幸せはここにある −2−


 私には物心つく頃から好きな人がいた。隣の家の同い年の男の子、麟太郎(りんたろう)。
幼い時は私よりも顔も背も小さく、色白で、目が大きくて女の子のように可憐な子だった。
大人しく部屋で積み木をしたり本を読んだりすることが好きで、
子どもなのにこちらの気持ちを読み取ったり汲み取ったりすることが得意だった。
つまりはとても優しい子だったのだ。私はそんな天使のような彼が好きだった。
 私たちは保育園でも休みの日もずっと一緒できょうだいのように仲良く、時には私が一方的に怒っているだけではあったが喧嘩もしながら育った。
私にはずっとそれが普通のことだった。

 けれど小学校中学年になる頃から少しずつ麟太郎の背が大きくなって女子の間で彼の名前を聞く機会が増えてきた。
それに知らない子から私との関係を尋ねられることも。
私はそれがとても嫌だった。
「麟太郎は私のものなのに」と傲慢な想いをその時から抱いていた。

 だから私は10歳の時からことあるごとに麟太郎に好きだと告白した。
けれど最初に告白した時、彼は「僕はAちゃんみたいに頭が良い子が好き」と言い私の告白を断った。
 それならばと私は勉強に励み、半年後にはテストで90点台を取るのが当然になった。
そこでまた彼に告白したら今度は「今は運動が得意なBちゃんが好き」と言う。
ならば運動もトップになってやると思った私は両親に我が儘を言ってスポーツクラブに通い出し、
小学校を卒業する頃には体力も運動神経もそこら辺の中学生に負けない程度に育った。
 そして卒業式の日に三度目の告白をした私は「料理が得意で親のお手伝いができる子が素敵だよね」と麟太郎に返され、
その日から母に道具の使い方から料理やお菓子の作り方を学び、連休は必ずと言って良いほどお菓子を作って麟太郎に差し入れしたし、
中学生になってからは家庭科部に入ってレシピの研究をしたり栄養について学び、夏休みの自由研究としてレポートまで提出するようになってしまった。
 ここまで彼の理想に近づいたらそろそろもう断る理由がないだろうと思い、中学二年生になり意気揚々と四度目の告白をしたが、
ついに「桜子とは付き合えない。幼馴染みのままでいたい」と本気で断られた。
 幼馴染みとしては一緒にいられても恋人としては無理、と完全に恋愛対象としての自分を否定されたその日、
私は自分の生きる意味を失ってしまったようなショックの大きさで泣くことすらできず呆然としていた。
振られて以降の記憶が曖昧すぎて、どうやって学校から家に帰ってきたのかも覚えていないし、その夜どうやって過ごしたのかも覚えていない。
 けれど翌朝、玄関を出ると変わらぬ麟太郎の童顔な笑顔がそこにはあって「おはよう」といつもと変わらない接し方をするものだから拍子抜けして、
本当に幼馴染みとしては傍にいて良いのか、と思ったのだった。
 もしかすると彼はまだ恋というものを理解できていないのかもしれないし、小学生や中学生で恋人を作りたいという私の気持ち自体、理解不能なのかもしれない。
ほら、女の子はませているなんていうし、男の子はいつまでも子どもっぽいところがあるし。
今は恋より友達や学校のことを優先したいだけかもしれない。
 そんなことを思いついた私は「いずれ好きになってもらえたらいい」と、とても前向きに考えたのだ。
それまでは仲の良い幼馴染みとして傍にいてやる、と。
 私たちと同じクラスの生徒たちや同じ小学校出身者は皆が私の気持ちや私たちの経緯を知っているから私を最初から恋愛対象として見ていないようだったし、
私の告白を断り続けている麟太郎は理想が高すぎるという噂が付いて回って彼も私以外からはあまりモテていないようだったから、
このままもう少し時が経って、私がもっと大人っぽくなって誰もが振り向くような美人になったら
麟太郎も振り向いてくれるとある程度何でもできるようになった私は自分の魅力を信じて疑わなかったのだ。




 「――本当に、何なの」

 その日は夕日が赤かった。
波止場に立っていたから尚のこと周りの景色が360度赤に染まった不気味な空間に思えた。
けれど雲と夕日と空の境目の金色にも見える色合いが赤い空に映えていて不気味なのにとても美しかった。
 俯く私の目の前には、麟太郎の次に幼馴染み歴の長い青年が佇んでいる。
アシュウという名のその青年は、私と同い年の筈なのにずっと顔立ちが大人びていて背も高く、
私と同じスポーツクラブに通いながら他に武道も習っていたから筋肉質で中学生の時から3歳くらい年上に見られていた。
 アシュウは褐色の肌も持っていて、麟太郎とは見た目も性格も正反対。
いつもふんわりと微笑んでいた麟太郎と違い、アシュウは表情をあまり崩さずとてもクール。
とはいえ幼馴染み三人が揃った時はアシュウも穏やかな表情を浮かべていたし、冗談を言い合ったりもしていた。
麟太郎が可愛い顔をしてストレートな物言いをする素直でおとぼけなところがあるのに対し、
アシュウは基本的に「そうか」「ふぅん」などという相づちが主で、いつだって聞き役だった。
 特に私は麟太郎に対する想いやアプローチ法などをアシュウには明け透けに話し相談もしていた。
とはいえいつだって彼は「お前なら大丈夫だ」と言うばかりで全く相談役としては役に立たなかったのだが。
 私が失意に飲まれそうになった時も特に何も言わずに私が呼び出した時だけやってきて、
慰めの言葉もなく私の好きなお菓子だけ置いていくような男だ。
 なのに何故、今更になって――

「結婚しよう」
「――二回も言わなくたって聞こえてる。
 何故?何で貴方がそんなことを言い出すのか意味が分からない」
「桜子と結婚したいと思ったから」

 私は赤い世界で頭を抱える。
これまでの私の人生の全ては麟太郎への愛から成るものだったのに。
そのことをアシュウだって分かっている筈だ。

「私に同情しているんでしょ」
「していない。そもそも何に対して?」
「私が独りでいるから」
「…最後のチャンスだと思ったよ。
 俺は出会った時から君が好きだったから」
「そ…そんなこと、今まで一度も言わなかったじゃない!」
「そうだな。ずっと言わないまま終わるかと思っていたし、それでもいいと思っていたよ。
 でも、やっと覚悟を決めた。
 俺が桜子を幸せにしたいと思ったし、桜子と一緒なら俺は誰より幸せになれると思ったんだ」

 ――ねえ、お母さん。
愛してくれる人と結婚したら幸せになれるの?
私はアシュウを愛せる?
麟太郎に恋い焦がれた気持ちと彼の為に自分を磨いたあの輝かしい日々を忘れられる?
ねえ、どうしたらいい?

 辺りは波の音とまとわりつくような潮の香り、
そして残酷なまでに美しい茜色の空が私たちを包み込んでいた。














 




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