幸せはここにある −3−


 俺が小学校に上がる前、父の仕事の関係で一家揃って生まれた国を離れて今の家で暮らし始めた。
集合住宅の一角に越してきた異国の一家を近所の住民たちは快く迎えてくれて、
歓迎のバーベキューパーティーを開いてくれるほどだった。
 そのパーティーで俺は同い年という二人の子どもに出会った。
色白で華奢で人懐っこい笑顔を向ける天使のように可愛らしい少年と、
その少年には可愛い我が儘を言いながら他の人間に対しては大人びた対応をする子どもなのに品の良さを感じる綺麗な少女。
特に少女は両親から教わったのか俺の国の言葉でたどたどしくではあるが挨拶をしてくれた。
俺も親に習ったこちらの言葉で挨拶をすると照れ臭そうに微笑み返してくれた彼女の顔のなんと愛らしいこと。
その瞬間から桜子への恋は始まった。
 けれど1ヶ月経つ頃にはこの恋は実ることはないだろうと分かっていた。
何故なら桜子は俺に出会う前から天使のような麟太郎を好きだからだ。
 麟太郎と俺とではタイプが違いすぎる。
桜子は麟太郎のふわふわとした温かい笑顔や素直で優しい性格が好きなのだ。
俺はこちらの言葉は覚えたけれど、元より自分からあれこれ話す方ではなかったようで
他の人と話す時は勿論、麟太郎や桜子と一緒にいる時も聞き手に回っている方が多かった。
 それを苦痛に思ったことはない。
寧ろ彼らの可愛らしい会話のやりとりや小突き合いを見るのは好きだった。
自分は桜子が好きだけれど、麟太郎が好きで彼のために努力する彼女も含めて好きだったから
二人がこのまま仲良く一緒に過ごしていずれ特別な関係となり、俺はそれを傍で見守ったり冷やかしたりできたらそれでいいと思っていた。




 アシュウへ。
  君がこの手紙を読んでいるということは、僕はもう死んでしまったんだろう。
 18歳の誕生日は迎えられているだろうか。書き直していないってことは17歳なのかな。
  えへへ、まさかこんな台詞を書くことになるなんてね。
 病気のこと、ずっと黙っていてごめん。桜子にもずっと内緒にしていたものだから。
 僕、子どもの時から心臓が弱くて20歳まで生きられないって言われて育ったんだ。
 普通、小学生の夢一杯の子どもにそんなこと言う?って今まで何度も憤ったよ。
 でも知っていて良かったって今では思う。
 やりたいことは何でもやってきたつもりだったし、桜子をむやみに傷つけずに済んだと思ってるから。
 とはいえ本当はね、病気が治って桜子にこれまでのことを謝れたらいいんだけど、恐らく無理そうだ。
  ――ねえ。アシュウは桜子のこと、好きだよね?
 ずっと隠してたつもりだったろうけど、僕は気づいていたよ。
 僕も桜子がずっと好きだったから。
  好きだから特別になりたくなかった。僕が死んだら、より苦しめることになると思ったから。
 だからずっと彼女の想いを断り続けた。酷いよね。
 彼女は僕のために色々と頑張って今では何でもできて皆が認める素敵な女の子になっちゃったのに、
 僕は分かっていて彼女の気持ちを踏みにじってるんだもんね。
 でも健気で真っ直ぐな桜子が本当に愛しいよ。誰にも渡したくないと思うくらい。
 貧弱な僕の中にこんな激しい気持ちがあるなんて知らなかった。
 もっと生きたい、もっと健康な身体になりたいって思った。
 桜子が大人になって更に綺麗になる姿を見たかったし、家族になって一緒に生きていきたかった。
 でも僕には無理だ。
  ねえ、アシュウ。僕は君のことも大好きだよ。
 人付き合いやお喋りは苦手かもしれないけど、君は優しいもの。
 君が目立つ桜子を影ながら守っているのも知っているよ。
 君なら桜子の隣に並んでも恥ずかしくない容姿も能力も持っているし、誰よりも桜子を大切にしてくれるんだろう。
  だけどね、わがまま言って良いかな。
 できたらあと一年くらいは桜子の心を僕だけのものにさせて。
 僕が死んで一年経つまで君の気持ちは封印してもらえないだろうか。
 今の僕は夜が来るのが怖い。
 桜子の僕への気持ちと僕の桜子への気持ちを噛み締めることで今の僕は立っていられる。
 だから今はまだ、アシュウと桜子が幸せに、なんて心からは祈れないんだよ。
 本当にこんな情けない男が親友ですまない。
  それからもう一つ、どうか桜子にはこの手紙のことは黙っていて。
 彼女には最後までにこにこした僕の姿を覚えていて貰いたいから。
 こんな格好悪い僕を知られたくないんだ。
  アシュウ、今までありがとう。
 君の幸せを祈っているよ。
 世界中で君を幸せにできるのは桜子しかいないから、僕が祈る必要もないかもしれないけど。
 桜子を頼むよ。
                                麟太郎
 


