14.約束の日




 津波が大陸を襲うという“約束の日”のことは、生涯忘れることはないだろう。
あの日、大陸中の人々の想いは一つとなった。
身体から解き放たれた魂が文字通り一つになり、人の温もりを共有した感覚は時間が経った今でもはっきりと思い出せる。
 あの時、レジェンスは思った。
安奈の信じた未来を我々は掴み取ったのだ、と。



 国が統一してからは国の体制を移行するよりも先に防御壁の建設に取り掛かった。
その甲斐もあり、魔動機器を組み込んだ防御壁は予定より早く完成し、国民たちも最終作戦に協力的だった。
 主だって活動していたからか、いつの間にか宝玉を持っている8人は民衆から英雄と呼ばれるようになり、
それによって更に人々の心を纏め上げることができた。

 カルトスはバーン地方、レジェンスはアーク地方の統括を任され、民たちへの誘導や訓練は軍が行った。
防御壁に繋がる魔方陣が各地域に用意され、約束の日に向けての訓練は何度も行われた。
 最初はアトラクション感覚だった民たちも、約束の日が近づくにつれて僅かな地震が起こるようになったり天候が崩れがちになったことで、
自分たちの命や国を守りたいという意識が高まったらしく、決行の日は皆、真剣な面持ちで自分の指定の魔方陣で待機した。

「――今日という日をアークバーン国という一つの国として迎えられたことを嬉しく思う」

 作戦開始前、レジェンスは民衆へ向けて挨拶を求められた。
魔動機器を組み込んだ転声装置によってこの言葉はアークバーン全土へ届くことになっている。
皆の気持ちを高め一つにする最後の機会だ。
 とはいえ、この後にバーン地方のカルトスも話すことになっているので
あまり感傷に浸って長々と話すわけにもいかないけれど。
 
「我々は今日という日の為、様々な努力をした。
 互いを分かり合おうとし、受け入れ、自ら変わろうとした。
 その結果、素晴らしい未来が訪れようとしている。
 ――全ての国民への、お願いだ。
 自分と大切な人の為に生きていこう。
 当たり前のように明日が来ることに感謝して、今を生きよう。
 私は新しい国で新しく始まる様々な人々との交流を今から楽しみにしている。
 今日という日を何としても乗り越えよう」

 魔方陣で待命中の民たちから「レジェンス様ー!」と声が上がった。
ククル、シャルトリュー、ランの3人と元アーク国軍や王宮に勤めていた者たちには各地の魔方陣へ配備し、
今、傍にいる親しい者は家族だけだ。
 けれど城下の民たちに気さくに話しかけるようになったレジェンスは、城下町の人々にも家族に向けるような親しみを覚えている。
新鮮な食材を取り扱う朝市で誰よりも元気で大きな声を出す果物店の店主は今日はお祝い事でもあるかのような立派な格好をしていて、
膝の悪い眼鏡店の夫人は椅子を用意されて穏やかな顔でこちらを見上げ、
町で人気のある武器屋の女性店主の隣を狙って青年たちが睨み合う。
 そんな民たちが皆が自分にとって大切な仲間のようだとレジェンスは思った。
こう思えたのも自分が彼らに心を開いたからだ。
これまでのように王子と一般市民という枠組みに拘っていたら一生関わらなかったかもしれない。
 「本当に、ありがとう」とレジェンスは挨拶を終え、バーン地方のカルトスへとバトンを渡して魔方陣へと移動し、自分の立ち位置へ向かった。
母親のアリュミエール、その隣にドルス、そしてレジェンス、左隣にレイラが配備されている。

「カルトス殿はどんなことをお話になるだろうか」
「あの方って本当にお兄様より年下なのです?」
「あら、カルトス様が気になるのかしら、レイラ?」
「勿論ですわ。あんな仕事のできる方が私の一つ年上だなんて信じられませんもの」
「それなら今度私が紹介しようぞ」
「止めてください、お父様。そういう意味での興味ではありませんのよ。
 これからは私も表立って働く上で目標にしたいというだけですわ」
「ふふ、私もカルトス殿が目標だ」

 レジェンスは笑ってレイラの背中をポンと優しく叩くと魔方陣の傍にある転声装置に耳を傾ける。
カルトスの最後の演説が始まる。
 
「――今回の作戦は一度限りであり、必ず成功させねばならない。
 したがって漠然とした想いでは弱すぎる」

 決行を前にしたカルトスの声は冷静だが力強いものだった。
そんな彼の言葉を聞いた民たちは不安を覚えたようで一瞬場が静まった。

「皆、まず大切な者のことを思い浮かべてみてほしい。
 その者の無事と幸せな未来であればごく自然に願えるのではないかと思う」

 レジェンスはまず隣にいる家族のことを考える。
次に各地で任務に就いている英雄たちのこと、臣下のこと、
宝玉を守ってくれていたかつての臣下たちのこと。
そして最後に自分を信じてついてきてくれた民のことを。

