バーン国からの見合い受諾の返事が届いた翌日にはレイラはククルと城を発ち、バーン国城へ向かっていた。
表向きは見合いといえどもその場で両者が合意すれば、そのままレイラはバーン国に滞在して後々式を挙げることになっている為、
レイラの乗る馬車とは別に、荷物や贈り物を乗せた馬車が数台後続しており、一見、旅団のようである。

「もう少しで着くってさ、姫さん」
「そう……」

 ククルの言葉でレイラは閉じていたカーテンを少し開け、窓の外に目をやった。
出発してから一ヶ月以上経過しており、既にバーン国の領地に入っている為、全く見知らぬ景色だけれども
馬車から町や景色を眺めるのはどれくらいぶりだろうと彼女は過去に思いを馳せる。

 ――自分がまだ子どもだった頃、父親は兄や自分を一緒に連れて各地を訪れていた。
そして町や民の様子を直に見聞きして、国政に反映させていたのだ。
 しかし、大陸の危機が数年後に迫っていることが分かってから父親は変わり始めた。
それまで互いに国交を閉ざして長年睨み合いの状態が続いていたものの両国間で表立った戦闘は起こっていなかったにもかかわらず、
バーン国に対して刺客を放ったり国を呪わせたりするなど、裏で指示することが増えたらしいと今回の見合いの日取りが決まった後、ククルがこっそり教えてくれた。
だから、見合いはアーク国に復讐するいい機会だと相手側は思っているかもしれないから気を抜かないようにと。
 恐らく父親は大災害の混乱に乗じてバーン国を一気に潰し、宝玉を手に入れるつもりだったのだろう。
だが、バーン国は第二王子と王が続けて死去して急遽、15歳という若さの第一王子が王になったにもかかわらず、
大きな混乱もなければ、アーク国の邪な挑発に乗ることもなく、沈黙を保ち続けた。
 もしかすると戦争を起こすだけの力がまだ若い王にはないだけかもしれないけれど、
内政と若者の育成に力を入れているという情報が行商して回る商人たちの間で噂になっていたという。
新王が余程聡いのか、それとも側近が有能なのかは不明だが、もっとバーン国内部の情報を知りたいというのが父親の本音だろう、とレイラは思った。
そしてあわよくば、バーン人の血を引くもの全てをこの大陸から消してしまいたいと――

「――姫、着きました」
「あら、もう? 考え事に夢中になって景色を見るのを忘れていたわ」
「城の周りはずっと森でしたから、姫の興味を引くものは特になかったですよ」
「それは私が実際見て決めることよ」
「はいはい、そうですか」

 少しだけ余所行きの話し方をしながらククルはレイラに手を差し出した。
その手をすっと取って立ち上がった彼女はゆっくりと馬車を降りる。

「――ここがバーン城……」

 暗い森に囲まれた白い城。
城壁には黒地で白い三日月に深紅の剣が突き刺さった国旗が下げられている。
傍に海があるのだろうか、微かに潮の香りがした。



「――お待ちくださいっ」
「待たぬ。俺が直接断ってやる。
 勝手に返事を出すなど言語道断、エドやお前の考えていることは分っているのだ。
 俺は人質を取るような真似は好まぬ。
 第一これまでバーン人の血を絶やすなと言ってきたのは大臣、お前だろう」
「ですから、そこは法を改めまして……」
「確か王に第二夫人を認める法を次の議題にあげると言っていたな。
 ――ふざけるなっ!
 己の都合で簡単に法を変えようとするな。その時点で法の意味がなくなるではないかっ」
「しかし、このままではいつまで経っても王は女には興味がないと言って后を娶ろうとしないではないですか。
 それに大陸全土の危機が迫っているのですぞ。アーク国もそれを分っているからこそ婚姻の話を出したのです。
 向こうから協定の打診があるなど、もう二度とないかもしれませぬ」
「それは分っている。両国が力を合わせねばどうにもならない事態にまで来ていることは。
 ――だが、そんな政治のことにアーク国の姫君を巻き込む必要はないだろう」

