エドワードとヤンは部屋の隅に置かれた機械の前に立っている。
それは地上の空気の振動を感知する機械だった。
大きな機材は持ち込めなかった為、最低限の機能しか付いていないが、目的が限られているので特に問題はないらしい。

「最後の振動がなくなってから12時間経過しています」
「うむ…我々がシェルターに転送されてから約3日は経っているしな……。
 もう外に出てもいい頃合いだろうか」
「そうですね。まず私が見てきましょう」
「気をつけろよ」
「ええ」

 ブツブツと話し合いをしている二人の背中をレイラは扉の間からじっと見つめる。
予め作られていた空間である為、狭いシェルターといえどもレイラとカルトス用の小部屋だけでなく簡易トイレやシャワーなどの設備が用意されており、
食料や着替えに困ることなく数日を過ごしているのが何だか不思議だった。
まるで皆でどこかへ旅行に来たような感覚である。
 津波が到来した時でさえ、少し揺れを感じたもののそれ以外は不安を感じることはなかった。
部屋を出れば皆がいるし、何よりククルが傍にいてくれる。
昔から誰よりも頼れる存在の彼がいてくれたことが今のレイラには一番心強かった。
しかし、カルトスが望んだような関係にはなれる筈がなかった。
確かにククルは、兄のような、また自分だけの騎士のような特別な存在であり、もし彼を失えば自分は悲しみで狂ってしまうだろう。
だがそんな存在であるククルでも、カルトスの代わりにはなれないのだ。

「――私、カルトス様に優しかった頃のお父様の面影を重ねていたのかもしれない」
「そうか……」
「年は一つしか変わらないのにね……とても大人でいらしたの」
「それだけ多くのことを経験してきたってことだよ」
「そうね……そうでしょうね…」

 レイラはヘッドに腰掛けると、膝の上に置いている両手をぎゅっと握った。
もう会えないということは頭では理解している。
しかし数日経っても心は彼がいなくなってしまったことを納得できていないのだ。

「私…カルトス様に会いたいわ。レノンにも……。
 言いたいことが沢山あるのよ。やりたいことだって……。
 ――また…皆で笑い合いたいの。
 ククルを城に呼び出す前なんて…それはもう皆一致団結して事にあたって、私はワクワクするくらい楽しんでいたのよ」
「……」

 ククルはレイラの拳を見つめながら無言を貫いている。
また会える、などという分かりきった気休めなど言える筈がなかった。

「――失礼します」

 コンコン、という短いノックと共にヤンが呼びかける。
レイラは滲んだ涙を拭い、扉を開けた。

「外の安全を確認しました。もう出ても大丈夫です」
「そう、分かりました。ありがとう」

 そう言うとレイラは壁に手を添えながら細い階段を登り、エドワードに手を引かれて地上に足を踏み出した。
眩しさに一瞬目がくらむも、次に目に入ってきた外の世界の変わりように思わず皆が言葉を失う。
勿論、ある程度は予想をしていた。
しかし、想像していた以上に地上には何もなかったのである。

「……これが…自然の力なのか」
「残っているのは研究所の土台だけとは……」

 研究所を囲んでいた森は枝だけになったボロボロの木々が所々に地面に埋まっているだけで、遠くまで見渡せる程に辺りは拓けてしまっていた。
レイラはカルトスとレノンの生存は絶望的だと痛感する。

「――研究所員は現在使用できる魔動機器の確認を急いでください。
 私はエドワード、ククルと共に城へ戻ります」

 背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見据えるレイラの言葉に皆は思わず姿勢を正した。
彼女の美しい緑の瞳はもう濡れてはいない。

「かしこまりました。
 今、馬を用意します」

 少し離れた場所にある家畜用のシェルターの扉を所員たちは探し出し、
近くに落ちていた研究所の一部だったであろう金属板を手に取ると地面を掘ってドアを露出させる。
そして中から馬を二頭連れ出した。

