彼の姿を確認した瞬間、ぼんやりとしていた景色がはっきりと見えてくる。
はアステムの表情を見て酷く申し訳ない気持ちになり、彼に合わせる顔がないように思え
いっそ逃げてしまおうかとも考えて彼に背を向けたがどうしても足がそこから動かなかった。
このまま誰にも会わずに消えたい気持ちでいたけれども、もしかすると彼に迎えに来て欲しかったのかもしれない――
はそう考え、己の身勝手さを酷く呪った。
「、ここにいたのか」
「……すみません、黙って出てきてしまって」
がそう言うとアステムは少し口角を上げた。それでも彼の瞳は悲しげに見える。
しかし今のには理由が分からなかったし、何より彼の気持ちに寄り添うだけの心の余裕がなかった。
「――まだ顔色が悪い、宿に戻るぞ」
「……はい」
普段のアステムからは考えられないことではあるが、彼は何も言わずにの手を握り彼女の先を歩いていく。
そんな彼にますます気後れし、は彼に話しかけることもできず後に続いた。
どうしようか、どうすればよいのだろうか――は頭の中で繰り返す。
は全ての記憶を思い出したのだ。高い魔力を持つ者を捜していたエウリードに目をつけられ、そのせいで村が壊滅し皆が死んだことを。
自分さえいなければ今でも両親や村人たちは変わらぬ生活を送っていた筈だ、という思いに精神が耐えきれず自ら記憶を閉ざしてしまったことも。
そんな自分が幸せなど望んではいけないのに。それなのに、アステムの手を離したくないという自分が存在している。
彼はこの任務が終わったら旅に出てしまう。彼だけではなくリットンもいなくなってしまうし恐らくレディネスも自分の住む場所へと戻っていくだろう。
カイトはこのまま傭兵を続けるかもしれないが、変わらず自分と組んでくれるかは分からない。
大人数のパーティを経験してしまった自分には酷く寂しく思えるし、何より傭兵を始めた頃の気持ちそのままに仕事を続けられそうにない。
それ以前に、アステムとの別れを耐えられるのかすら疑問だ。
いっそ死んでしまえば罪を償えるのかもしれないとも思ったが、皆が今回の任務を受けてくれたのは自分を救う為であるのに簡単に自ら命を投げ捨てるのは申し訳ないし、
死を選ぶのは死んでいった村人たちへの冒涜にしかならないと考え直した。
これから先、自分は恐らく罪を償う為に人の役に立とうとするのだろう。
純粋に人の喜ぶ顔が見たいと思っていた傭兵になりたての頃とは根本から精神が違うのだ。
そんな自分がカイトと一緒に仕事をしていけるだろうか。今までのような一般人相手の傭兵の仕事ができるだろうか。
――そんなことを考えていたらいつの間にか宿に着いていた。
「疲れているところをすまないが、少し話を聞いてもらいたい」
「はい。何でしょう」
部屋に戻ってきた二人は静かに隣り合った椅子に腰を下ろした。
何を考えているのか不明だがアステムは静粛に己の手を見つめている。
余程、大事な話があるのだろうとは思った。
「レラの村でのことを覚えているか?」
「……はい」
はあの日の空を覆っていた黒煙が肺に流れ込んだような息苦しさを感じながら頷く。
あの光景はきっと死ぬまで忘れない。人が狂って傷つけ合い苦しみ殺され死んでいく様を二度も見てしまった。故郷での悲劇を繰り返してしまったのだ。
偶然に立ち会ったとしてももう少し早く自分たちがレラの村を訪れていれば変わっていたのだろうか、と悔まずにはいられない。
「恐ろしく悲しい出来事でした。人と魔硝石、そしてあの魔獣の恐ろしさを実感しました」
「ああ……」
ヒトを憎むべきではないとは思っている。憎むべきは魔硝石、そして魔硝石を悪事に利用する者だと。
誰しもヒトは心に何かしらの闇を抱えて生きているし欠点がある。ヒトが皆清らかな存在ならば争いは生まれはしないが恐らく進歩もない。
ヒトがそれぞれ違いを持ちその違いが摩擦を生むことでヒトは成長でき真に優しくなれるのだと思う。