「その大切な者たちの幸せには何が必要か?
 それはやはりその者にとって大切な者の無事であろう。
 ……そうやって少しずつ範囲を広げてみてほしい。
 今、南端にいる皆の大切な者たちはもしかすると最北端にいるアーク地方の者に通じる縁やもしれぬ。
 逆もまた然り」

 こんなカルトスの言葉を聞いた母が「彼のこういうところがとても好きよ」と我が子に向けるような瞳で転声装置を見つめた。
自分もそうだ、とレジェンスは思う。

「皆、自分だけではなく大切な者とその者が生きる世界の為に祈ってほしい。
 我らの想いは必ず形となって明るい未来を見せてくれる。
 ――では、作戦を開始する。隣の者と手を繋いでくれ」

 レジェンスはドルスやレイラと手を繋ぐ。
大人になり家族と手を繋ぐなど、こんな状況でなければなかったかもしれない。
けれどとても温かい。
津波が押し寄せてきているというのに不安など一つも感じなかった。

 祈祷の合図の鐘の音が大陸中で鳴り響く。
目を閉じ、繋いだ手に力を込め、レジェンスは心から祈った。
民の為、家族の為、新しい未来の為、未来を皆と生きる自分の為に。

 少しずつ魔方陣は目映い虹色の光を放ち、その光は防御壁へと送られていく。
立ち並んだ防御壁も虹色に輝き始め、いずれ全ての壁が虹色に染まった。
 その時からレジェンスは身体がふわふわと浮くような感覚を抱き始める。
次第にそれは魂が身体を飛び出したようなものに変わり、そして周りの人々と融合していく。
誰かは分からないけれど人々の温かな感情が自分の中に入ってくるが、不思議と不快感はない。
 ただ、優しく温かく懐かしい。
赤子が母に抱かれ優しく語りかけられている時のようであり、母の胎内で揺られているかのようでもある。
 この時、人々の魂は確かに一つになったのだ。

 防御壁から立ち上るように光は天空へと伸びた。
空を貫くような巨大な柱となった虹色の光は、大陸の周りに圧力のある風を巻き起こす。
そしてその風は予測通りに襲い来た巨大な波の数々をものともせずに海を割り、
アークバーン大陸を避けるように波は過ぎ去っていった。



 波が過ぎ去る時に震動があったのだろう、全てが終わってレジェンスが目を開けた時には
周りにあったものが倒れていたり、転声装置の位置が少しずれていた。
更にいつの間にか夜になっていて空には星が輝いている。
 けれど魔方陣が発動中は全く震動を感じなかったし、いつこんなに時間が過ぎたのだろうとレジェンスは首を捻った。
あの温かい海に浮かんでいたような感覚は永遠のようであり、一瞬の出来事にも思えたのだ。
実質的には12時間程経っていたのが信じられない。
体力的にも、精神的にも、人が意識のない状態で立ち続けていただなんて。
 それでもお互いに身体も国土も無事だったことで壮大な計画を見事に成し遂げたことは誰もが理解した。
そしてレジェンスは順々に家族としかと抱き合い、その後は民たちと手と手を取り合って喜んだ。

「皆、無事に作戦は完遂された。
 我々を信じ、皆の為に祈ってくれてありがとう。
 ――レジェンス殿、やったぞ。アンナが皆を救ったのだ」

 傾いた転声装置からカルトスの涙声とその後ろに歓声が聞こえてくる。
レジェンスは慌てて転声装置に駆け寄って傾きを正した。
そして彼と全国民に呼びかける。

「皆の温かな心が我々と大地を守ったのだ。
 この大陸の全ての民に、心から感謝と敬意を表す。
 我々とアンナを信じてくれて、本当にありがとう……」

 レジェンスの震える声で民たちは感涙する。
先程の興奮の波が一旦収まり、今度は安堵感が押し寄せてきたのだった。
 人々は家族や友達だけでなく顔見知り程度の人たちとも感謝とハグを交わしている。
あの魂の一体感は失われてしまったけれど、あの時感じた人の温かさや優しさ、安らぎは未だ胸に残っている。
あの感覚はいずれ少しずつ忘れていくのかもしれないが、あの感覚を覚えている間は凶悪な事件など起こりそうにない。
そのくらいに人の優しい気持ちというものは自分の心を癒やし、穏やかなものにするのだった。