「機器の確認が終わったら早めに貴方達も城へ。今後のことを話し合います」
「はっ」

 手短に話をすると、レイラはククルの手を借りて馬に跨った。
彼女の後ろにククルが飛び乗り、もう一頭の馬にエドワードが騎乗する。

「城の方角は?」
「ここからだと東だ。私についてこい」

 そう言い、エドワードが馬の腹を蹴った。
でこぼことした地面に馬の蹄の跡がついていく。

「姫さん、振り落とされんなよ」
「私を誰だと思っているの、ククル。
 私は貴方の父親直々に乗馬を習ったのよ」
「そりゃ失礼」

 そうしてククルとレイラが乗った馬も駆け出した。
空には昇ったばかりの太陽が眩しく輝いていた。



 城があったと思わしき場所でエドワードは足を止める。
それを見てククルとレイラも歩くのをやめた。
周囲の森は薙ぎ倒され、また根こそぎ流されてしまった木もあって馬に乗ったままでは進めなかったのだ。
森と高い外壁に囲まれていたので城の被害は少ないだろうと思ってはいたが、見事なまでに建物がなくなっている。

「……俺達は土地が荒れる程の戦争は経験していない世代だ。
 戦争の後ってこんな景色なのかな…。そんな気がする」
「何もない…悲しい世界ね」

 ククルとレイラは寂しそうに周囲を見回した。
辺りは木の破片や城に使われていた石が所々に落ちており、緑色の芝生で覆われていた城内はすっかり泥や土で埋まっている。
何もかも奪われた世界というのはこんなにも悲しく恐ろしいものなのだろうか、とレイラは茫然と立ち尽くした。
しかし、こうしてばかりもいられないと、レイラは拳を強く握り前を向く。

「――それでは、シェルターの扉を探しましょうか」
「分かりました」
「ククルも手伝って」
「ああ」

 そうしてエドワードとレイラはエドワードの持っていた見取り図と記憶を頼りに、避難用シェルター、食料を蓄えていた備蓄用シェルター、
家畜用シェルター、そして道具や器具を入れていた倉庫用シェルターと順に見つけ出し、協力して扉を掘り出した。

「――エドワードはシェルターに避難していた者たちの健康状態と現在の食料と水の残量を調べてもらえるかしら。
 あと…カルトス様とレノンのことも説明してあげてほしいの」
「はい」

 そう言い、エドワードは避難用シェルターへと向かう。
そんな彼の後姿を見送った後、レイラは倉庫用シェルターへ足を運んだ。

「……ククルは結構器用な方よね?」
「ああ、まぁ…」
「じゃあ、人が休める場所を作ってくれる?木や石はそこらへんに落ちてるからそれを使って」
「家を作れってか?」
「ええ。いつまでも狭いシェルターに寝泊まりするわけにもいかないでしょう」
「分かったよ。大したもんは作れないがな」

 ククルはそう言うと、立てかけられていたハンマーや鉈などの道具を両手に持って地上に出た。
一方、鍬と鋤を持ったレイラはヨロヨロしながらシェルターから出てくる。

「おい、そんなもん持ってどうするんだよ」
「私は地を均して畑を作るわ。備蓄している食料には限りがあるから、一日でも早く畑を作って種を蒔くのよ」
「でもそんなこと、姫さんはしたことがないだろ?」
「したことがないからと言って何もしなければ国は復興できないし、命は繋げない。あの方が守ろうとした民も守れない。
 いずれは船でサウスランドへ行った者たちも戻ってくるでしょう。その時に絶望してほしくないの。
 それまでに茶色になってしまったこの大地に少しでも緑を取り戻しておきたいのよ」

 レイラは鍬と鋤から手を離すと乳母から護身用兼暗殺用に持たされていた短刀を胸元から取り出し、長いドレスの裾に突き立てた。
そしてビリビリと横に刃を走らせる。

「ちょ…姫さん!」
「ドレスなんて邪魔なだけだわ」

 そう言い放ったレイラの破れたドレスから白い足とドロワーズの裾が垣間見える。
急に逞しくなったなぁと安心したような呆れたようなため息をつきつつ、ククルは彼女の好きにさせてやることにした。
というのも、彼女の後ろには城で仕えていた者達が並んでいたからである。

「レイラ様、私達にも指示を!」
「レイラ様!」
「皆……私の我儘に付き合ってくれるというのですか?」
「――恐れながら申し上げます。
 他人を想い行動することは我儘とは言いません」
「そう…そうね、ありがとう。
 では、皆の手で一日でも早く国の復興を」
「はっ」
「――誰か設計が得意な者はいませんか?
 この広大な土地をどのように使うか知恵を貸して頂戴。
 最低限必要な施設、道具を順に挙げてください。
 次に、力のある者は地面に埋まっている石や木を取り除き、ククルと共に休憩所を作ってください。
 力のない者は井戸の位置の確認と、水路の確保、それからこの辺一帯を畑にします」
「はっ」