摩擦を前にしたヒトは己を抑え相手に合わせるか、もしくは相手に合わせず自分の意思を貫くだろう。どちらがいいとは一概には言えない。
その時に応じて最善の判断を下せるようになることが大人になる必要条件なのかもしれない。
は善い悪いを含めてヒトを愛しいと思う。些細なことで怒り悲しみ、ささやかなことで笑顔になれる。
意思を持って行動し、命ある限り変化する可能性を持ち続ける。
これはヒトの特権なのだと思う。そんな彼らはどんな性質であれ愛しい存在なのだ。
「……私、あの村を見て記憶が戻りました」
「そうなのか?それは――」
よかった、と言おうとしたアステムは言葉を呑み込んだ。
明らかに惨憺たる面持ちで彼女が俯いていたからである。
「サウスランドにある私の村もあの魔獣に襲われたんです。……私のせいで」
「違う、お前のせいではない」
咄嗟に伸ばされたアステムの手がの腕を掴む。
その力強さに酷く安心感を覚えた。
は自分が崖の上から飛び降りそうな心境だったのだと悟る。
「全てはエウリードの……いや、あいつをも狂わせた魔硝石のせいだ……。
しかし、心がもう少し強ければ、強かったら――っ」
隣の彼は固く握った拳を震わせた。
そういえば喪神した村人に襲われた時の彼は尋常でない程に激昂していたとは思い出す。
あの彼の激つ姿も恐らく魔硝石がさせたものであることは明白だ。
何故ならあの時の彼の瞳は紫色で、普段は澄んだ緑色であり、いつもの彼は沈着冷静を絵に描いたような性格なのだから。
それだからこそ彼はあの時の自分を悔んでいるのかもしれない。
殺すなどと恐ろしいことを言ってしまった己の心を恐れているのかもしれないとは思った。
「――俺も魔硝石で故郷を失った。
魔硝石で狂った人間たちの手によって滅ぼされた」
「え……」
は目を見開いてアステムを見つめる。
俯き黙然と座っている彼の表情は長い髪で隠され窺うことができない。
「AHD2540年の時だ。俺は144歳だったか…ああ、人間で言うと子どもの年齢だが。
俺には姉のような存在の幼馴染がいた。名をシェルビオラという。
その日もいつものように二人で村の外で遊び帰ってきた俺たちは異変を知った。
黒い煙が立ち込め、地には多くの者が倒れていた。目を紫色にした人間たちに殺された仲間たちだった。
生きている者の中には人間らの持つ魔硝石の気に中てられて正気を失った者もいて、仲間同士で……殺し合っていた」
何も言えずはただ黙ったまま耳を傾けていた。
以前、レディネスとアステムが話していた時に出てきたシェルという名が上がり一瞬ドキリとしたが
それ以上に彼の悲しみと絶望感が伝わってきて忍びなかった。
「そして立ち尽くしていた俺たちにも人間たちが襲いかかってきた。
……俺の前でシェルは殺され、そのまま奴らに連れて行かれた。
俺も傷を負ってはいたが致命傷ではなかったようで、後からやってきた魔王軍によって救助された。
そこでレディネスと出会い事情を話した。しかし、どんなに捜してもシェルの遺体は見つからなかった」
彼の表情が次第に厳しくなってくる。
心境が悲しみから怒りへと変わっているようだった。
「そのうち、富豪の間でエルフの少女の剥製が高値で売買されているという噂を聞いた。
特徴からシェルだと確信した俺は情報を得る為に傭兵となった。それでもシェルの行方は掴めない。
……次第に時間だけが経過して益々情報は得難くなり、俺は心のどこかでシェルを見つけ出すのを諦めていた。
そうして生きる目的が薄れて次第に人間への憎しみだけが深くなり、人間を象徴する機械にも憎悪を抱くようになっていった」
「それでレジスタンスに参加したんですね」
「ああ」
「だけど、貴方は何より自分のことが許せない……?」
「……ああ、そうだ」
――誰よりも憎いのは、自分が楽になりたいが為に彼女のことを諦めた俺自身なんだ……っ!
