暴かせてしまったね。




「…酷いよ、麟太郎」

 どうして麟太郎はあんな酷い嘘をアシュウの手紙に書いたの?
私のことなんて書かなくて良いのに。
アシュウに想いを告げないまでも、感謝と挨拶だけでも良かったのでは?
 ねえ、どうして全く反対のことを書いたの、麟太郎。
受け入れるかは別として、アシュウなら拒絶せず貴方の気持ちを受け止めてくれたと思うよ。
何で正直に想いを伝えなかったの?
嘘を吐いてまでアシュウの気持ちを引き留めたかった?
一年でも良いからアシュウを私から引き離して自分だけのものにしたかった?
もしアシュウが私を好きじゃなかったらどうするつもりだったんだろう。
――麟太郎のこと、何でも分かってるつもりだったのに私は全然分かっていなかったんだね。

 太陽が沈んでいく。
空が赤から紫色へと変化し、その色も次第に紺から黒へと移りゆく。
母が帰途についたあの日もこんな夜の始まりだったのだろうか。

 私はアシュウをその場に残してとぼとぼと帰宅し、そのまま自分の部屋に向かい電気もつけないまま
机の奥にしまい込んでいた麟太郎の手紙を取り出して三年ぶりに三つ折りされた便箋を開く。
一文字一文字をなぞるようにゆっくり目を通し、そこで私はようやく麟太郎の想いに気づけた。

「…馬鹿だね。酷いのは私だね、麟太郎。
 麟太郎の気持ち、ちゃんと書いてたのに。
 ――よかった、私の気持ちはちゃんと届いていたんだね」

 麟太郎は私が後を追うかもしれないくらい悲しむと分かっていたんだね。
だから私の愛を受け入れられなかったのか。私はそんなに弱いと思われていたんだね。
 でも私はもっと麟太郎に触れたかったよ。
手を繋いでひなたぼっこするくらいでも良かったんだよ。
AもBも素敵だけど、桜子が世界で一番好きだって言って欲しかった。
 それにしても、あんな嘘つくなんて予想外だよ。
あんなこと書いたら私がアシュウに敵対心を燃やして、今度はアシュウを追い越すために生きると思った?
 麟太郎を失う前の私ならそうしていたかもしれないね。
でも、丁度すぐ後にお父さんの具合が悪くなったからそんな元気もなかった。
お母さんの手伝いや家事と大学の受験勉強で毎日がぎりぎり回っていた。
昔は麟太郎のことを考えて寝ていたのに、深く考えると不安が募って眠れなくなるから何も考えないようにして眠る癖がついてしまった。
 全てが終わった今、ようやく自分が今後は何のために生きようか考えられるようになってきたくらい、ここ三年は色んなことがありすぎた。
やっと父と麟太郎以外のことも考えなければと思い始めていた頃だった。
かといってアシュウが突然あんなこと言うなんて予想もしていなかったけれど。

 私は再びその手紙を大切に机の奥にしまい込んだ。
この手紙と麟太郎の想いは最期まで私のものだ。
麟太郎との約束通り、アシュウにも見せることはないだろう。

「さよなら、麟太郎」

 その日、私の恋はあの赤い空のように燃え尽きて、
夜空に月が完全に昇った頃、私は憑き物が落ちたように麟太郎への焦がれた想いを手放した。














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