 
 ――麟太郎の臆病者め。
俺はお前の気持ちが1mmも理解できないよ。
俺だったら死ぬことが分かったらその時点で桜子を自分のものにして最期の最期まで愛し抜く。
それが結果的に彼女に大きな傷を作ることになっても、愛し愛された事実と記憶は残るだろ。
その記憶だけで人は悲しみを前向きに乗り越えることだってできる筈だ。
 麟太郎が倒れたと聞いてから、桜子がどれだけ苦しんでいたか分からないだろう。
健気な彼女にどうして最期に好きだと言ってやらなかった。
自分の向けた以上の愛情を返される幸福さを何故教えてやらなかった?
彼女の傷ができるだけ小さくなる未来を選んだのか?
しかしその傷は癒えることなく永遠に彼女を苦しめるぞ。
俺にはお前の気持ちがどうやっても分からないよ、麟太郎。

 だから、桜子にはこの手紙を見せるよ。
お前の気持ちをちゃんと知って貰いたいと思ったから。
お前の遺志を踏み躙るようなことをしてすまない。
しかし俺はやっぱり桜子が好きだよ。
だから三年待ったんだ。
 麟太郎が死んでからの彼女は下手をすると後を追ってしまいそうだった。
だから俺は無闇矢鱈に言葉をかけられず傍にいることくらいしかできなかった。
そのうちに彼女の父親が病に倒れてしまって彼女は悲しみを無理矢理終わらせて家族のフォローを始めていた。
そんな桜子を俺は傍で見守るくらいしかできなかったが、そんな生活も彼女の父の死で終わりを迎えた。
 彼女の心はぼろぼろだ。
あんなに麟太郎の為に何でも挑戦して取り組んで身につけて、自信を持って彼に告白していた桜子の姿はそこにはなかった。
いつだって彼女は一人きりになると虚ろな目で空を見上げた。
俺はそんな彼女の細く小さくなってしまった肩を抱き寄せてやりたい衝動に何度も駆られたが、俺自身も彼女に嫌われることを酷く恐れ何もできなかった。
麟太郎のことを臆病だと思ったくせに、だ。
 けれどもう、逃げないと決めたんだ。
両親が結婚したという20歳の誕生日を迎えたことも背中を押していた。
気持ちが揺らぐ前に桜子を呼び出すことにする。
三人で学校帰りに立ち寄っていた思い出の波止場。
「アシュウはあの船で来たのね」と別の大陸との間を行き来する船を眺めていた無邪気な桜子と、
麟太郎が亡くなった後に身体が冷たくなるまで雨に降られていた彼女の面影がちらつく。

「もう8月も終わりなのにまだまだ暑いな…」

 海面まで赤く染めるような焼け付く夕日が俺を見ている。
この夕日の色はこれから桜子の心が流す血の色かもしれない。
あの手紙を見たらきっと彼女の心の傷口が開いてしまう。
きっと彼女は麟太郎の口から聞きたかったと泣き喚く。
俺はそれを慰めることはできやしない。
だからせめて傷ついた彼女を守る役目を申し出る。
死んだ人間には永遠に勝てる筈はないけれど、彼女の未来を貰いたいと心の底から頼み入るのだ。

「急にどうしたの?」

 淡々とした様子で桜子が現れる。
彼女の白いワンピースも赤色に染まっていた。
緋色の太陽が二人を見ている。

「俺と結婚して欲しい」














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