夢見堂 a la carte
〜縁切り〜
夢見堂がの代になって初めて裏メニューを頼んだお客さんをあたしは時々思い出す。
あたしたちの能力が全然役に立たなかったあの人を。
「うちのばあちゃんから聞いたんだけど、ここ縁切りしてくれるの?」
あたしたちと同年代と思われる女がカウンターに座ってすぐにに切り出した。
整えた爪を眺めたり髪の毛を弄ったりしている生意気そうな女には笑顔で返事をする。
「はい、しております。よろしければ詳しい説明を致しましょうか?」
「いいわ、とにかく縁を切ってほしい男がいるのよ。さっさとやっちゃってよ」
「畏まりました。縁切りは500リーンです。施術後にいただきます。
――クロちゃん、お願い」
「分かった」
あたしの縁切りは特殊な道具などは要らない。
縁の糸は集中すればいつでも見れるし、縁を切るものも普通の果物ナイフや鋏でもいい。
ただ雰囲気を出す為にアンティークな銀のナイフを使っているけれど。
「こちらにどうぞ」
「名前とかは何も聞かないの?」
「ではお呼びしやすいようにお名前だけ伺っても?」
「…円華」
「それではまどかさんのご縁を見てみます」
目を閉じてゆっくり深呼吸し、手元に置いてある鈴を数回鳴らす。
この鈴の音は別の世界を覗く覚悟を決める為に鳴らしている。
物心つく頃から縁の糸が見える能力を持っているけれど、未だに糸が見える景色は好きではない。
現在は訓練して集中した時にだけ糸が見えるようになったが、
無か全かという調節しかできないので糸が見えると全ての人の糸が見えてしまう。
その景色は様々な色や太さの糸が交差し巨大な蜘蛛の巣に絡め取られた異世界のようなのだ。
だからあたしは子どもの頃から人の多い場所が嫌いだった。そのような場所では糸で前が見えなくなるから。
躊躇して立ち止まったあたしを何も知らない大人たちが不思議そうな顔で見たり、
欲しいものがあって店の前から動きたくないのだと勝手に勘違いしたりするのも嫌だった。
「――まどかさんに伸びている糸で特に太い糸は5本あります。
因みに親交が深い相手が特に太く見えるだけで、細い糸はまだ何本も伸びています。
そういう相手は今はまだ出会っていない人だったり、まだ深く関わったことのない人だったりです。
さて、5本あるうちの3本は家族との縁、1本は友人、もう1本は男性かと思われます」
「…まぁ、だいたい思い当たるわね」
「この男性との縁を切ることをお望みですか?」
「うん」
「一つだけ注意点なのですが、縁切りは永遠のものではありません。
なのでどちらかが努力すればまた縁が結ばれることもあります。
――貴女方は今まで3回は大きな喧嘩をし別れを覚悟していませんか?」
「してる!そんなことも分かるの?」
「はい、糸の結び目が三ヶ所あるので」
そう言うと依頼人は顔を歪めた。
過去の嫌な記憶を呼び覚ましたからだろうか。
「ほんっとに駄目な男なのよ。
手を出すまではいかないけど、誰にでも優しいの。
おだてられて物買わされたり相手に本気で惚れられたりとか。
怒りよりも情けなさが勝って許してきたけど。
――と、いうのは建前だけどね」
急に依頼人は寂しげに微笑んで見せた。
これまでとは違う表情をした彼女にあたしは暫し言葉を失い、空気を読んだはハーブティーを勧める。
カップを掴もうとする手が少し震えていたがゆっくり香りを楽しむと依頼人は二、三回息を吹きかけた後、口を付けた。
しかし、その顔にはやはり憂いが滲んでいる。
「――私の頭の中さ、おっきい腫瘍があるんだって。
手術の成功率は50%、手術をしない場合の余命は半年ないんだってさ。
…私さ、あいつに面倒臭いって思われて見捨てられるのも、私の弱い姿を見せるのも嫌なのよ。
だからバレる前に綺麗に別れたいんだ」
自分の体を抱き締めるようにしている彼女の手は微かに震えていた。
死の恐怖と別れの寂しさに襲われ、さぞかし心細いことだろう。
――だが、本当にそれでいいのか?
これから病と闘っていかなければならないというのに、彼女は独りで本当にいいというのか?