「皆様、今日は恐らく一種の恍惚状態になっていたので時間の経過も感じなかったのだと思いますが、
 心身共に負荷がかかった筈ですので今日はゆっくりと休んでください。
 ですがアークバーン国の歴史は始まったばかりです。
 明日からも今日のように国民全員で我々の国を作っていきましょう。
 皆様、本日はありがとうございました。そしてお疲れ様でした!」

 ヤンが国民へ留意事項を伝え、挨拶を終えると解散となった。
ゆっくり休めと言われたが殆どの民たちは集まってどんちゃん騒ぎをするようだ。
今日くらいは良いだろうとレジェンスは相好を崩し、家族と王宮へ戻ることにする。

「お兄様、暫くゆっくりなさったら?」
「そういうわけにはいかぬさ。早く新政府を造り、国から地方まで官庁も設立しないと。
 だが、その前に――」

 レジェンスは足を止め、大陸中央にあるラスティア山の方を振り向き見上げる。
夜なので山の形は見えないけれど、レジェンスは自分が山に呼ばれているような気がした。
そして常に懐に入れている宝玉も仄かに熱を帯びているように思える。
 まさかな、とレジェンスは思ったけれど奇跡を起こせた今なら何でもできるのではないかと思えてきた。
いくら想いが強くても失った安奈の魂と身体を魔法で新たにこの世界に作り出すことはできないだろう。
けれど、宝玉なら?願いが叶う宝玉なら彼女をこの世界に呼び戻すことができるかもしれない――そう思い、レジェンスは王宮には戻らずラスティア山へと馬を走らせる。
後ろからレイラが何か叫んでいるがすぐに聞こえなくなった。
 街道は暗いがそれぞれの魔方陣から家へと戻る人々の明かりが転々と見える。
楽団を呼んだのか、ある屋敷からは陽気な音楽が聞こえてくる。

 馬を休ませるのを忘れて少し速度が下がった頃、カムイの町が見えた。
今日も霧が濃いが、夜中だというのに町にぼんやりと丸い光が浮かんでいる。
物静かなこの町の人々も流石に今日は気分が高揚しているのだろう、とレジェンスは想像して微笑んだ。

「レジェンス様、やはり行かれるのですね」

 バーグの顔を見に行こうかと考え、町の入り口をくぐろうかとしていたレジェンスに穏やかな声が呼びかけた。
霧の中から見知った顔が現れる。

「私も堪り兼ねてラスティア山へ向かおうとしていたところです」

 ランタンを持ったシャルトリューはレジェンスの元へ馬を引き連れる。
そして「気休めかもしれませんけど」と言い、疲労したレジェンスの馬に回復魔法をかけると優しく撫でた。
どことなく馬は生気を取り戻したような瞳となり、頭を上げてカムイの麓に流れる川でごくごくと水を飲み始めた。

「すまないな、すっかり気が焦ってしまい、この子にきつい思いをさせた。
 シャルが一緒ならもう大丈夫だな」
「ええ、いくら先を急ぐと言っても距離があります。
 この子たちにもきちんと休んで貰わなければ」
「こういう時にヤン殿の転送装置があれば良いのにな」
「ふふ、あれは予め転送場所に魔法円を書く必要がありますから今回は無理ですね。
 ですが、いずれは量産化してほしいですね。
 そうでないとこれから何年かは大陸中の庁舎を作ったり施設を視察して回ったりしなければならないのですから。
 移動に時間や体力を奪われるのはあまり良いこととは言えませんので」
「そうだな。ヤン殿に頼んでみよう」

 そうしてバーグにも顔を出し、元気そうな姿に安心したレジェンスはシャルトリューと共に目的の地へと向かう。
その途中のリッツでランが、チェリスの関所でククルが合流した。
その後、ラスティア山の麓でバーン地方のカルトス、エドワード、レノン、ヤンの四人が待ってくれていた。
 何の取り決めもしておらず衝動のままに駆け出したというのにも関わらず、
仲間たちが同じ思いを抱き夜中にも関わらず行動してくれたことにレジェンスは感銘を受ける。

「さあ、行こう。彼女が待っている」

 感極まってレジェンスが佇んでいると、カルトスが明るく声をかけた。
「彼女に会いたいのは貴殿だけではないさ」と言い、背中を押した。
 ここに集まった誰もが宝玉の奇跡を信じていた。






















漸く山場超えた感じです。
この一連の流れを1ページに纏めようとしていたのか。無理だろ、かつての私よ。
とはいえ今でも飛ばし飛ばししていますね。
私も早くヒロインさんと再会して欲しいのでつい駆け足になっちゃいます(*^_^*)

というわけで、やっと終わりが見えてきました。
ここまで読んでくださったお客様、ありがとうございました!
次回で終わりますよ!!!

吉永裕 (2021.2.28)


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