彼女の場合 第七話
私はおまじないの本のこともその場で初音と響士に話すのはやめておいた。
初音にはいつか聞いてみてもいいかもしれないと思っている。
奏は魔法やおまじないなどの目に見えない力を本気で信じていたのかどうかを。
「やっぱり日記らしきものはないみたい…」
本棚の中をある程度見て私はため息を吐く。
ノートやバインダーの内容までは細かくチェックしていないが、恐らくそれらの中に日記はないのだろう。
せめてカレンダーなどに簡単に予定を書いてくれていたらいいのだが――私はどこかにカレンダーがないか探した。
すると幸運なことに目的のものはすぐに見つかった。
スペースの問題か、コンピュータの陰になるように小さな卓上のカレンダーが置かれている。
日めくりではなく、週めくりタイプのようだ。
大まかなタイムラインが引かれており、昨日の予定のところには
“10時、シエスタ・楳澤くんと、11時半、同・植松くん”と書かれている。
やはり約束は本当だったようだ。
ちなみに一昨日のところには“13時、コンピュータ購入・植松くん”と書かれているので
響士が昨日言っていたことは間違いないだろう。
その後もペラペラと前のページを見てみたが、初音や女性の友人の名前と思われる名前が時々出てくるだけで
他の男性とは会っている様子はなかった。
勿論、突然予定が入ってスケジュールに書く前に会うこともあったかもしれないが、
一先ず響士と清亮以外に親しい男性はいなかったらしい。
うーむ、と私は眉間に指を当てながら響士が起動させてくれていたコンピュータ内を調べることにする。
携帯端末と同じで初めて使う機器は勝手がわからないが、配置が違うだけで基本操作は変わらない筈である。
とりあえず最初のログイン画面は自分の名前を入力したら解除できたので良しする。
パスワードまで設定されてはいなかったので幸いだった。
私はプログラムを表示して日記に使えるようなソフトやアプリケーションはないかとざっと探してみる。
コンピュータの製造メーカーがお勧めするソフトなどもまとめてインストールされている為、
私から見ると不要と思えるものが多くあるが、その中で日記に使えそうなものは家計簿アプリくらいだ。
一応、アプリを起動してみるが初めて起動したときに表示される規約画面が出たので恐らく奏はこのアプリを使用していない。
外れのようだ、と思いながら私は他のプログラムを眺める。
そうしているとウイルス対策ソフトが自動スキャンを開始する。
コンピュータについている体験版ではなく有料製品版らしい。
「このウイルス対策ソフト、植松くんがインストールしてくれたの?」
「うん、そうだよ。奏はそういうのも苦手だから。
勿論パスワードは自分で考えて入力してもらったよ」
「そうか…。そう言えば夜中に勝手に起動したり終了したりするって言ってたね。
コンピュータ自体の故障だけでなくウイルスも心配していたのか」
私はウイルス対策ソフトを開いてみる。前回の自動アップデートは5時17分。
自動スキャンはソフトの推奨する“自動”にチェックされていて、特に時間を指定しているわけではないようだ。
他の項目も見てみたが全て初期設定のままになっている。
「うーん…。データカードにも日記はないみたい」
私は書類ケースの中にあったデータカードを確認してみたが、レポートの控えや参考資料が入っていた。
日記探しは外れに終わったらしい。
それでも手掛かりが欲しかったのでもう少し粘ってみる。
私はプログラムの一覧表を表示させ、ざっと眺めた。
“インストール日”のタブをクリックすると日にちの新しい順番でソフトが並び替わる。
大体が初期設定をした一昨日の日付になっているが、あるソフトだけが昨日の日付でインストールされていた。
今度は“最終使用日”のタブをクリックしてみる。
するとコンピュータに付属しているカメラを使用するためのソフトが一番上に表示された。
その下には先程の名前の知らないソフトがある。
聞いたことのないソフト名なので携帯端末で調べてみると、遠隔操作用のソフトだった。
