Jの告白 −5−
先程の話の続きがしたいと言ってユージンが私の家に寄ることになった。
仕方なく私は狭い自室へと案内する。
薄いクッションを2つベッドの前に置き、ベッドを背もたれにして並んで座る。
こうやって部屋で過ごすのは何年ぶりだろうか。数学を教えて貰った時以来だから4年近く経っている。
あの頃はここまでバースを気にするとは思っていなかった。
バースはひとまず置いておいて、ルネという人に出会えたことが嬉しかった。
バースなんて無ければ、ペアなんて無ければ良かったのに。
そうしたら私はとっくにルネのことなんて忘れて別の誰かを好きになっていたかもしれない。
「これからどうするんだ?
ルネにペアができるまでずっとあいつのフェロモンに怯えて生きていく?」
「分からない。でも、今でも近づかないように気をつけてるし、
高校卒業したら会わなくなるだろうからきっと大丈夫」
「運命相手だよ。自分の意思とは無関係にこの前みたいなことが起こるかもしれない」
「だからって、ルネとペアを組む気は無いわ。
そんなの、私の心が耐えられない」
私は膝を抱えていじけた子どものように身体を丸める。
今はもう、ルネへの気持ちが本当に恋なのか本能的なものなのか分からなくなってきている。
「――はバースの影響を受けることが許せないんだよね?」
私を追い詰めたと思ったのか、ユージンは私の背中に手を添えて
殊更優しい声色で私に問いかけた。
「そう」
「それならペアを組んで解消すれば良い。
バースが消えたら体調を崩しやすくなるみたいだけど、バースに振り回されることはなくなる」
「ユージン、それは……」
最後の手段だ。私は思わずがばりと身体を起こした。
隣に座っているユージンは真剣な表情で私を見つめる。
「でも、バースを消したらリオンとの守護契約も解消しないといけないんだよね?」
「そうだよ」
あんなに喜んでくれて、私の力になると言ってくれたリオンを捨てるの?
そんなことはできない。
それに、私がクイーンであることを誰よりも喜び生きる希望にしている母を不幸にしてしまう。
「それは、できないよ。バースを捨てることは私にはできない」
「だったらルネ以外とペアになるしかない。そうすれば運命の影響も受けなくなる」
「そんな人いないし、適当な人と簡単にペアになんてなれないよ。一生の問題なのに」
私は力なく首を振る。
解消する為のペア探しならそういうコミュティに所属している人なら誰でも良いかもしれないけれど、
これからもずっとペアでいるなら、誰でも良いというわけにはいかない。
恋愛や結婚関係になくてもペアは組めると言うけれど、ただでさえバースに嫌悪を抱いているのに
バースだけで結ばれた関係の人とずっと縁が続いていくなんて嫌すぎる。
私は再び膝を抱えようとしたが、途中でぐっと手を掴まれた。
ユージンは両手で私の手をしっかりと握り絞め、大きな瞳でこちらを見ている。
「――俺がいる」
えっ、と私は小さい声を零した。
リオンともしかしたらユージンは……という話をしたことがあったけれど、本当に彼はバース持ちだったの?
真っ直ぐに見つめるユージンの迫力に飲まれ、私は手を握られたまま固まってしまった。
「ユージン、バース持ちだったの……?」
「そうだよ」
「全然気づかなかった」
「昔から俺はバースの感度が鈍くて発育も遅かったみたいでね。も感度が低い方だろ?