『コンコン』

 ドアをノックする音が会話を遮り、それまで言い合いをしていた男2人は振り返る。
扉の間から金髪の可愛らしい女性が顔を出し、二人に笑みを向けた。

「恐れ入りますけれども、お二人の話、全部聞こえておりますわ」

 廊下で突っ立っているバーン国の王と大臣と思われる2人に呼びかけたレイラを見て、部屋の隅に立っていたククルは
何故彼女が席を立った時にこの事態を予想しなかったのかと大いに反省し、両手で頭を抱えた。
彼女は廊下へ出るとバーン国の王と大臣に向かって膝を曲げて優雅に挨拶をしている。

「お前は――」
「王」
「――ああ、すまない」

 大臣はコホンと咳をする。
ワザとらしいと思いつつ、王と呼ばれた少年は大臣からレイラに視線を移すと身なりを正した。

「そなたがレイラ姫であるとお見受けするが、見苦しいところを見せたな」
「いえ、構いませんわ。私の方こそ立ち聞きしてしまった上に、話を遮って申し訳ありません。
 お話の続きは中でされてはいかがです?」
「いや、それには及ばない。
 ――下がれ」
「……ですが……」
「護衛はレノン1人いれば十分だ。
 それから記録係もいらぬ。
 今日はただの顔合わせだけなのだからな」
「……は」

 そう言うと王は大臣に背を向けた。
一方、レイラは彼の言葉で初めて護衛が彼らの後ろにいたことに気が付いた。
そのレノンという護衛は兵士の割には華奢で、右の頬に大きな傷があるもののサラサラとした銀髪で顔立ちの美しい青年である。
非常に目立ちそうな姿なのにもかかわらず、今まで全く彼の気配を感じなかったことにレイラは驚いた。

「――では、レイラ姫。
 わざわざここまで来ていただいたことだし、よければそなたの話を聞かせてくれないか」
「ええ、是非」

 レイラがにっこり微笑むと、王はすっとドア開けて中へ入るように促す。
王自らドアを開いてくれるとは思っていなかったが、レイラは落ち着いて軽く膝を曲げた後、彼の前を通り部屋へ入った。
 そうして着席すると、目の前に王も座る。
対峙したバーン国の新王は自分よりも1つ年上だと聞いてはいたものの、非常に落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
それはバーン人特有の褐色の肌と漆黒の髪がそう見せているだけかもしれないが、
王たるものはその資質を生まれながらにして持つのだろうか、とレイラは思わずにはいられない程だった。
もしかすると、強い光を放っている彼の赤い瞳のせいで年相応の顔立ちをしているにもかかわらず大人びた印象を覚えるのかもしれない。
しかし、その眼差しは真っ直ぐ対象を捉えている筈なのに、どこか空ろにも見えるのだった。

「――改めて挨拶をしよう。俺はカルトス・ゴルディン。バーン国の王だ。
 後ろにいる兵はレノン・プラスター」
「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。
 私はレイラと申します。後ろの者はククル・イッキ、私の幼馴染であり騎士団副隊長をしております。
 お会いできて光栄ですわ」
「今日の為に一ヶ月も長旅をさせてすまなかったな。疲れただろう」
「いえ、これまでずっと城にいて退屈した日々を送っておりましたので楽しめましたわ」
「ははっ、そうか。そなたはお転婆な姫君のようだな」

