レイラ達を見送った後、カルトスはふふっと声を出して笑った。
「――レノン、俺はな。どうしてか年下のレイラに母を見ていたのだ。
どんな人物だったかたいして覚えてもいないのだがな。
それでも、強くて凛々しく、血のように赤くて気味の悪い俺の瞳を真っ直ぐ見つめて笑いかけてくれるような人だった」
「……」
「結局、レイラを戦争の道具にしてしまったな……」
呟くようにそう言うと、カルトスはレノンの肩に頭を軽くのせた。
レノンは静かに佇んでいる。
「お前も…すまなかったな。
レイラを守れという命令をしていたのに、俺の都合で地上に残してしまって」
「いえ」
「だが、俺の考えていることがよく分かったな」
「……人生の半分はカルトス様に仕えております故」
「そうか。そうだな……。
お前には助けられてばかりだ」
カルトスはレノンから離れると、玉座の隣に掛けているマントの所へ歩み寄り手を伸ばす。
それは式典の時にしか使われない代々受け継がれているものであり、バーン国では珍しい赤い生地のマントである。
「これをつけていれば嫌でも目立つな」
「はい」
これまで身に着けていた黒のマントをレノンに渡し、カルトスは重いマントを開くようにして首に巻きつけ備え付けのピンで固定した。
先程までレイラの声が響いていた玉座の間は、今はもう静寂に包まれている。
「不思議だ。敵に囲まれているのに何だか世界で二人きりになったような気分だな」
「……そうですね」
絨毯やカーテン、これまで身につけていたマントに火を付けて床に放ったカルトスは燃える火を静かに見つめた。
レノンは目を閉じて傍らに控えている。
先程光を放っていた魔法円はマントの燃えカスと煤で汚れ、およそ魔法円とは思えないただのくすみになっていた。
「――ははっ……何だか今なら精神的に勃ちそうな気がするぞ」
「立つ…?どういうことでしょうか?」
「あぁ、いやな。昔、レイラとした会話を思い出しただけだ。
深い意味はない」
そう言ってカルトスは少年の顔で笑った。
レノンは変わらず佇んで主の様子を見つめる。
「――では、俺達に燃え移る前に行くとするか。
下にはお前のテーラーが繋いであったな」
「は」
「手綱はお前に任せる。俺は飛んでくる火の粉を払おう」
「…は」
カルトスとレノンは辺りに気を配りながら厩舎に向かう。
数週間前までは多くの馬がいたその場所は、今ではもう白い馬一頭が繋がれただけだった。
半分が町の者と一緒に舟に載せられ、もう半分は家畜用の地下シェルターへ入れられているのである。
「テーラー、お前には長距離を走ってもらわねばならぬぞ。苦労かけるな」
カルトスはテーラーの首を力強く撫でた。
彼は辺りの張りつめた空気に興奮気味である。
「西側が手薄なようです」
「そうか。では、そちらから行こう。途中で討ちとられてしまっては意味がない」
そうしてレノンが先にテーラーに跨り、続いてカルトスが後ろに乗った。
西門を前にしてカルトスは剣を抜き、空になった厩舎や木々に向かって火の魔法をけしかける。
「もし無事にここへ戻ってこられたら、俺は放火罪に問われるな」
「津波が証拠隠滅してくれることを祈りましょう」
「はは、そうだな」
カルトスがそう言うと、レノンは呼吸を整えた。
「――はぁっ!」
今まで誰も聞いたことのないようなレノンの大きな掛け声と共に、テーラーは駆け出した。
森の奥が途端にざわつき始める。
「あまり飛ばしすぎるなよ」
「は」
身を屈め暗い森の中を北へ駆け抜けていく二人に沢山の蹄の音が続く。
「カルトス王だ!」
「王が森に逃げたぞ!!」
「工作兵は狼煙を上げて全軍に報告しろ!他の者は追え!燃えている城の捜索は後だ」
後ろから聞こえてくる声にカルトスは微笑んだ。
こんなにゾクゾクと命の危機を感じるのは、弟が殺された晩以来である。
微かに剣を持つ腕が震えた。
「……武者震い…ということにしておこう。
さぁ、俺の命一つでどこまで兵を集められるか……最後まで足掻いてやるとするか」
カルトスはレノンの腰に回している左腕に力を込めた。
「だが、ラスティア山に登れば津波は防げるという保証はなかったな」
「それもそうですね」
「まぁ、走り出したものは仕方がない。
テーラーには酷だが、このまま走り続けていれば津波が到達する前には辿り着けよう。
その後のことはまたその時考えることにする」
「は」
二人と一頭は只管北へ北へと向かった。
カルトスの赤いマントに縫われた三日月は月夜の下で一層浮かび上がる。
「――さらば、バーン国。愛しき者達が集う我が国よ」
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