次の日、香川と同じ方向の電車に乗る俺は玄関で彼女と目が合い、一緒に駅まで行くことにした。
お互い、部活動には入っていないので用事がない時は帰る時間も、方向も、電車も同じなのだ。
さすがに昨日は一方的に気まずかったので時間をずらしたが、何も考えていなかった今日はバッチリ目が合ってしまったので仕方がない。
そんなことを考えながら俺は香川の右に並ぶ。
しかし駅に行くまでの間の彼女は昨日とは180度違った。
昨日は感情に流されつつも凛として大人びていたが、今日の彼女は明るく何にでも笑い、
身振り手振りをつけて楽しそうに話す無邪気な子どものようだった。
俺はその時まで彼女と親しく話したことはなかったし、綺麗だとは思っていたが、
彼女に特別な感情を抱いていなかったので――これは後から次第にわかってきたことだけれども香川の普段の姿は無邪気な方らしい。
そんな彼女が駅のプラットホームで約10分間立ち話をする中で、昨日のことについて語り出した。
少し恥らいつつも、どこか寂しげな表情で。
「私ね、小学生の時も昨日と同じテーマの討論したんだ。その時は3人ずつのチームに分かれたんだけどね。
最初、私は自然保護のチームに入りたかったの。でもジャンケンで負けて、嫌々開発のチームに入ったのね。
それでも、もう決まったことだからと思って開発のことについて色々調べていったのよ。
そうするうちにね、開発にも利点があるってわかったの。その当時は資料をそのまま使うことしかできなくて、
…ふふっ、今でも覚えてるわ。“森を何ヘクタール田や畑にしたら、何キログラムの農作物ができる”なんて言ったのよ。
そんなことを単位も知らない小学生に言ったって理解できる筈もないのに、私はそれが一番彼らの心を動かすと思っていたの。
でも甘かったわ。実際そういうところに住んでいない子どもにそんなことを言っても誰も意味がわからなかった。
私は手元にある紙切れに書いた文字を読むのに精一杯で、昨日言ったことですらその場で言うことはできなかったの。
そして私たちのチームは負けたわ。完敗よ。…悔しかった。負けたっていうこともあるけれど、一番悔やまれたのは
自分の思いを言えないことだった。それにクラスの皆は私たちの話を聞く前から自然保護が道徳的に正しいと分かっていたし、
それが先生の望む答えだと知っていたのね。だから私たちが一生懸命調べたことを受け入れることはなかったの。
そうした皆の持つ先入観とか、周りの人や先生に合わせようとすることが私には許せなかったのよ。
どうして考えを固定するのか、どうして人の顔色ばかりきにするのかってその時も涙が出たわ。
だから昨日は小学生の頃から思っていたことを言ったのよ。あは、本当に恥ずかしい人間よね、私って」
笑いながら香川はそう言って空を見上げると、肩より短くて少し癖のある彼女の髪がふわりと風に靡いた。
その時、彼女は太陽みたいに眩しかった。
その後、クラスの誰かに聞いたのだが、彼女は年に何度かボランティアで水道のない地域に水道を引く手伝いに行ったり、
老人介護の手伝いをしているらしい。推測ではなく、実情を知っていたから尚更彼女は感情的になったのだろうと思い、
子どもじみたことを言った自分が情けなく、憎らしかった。
そして、かつて香川が腹を立てた小学生たちと今の自分は同じレベルの人間であるということが恥ずかしくて悲しかった。
電車が到着して車内に乗り込むと空席は見当たらなかった。丁度、会社員の帰宅時間と重なっているからだろう。
俺たちの学校の周りは田舎ではあるが、俺の家の近所より発達していた。
つまり、俺の家付近はかなりの田舎であるということである。
そんな田舎の電車でも混むのだから、都心部は動けないくらいの人間が車内に詰め込まれるのだろうかと思うと都会にある大学進学は避けたくなった。
そんな混んだ電車の中で俺たちはドアのすぐ前に立って話し続ける。
会話は大学のことが主だった。香川は幼児心理学を学びたいと言い、俺は考古学を学びたいと言った。
俺は同級生に夢を語ったのはそれが初めてだったと思う。それまで親と教師以外には誰にも言えなかった。