 屈託のない笑顔を見せたカルトスが一気に幼く見えて、レイラは少しホッとする。
彼と比べると何だか自分が酷く子どものように思えるからだった。

「……それで、そなたはどう考えている?」

 幼い表情を見せたカルトスは少し表情を改めたものの、優しくレイラに問いかけた。
先程までの大臣とのやり取りで見せた威圧感は微塵も感じない。

「私たちの婚姻のことですか?」
「ああ。元よりこちらは協定を提案するつもりだった。このような婚姻は抜きでな。
 これからもそのつもりでいる」
「――ですが、私の父の様子を見るに婚姻抜きでは協定は結ばないと思いますわ」
「婚姻でアーク国にメリットがあるとは思えぬがな」
「両国が手を取るきっかけになり、後々平和な世になるのならば、私は十分なメリットだと思います。
 しかし、父や他の大人たちが実際どう思っているのか政治的なことは私には……。
 ただ、父も貴族院も婚姻を歓迎しているのは確かです。
 以前より両国の和平を望んでいた穏健派の民たちはもっと喜ぶでしょう」
「……そなたの幸せはどうなる?」
「私の幸せってなんでしょう。
 王族に生まれた時点で、私の幸せは民や王、国と共にあることだと教えられてきましたし、
 自分でも民の為、国の為に生きることこそ幸せなことだと思っています。
 それにこの大陸が平和になれば、私にとってこれ以上の幸せはありません」
「その為に敵国に独り嫁いできても構わぬと?」
「ええ、構いませんわ」
「――もし、和平が一時的なものだったら?
 そうなれば、そなたは常に間者の疑いをかけられることになるかもしれないし、最悪の場合、人質にされるかもしれぬのだぞ」
「ええ。もしそのような状況になれば、そうなるであろうことは予想しております。
 それでも構いませんわ」

 レイラは背筋を真っ直ぐに伸ばし、瞬きすることなくじっとカルトスを見つめる。
見つめられた彼は視線を落として何か考え事をしているようだった。
その瞳は揺らいでいるように見える。
先程、彼が王たる資質を持った人だと思ったけれども、今見ると少し違う感じがした。
この人は王たる資質を持っているにもかかわらず王にあるまじき性質――人の痛みを感じて共感してしまう人なのだと直感する。

「……ですが、私がいるとこちらの国にデメリットが多いようですわね」
「そうでもないぞ。
 今まで全く話すら聞いてくれなかったアーク国が初めてこちらに政治的な交流を持とうとしているのだからな。
 それにこちらにそなたがいれば、無暗に戦争をしかけてくることもあるまい。
 ――事実、今はそのようなことに構っている余裕はないのだ。魔動機器も、人員も、財政もな。
 そして災害後も恐らく復興の為に対立などしている場合ではなくなる筈だ。
 今の我が国には敵国の脅威がなくなることが一番ありがたい」

しかし――とカルトスは続ける。

「できれば誰の犠牲も払わずに、平和的に話し合いで済ませたかったのだ。
 大臣や宰相には反対されているが、俺はある程度の条件は呑むつもりでいる。
 さっきも言ったが、今は過去の柵や目先の利益に構っている場合ではないのだ。
 それにそろそろ睨み合いを続けるのも国力の限界だろう。この大陸は解放の時期なのだ。
 技術や生活様式は変わっても、何百年も対立を続け過去に固執し続ける人類に進化は訪れないと俺は思う」
「――でしたらカルトス様はどうなのですか?
 先程、カルトス様は私の幸せを問いました。では、貴方は?」

 レイラの問いにカルトスは思わず苦笑する。
この人はなんて苦しそうに笑うのだろうとレイラは思ったが、彼はすぐに穏やかな視線を向けた。

「そなたは何でも物怖じせずに話すな。清々しくて気持ちいいぞ」

 そう言うと、今度はにっこりと笑う。
単語でいえば三文字の“わらう”という行為なのに、彼はこの短時間で様々な笑い方を見せる人だと思った。
そのくらい自分に心を開いてくれているのか、それとも普段からこんな態度なのか、どうでもいいようなことがやけにレイラには気にかかった。
するとそんな彼はレイラからすっと視線を逸らす。

