――それは津波が去り、シェルターに避難した者が城の跡地で生活を始めて一ヶ月程経ったある日のこと。
かつての城の裏手で鍬を持って地面を耕していたレイラを呼ぶ声がする。

「レイラ様っ…!!!!」
「よっ…と……。あら、メリル。どうしたの?」

 振り上げていた鍬を慣れた手つきで下ろすと、レイラはメイド長の方を振り返った。
普段、穏やかで冷静な彼女が息を切らせて全速力で走ってくるなんて珍しいと思いつつ、息を整える彼女の次の言葉を待つ。

「――お…お戻りになられたんですっ!!!!」

 その言葉でレイラは一瞬呼吸をすることを忘れた。
そして話の続きも聞かずに、メイド長がやって来た方向へ一目散に走り出す。
首から下げていたペンダントが大きく揺れた。
ロードクロサイトのペンダントトップが顔に当たるが、今の彼女には痛さなど気にならない。

「――っ…姫さん!」

 人垣のすぐ傍までやってきたレイラを見つけ、ククルは手を引いて人の間を割って進んでいく。
ずっと望んでいた。
ずっと夢見ていたにもかかわらず、頭はちっとも働かない。
ただ繰り返すのは彼の名ばかりである。

「…っ……!」

 人垣を越えた先に見たのは、見覚えのあるアーク国の鎧を着た兵士達といっそうやせ細ったレノンに抱きつく彼の両親。
そして――

「……ぁ……あぁ…っ」

 レイラは腰砕けになるようにその場にペタンと座り込む。
彼女に気付き、エドワードに肩を借りてゆっくり歩いてやってくる褐色の肌の青年。
合った視線の先の赤い瞳は優しくこちらを見つめている。

「――カルトス様…っ……カルトス様…」

 大粒の涙をぼろぼろとこぼすレイラを見て彼はくすっと笑って見せた。
随分やつれてしまったように思うが、それでもカルトスは目の前にいる。
そのことがただ嬉しくて、レイラは顔を覆い肩を震わせて泣いた。

「……レイラ、苦労かけたな」

 傍らに膝をついたカルトスは優しくレイラに語りかける。
彼女はブンブンと首を何度も振って顔を上げた。

「私は…っ…苦労なんて一つも……。
 貴方様とレノンがいなくなって悲しく…寂しい思いは沢山しました。
 ですが、皆と共に汗を流して働く毎日は楽しいですもの」
「そうか……そのようだな」

 そう言い、カルトスはレイラの涙と顔に付いた土をそっと拭った。
それを見たレイラは恥ずかしそうに視線を落とす。

「――すみません。こんな土まみれのみすぼらしい格好でお出迎えしてしまって……。
 肌も…日に焼けてそばかすのようになってしまったし、髪の毛も邪魔だから切ってしまって……。
 私、この一ヶ月でとても変わってしまったんです。
 でも……後悔はしていませんのよ」
「ああ。そうだろう。
 お前の手足の傷と肉刺がこの場所を作り上げたのだ。
 誇りを持て。活き活きとした目をしているお前は美しいと思う。
 ……頑張ったな」

 微笑んだカルトスはレイラの手を取り、握られていた彼女の手をゆっくりと開くと優しく撫でるように触れる。
ドレスに身を包まれていた頃は畑仕事や料理などには無縁だった彼女の手は、今や絆創膏や傷の痕が絶えなかった。

「これからは俺も一緒に鍬を振るおう」
「……ええ。私が一から教えて差し上げますわ」
「ははっ、よろしく頼む」

 カルトスはかつての無邪気な顔で笑った。
さっと手で涙を拭ったレイラは彼の手を取ってゆっくり立ち上がる。

「誰か手の空いている者は手伝って。今から炊き出しよ!
 それから人数分の毛布と横になれる場所を用意してあげて。
 医療の心得がある者は診てあげてください」
「はっ」

 レイラは腕まくりをして皆に呼び掛けた。
人垣はあっという間に散り散りになる。
視界の端でククルがアーク国の兵達と抱擁を交わしていた。
城の周りを取り囲んでいた兵の半分にも満たない数だが、カルトスとレノンがいなければ彼らは今ここにいなかったのだ。

「カルトス様・・・・・・、大勢亡くなった人もいるのに不謹慎ですけど私はアーク国とかバーン国とか過去の柵とか、
 そういうものが全部、津波にのまれて流されてしまったのは良かったと思っているのです。
 きっと、人の中には残り続けるものもあるでしょう。
 ですが、ここは…この場所は、ただの人が日々生きていく為の場所にしたいのです。
 それが少しずつ広がっていき、人が増え、いずれ国と呼ばれるものになるのでしょう」
「……ああ、そうだな。
 お前はもう自分の望む未来を築き始めているのだな、驚いた」
「貴方様の背中を見てきましたから……理想を貪欲に追い求めることには躊躇しません」
「ははっ、そうか」

 レイラはカルトスに抱きつくように肩を貸し、ゆっくりと食堂へ連れて行く。
その建物は食堂と呼べる程の立派な建物ではないが、皆が集まって和気藹藹と今日の成果や明日の予定を話し合いながら食事を取れる所でレイラの一番好きな場所だった。
そうして比較的歪みのない整った椅子にカルトスを座らせる。

「……っ…?」

 カルトスは珍しく目を丸くした。
何故なら椅子に座った途端、レイラがいきなり彼の眉間にキスを落としたからである。

「あれが拳でしたら貴方様は死んでいたかもしれませんわね」
「レイラ……」

 ギラギラと強く輝く瞳の彼女だが、拳は微かに震えている。

「――もう二度と……っ…私の前から急にいなくならないでくださいまし…っ。
 私は…カルトス様と一緒に、カルトス様の隣でずっと生きていきたいのです……!!
 それが、私の望む理想の未来ですわ……」

 真っ直ぐ見つめる緑の瞳の力強さにカルトスは瞬間息を呑んだ。
そして眩しそうに目を細めて微笑むと立ち上がって彼女の手を取り、自分の左胸にあてさせる。

「俺は……お前の気持ちを見縊っていたようだ。そして自身の気持ちも」

 そう言ってカルトスは彼女の指先に口付けた。
レイラは黙って彼を見つめる。
多くの者が周囲にいるにもかかわらず、その場は息をするのも躊躇われるくらいにシーンと静まり返っている。
その静寂を破るようにカルトスが口を開いた。
レイラを含めて周りの者はじっと彼の唇を見つめる。

「――お前の望みならば、これからはただの男としてお前の隣で共に生きよう。
 俺の命はお前のものだ」

 レイラの目からは堪えていた涙がこぼれ落ちた。
途端に全て夢なのではないかという不安がよぎり、彼女は慌ててカルトスを抱きしめる。
 ――大丈夫だ、夢ではない、とレイラは安堵した。
随分と痩せてしまったけれど安心させてくれる温もりと鼓動を感じる。
ゆっくり顔を上げると、優しい表情のカルトスと目が合った。
そして彼は久しぶりにキスを眉間に落とし――――唇にも口付ける。

「……本当は……ずっと…ずっと待っていたの。
 毎日頑張る私に神様がご褒美をくださるのを……」

 そう言ってレイラはカルトスの首に手を回し、再び目を閉じた。













―終― 




――男だらけのエピローグへ (オマケ?)






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