婚姻を快諾する旨をカルトスがアーク国に正式に返答すると、一気にバーン国城は結婚と協定締結の準備で慌ただしくなった。
そんな中、未だに客人扱いのレイラとククルは中庭に佇む。

「カルトス様は残るように言ってるけど、ククルは式が終わったら帰っていいわよ」
「――姫さんがそう言うなら俺は帰るしかないけど……でも、それでいいのかよ。
 姫さん付きの召使いも呼ばなくていいって言うし、ホントに独りになっちまうぞ」
「独りじゃないわ、カルトス様がいるもの」
「へーへー、そうかい」

 この数日ですっかりカルトスに懐いてしまったレイラに呆れつつもククルは安心したように笑った。

「あの王様だったら当分バーン国は大丈夫そうだしな。アーク国との話もいい方向に進むんじゃないか」
「そうね。……お父様が欲を出さなければ、だけど」

 ひっそりとそう呟き、レイラは噴水の淵に腰掛ける。

「何とかなるんじゃないか?
 レジェンス王子もそろそろ政治に関わり始める時期だし。
 あの王子とカルトス王の時代になったら、確実に平和になると思うぜ」
「あら、ククル。滅多なことを言わない方がいいわよ。
 聞く人が聞いたら、それは王に対する反逆に取られるわ」
「ああ、そうだな。
 どうもカルトス王と姫さんの2人と会話してると、夢見がちになっちまうぜ。
 これからは気をつける」
「そうね」

 レイラがにっこり笑ってそう言うと、ククルは少し沈黙した後、彼女の傍らに膝をついた。

「姫さんやバーン国王が平和な世の中にしようっていうんなら、俺もアーク国でできる限りのことをしようと思う。
 ――それでも、もし、両国の関係が悪くなってどうにもならない時がきたら……その時は俺が姫さんを迎えに来る」
「ククル……」

 ククルはレイラにとっては実の兄よりも親しく関わってきたであろう存在であり、昔からどんな我儘でも顔色を窺わずに言えた相手。
二人は王女と兵士という主従関係には違いないが、諂いではなく親しみと優しさを彼から貰っていた。

「――今までありがとう。
 恐らくこれから先、貴方以上に私を相手にできる人はいないでしょうね。
 でも、私が大人になる丁度いい機会だわ。我儘を言って大人を困らせるのはもう終わり。
 これからは私が人の話を聞く番よ」
「……思っていたよりもずっと姫さんは成長してたみたいだな」
「あら、ククル。今頃気づいたの?」

 くすくすとレイラは笑う。
それにつられてククルも穏やかに微笑んだ。



「――なんですって!?」

 協定についての話し合いは一ヶ月にもおよび、協定締結決定の会議から戻ってきたカルトスと宰相のエドワードから話を聞いたレイラは思わず立ち上がる。
今回、休戦協定を結ぶにあたってアーク国から出された条件は、
“レイラに傷一つでもつけようものなら問答無用で協定を破棄し、軍隊を派遣する”
“バーン国内のアーク人をアーク国の研究に協力させる”というものだった。

「結婚式にお兄様を寄こしただけで自分は出席もせず、よくもまぁそんなことが言えたものねっ。
 ――それで、お父様の……アーク国の申し出をどうされたのですか」
「了承したぞ」
「ああもう、カルトス様ったら……!
 ――エドワード、貴方が一緒にいたのにどうして反対しませんでしたの?」
「私もそのまま条件を呑むことには反対したのですが……王が構わぬと」
「ああ、そのくらいは構わぬ。
 その代わり、アーク国からは資金提供を受けることになった。
 これでもっと研究も進むだろうし、もし最悪の事態に陥った時は大陸の者を余所へ逃がす為の大船を作れる」
「それでも……」