 メイド達は地に落ちていた鋤を拾った。
いつも剣を持っていた兵士たちはシェルターから必要な道具を取り出し、あちこちに散らばる。

「――王を探しに行かなくていいのですか?」

 井戸を調査し戻ってきたエドワードは、鋤を持って大きな石と格闘していたレイラに話しかけた。
彼女は振り向くとにっこりと笑う。

「いいわ。今は自分達が生き延びることを優先するべきよ。
 生きているかも分からないあの二人を探す為の人員も、食料も、馬も、今は余裕がないの。
 貴方も分かっているでしょう?」
「…はい。ですが――」
「それにね。あの二人だったらいつか自力で戻ってきそうな気がするの。
 その時の為に、できるだけ復興させておきたいのよ。
 びっくりさせてやりたいの」
「……そうですね」

 茜色に染まった空をレイラは見上げた。
前と同じように活気が戻ったら、あの方はきっと喜んで無邪気に笑ってくれる。
あの方のことだから「頑張ったな」と褒めてくれる――呟くようにそう言ってレイラは目を閉じた。

「……私、もしあの方が戻ってきたら、もう一度求婚しようと思うのよ」

 レイラは踵が取れた靴で石を転がし、エドワードに話しかける。
到底女性のするような行動ではなかったが、エドワードには振り向いた彼女の顔が何だかとても女らしく見えた。

「客人としてではなくて女として愛されたいと思ったの。ちゃんと唇にキスをしてほしいって」

 そう言って別の石の下に鋤を入れようとする。
しかし、慣れない為になかなかうまくいかない。

「――レイラ様、眉間は人の急所だと知っていますか?」
「いえ…そうなの?」
「ええ。我が国ではその急所に口付けするということは相手の命を我が物にすることと同意。
 それは相手の命を預かる、即ち命がけで相手の命を守るという意味と捉えられています。
 恐らくカルトス様は唇への愛情を示すキスよりもずっと尊い意味と覚悟を込めて、貴女様にキスをしていたと思います」
「……そんな……」

 レイラの手から力が抜け、鋤は地面に落ちる。

「私は……ちゃんと愛されていたというの?」
「今まで疑っていたのですか?」
「いえ……いいえ!
 ……あの方があんな別れ方をしなければ、私はそんなことを考えるまでもなかった。
 私と同じようにあの方も私を必要としてくれていると信じていたの。
 でも…あの方は最後まで私に優しくしてくれて、ククルまで助けてくれたから……、
 あの方の中で私は客人のままだったのかと思って……それが酷くショックだったのよ」

 泥で汚れたスカートの裾を握り締め、レイラは俯いた。
すると長く伸びた影が近づいてくる。

「レイラ様、持ち運びできる魔動機器を全てお持ちしました……ってその格好もアレですけど、元気がないように見えますがどうかしましたか?
 体調でも悪いんですか?」

 研究所跡地から遅れてやってきたヤンが話しかけるが、彼女の様子を見て首を傾げる。
レイラは彼に首を振りふっと笑った。

「自分がどれ程愚かだったのか思い知ったところよ。
 私はカルトス様の愛情の深さを見縊っていた……その事をエドワードが教えてくれたの」
「愛情…ですか」

 ヤンはレイラの言いたかったことを何となく察したのか、穏やかな表情を浮かべる。

「レイラ様、知っていますか?
 カルトス様って一目惚れしやすい人なんですよ」
「一目惚れ?」
「ええ。体質というよりも才能でしょうか。
 あの御方は一目会っただけで相手のひととなりを見抜いてしまうんです。
 エドワードさんやレノンさんも、カルトス様が直々に才能を見抜いて気に入り、即城入りしたんですよ」
「そうだったの……」

 レイラは斜め前に立っていたエドワードの顔を見上げた。
何だか彼はつまらなそうな顔をしている。
レイラはこれまでの付き合いでエドワードの性格を掴んでいた為、恐らく照れ臭いだけなのだろうと思った。

「レイラ様とは、お見合いの席ですぐに婚姻が決まったと聞きました。
 カルトス様は仕事人間であまりロマンチックな言葉は言わない方かもしれませんが、きっと出会った時からレイラ様のことを気に入っていたんですよ。
 その時からあの方はパートナーとして貴女様を愛していたと思います」
「……そうかしら」

