5.マジェスの夜



 険しい山を4日かけて越え、安奈たちは空が茜色になり始める頃、マジェスという町に辿り着いた。
シャルトリューの言うことには、ここには緑色の宝玉、緑玉(りょくぎょく)が代々守護されているという。

「ようこそ、マジェスへ。お待ちしておりました、レジェンス王子」

 町の入り口で待っていたのはどうやらこの町の長らしい。
見た目は50代前半で、頬に刻まれた皺と分厚い手から貫禄が滲み出ており、
それでいてレジェンスを見つめる瞳は非常に穏やかもので、優しげな雰囲気を醸し出している。

「出迎え、感謝する。――久しぶりだな、ユーリよ」
「お久しゅうございます。ささ、どうぞ我が家へ」
「ふむ、そなたの屋敷へ行くのも久しぶりだな。
 ――あぁ、それから。紹介が遅れてすまない。彼らは私の心強き仲間だ」
「騎士団副隊長のククルです」
「王子付きの占い師をしております、シャルトリューと申します」
「商人のランです」
「皆さんにお世話になっています、アンナと言います」

 各自簡単に紹介を済ませると、ユーリは穏やかに微笑んで首を動かした。

「話は大臣殿から伺っております。しかし、ご婦人がご一緒とは……」
「彼女は旅の途中で出会った。記憶がないらしくてな、記憶が戻るまで我々が保護することにしたのだ。
 各地を巡っていればいずれ記憶も戻るかもしれないのでな」
「そうでしたか。さすがは未来の王、懐が広うございます」

 うんうんと頷いた彼は町を案内する為に先頭へ立つ。
そうしてレジェンス一行は彼の屋敷に招待された。

「狭苦しい所ですがどうぞお寛ぎになってください」

 屋敷の門の前で待っていたのは上品な婦人。恐らくユーリの奥方だろう、と安奈は思う。
すると彼女の推測通り、ユーリは婦人を妻のキャロルだと紹介してくれた。
その後、中に通されて広い客間に全員は落ち着く。

 彼の屋敷は、重厚でかつ歴史を感じるような家具もあったものの、
暖炉や壁紙などがカントリー調であり、家庭的で温かい雰囲気に包まれていた。
そこで暫く彼らはこれまでの出来事や、安奈との出会いと彼女の人柄についてユーリに話し始める。
そんな彼らの話で安奈に対する警戒心を解いた彼は、話の途中、彼女にも笑いかけてくれるようになった。
 そんな中、夫人がやってきて深々と頭を下げる。

「食事の準備を致します。それまで皆様、少々お待ちください」
「あ、宜しければ手伝います!」

 咄嗟に安奈は立ち上がり、手伝いを申し出た。

「いえいえ、アンナ様はお客様ですから」
「私、料理作るの好きなんです。この町の料理にも興味あるし。お邪魔でなければ、どうか手伝わせてください」

 にっこりと無邪気に微笑む彼女の愛らしさに思わず夫人も笑顔になる。

「アンナの料理は本当に美味なものばかりだ。
 彼女が同行してから、野宿の際の夕食も楽しみになったぞ」

 レジェンスがそう言うと、他のメンバーも頷く。

「確かに私たちは料理については全くの無知でしたからね。
 せいぜい、スパイスを加えて焼いたり煮たりが関の山でした」
「最初のうちはとりあえず腹さえ満たせれば、と思ってたもんな。だから町に着くと凄い嬉しかったぜ」
「アンは栄養のことも考えてくれるから、本当に助かってますよね」

 全員から思わぬ称賛を受けて安奈は照れ笑いを浮かべるものの、
こんなちょっとしたことだけでも彼らの役に立てて良かったと思った。
そんな彼らに絶賛された彼女の申し出を断るのも悪いと思ったのか、夫人はアンナに笑顔を向ける。

「それではお手伝いをお願いしても良ろしいですか?」
「はい!!」

 そうして2人の女性は台所に立ち、料理を開始した。
キャロルは優しく丁寧に郷土料理を教えてくれる。
この土地で採れた野菜や家畜に感謝を捧げ、料理手順や料理の意味するところまで。
 飾り付けは素朴な皿にたっぷりと。
美味しそうに沢山盛り付けることがいただくことへの感謝であり、相手への最大のもてなしなのだという。


「お待たせしました」

 我ながら上手にできたと思いながら安奈は最後の皿をテーブルの上に乗せると、客間で寛いでいた皆を呼びに行く。
きっと喜んでくれるだろう、とわくわくした気持ちを抑えながら。