 レイラは自国本位の父親に憤っている。
バーン国に住んでいるアーク人をアーク国に呼び戻すことでバーン国の情報も得られるし、人質にもなる。
更に、もし再び両国の関係が悪化して戦争にでもなれば、バーン国に属していた者として見せしめにされることもあるかもしれない。
それを黙って見ているカルトスではなかろう、とレイラは思った。
それに自分のことだってカルトスの首を絞める原因になってしまった。
もしかすると純粋に父親は敵国に嫁いだ娘の身を案じているだけかもしれない。
この条件を提示することで、アーク人を嫌悪している者たちから国を挙げてレイラの身を守らせようとしているだけかもしれない。
けれど、もしアーク国が戦争を起こしたい時は自分に暗殺者を向けて怪我でもさせればその時点で休戦は終了、アーク国は大手を振ってバーン国に侵入することができる。
姫の弔い合戦として――
一瞬恐ろしい想像をしたレイラは慌てて首を振って思考を消し去った。

「結局、国内外の敵の警戒をせねばならず、有能な人質を取られただけですわ。
 アーク国のカードを増やしただけ……」

 私のせいで――と言おうとしたレイラの言葉をカルトスは遮る。

「――こうやって話し合いが持てただけでも大きな進歩だ。
 それに今はお前がこちら側にいてくれるだけでありがたい。俺よりもお前の方が外交能力がありそうだしな」

 そう言ってカルトスはレイラの背中を軽くポンと叩いた。
そんな彼にレイラはホッとして強張らせていた表情を緩める。
式を挙げ、共に生きることを誓ってから一ヶ月が経ったけれども、彼が忙しかったこともあって殆ど顔を会わす機会がない為、
自分たちは夫婦というよりも、仲間や同志というような絆で結ばれているような気がしている。
それでも見合いで結婚したのだからこのくらいの関係から始まるのは当たり前だとレイラは考えていた。
それに男女として激しく愛し合うというよりも、目的を同じくして共に生きていく今のような関係の方が自分たちは合っていると。

「レノン」
「ここに」

 突如、カルトスが名を呼ぶと、後ろからすっとレノンが現れる。

「お前に命を下す。
 ――これからはレイラを守れ」
「お、お待ちください!
 レノンが傍を離れたらカルトス様は誰がお守りするのです!?」

 交代の時間はあるけれども、一番長くカルトスの傍で護衛をしているレノンに自分の護衛をさせるなどとんでもないと思ったレイラは無礼を承知で二人の間に割って入った。
そんな彼女にカルトスは優しく微笑む。

「レノンならお前を確実に守れるし、最終的にお前を守ることがこの国の安全にも繋がる。
 それに今回のことで俺よりもお前に注目が集まっているからな。
 ……なに、心配は無用だ。レノン以外にも有能な近衛兵は沢山いる。
 この国は良くも悪くも実力主義の国だからな」
「ですが……」
「お前を守ると言っただろう?それを適えられるのはレノンなのだ。
 俺を安心させてくれ」
「……カルトス様……」

 カルトスは言い出したら自分以上に梃子でも動かない人だということをレイラは実感した。
これまで北伐派でアーク国に対して厳しい見方をしていたエドワードが、会議であっさりと折れたことにも頷ける。
しかしカルトスはこれまでの自分のような単なる我儘ではなく、誰かの為の我儘なのだろう。
だから無茶だと思っても、皆、言葉を無くして頷いてしまうのだ。

「レノン、我が血をもって命を下す。
 ――レイラを守れ」
「は」

 レイラは特に意識もせず二人の会話を眺めていたが、エドワードとレノンはこの瞬間からカルトスがこの国での最優先護衛者をレイラに変更すると同時に、
カルトスと同じ命の価値、即ち権力と発言権をレイラに持たせるつもりであることを理解したのだった。



 その夜、レイラはなかなか寝付けずにいた。
ベッドからゆっくり身体を起こし、カルトスの部屋に直通している扉の方を見つめる。
夫となったカルトスがどんな人間なのか未だよく分からない。
しかし、彼の方はこちらのことを何でもお見通しのような様子で接し、柔らかく受け止めてくれているように思える。
何故かあの赤い瞳で見つめられると、心の奥まで見透かされてしまうような感じがするのだった。
それでも変な威圧感は感じない。
逆にカルトスの方がこちらを気遣っている様子である。