 レイラは目を細めると、ヤンは落ちていた鋤を拾って石と地面の間に刺した。

「第三者にしか分からないこともあります」
「……そうね」

 鋤の下に小さな石を挟んで固定し、てこの原理を利用してぐっと鋤の柄を引くと三分の一程地面に埋まっていた石はごろんと地表に飛び出してくる。
レイラは思わず拍手をした。

「ヤンは機械のことだけでなくそういうことも器用そうね」
「ええ、私って万能型なんです」

 作業に邪魔だったのか、ヤンはいつもつけているスコープを外してポケットに入れると分厚いコートを脱いでTシャツ姿になった。
空は次第に紫色になりつつある。

「じゃあ、ご飯ができるまでもう少しこの周辺の石を取り除いてもらえる?
 私は料理を作ってるメイド長たちを手伝ってくるから」
「はい。分かりました。
 じゃあ、エドワードさんも一緒に、ね?」
「ああ」

 ヤンが別の鋤を手渡すと、エドワードも上着を脱いでシャツの袖をまくった。
そして二人は黙々と作業を始める。
 レイラは彼らを中心に首を左右に動かした。
至る場所で皆が汗水垂らして働いている。

「……カルトス様、貴方様は素晴らしい国を築いておいででしたのね。
 人は皆、前を向いて歩く強さを持っている。
 私も……そうなれるでしょうか。いえ…そうなりたい」

 レイラは空に昇った上弦の月を見上げ、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
ふと、剣刺し銀三日月の紋章の入ったカルトスの黒いマントが頭をよぎる。
 ――今日が上弦の月ということは、あの日は三日月だったのか、とレイラは目を細めた。
月に目を向ける余裕もなく過ぎてしまった愛すべき悲しい日。
彼がここに存在していた跡すら微塵も残さず、津波は洗いざらい地表のものを流してしまった。

「それでも……私達は生きている。
 生きてさえいれば……なんだって…できる。
 あの方がバーン国の人々を守ったように、私も……」

 レイラは石を取り除くエドワードやヤンの背中を見つめた。
地面から除かれ、隅に置かれた石は次第に積み上がっていく。
その石を別の者が運び、また別の者が大きさに合わせて並べて建物の土台を作る。
隣ではククルが落ちている木を集めて使えそうな乾いた木をより分けて、長さを揃えて切っていた。
その傍で女達が不要になった木のかけらを集めて竃へ持っていき火にくべる。
タイミング良くふわっと風に乗って鼻先に美味しそうな匂いが香ってきた。

「なんて幸せな光景かしらね……」

 涙が出そうになるのを堪え、レイラはメイド長達が食事の準備をしている場所へ向かう。
明日は何をしようか、何ができるだろうかと考えるレイラの顔は笑っていた。


 ――かくして、アークバーン大陸の新時代の幕が開いたのである。










―終―





驚きだろ…これ、ここで終わりなんだぜ…?

というわけで、サイト開設5周年用に作っていたわけではなかったのですが(爆)
用意していた作品が間に合いそうになかったので、半分以上書いていたこちらの話を5周年用にすることにしました。
“ヒロインさんがこの世界に飛ばされていなかった場合”のアークバーンのお話です。
『アークバーンの伝説』で皆様の選ばれたエンドが正史だとすると、こちらは史実です。

私が好きなこともあってかなりバーン国贔屓になってしまいました。
レジェンスが好きな方はなんかすみません。シャルとかランとかも空気ですらないっていう…。
主役:カルトス、ヒロイン:レイラに見せかけて主人公:レイラでヒロイン:レノンです(=´∇`=)
とはいえ、レノンもかなり空気なんですが(´д`、)

それでも、私としてはこれも一種のハッピーエンドだと思うのですが、
「女の子を泣かせたまま一人ぼっちで終わらせるなんてお前らしくねーよ!」と思う方は 新書版最終話 へ進んでください。
あまりにもご都合主義過ぎて公にするのはちょっとはばかられるんだぜ。
でも、二人には幸せになってもらいたかったので書いたことは後悔してないです^^;

……というわけで、気がつけばサイトを作って5年経っていました。
去年から新しく仕事を始め、また今年は父が亡くなって、更新が半端なく遅いサイトになってしまいましたが
(でも主に私がゲームとか別ジャンルにはまってたりするのが原因なんですが)
応援してくださる皆様あっての R⇔R でございます。
どうぞこれからもよろしくお願いいたしますm(__)m


吉永裕 (2010.11.3)



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