最近までルネのフェロモンに気づかなかったし、休息日も間隔が広いみたいだし。
それで気づかなかったんだと思うよ」
「……ああ、そうなんだ。そういうことだったんだ」
彼の言葉で今頃になって自分のフェロモン感度が低かったのだと知る。
確かにどのバースの本にも、基本的にクイーンは月に一度休息日があると書いているが、特に女性のクイーンは
排卵に合わせて休息日が訪れると書いていたのだった。
それでも個人差がある、とか、若者は周期が乱れやすいなどと書いていたから
こんなものなのだろうとすっかり安心しきっていた。
「俺はずっとが好きだよ。昔から頼られて嬉しかった。
でも、俺は今でも女に間違われるような情けない見た目だし、
運命のキングがいるに相応しくないって思って、ずっと黙って見守るつもりだった。
が幸せになるのを傍で見られたらそれでいいって……思ってた」
ユージンは無意識なのか親指で優しく私の手の甲を撫でる。
それが私にはくすぐったいような照れ臭いような不思議な感覚で、でも心地良くて、自分でも戸惑っていた。
「ルネとあんなことがあって、遂にがルネとペアを組むんじゃないかって考えて、この一週間、ずっと苦しかった。
が好きなのはルネで、運命なのもルネなのは分かってて、二人なら幸せになれるって頭では分かってるのに」
「……それなら何で今日、あんなにルネのこと」
「確かめたかったんだ。がルネと今後どうなるつもりなのか。
……確かめて、もし、ルネが嫌だっていうなら俺とペアになって欲しいって言おうと思ってた」
ユージンは両膝をついて私の方に前のめりになりながら、私の手を強く握る。
大きな瞳は不安そうにゆらゆらと動き、硬く握る掌は汗ばんで少し震えている。
私はこれまでユージンを恋愛対象として見たことはなかったのに、
今の彼はとてもいじらしくて愛らしく思えた。
「ずっとの傍にいたい。俺を好きになれないならペアだけでいい。
他の人と付き合っても結婚しても文句は言わない。
でも、の特別でありたいんだ。ペアは婚姻関係よりも優先される」
「……ねえ、ユージン。
ずっと傍にいたいなら守護契約じゃ駄目なの?」
「俺はが誰かとペアを組むのが耐えられない。
それだけは見ていられない。
――俺には守護契約は無理なんだよ、」
ずっと友達のままで傍にいられたら、なんて身勝手なことばかり考えていてごめんなさい。
ユージンの気持ちを考えることも放棄していてごめんなさい。
私はこんなにも必死に私を想ってくれているユージンに申し訳なくて泣きつきたい気持ちだった。
ルネのことを相談したり、バースに関する愚痴を言ったり、自分のことばかり。
「ごめんね、ユージン。
私、今まで無神経すぎた」
お前は気にしなくていい、と言ってユージンは儚げな笑みを浮かべる。
「――私、ユージンのこと大好きだよ。
私もユージンがずっと傍にいてくれたらって何度も考えたことある。
でも、私の好きとユージンの好きは違う。
……私の好きは身勝手なものなんだよ。
恋とかペアとか難しいこと考えたくなくて、それでずっとユージンと友達のままでいたかった」
「うん、知ってたよ。は素直だから考えてること全部分かる」
涙が止まらなくて俯いた私の頭を、ユージンがいつものように優しく梳くように撫でる。
この手に今まで何度救われてきただろうか。
「ユージン、私がペアにならなかったら他の人とペアを組むの?」
「……どうだろうな。組むにしても事務的なペアになるかもね」
「そしたらもう傍にいられない?」
「うん。多分、の気配が感じ取れなくなっちゃうだろうな。
が困った時に助けに行けなくなる」
「それは、嫌だな」
「俺も嫌だよ」
私はユージンの肩に頭を乗せた。
彼は泣いた子どもをあやすように私の背中をぽんぽんと軽く叩く。
もし彼が誰かとペアを組んで、その人のことを好きになったり、
情が湧いて傍にいるのも悪くないなんて思うようになったら、今の私のポジションがその人になるのだろうか。
――それを想像するのは酷くつらかった。
初めて彼の温もりを感じる距離まで近づくと、暖かい春のお花畑にいるような香りがする。
お日様と甘いフローラルな香りが混ざった心地よい香り。
ずっとこの中に埋もれていたい。
ここは安全で安心な場所なのだ、と私は思う。
「ユージン、抱きしめてみて」
「えっ、大丈夫?」
「ユージンに抱きしめられて嫌じゃなかったらペアになる」
「……怖かったり気持ち悪かったりしたらすぐに言ってね」
「うん」
それまで身体を離していたユージンが怖々といった様子で近づき私の背中に手を回す。
頭と肩しか接触していなかった先程と比べて、お互いの胸部がピタリとくっつき私の右耳に彼の右頬が触れて温かい。
ユージンの身体全体が脈打っているのではないだろうかというくらいに彼の鼓動を感じる。
触れているところから彼の体温がじわじわ上がっていき、私の腰と肩を抱くように回された手はガチガチで、
こちらにも彼の緊張が感染りそうなほどだ。
「大丈夫?」
「うん、何ともない」
私も彼の背中に手を回す。
先程の花畑のようだった淡い香りが薔薇のような濃い香りに変わり、私たちを包んでいく。
ルネのことがあってからフェロモンの強い香りは苦手だったのに、今はとても気持ちが良い。
うっとりとして私は目を閉じる。
「ユージンの匂い、好き」
「それなら相性がいいんだね。俺もの匂い好きだよ、バニラみたいな美味しそうな匂いがする」
「ふふっ」
バニラと薔薇が相性良いのか、と楽しい気持ちになりながら私は彼の首筋に頬を摩りつける。
以前食べた薔薇のソースがかかったバニラアイスを思い出しながら、私はユージンとペアになることに決めた。
次の話に進む メニューに戻る