「……王様なのに…変な人……」

 レイラはポツリと呟いたが、でも――と心の中で言葉を続けた。
――嫌いではない。
寧ろ期待していなかった見合い相手にしては容姿も性格も良過ぎだし、相性や考え方も合っていると思う。
これまで何の遠慮もいらなかったククルとは違う親近感も抱いている。
それはきっと自分たちの目標が同じだからだろう。
 しかし、彼がどんな国を作りたいのか、どんな王になりたいのかは分かっても、彼自身のことは未だによく分かっていない。
それに会議で忙しかったとはいえ、結婚してから一度も夜を共にしていない。
それ以上に、結婚の儀式の時ですら誓いの口づけを眉間にされ、唇を重ねたことが一度もないということがレイラには不思議でならなかった。
バーン国に来る前に乳母からある程度の話は聞かされていたので、自分も覚悟はしているつもりだ。
だが、カルトスは全然自分に異性性を求めようとしない。
そこのところも含めて、もっと彼をよく知りたい――そう思ったレイラはベッドから下りると、扉の方へ歩を進めた。
扉の向こうで時折微かに物音が聞こえるのできっとまだ彼は起きているだろう、と思ったのである。
やけに心臓の音が煩く聞こえたが、静かにノックをしてそっとノブに手をかけた。

「開いている。入るといい」

 返事が聞こえたので扉を開けると、薄暗い中でシルエットが動く。
カルトスは卓上の小さなランプを点け、読書をしていたようだった。
彼は読んでいた分厚い本を閉じて立ち上がり、レイラの方へやってくる。
 部屋は微かに甘くて爽やかなハーブの香りがした。
王は居場所を特定させない為に香りのあるものは身につけないし、傍に置かないと父親から聞いたことのあるレイラには
この香りにとても違和感を感じるものの、香り自体はカルトスに合っていると思った。

「どうした? 眠れないのか?」
「あ……はい。
 あの、カルトス様も……?」
「俺は明け方にならないと眠れないのでな。
 いつもそれまで時間を潰している」
「え? それで睡眠は足りているのですか?」
「ああ、多分」
「多分って……」
「暗い時間に寝ると、夢見が悪いのでな」

 明け方に眠るのならばいつも4時間も寝ていないではないか、とレイラは思ったが口を噤んだ。
余程これまで悪夢に苦しんできたのか、一瞬、カルトスが苦痛の表情を浮かべたからである。

「眠れぬのなら俺で良ければ傍にいてやるが。
 一ヶ月程経ったといっても、よく知らぬ場所では安心して眠れないだろう? 慣れない寝具を使うとなれば尚更だ」
「あ………はい。では…傍に………。
 ――よろしければ、お話を聞かせてくれませんか?」

 レイラは恐れ多い気持ちになって断りかけたけれども、彼の申し出を受けることにした。
元々、カルトスのことをもっとよく知りたくて扉を開いたのだし、夫婦なのだから一緒に夜を過ごしてもおかしくはない。
それにいずれは子を成すことだって――と思った途端、先程までは意識すらしていなかったにもかかわらず、レイラは何だか急に自分の格好が恥ずかしく思えてきた。
部屋は薄暗いのでカルトスには見えはしないだろうが、自分は下着が透けるような薄い素材のネグリジェしか着ていないのだ。
下着を着けていない胸のラインがそのまま現れていることに気付き、レイラはそっと寒そうに腕をさする振りをしながら胸元を隠すと、ガウンくらい羽織ってくれば良かったと後悔した。

「寒いのか?」

 レイラの様子を見たカルトスは自分が羽織っていたガウンを彼女の肩にかける。
微かに感じる温もりは何故だか彼女をホッととさせた。

「あ……でもカルトス様が……」
「俺は構わぬ。寒ければ何か着る」
「……ありがとうございます」
「では何か話すか」
「はい」

 ひと回り大きなガウンが落ちないように片手で押さえながらレイラはカルトスにエスコートされてベッドに腰を下ろした。
普段、手袋をしている彼の手の温もりが直に左手に感じられて、何だかやけに恥ずかしい。

