11.希望の道筋




 宝玉を巡る決闘とはいえ国の重鎮たちが非公開の戦いで流石に命をかける程のものではないだろう、安奈はそう思っていた。
けれど、その考えは甘かったとすぐに悟る。
 宝玉は国の未来に関わる重大なものだ。
命くらい投げ出しても惜しくないという彼らの強い思いを目の前でまざまざと見せつけられた安奈は腰を抜かして地面に強かに尻を打ち付けた。

 レジェンスの鋭いレイピアと裏手に持ったカルトスの細めの剣が激しくぶつかり合い、
ククルは巨大な両手剣を軽々と振り回し冷静で素早いレノンの剣を押し返していく。
 ランは木製のトンファーでヤンの縦横無尽な電気鞭をいなしながら力で押し返すが、
ヤンも負けじと雷の魔法を身体の周囲に放って距離を保つ。
 そんな中、彼らの後ろからレジェンスに向かって黒い闇魔法が放たれるが、激しい炎がそれをかき消した。
風圧でフードが脱げたシャルトリューは燃えるような赤く短い髪を揺らし、後方のエドワードを鋭く睨み付ける。
エドワードは眉間の皺を更に深くし、右手を掲げ再び詠唱を始めた。

 映画の世界に飛び込んだようだった。
目の前では剣と剣がぶつかり合い、炎や雷の魔法が飛び交う。
爆風で吹き飛ばされた小石や木の破片が安奈の顔を掠め、思わず目を瞑った。

 ――駄目だ、やっぱり見ていられない。
安奈は再び目を開くことが恐ろしくなり、そのまま目を閉じ耳を塞いだ。
 このまま争いが激しくなってお互いに傷つけ合って、それが大陸中に広がったら?
災害で大陸全土の危機が迫っているというのに、これでは人災の方が先になってしまいそうだ。
 どうして?どうして信じ合えないの?この世界はこんなにも希望に溢れる世界なのに。
魂だけの私が当たり前のように生きたいと思うだけで存在を許された世界なのに!

「――うあぁ!」

 耳を塞いでいてもはっきりと聞こえた。
普段、優雅で声など荒げたこともないような彼の、レジェンスの悲痛な叫び声。
 安奈の目に飛び込んで来たのは右上腕を切られてレイピアを落としたレジェンスの姿だった。
左手で傷を抑えるが彼の袖口まで赤いシミが広がり、垂れた指先からは血が滴っている。
 その隙を突いてバーン国の者たちが総攻撃をかけようとするが、
アーク国の者たちがレジェンスの前に立ちはだかり強烈な攻撃をはじき返した。
 安奈も無心で駆け出し、両国の間に割って入る。
彼女が飛び出すとは思わなかったレノンの振り上げた剣が鼻先を掠めた。

「……嫌。もうこんなの嫌よ、戦いなんてやめて!
 もう誰にも血を流して欲しくないの……」

 安奈は膝から崩れ落ち顔を覆って啜り泣く。大学生にもなって子どものような駄々のこね方ではあるが、そんなことは気にならなかった。
ただただ辛くて苦しくて、自分の無力さが悔しくてたまらなかった。
 そんな痛々しい彼女を忍びなく思ったのか、相対していた男たちは闘争心を失い、持っていた武器を下ろしていく。

「――約束だ。カルトス殿、宝玉は差し出す」
「王子、なりません!」
「約束は約束だ。見事な剣筋であった」

 右腕を治療するシャルトリューを厳しい表情で諫め、レジェンスはカルトスの方を向き直した。
そしてククルに宝玉を持ってこさせる。

「レジェンス殿、本当に宜しいか?」
「ああ、そなたに任せる……が、本当に先程の話を信じても良いのだな?」
「勿論、信じて欲しい。俺はこの大陸全てを守るつもりでいる。
 何より目の前の彼女に失望される方が全国民に見放されるよりも辛いのでな」
「ふふ、不思議な女性だろう」
「そうだな」

 カルトスとレジェンスは肩の力を抜いて笑い合った。先程の殺伐とした空気が和らいでいく。
安奈は鼻を啜りながらハンカチを取り出して涙でぐっしょりと濡れた顔を拭き、そんな彼女をランとヤンがそれぞれ手を差し出して立ち上がらせた。

 良かった、と安奈は胸をなで下ろした。けれどまだ不安は残っていた。
宝玉は本当にこちらの願いに応えてくれるのか。伝説は真実となるのか。
 ――安奈は正直なところ、宝玉は反応しないのではと思っている。
まだこんなバラバラで小さな想いでは大陸を救う程の奇跡を起こすには想いの強さが足りない気がした。
もっと皆が心から分かり合って理解し合って真剣に明るい未来を望まなければ、ただ国のお偉いさんだけが祈っても駄目なような気がしたのだ。
 そんな考えはとても口には出せなけれど、でももし、本当に宝玉で悲しい未来が変えられるなら。
そこから両国の関係も変わるかもしれない。
 ――だったら、どうかどうか、お願い、8つの宝玉よ。
この大陸を救ってください。彼らに新しい歴史を築かせてください。