「わ、美味しそう!」
「おお、豪華だな」

 テーブルに並んだ料理は野菜から肉や魚、フルーツまで種類が豊富で、美味しそうな香りを放っていた。
それを見た全員は感嘆し、興奮した様子で各自席に着く。

「この大皿料理はキャロルさんに教えてもらって作ったのよ!」
「アンナ様はとても手際がよろしゅうございました。とても楽しく料理できて嬉しかったです」

 そう言ってキャロルと安奈は微笑み合い、隣同士で座った。
先程から皆に褒められてばかりの彼女は照れつつも嬉しそうに笑っている。
 仲の良い母と娘のようだと男たちは思った。

 ――そうだ、安奈にも家族がいるだろう。なのに記憶を失い、あんな野原に取り残されてしまうなんて一体何がどうしてそうなってしまったのだろうか。
不安や恐怖もあるだろうに、彼女はあまり表には出さずひたすら明るく優しい。
本当に気丈な女性だ、とレジェンスは思う。
 無邪気な彼女を見ていると自分も同じように世界の色々なことが新鮮で素敵なもののように思えてくる。
こんな風にずっと彼女と色んなところを見て回って感動して過ごせたらどんなに幸せだろう。
 そんな風に考えていると、シャルトリューから目配せされた。
皆が私の言葉を待っている。私が手をつけなければ永遠にこの美味しそうな食事を前にして冷えるまで待つのだろうか。
 そんな意地悪めいたことを考えてしまい、レジェンスはぐっと目を閉じた。
――そういうものなのだから、仕方がない。されど、それを持っている以上は責任は果たさねばならない。
 レジェンスはグラスを手に取り、ユーリに掲げた。

「ユーリ殿、温かく迎え入れてくださり、感謝いたします。
 それでは皆、温かいうちに頂こう」

 各々グラスが掲げられ、食事が始まる。少し離れた安奈の方からは「いただきます」といつもの挨拶が聞こえた。
レジェンスはその挨拶が好きだった。彼女自身も何故自分がそのような言葉を言ってしまったのか最初は分からなかったようだけれど、
自然の恵み、食事として用意された素材、そのものを生産した者たち、調理した者たち、その者の使う道具など、全ての者に感謝していただく。
自分の今の生活は色々な人や自然、物のお陰で成り立っているのだから感謝しないとね、と彼女は言っていた。
 レジェンスも心の中でいただきます、と言ってからスプーンを手に取る。
キャロルが作った野菜のスープは素材の甘さや香りが引き立って優しい味がした。




「――太鼓の音?何か聞こえない?」

 夕食が終わり、談笑をしていると安奈の耳には微かに太鼓やラッパの音が聞こえてくる。

「そうでした。今夜から明日の昼にかけてマジェスの創立150周年の祭が開かれるのです。良い時においでになりました」
「お祭り!?」

 ユーリの言葉に安奈の目が輝く。

「行きたいのか?」
「勿論!!」

 半分呆れたような表情のククルの言葉に即行で返事をした安奈は、既に外の様子が気になってうずうずした様子を見せる。
そんな子どものような無邪気さを持つ彼女に全員は笑みをこぼした。
そしてレジェンスが立ち上がる。

「それでは外に出てみるか」
「皆が開放的になっておりますゆえ、お気をつけになってくださいませ。貴重品などはうちに置いて出かけになる方がよろしいでしょう」
「わかりました。じゃあ、行きましょう!!」

 そうして5人は賑わい始めた夜の町に出た。


 町はキャンドルや装飾布によって夕方とはガラリと姿を変えていた。
まるで別世界に迷い込んでしまったようだ、と安奈は思う。
 見たこともない異国情緒漂う町並み、お祭りの飾り付け。
自分は記憶を失う前もこんな景色は見たことがなかったのだろうか。懐かしさや望郷の念などは全く浮かばない。
いつか記憶を取り戻すヒントのようなものに出会えたらいいけれど、と少しの不安が胸を過った。
 とはいえ、折角のお祭りなのだから色々と見て回らないと、と安奈は気持ちを切り替えて祭りの中心部へと歩み出す。

「わ、綺麗!」

 広場には綺麗な服を着た女性ダンサーと彼女の踊る曲を演奏する合奏団がおり、
明るくライトアップされた舞台で楽しげな曲に合わせて女性は激しくダンスを踊る。
 いつもならとっくに閉店している店も今夜は華やかな装飾をし、目玉商品を売り出している。
そんな町の雰囲気に浮き足立った安奈は人の波にさらわれ、あっという間に4人とはぐれてしまった。