「――今までの話は、王としての俺の意思だ。
 しかし、俺個人の感情は別にあるのだ。確かにここに存在する」

 レイラはカルトスの手袋をした手を見つめた。
彼の手は胸の前で固く握られている。

「……弟を殺されているからな、アーク国に対するどうしようもない憎しみは一生消えることはないかもしれぬ。
 それでも、俺はもう慣れている。
 個人的な欲求を諦めることに、慣れているのだ」

 カルトスはそう言って力なく微笑んだ。
その言葉と彼の表情にレイラの胸はチクリと痛みを感じる。

「それに、激しく強い想いを継続させることは意外に難しいと分かった。
 ずっと誰かを憎み続けるのは疲れるし、悲しい。
 それはもう、気が狂いそうな程に莫大なエネルギーを必要とするのだ。
 そんな状態では国を治めることなど出来ぬ。
 ……ならば二度とそのようなことは起こさぬようにするしかない、死んだ弟の代わりに他の者を生かしたい。
 そして皆が己の為に生きられる国を作る――そうすることでしか俺の気持ちは救われぬ」

 彼の話を聞き終わるとレイラは立ち上がり、カルトスの元へ歩み寄ると彼の傍に膝をついた。
彼女が首に下げていたロードクロサイトのペンダントが揺れる。

「姫っ」

 一国の姫君が地に膝をつくなどとんでもないとククルが慌てて駆け寄ろうとするも、レイラは真剣な表情で彼を抑止した。
彼女の中に微かに燻っていた婚姻に対する戸惑いや不安は一気に晴れていた。

「――正直に申しますと、私は両国の和平だけでなく貴方自身にも興味を持っておりました。
 齢15歳で即位した王はどのような方なのか、こちらに着くまでの道すがら一ヶ月間、色々と想像しておりましたの。
 勿論どんな方でも、両国の為に婚姻は結ぶつもりでした。
 先程の大臣の方が仰っていたように、自分が第二夫人でも構わないと思っていましたの。
 協定を結ぶ為の体裁さえ整っていればそれでもいいと。
 ――ですが、貴方とお会いして気持ちがはっきりしましたわ。
 私は貴方と一緒にこの大陸を守り、平和な世にしたい。
 カルトス様、私を貴方の后にしてください」

 レイラのまさかの逆プロポーズにククルは卒倒しかけた。
アーク国では女性、しかも王族の娘が求婚するなど考えられないことだったのである。
一方、求婚されたカルトスはというと、一瞬事態が把握できない様子で固まっていたが、
年相応の少年らしく明るく笑ってレイラに手を差し出すと、彼女を立ち上がらせた。

「そなたは言い出したら梃子でも動きそうにないな。
 ――良いだろう、そなたを后とする」

 まるで式典で何かの宣言をするかのようにはっきりとカルトスは言葉を発した。
そしてククルの方を向く。

「ククル殿は……これで良いのか?」
「――えっ、は、はい。王もお喜びになられます」

 突然のことに恐縮しつつ複雑な表情を浮かべるククル。
昔から姫君には振り回されてばかりだったし、一兵士として仕えていただけの筈なのに
実際に目の前で婚姻が決まってしまうのを見るのは何だか少し受け入れ難いものがあった。
妹が嫁ぐ気分ってこういうもんなのかな――と同僚が以前家族の結婚話をしていたことを思い出し、自分の気持ちもそれに近いものなのだと納得させる。

「そうか……」

 吹っ切れた様子でレイラを穏やかに見つめるククルを見てカルトスは小さく頷き、レイラの方へ向き直る。
そうして手袋を外すと彼女の手を取り、そっと甲に唇を落とした。

「レイラ、俺はそなたに夫らしいことを何もしれやれないかもしれぬ。
 だが、そなたの幸せの為に俺は王であり続け、大陸の為に働こうと思う」

 レイラは微笑んでカルトスの赤い瞳を見つめる。
彼の目はもう揺れてはいない。

「――レイラ姫、私と結婚してください」




――第一章 第三話へ






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