独りの世界はとても怖い。あたしはそれを知っている。
グロテスクなほどに鮮やかな糸が張り巡らされた世界を見つめるあたしはいつだって独りだった。
その世界に佇む恐怖を誰にも分かってもらえなかった。あたしの心はいつも孤独感と恐怖で占められていたのだ。
けれどある時、あたしの手を引いて逃げてくれた人がいた。
逃げて、逃げて、逃げて――彼女は人ごみからうんと離れた場所へとあたしを連れ出してくれた。
そして誰もいない河原まで走った後、「怖かったね?」と言ってあたしの頭を抱えるように抱き締めた。
自分と同じく6歳にも満たない子どもだというのに、彼女の手は優しく温かかった。
母親といるよりも穏やかで安らいだ気持ちが胸の奥から溢れてきて、あたしは初めて孤独を忘れた。
はあたしと世界を共有した存在だ。彼女がいなければあたしの心はとっくの昔に崩壊していたに違いない。
だからこれからはあたしがを守る。あたしを助けてくれた彼女の為にならあたしは何でもしてみせる。
――そんなあたしだから思うこと。
あたしが生きていくのにが必要なように、まどかにも彼氏が必要なのではないかと思う。
一緒に戦ってくれる人が一人でもいれば、人はどこまでも強くなれるのだから。
「それでいいんですか?まどかさんは独りで最期まで戦えますか?
苦しくてつらい時、不安な時、その気持ちを分かち合ったりもしくはぶつけたりする相手がいるだけで、もう少し生きようと思える筈です。
もし面倒臭がって別れたがるような男ならそれはその程度の男だったということです。
その場合は貴女の見る目がなかったということで自分を恨めばいい話でしょう」
あたしが淡々と口を開くと依頼人は驚いた様子でこちらを見る。
あたしはあまり接客が得意ではない。
言葉遣いはに言われて丁寧にするように心がけてはいるが、言葉の内容までは気遣えない。
「孤独は死よりも冷たいです。独りの世界は呼吸もまともにできません。
私はどんなに醜くても無残でも痛々しくても好きな人には最期まで自分の姿を見てもらいたいし、覚えていてもらいたいと思います。
私が生きた証が失われてしまうのも、独りで死んでいくのも絶対に嫌。
――とはいえ、家族の縁もあるので貴女が完全に独りになることはないでしょうが、
もし断固独りで死にたいと仰るならご依頼ですのでばっさり彼氏さんとの縁を切りますが」
その後、あたしのきつい口調に戸惑ったのか、それとも不信感を抱いたのかはわからないけれど、
彼女は「やっぱりやめとく」と言って帰っていった。
けれどその顔には不機嫌さは窺えなかった。
「…ごめん、初めてお客さん来たのに怒らせた」
「ううん、怒ってなかったよ。
きっとクロちゃんの気持ちが届いたんだよ」
はあたしに冷たいおしぼりを手渡し微笑む。
あたしはそれを目に当てて深呼吸した。
リンやシロから親父臭いとからかわれるけれどもこれが集中を解くのに一番効果的なのだ。
瞬間、視界から糸が消える。
「相性は分からないけど彼女は彼氏と別れたくても別れられないと思うけどな」
「あたしもそう思う」
奥の部屋で様子を窺っていたサバ子がやってきてあたしの隣の席に座った。
客がいなくなり、カウンターはあたしたちで占領されている。
「孤独は死よりも冷たい…ね。お前、結構ロマンチストなんだな」
「あたしは的確な表現をしただけ。真のロマンチストは男の方でしょ。
特にリン、あんたとか」
「んなわけねーだろ。オレは孤独を愛するワルなんだよ」
「昨日、帰り道に出会ったお年寄りの荷物持ってあげてたよね、ノスケ」
「よ、余計なこと言ってんじゃねーよ紫朗!
あれはナンパしてたんだよ。オレは熟女好きだからな」
「…はいはい」
そんなやりとりをしているあたしたちを見て哉汰とはにこにこと笑う。
これは日常茶飯事の光景。あたしはこの時間が一番愛しい。
夢見堂はあたしの大切な居場所だ――
――過去に想いを馳せているとアンティーク調のドアベルが音を立てた。
そこには見覚えのある女性が佇んでいる。
「いらっしゃいませ」
「ここってハーブティーの販売もしてるのよね?」
「はい、しております」
「前に飲んだお茶が欲しいんだけど」
「畏まりました。ご用意しますのでカウンター席へどうぞ」
彼女は椅子に腰かけると徐に口を開いた。
「…なんとか生きてるわ。暫く病院とは縁が切れそうにないけど」
「例の彼氏さんとは?」
あたしは彼女の隣に座った。
人のプライバシーに無暗に首を突っ込むのは趣味ではないのだが、
皆も気にしているようだし、このメンバーでこういうことを聞くのはあたしの役割のような気がしたのだ。
「仲良くやってる。
――あの後ね、彼氏に全部話したの。
格好悪いとか惨めとか思われてもいいから、心の底から怖いって伝えたんだ。