「どうしよう……」

 誰でもいいから早く見つけないときっと心配をかけてしまうと思い、安奈はキョロキョロと辺りを見回しながら、ゆっくりと町を歩き回る。
するとレジェンスらしき青年の後姿を見つけた為、咄嗟にその人物に向かって名前を呼んだ。
洋服や装飾品でも気付いただろうが、そういうものがなくても安奈には気付く自信があった。
何故なら彼からはキラキラとしたオーラを感じるからだ。
 ――なんてことを普通の人に言っても「は?」と思われるかもしれない。
それでも上手くは言えないけれど、とても眩く感じる瞬間があるのだ。
目に直接見えるものではないけれど、彼特有の眩いキラキラとしたオーラ。
オーラというよりも彼を包んでいる雰囲気といった方がいいのかもしれない。
安奈にはそれを具体的には説明できないが、しかしはっきりと彼女にはレジェンスだけではなくククルたちにも彼ら独自のオーラを感じるのだった。

 更に彼女にはもう一つ、レジェンスを見分ける方法がある。
それは、胸の鼓動。
特に意識などしていないのに最近では、目が合った時や彼の笑顔を見た時、手を差し出された時――様々な場面で胸がドクンと大きな音を立てるのだ。
 そして今、彼の後姿を見つけた時も胸は大きく鼓動した。
だから迷うことなく、彼女は彼の名を呼んだ。

「レジェンス!」

 人が混み合う中彼女の声が届いたのか、その青年は振り返る。
予想通り、その青年はレジェンスだった。
ホッとした表情をする安奈とは反対に、振り返った彼の表情は店や外灯の明かりで薄らとしか見えなかったけれどとても青褪めていて、
彼女を見て一瞬時が止まったように静止した後、今まで戦闘の時にも見せたことのない慌てた様子で駆け寄ってきた。

「アンナ!!」

 こんな大きな声が出せたのか、と安奈が意外に思うくらいレジェンスははっきりと大きな声で彼女の名を呼ぶ。
今まで穏やかな声しか聞いたことがなかった彼女は、彼の慌てる様子と共に驚いた。

「よかった、無事で」

 あっという間に彼女の目の前にやってきたレジェンスは、呼吸を整えるのも忘れて安奈を心配そうに見つめる。
そんな彼の姿に感謝と嬉しい気持ちを抱き、彼女はにっこりと微笑んだ。

「そんな、心配し過ぎだよ」

 そう言うと、レジェンスは安奈を突然、強く抱きしめる。

「誰かに連れ去られてしまったのではないかと思った」
「レ、レジェンス……?」

 思いがけない彼の行動に、彼女の鼓動は激しく速まり強くビートを刻んでいる。
全身が震えるくらいにドクドクと音を立てて心臓が脈打っているような感覚。
もしかしたらこの鼓動にレジェンスが気づいてしまうのではと思い、必死に抑えようとするけれども一向に収まらない。
しかし、動揺している安奈とは対照的にレジェンスは冷静さを取り戻していた。

「私が守ると言っておきながら、独りにしてすまなかった」

 そう言う彼は、申し訳なさそうな表情にも自分に対して怒っているような表情にも取れるような複雑な顔をして安奈を見つめる。
その言葉で彼女の喜びは更に大きくなった。
レジェンスは以前の約束を今でも覚えていて、きっとそれを守ろうとしながら毎日生活しているのだろう。
彼は約束と共に、自分のことも大切にしてくれているのだと知った安奈の胸には、ジーンと温かい感情が広がっていく。

「いいよ。だってレジェンス、私のこと心配して捜してくれたんでしょ?それにそもそも私が勝手に飛び出しちゃったんだもの、ごめんね。
 探してくれてありがとう」

 そう言うとレジェンスは優しく微笑んだ。

「そなたが無事で良かった」

 先程まであんなに騒がしかった楽器の音や人の声が一瞬で安奈の耳から消える。
なのに自分の心臓の音と彼の透き通るような声がやけに体中に響いていた。

「ドーン!!」

 突如、身体を震わせるような激しい音が響き渡る。その後、空がぱあっと明るくなった。
花火だ。大きな花火が次々と夜空に打ち上げられている。

「綺麗」

 思わず空を見上げた彼女はその花火の美しさに見惚れた。
レジェンスは優しい表情で安奈の横顔を見つめている。

「――アンナ。今日の記念に何か贈りたいのだが」
「え?記念って?」

 そう言うと、レジェンスは他には何も言わず安奈の腰に手を沿え装飾品の店までエスコートする。
いつも何気なくエスコートされていた為、いい加減慣れてきたと思っていたのに、今は一入彼の手の感触が恥ずかしく思えるのは何故だろう。
顔だけでなく全身までもが何だか熱くなっていくのを感じながら、安奈は彼について行く。