 安奈は祈りながらカルトスが台座に宝玉を収めていく様子を見つめる。
バーン国の持っていた宝玉は、蒼玉(そうぎょく)、黒玉(こくぎょく)、銀玉(ぎんぎょく)、紫玉(しぎょく)の四つだ。
それらの宝玉もアーク国が集めた宝玉のように薄い光に包まれているようである。

 全てを並べ終えたカルトスは巨大な台座の中央に立った。
皆が息を呑み彼の挙動を見つめている。

「宝玉よ。8つの封印を解き放ち、今ここに力を解放せよ」

 カルトスの言葉に一瞬宝玉の光は強まった。
しかし、そのまま静かに元の穏やかな光の膜を纏った姿に戻っていく。

「反応しない?」
「何故だ!?」

 バーン国だけでなくアーク国の面々も驚愕と絶望の混ざった表情で宝玉を見据える。
もしかしたら、と思っていた安奈も「どうして」と零した。

 次の瞬間、安奈の頭の中で機械的な“ピー”という音が冷たく響いた。
途切れず伸び続けるその音は心電計の音だと気づく。

 ――遂に、来たんだ。

 そう思った途端、安奈の意識は現実に引き戻された。
 白い壁と天井、ベッドにカーテン。
ベッドの周りに医療機器や器具が並べられた狭い部屋に何人もの大人が詰め込まれている。
医師と看護師、そして自分の両親だ。
 そんな状況を安奈は天井近くの高さから眺めている。
悲しみや申し訳なさ、寂しさが込み上げるものの、何故か冷静に全てを眺めていた。

 自分の身体に繋がれた心電図は0となり、一本のラインが続く。
心臓マッサージをしていた医師も諦め、身なりを整えた後、ライトで瞳孔の開きを確認して泣き崩れる両親に安奈の死を伝えた。
 呼吸器や心電計は外され、看護師が後ほど死後の処理に参ります、と言って部屋には遺体となった自分と、両親だけが残される。
母が安奈の顔に手を伸ばして自分の頬を擦り付けて泣いている。
父も今まで泣いたところなんて見たこともなかったのに膝を折り、安奈の手を握ってむせび泣く。

 意識だけとなった自分は彼らに何も伝えられない。触れることもできない。
けれど、最期にお母さんとお父さんの姿が見られて良かった。

「……ごめんね、ごめんなさい。でも、二人の子どもで良かった。本当に幸せだったよ」

 そう別れを告げると、安奈の意識は元へ戻ってきた。
すっかり湿ってしまったハンカチが風でどこかに吹き飛んでいく。
薄れ始めていた手から力が抜け始めていた。

 向こうの身体が死んだ。こっちの私も……もうすぐ消える。
最期にこれだけは渡さなければ。

 安奈は透き通り始めた手でできるだけしっかりとポケットの中の手紙を握り絞めた。
そして最愛の人の名前を呼ぶ。祈るように。

「レジェンス」

 声もいつもに比べて随分と小さくなってしまった。
幼稚園教諭を目指していた私は保育室に響くくらい大きな声で歌うことくらいなんてことなかったのに。

「アンナ!?どうしたのだ、何故、何故消える!?」

 青ざめて取り乱しながらレジェンスは安奈に駆け寄り、きつく抱きしめる。
しかし温かで柔らかな筈の彼女の身体はたんぽぽの綿毛のようでこのまま力を入れると霧散してしまいそうな儚さを感じさせた。
 彼女を失うことを恐ろしく思ったレジェンスは力を抜くとそっと彼女を包みこむ。
その手は酷く震えていた。

「……ごめんね、レジェンス。私、捜し出せないところに行くわ。
 本当は貴方をお城から連れ出してもっと一緒に世界を見て回りたかったけれど、無理みたい。
 今まで本当にありがとう。この世界で、私を見つけてくれて、一緒にいてくれて、ありがとう」
「アンナ止めてくれ、そんな別れの言葉など――」

 安奈はレジェンスに見えるように手紙を掲げた後、涙を一筋流してそのまま空に吸われるように消えていった。

「アンナ……、何故だ?私は何が何だか分からない。どうしてそなたが消えてしまうのだ。
 宝玉を失ってもここまで絶望はせぬ。なのにそなたがいないだけでこんなにも……」

 突然目の前で安奈が消えてしまった喪失感と悲しみにレジェンスだけでなく、その場にいた全てのものが胸を痛めていた。
特に彼女を愛していたレジェンスは酷く打ちのめされている。