そしたらあいつ、顔色変えてこの辺の名医って言われてるお医者さんとか有名な病院を色々調べて回って、
もう一度診察してもらおうって言い出してさ。
…結局、この国で5本の指に入るくらいの名医の手術を受けることになったんだ。
そのおかげか傷口も思ってたよりも小さくて済んだし、術後の経過も良好なの」
「そうでしたか。お相手の方は一緒に戦ってくれたのですね」
「うん」
購入前の確認用試飲カップをは彼女の前に差し出した。
今日の彼女の手は全く震えていない。
「…良かった」
あたしは言葉と一緒に涙も零していた。
彼女は孤独ではない。彼女はもう寂しくて冷たい異世界を覗く必要なんてないのだ。
あの氷のような世界には住人なんていない方がいい。
「――ありがとね。
あなたのお蔭で生き延びたわ。
あいつとあのまま別れてたら私、ここにいなかったかもしれない」
「私は関係ないと思いますが」
「ううん、あなたバッサリ言ってくれるんだもん。
あなたの話聞いたら急に独りが怖くなったの」
「そうですか」
その後、「ご馳走様」と言いハーブティーの代金を支払った彼女は大切そうに商品の入った包みを抱えて夢見堂から立ち去った。
手を振るその左薬指にはシンプルな指輪が上品な輝きを放っていた。
「良かったね、クロちゃん」
「うん」
は皆の分の飲み物を用意しながらあたしに微笑みかけた。
その隣で哉汰は自分のことのように喜んで相好を崩し客が使用したカップを洗う。
サバ子は奥の丸テーブルで自分の商売道具の水晶玉を磨きながら「次はお相手も一緒に来ればいいのにね」と言うが、
それを見ていたリンが「もう結婚したか婚約してる奴らの相性占ってどうすんだよ」と突っ込んだ。
「心配しなくても彼女らの相性はいい筈よ。
何度別れを覚悟しても結局別れられないんだもの。
お互いの弱い部分を知ってて付き合ってるんだからこれからも大丈夫でしょうよ」
「ワタシもそう思う。ただ石がどんな形でくっついてるか見たかったんだよね」
「歪な形なのは皆同じじゃないのか?」
「歪は歪だけど石を見たらどっちがより相手に合わせてるか、より惚れてるかが分かるからね」
「なんかそれ悪趣味なんだけど」
カウンターの隅で突っ伏して寝ていたシロが眠そうな顔を上げた。
そんな彼の前にがアッサムのミルクティーを置く。
その横でリンが玄米茶を啜っており、その一つ開けた隣の席ではあたしがジャスミンティーを飲んでいて
鼻がいい哉汰なんかにしてみたら色々な匂いが混ざって気分が悪くなりそうな気もするけれど、
あたしは更にサバ子のココアの匂いと哉太のセルピルム茶、そしての飲み物の匂いが混ざったこの夢見堂の匂いが好きだ。
の飲み物はその時によって変わるものの、がどんな飲み物を飲んでいてもあたしの安心する匂いに変わる。
あたしはこの関係がこのまま続けばいいと思う。
皆が大切なものを同じくしているこの状態のまま年を取って大人になり老いていけたらいいと思っている。
けれど人の縁は切れたり繋がったりするものだから絶対はあり得ない。
しかも縁の見えるあたしも相性が見れるサバ子も自分のことは見ることができない。
自分に繋がる糸があたしには見えない。幼い時、孤独を極めたのはそのせいだ。
あたしは誰とも繋がっていない、誰にも必要とされていないのだと思っていた。
…けれど、それは違ったようだ。
と出会い、シロと引き合わされ、哉汰やサバ子、リンと巡り会った後、あたしたちは同じ夢を見た。
それはあたしたちに何かしらの縁があったということなのだろう。
――ただ、あたしには見えている。に繋がる太い赤い糸が。
その糸の先にいる相手は複数人。彼女の運命の相手は一人ではないようだ。
いつかも特定の誰かと結ばれるだろう。
それは遠くない未来のような気がする。
その時、あたしたちの関係が崩れてしまわないだろうか。
の幸せがあたしの幸せなのに、この関係が壊れてしまうのは酷く恐ろしい。
だから卑怯だけれどあたしは黙っている。
の運命の相手が身近に存在することを。
夢見堂メンバー、1人目クロの話です。表面上の性格はクールだけど童顔、実際は豆腐メンタルなイメージです。
既にお分かりでしょうがキャラは私の独断と偏見で猫に関するあだ名にしています。
おかげで無理やり感あふれる名前になりましたが(;一_一)
ちなみにクロの皆の呼び方は
対 ヒロイン→名前呼び捨て
対 シロ→シロ
対 ミケ→哉汰
対 サバ→サバ子
対 トラ→リン
対 サビ→草薙さん
ざくろの心象風景の縁の糸で埋まる世界を描きたくてこの話を書いたようなところがあります。
グロテスクなんだろうなぁと想像しながら書きました。
今回も読んでくださったお客様、ありがとうございました!!
裕 (2015.8.23)
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