「これをそなたに。喜んでくれるだろうか?」

 美しく高価そうなアクセサリーが並ぶ中、彼が選んだのは深い緑色をした宝石のネックレスだった。
金で縁取りされ繊細なデザインではあるけれど、力強く光り輝く宝石が一際目を惹く。

「こんな高価そうなもの、貰えないよ!!」

 安奈はあまりにも高価そうだったので心の底から遠慮する。
しかし彼はそっと首を振った。

「どうしてもそなたに贈りたいのだ。受け取って欲しい」

 真剣な表情で、尚且つ美青年のレジェンスにそう言われては何も言えず、安奈はそのネックレスをありがたくいただくことにした。
位の高い人からの贈り物を変に断りすぎるのも失礼な気がした。スマートに受け取ることも淑女としての礼儀なのかもしれない、とも思う。

「ありがとう、レジェンス。 大事にするね!!」

 安奈が礼を言うと、彼は早速購入して箱から出し彼女に着けてやった。
彼にアクセサリーをプレゼントされたことの嬉しさや、このネックレス自体の美しさに魅了され、
安奈は少し呆然としながら辺りに置かれているキャンドルの光を反射してキラキラと光る胸元のネックレスを見つめる。

「この宝石。レジェンスの瞳の色ね」
「そういえばそうだな、そなたに似合いそうな色だと思ってこれに決めたのだが、……そうだな、私の瞳の色か。
 では、もし今回のように何かがあって離れ離れになったとしても私の心はいつもアンナと共にある。不安な時はその石を眺めるといい」
「……うん、ありがとう」

 レジェンスってやっぱり王子様だ。気障なセリフが似合う――と思いながらも、そんな彼の言葉にうっとりとして安奈は頷いた。


 その後、レジェンスと安奈ははぐれないように手を繋いで広場に戻る。
するとそこでは人々が楽しそうにダンスをしていた。どうやら場が盛り上がって即興のダンスパーティーになったらしい。
 演奏が終わった舞台から楽器を持ち寄って楽団がラフにアップテンポの曲を演奏する。
観客にも太鼓を叩かせたり、鐘を鳴らさせたり、とても陽気な雰囲気だ。
ダンスをしている人たちもとても楽しそうである。

「私たちも踊らない?」

 周りの人々の様子を見て自分もワクワクとした気持ちになった安奈はレジェンスの手を引っ張った。
しかしふと立ち止まる。

「でも、私、踊り方なんてわからなかった」

 残念そうに首を傾けている彼女を見たレジェンスはクスっと笑った。

「私もこのような明るい曲で踊ったことはない。初心者同士、楽しもう」
「……うん!」

 彼の優しい心遣いを嬉しく思いながら、安奈は大きく頷く。
そうして2人はダンスの輪の中に入っていった。

 明るい曲が続く。
最初は周りの人の踊りを真似ていた2人だったが、いつの間にか体に町の人の精神が乗り移ったかのように無意識に体が動くようになっていた。
手と手を取り、見つめ合い、笑い合っているうちに2人の感情はどんどん昂ってくる。
 リズムに合わせて身体を揺らし、手を取り合う。リズムが合えば呼吸も合う。
安奈とレジェンスには一体感が生まれ、更に息の合った踊りを披露できるようになる。

「ね、レジェンス」
「何だ?」

 周りの音に打ち消されそうになる声を聞き取ろうと、レジェンスは少し背中を屈めて安奈の口元に耳を近づけた。
彼女は先程よりも大きな声で語りかける。

「私ね、貴方に会えてよかった」

 安奈は心からそう思った。
彼と出会えたから、今こんなにも楽しい気持ちで踊れているのだ。
彼と一緒だから、こんなにも楽しい気持ちになれるのだ。
――そんな風に思いながら、安奈は幸せな夢を見ているような気分になる。

「私もだ」

 優しく微笑んでレジェンスがそう言うと、2人は繋いだ手に力を込める。
命がけで大陸を救おうとしている皆に申し訳ないと思いながらも、安奈はこのまま時が止まれば良いのにと一瞬思った。














長い…実際に長いんですけれども、分岐しないで1ページにまとめると更に長く感じますね(-"-)
サイトの連載中の作品もそうですが(汗)、リメイクものんびりまったり更新していきます^^;
どうぞお客様ものんびりとした気持ちで待っていただけたらと…m(__)m

それでは、こんな感じですが、リメイク版を楽しみにしてくださっているお客様、
読んでくださって本当にありがとうございました!
次回もどうぞよろしくお願いいたします^^

吉永裕 (2009.3.19)


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