サポートの為にメーカーが遠隔操作できるようにサービスを提供していることもある。
ここのメーカーがこのソフトを推奨しているのかもしれない。
そうしている間にコンピュータのスキャンが終わっていた。ウイルスの心配はないようだ。
スキャンの結果画面を閉じて、ネットワーク接続設定画面を呼び出す。
“自動で接続”のチェックを外して手動にしておいた。
どうせここ数日は部屋に滞在することもないからコンピュータを使用することもないだろうし、
色々なアプリやソフトが自動で起動するとコンピュータの起動も遅くなるので。
「…とりあえず私が見てもワケ分かんないわ。
日記なんてものはなかったということは分かったけど」
そう言いながら私は再び響士を呼び、コンピュータの電源の切り方を教えてもらった。
やはりやり方は私の使っているものとそう変わりはないようだ。
とはいえ配置が微妙に違うので使い難いことには変わりない。
コンピュータを終了させた後、私はクローゼットの下段からタオルを出して柔軟剤を少量溶かした水で濡らして固く絞り
ディスプレイの上部や机の上を拭いた。そして日差しを防ぐ為に乾いたタオルをディスプレイの上に被せる。
電化製品の埃や直射日光を嫌うのは私の癖みたいなものだ。
ちなみに柔軟剤には静電気を防ぐ効果があると教えてくれたのは高校の物理教師である。
その後、響士に本日の授業に必要な教科書類を教えてもらい、バッグに詰めた。
ノートはルーズリーフのバインダーに全教科まとめているので良いが、教科書や辞書があるとやはり重い。
「ありがとう、助かったよ。
…暫くここで暮らすことはなさそうだし、電化製品のコンセントは全部抜いて帰ろうか」
「お姉ちゃん、節約家なんだね」
「そりゃあそうだよ、学生の身なんだから。冷蔵庫の中のものはどうしようかな。
冷凍食品もあるみたいだし冷蔵庫だけはそのままにして、悪くなりそうなこのカップケーキは大学で食べよう」
私は携帯端末で時間を確認する。
現在、8時5分。1コマ目が始まるのは8時40分なのでゆっくり歩いてもまだ間に合うだろう。
私は部屋のコンセントを抜いて回り、冷蔵庫からカップケーキを取り出す。
「どこか寄っていこうか。この辺ってコンビニがあったよね。
普段、使ってただろうし行ってみよう」
「いいね、すぐ傍にあったと思うよ」
というのは殆ど方便で、付き合ってくれた彼らに何か買おうと思っていたのだ。
恩着せがましくないように気軽に食べられるお菓子がいいだろうと思って。
『プシュ』
不意に聞こえた音に振り返った。
そして辺りにはフレッシュなオレンジの香りが仄かに漂う。
私は靴箱の上に置かれた白い芳香剤を見た。
それはあちらの世界の私の部屋にもある芳香剤で、人の気配を感知して自動で芳香剤が噴射されるタイプのものだ。
友人らが遊びに来た時など立て続けに噴射されても困るので私は背面にある設定を3時間毎に設定している。
奏の部屋にあった芳香剤も3時間に設定されていた。
今のは先に靴を履いていた響士に反応したらしい。
「この匂い、いいよねー。私も好き」
「うん、爽やかな気持ちになれるよね。匂いの好みは同じみたい」
芳香剤の横に置いていた自転車の鍵2つをバッグに入れ、私は靴を履き家を出て鍵をかけ、
靴紐を結ぶと言って彼らには先に行ってもらった。
しゃがんだ状態で私は前髪を留めていたヘアピンをドアの隙間に倒れないように立てて入れる。
これは私が気に入っている小説に出てくる主人公の習性みたいなもので、
先程本棚を物色していた時に急に思い出したので真似してみることにしたのだ。
次に来た時が楽しみでもあり恐ろしくある。小説のようにならなければいいのだが…などと考える。
立ち上がり私は辺りを見回した。ここからはコンビニは見えない。
もしかしたらアパートの裏側にあるのかもしれない。
姿は見えないが近くに清亮もいるのだろうか。
もし不審な人物がいるのなら、早く見つかればいいのに。
とりあえず当分一人でこの部屋には来ないようにしようと思った。
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