馬鹿にされそうな気がしたからだ。ただ、親と教師に話したのは学校に三者懇談という厄介な話し合いの機会があった為である。
勿論、親にも教師からも「就職もないし、大学も選択が狭まるから考え直した方がいい」と懇談の度に言われたが、
俺の意志が変わらないのでやっと納得は行かないまでも、受け入れてくれたらしい。
香川も反対を受けているようで、特に母親に強く反対されているようだ。
「昨日もね“この少子化で教員の募集人数は年々減少しているから、
教育学部に行っても教員になれない人のほうが多いのよ”って言われたわ。でもそんなこと、とっくに予想していたことよ。
私はね、正式な教員になれなくても卒業する時にその資格を有するだけの知識や技術、心意気があればいいと思ってるの。
そしたら……これ、誰にも言ってなかったんだけどね、私、将来NGOとか青年海外協力隊みたいな組織に参加して
世界中の子どもたちといろいろ勉強したいの。絵を描いたり、歌をうたったり、絵本を読んだり、一緒に遊んだり…。
子どもたちにとっての勉強って、心を豊かにすることだと思うのね。だけど、世界中には生きていくだけで精一杯の子もいるし、
親がいなくて寂しい子もいるじゃない?私が想像できないくらい、大変な状況で生きている子どもたちもたくさんいると思うの。
そんな子どもたちに、生きていてよかったって思えるような時間をつくってあげたいの。…作ってあげるって何か傲慢な言い方だね。
うーん、そうね…。
私も子どもたちと一緒にいることで“生きるって大変だけど素敵なことなんだ”って、子どもたちと共感したいって思うのよ」
香川は目を輝かせて語った。俺は素直に彼女を凄いと思った。自分のことをよくわかっているし、
確固とした将来への夢を持っているからである。そこで俺はどうなのだろうか、と考えてみる。
俺は考古学を学びたいという意志は誰に何と言われても変わっていない。寧ろ、彼女と同じくらい思いは強いと思う。
それだけは胸を張って語れることだ。
「俺はまず世界中の遺跡をこの目で見て回りたいんだ。特に南アメリカかな。それにアジアの方も満足するまで見たいな。
そこら辺の遺跡は風化が激しいし、観光客のマナーが悪くて、あと数十年経ったら今の姿の半分も残らないんだって。
そうなる前に文明の凄さと歴史の重みを見ておきたいんだ。できれば遺跡を修復して保存したいんだけどね」
俺はいつの間にか身振り手振りを踏まえる程、熱く語っていた。
その俺の顔を香川は微笑んで見つめている。その瞳は優しくて、安堵感が俺を包み込んだ。
そして彼女は窓の外の流れる景色に目をやった。一面穏やかな青い海だった。
するとドアのガラス部分に手を当てて彼女は言った。うっとりと。
「私も遺跡好きだよ。…本当に遺跡って神秘的で素敵よね。私は特に地上絵が好きなんだ。
いつか私、地上絵見に行くつもりだから、その時偶然会えたらいいね。 そしたらさ、小澤くん案内してよ」
俺はその果たされることなどないであろう約束のようなものに内心心をときめかせながら承諾した。
そうして電車が揺れる度に少し触れる香川の肌や、爽やかで仄かに甘い彼女の香りにドキドキしつつ、海を見つめる彼女の横顔を見つめ続ける。
その視線に気づいた香川が顔を上げて静かにポツリと言った。
「――海って、綺麗だね」
君には敵わないよ、と俺は心の中で呟きつつ
「そうだね」
と言ってガラスに手をあてる。
その後俺たち2人は初めて海を見る子どものように暫く海に見入っていた。
−つづく−
少しずつ青春小説チックな流れになってきたでしょうか。
しかし冴子さんはお喋りで、尚且つ口調が古臭いっすね。
「一人でどれだけ喋ってんだ、こいつ」と自分でも思いますが…お許しを(;´▽`A``
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
吉永裕 (2006.6.3)
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