不器用な彼女  第2話



「な…にか用か…?」
「醤油借して欲しいんだけど。買うの忘れてさ。 この辺、スーパーもコンビニもないだろ?」
「…あぁ……わかった…」

ここから西に歩いて500メートル行った先を南に曲がり700メートル程先にコンビニがあるのだが、
そんな説明もしたくないほど早くこの場を切り抜けたかった美景は、ギクシャクとした動きだが台所の醤油を取りに行く。

「赤坂って料理とか作るの?」

醤油のボトルを渡すと、部屋の中をざっと見渡して幹が尋ねる。

「…あぁ、毎日…作ってる…」

俯いて美景が口を開くと、幹はあれ〜?と素っ頓狂な声を出した。

「そういえば、赤坂ってそんな喋り方だっけ? 昔はもっと声も甲高かったし大きかったし。
 なんたって学級委員長だったもんな〜?」

微かに悪意のような意地の悪さを含んだような言い方にチクリと胸が痛む。

「もしかしてイメチェンってやつ? でも逆に感じ悪〜って気がしなくもないけど?
 そんなんで彼氏とかいるわけ?ってか女でも逃げていくだろ」
「っ…――っ」
「っ…お、おい?」

気がつくとポロポロと涙が零れていた。
涙なんて映画や本ではよく流すけれど人前では流したことなんて殆どない。
なのに、キャパシティを超えたという表現が相応しく、それまで塞き止めていた感情が心から溢れ出してしまったような感じがした。
しかし、人前で泣くことになれていないのでどうすればいいのか分からない。
どうやったら涙が止まるのかも分からないし、逆に思い切り泣いた方がすっきりするのだろうかと思ったけれど、そんな泣き方も知らなかった。

「何だよ、いきなり…っ――」

目の前で呆然と涙を流す美景を見て、さすがに幹も動揺する。
するとバタバタバタとこちらに向かって走ってくる音が聞こえてきた。
そして

「ちょっと、貴方!!! 美景ちゃんに何したの!?」

とバイトから帰ってきた夏香が彼らの間に割って入った。
すると途端にホッとして、美景は夏香の服の裾をギュッと握る。

「大丈夫?何かされたの?それとも嫌なこと言われた?」
「ん…ぅ……なつか…夏香……」

首を横に振ったものの、気持ちが高ぶりすぎていて処理の仕方が分からず、美景は夏香の名前をひたすら呼ぶ。
そんな彼女の背中を夏香はよしよしと撫でる。
すると彼女らを見ていた幹は気まずそうに口を開いた。

「あの…俺――」
「――何があったのか分かりませんけど、もし今後、美景ちゃんを傷つけるようなことをしたら私が許しませんから」

幹の言葉を遮ってきっぱりとそう言うと、夏香は彼を外へ押しやった。

「…ホントに何もされてない?大丈夫?」
「ん……ありが…と…」

夏香がいてくれて本当に良かったと思った。



 ――次の日。

「ピンポーン」と朝から呼び鈴が鳴った。
顔を洗っていた美景は、慌ててタオルで拭くと玄関へと急ぐ。

「…っ――!」

そこにはまたもや幹が。
美景はじりっと後ろへ下がるが、目の前に醤油が現れた。

「これ、サンキュ。助かった」
「…そ…そうか…」

そう言うと、幹がニッと笑う。

「昨日は調子に乗り過ぎた。悪い。 久しぶりに会ったからテンション上がってたみたい」
「…ぃ…や……別に」

何だか突然春がやってきて雪が解けていくような、そんな気持ちだった。
よくは分からないがとりあえず、夏香の一言が効いたのだろう、と美景は思う。

「これからは隣同士だし、仲良くしようぜ。 俺、一浪して今年から入学したから、お前の後輩ってわけ。
 色々教えてもらいたいし、宜しく頼むよ」
「…わかった。よろ…し…く……」

そう言うと、人懐っこい笑顔で幹が笑った。
あ、こんな顔見るの初めてかもしれない、と思っていると目が合い、すっと彼がこちらに手を伸ばしてくる。

「っ…」

反射的に身構えると、彼はそっと前髪を摘んだ。

「前髪、ぐちゃぐちゃでビショビショじゃん。 赤坂って結構外見とか気にしない人?」
「っ〜ぁっ…ぃや…そ…のっ……っっ」

思いのほか至近距離だったのと、髪の毛を触られたことに酷く動揺し、
美景は顔だけでなく耳まで赤くなるほど赤面し、カチカチになりながら彼から一歩離れる。

「…美景チャン、もしかして照れてる?」
「っっっ…!!!」

そんな美景の様子を見て、にやっと意地悪そうに幹が覗き込んだ。
にゅっと前に現れた彼と目が合い、美景は手に持っていた醤油のボトルを落とす。
床に落ちた衝撃で中がシェイクされ、醤油が泡立っていた。
そんな醤油と幹の様子を伺いながら美景は立ち尽くすが、幹がひょいとしゃがんでボトルを拾い、ポンと彼女の手の上に置く。

「今度さ、飯でも食おうぜ。あの強そうな可愛い子も一緒に」
「ぁ…う……」

どう返事しようか迷っているうちに幹は自分の部屋へと戻っていった。
全く、昔から何を考えているか分からない奴だと思う。

それでも、昔、感じていたような不気味な怖さは消えてしまった。
勿論まだ話すことも近づかれることも苦手だけれども、これから少しずつ慣れていけばいいとも思った。
昔の春日幹の影にとらわれず、今の春日幹とちゃんと向き合おうと。
折角、彼の方から歩み寄ってくれたのだし、隣に引っ越してきたのも何かの縁だろうから。








更に続きまーす



 
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