「王子、彼女は手紙を遺されたようですよ」

 レジェンスの足下に落ちていた捻れた封筒をシャルトリューが拾い上げ、
皺を丁寧に伸ばしてレジェンスに手渡した。
 宛名は“アーク国とバーン国の皆へ”――だと?
全く、アンナは最期まで皆のことばかりだな、とレジェンスは泣きながら笑って見せた。
そして封を開けて手紙の内容に目を通した後、読み上げることにする。


「――アーク国とバーン国の皆へ」


 アーク国とバーン国の皆へ
皆がこれを読んでいる時には、私はもう消えているのでしょう。
私はきっともうすぐ死にます。
元の世界にいる私の身体が死に、こっちの世界にいる魂の私も消えるのです。

 上手く説明はできないけれど、私はなんとなく分かってしまった。
私はこの世界の人間ではないということ。そして今、この世界に存在している私の身体は本当の身体ではないということ。
おかしなことを言っていると思うよね?でも、お願いだから最後まで聞いて欲しい。

 私は別の世界の人間でした。戦争も身分もない平和な国の、普通の家庭に生まれた普通の学生。
そんなある日、私は不慮の事故に遭ってしまった。
けれどその際、何故か魂だけがこちらの世界に飛んできたみたいなの。
 元の世界の私は意識不明の重体、でもそんなことを知らないこの世界の私は当然のように生きていた。
“生きていることが当たり前”だと思っていた。
だから、この世界で魂の器である生身の身体が作られたのだと考えたの。

 この世界は私が元いた世界とは違い、魔法が存在する。では、魔法とは何か。
才能?遺伝?いいえ、私の存在が魔法そのものだとしたら、“魔法は想い”ではないかしら?
 以前、シャルトリューさんが教えてくれた、“魔法は強い想い”だと。
そこから“想い描くことで具現化することができるのが魔法”という存在なのではないか、と私は考えているの。
だからこの世界で私は生身の身体を持ち存在することができたのだと思う。
 けれど、身体と魂はそもそも一つであり、繋がっている。
離れて存在しているこの状態は一時的なのもので、どちらかが消えたらもう片方も消える筈。
 そして最期の時が近づき、記憶が戻った今、私には元の世界がはっきりと見えるし分かるの。
ずっと意識が戻らないまま数ヶ月間眠っていた私の身体の命が尽きかけていると。
 
 さて、私の話はこれでおしまい。
私が最後に何を言いたいかというと、私は“想い”でこの世界に存在することができた。
それは貴方たちが目の当たりにしたでしょう? だから、私は思うのです。
人々が強い想いを持てば、自分を信じて相手の幸せの為に祈ったら、奇跡は起こるんじゃないかって。
 私は“想い”の力を信じています。
もし、宝玉が願いを叶えてくれなかったとしても、きっと強く想えば1人1人の魔力は微々たるものでも、何千人、何万人と集まればきっと奇跡は起こると。
 魔法は皆が幸せになる為に存在するのだと、私は信じている。
だから、和平の道を諦めないでほしい。
歴史は繰り返されると言うけれど、皆が望めば絶対に断ち切ることができる筈だから。
新しいアークバーン大陸の歴史が始まるから。


 そこまで読んでレジェンスは手紙を丁寧に折りたたんで封筒に戻した。
そして封筒の底に沈んでいたネックレスを取り出す。


 ――最後に、愛しのレジェンスへ。
嘘をついてごめんなさい。でも、この世界から消えるなんてどうしても言えなかった。
貴方を心から愛しているから、貴方の悲しむ顔が見たくなかったの。
 私は本当に幸せだったよ。
貴方に必要とされて、傍にいてほしいと言われて、私は初めて想いを通わせることの幸福さを知ったの。
 だけど、約束を守れなくてごめんなさい。
貴方を窮屈なお城から連れ出したかった。もっともっと、この世界のいろんな所を2人で見て回りたかったのに。
 本当に、心から貴方を愛していました。けれど、さようなら。
ネックレスは貴方に返します。私の形見として持っていてくれますか?


「――星野 安奈」

 レジェンスは彼女の名前を噛み締めるように呟く。
別の世界の人間でも魔法の身体でも構わない。
彼女であれば、彼女さえいてくれたら、それで良かったのに。

「アンナ、私はさよならなど聞きたくなかった。
 たとえ一時離れたとしても、いつか必ず迎えに行こうと……」

 レジェンスは手紙とネックレスを握り締めてうな垂れ、それを見守る男たちもまた安奈を想って涙を流した。









えっ、前回から5年?5年も経っていました?
すみません、原作があるリメイク小説でここまでぐだるとは思っていませんでした。
元のアークバーンの伝説がゲームを意識したので殆ど会話ばかりの作品なもんですから
補足したいなと思ってたら頭でっかちになってなかなか書けなくなってしまって。
今回は漸く峠を越えました!!
次回はもっと早く更新したいです!

――というわけで非常に久しぶりの更新となってしまいましたが、
ここまで読んでくださったお客様、ありがとうございました(*^_^*)

吉永裕 (2021.2.23)


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