「――それで、何を聞きたいのだ?」
「えっ…あ、その……」

 カルトスのことを知りたいと思ったものの、漠然と思っていただけだったレイラは何を聞けばいいのか分らない。
とにかく何か話題をと考えるが、普段取り留めのない話は次から次へと浮かぶのに必要な時に限って話題というのはなかなか浮かんでこないものである。

「えっと……」
「……あぁ、すまない。
 俺が話題を見つけるのが苦手なものだから」
「いえ……私も何か話をしたいと漠然と思っていただけでしたので特に何かをお聞きしたいというわけでは。
 ――お話しというよりも、ただ傍にいたかっただけなのかも……すみません」
「いや、構わぬ。
 ――ここに来たばかりだというのに一ヶ月も独りにしてすまなかったな」
「そんな……私は城の皆に良くしてもらっています。
 独りだと思ったことはありませんわ」
「そうか? それなら良いのだが。
 だが、不自由があれば遠慮なく言うがいい。母を亡くして以来、この城には華がなかったからな。
 皆、お前に仕えるのを喜んでいる」 
「そう言っていただけるなんてありがたいことですわ」

 そういえばカルトスは両親も弟も失っているのだった、とレイラはハッと思い出した。
母親のことは詳しく知らないけれど、弟は暗殺されて、父親は病で急逝だった筈だ。
そして弟を殺したのはアーク国の手の者――自分が直接関与していないとはいえ、全く関係がないわけではないと思いレイラは無意識に俯く。

「――私を妻にして本当に良かったのですか?
 カルトス様が望むならバーン人の第二夫人を娶っても……」
「妻はお前だけで十分だ。お前は俺が夫では不満か?」
「いえ!全然そんなことはありません。
 そうではなくて……その…カルトス様と夜を過ごすことが全然ないので……私はアーク人ですし、
 それにカルトス様に比べると私などまだ子どもですから女としての魅力がないからなのではと思って……」
「え?
 ――あ、いや……そんなことはないが……」

 カルトスは一瞬、キョトンとした表情を浮かべたが、彼女が言いたいことを理解したようで少し照れた様子で前髪を弄っている。

「それとも、カルトス様は女が嫌いですか?
 見合い当日、大臣との話で大臣は“女には興味がないと言って后を娶ろうとしない”と言っていました。
 もしかして男性の方がお好きです?」
「んっ?
 ……い、いや、大臣が言ったことはまた別問題で、特別女嫌いというわけではないが――」

 真っ直ぐ見詰めるレイラに多少動揺するも、カルトスはいつもの調子を取り戻して穏やかに微笑む。

「――今まで特に女が好きとか、男が好きとかは考えたことはないな。
 そんな風に特定の誰かを想えるような身分でないから考えたことすらなかったが。
 とりあえず俺も健全な男故、相手が誰でも興奮すれば一応、物理的には勃つと思うぞ」
「はぁ……。では、これまでに精神的に勃つ人はいらっしゃいませんでしたの?」
「……」

 レイラの問いかけにカルトスは驚いた表情を浮かべたが、すぐに噴き出して無邪気に笑い始める。

「……え…あ…あの……」
「――ははっ。
 レイラ、お前は本当に率直に物を言う。聞いていて気持ちがいい」

 彼のその言葉でレイラは自分の言葉が女が発するのに不適切な言葉なのだと理解した。
途端に自分の愚かしさやら恥ずかしさが襲ってきて、今すぐ自分の部屋に駆け込みたい気持ちになる。

「すみません……私、何だかとても下品なことを言ったようですね」
「いや、構わぬ。
 お前のその純朴さはいずれこの国の宝となろう。
 俺が道を踏み外しそうになった時は、お前が止めてくれ」
「カルトス様……」

 こくりとレイラが頷くと、カルトスはそっと彼女の眉間に唇を落とす。
いつか、彼にとって自分が精神的に勃つような存在になったら、彼は唇にキスをするのだろうか――そう思いながらレイラは静かに目を閉じて眉間に意識を集中させた。




――第二章 第一話へ






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