はアステムが村人たちの会話を聞いて心を乱した理由を理解した。
それと同時に彼の悲鳴にも似た叫びを思い出した。
彼を許せるのはシェルビオラだけなのだ。
自分だけが生き残り彼女を捜すことを諦めた己を彼はきっとこれから先も許さない。
「それでも、今回のことで俺は魔硝石を憎む気持ちが更に強くなった。
エウリードをできるだけ早く止めたいと思う。……お前の為にも」
は心の中で嗚呼と声を漏らした。
多くの人が傷つき亡くなったのに、今でも自分と同じ顔をした複製が誰かを殺そうとしているかもしれないのに、
アステムの傍にいたいと願ってしまう。
彼が自身を許す日が訪れるまで彼を支えたいと思うのは赦されないことでしょうか――
はサウスランドの神であるテラとブルー諸島の神であるミーシャに祈りを捧げる。
「……アステムさん。
この任務が終わった後、アステムさんの旅に私も連れて行ってくれませんか?」
切迫した表情ではアステムの顔を見据えた。
彼ははっとして彼女を見つめ返す。
「私はアステムさんが自分を許せるようになって欲しい。
……シェルさんを見つけ出すことでそれが叶うなら、私も一緒に彼女を捜したいです。
それに、この世に魂を繋ぎとめている体という柵から彼女を解放すべきだと思います。
彼女の為にも貴方の為にも、……そして貴方を愛している私の為にも、です」
綺麗ごとなんて言えなかった。
シェルビオラに嫉妬したし、彼女が死んでしまった以上永遠に同じ舞台に上がれないことを悔しくも思う。
それでも死しても尚、剥製として命を辱められるように金持ちの間を転々としているであろう彼女を気の毒に思うのも真実だ。
アステムも、アステムが大切に想っているシェルビオラも救われて欲しい。
これは罪を償う為に生きなければならないと考える今の自分における唯一の生きる目的だ――
はアステムから目を逸らさず強い眼差しを向ける。
「私の好意が迷惑なら拒否してください。でも、旅には同行させて欲しいんです。
……自分勝手なことを言っているのは分かっています。だけど、傍にいたいんです。貴方を独りにしたくない」
「……」
「ありがとう」と言いアステムはの手を握った。
それまで固く拳を握っていた彼の手は優しく彼女の手を包む。
先程の苦しげな顔が少し和らぎ、穏やかな眼差しでアステムはと対峙する。
「逃げるのをやめてもう一度シェルを捜そうという勇気を得たのはのおかげだ。
……お前の懸命な姿に力を貰い、俺は廉直なお前に見合う自分になりたいと願った。
まだ目的の中途だが、そんな俺と一緒にいてくれると言うのか?」
「はい」
がそう言うとアステムは再び「ありがとう」と言って優しく彼女の頭を撫でる。
その温もりは慈雨のように苦しみ傷つき抉れた彼女の心に降り注いだ。
まさかの約二年ぶりの更新( ・д・) も、申し訳ございません><
カイトとレディネスは書いていたのですがそこからなかなか進まず…。
アステムやリットンと少し書き方が変わってしまっているように思えます。
いやぁ、年を取ると説教臭い書き方になって嫌ですね…。気をつけなきゃ。
漸くアステムのイベントです。
これまでの流れで何となく分かっている人もいたのではないかと。
なんとなくアステムルートのヒロインさんは他のルートに比べてちょっと強かな気がしますね。
まぁそうでもしないとアステムさん朴念仁っぽい人なんでね、恋愛まで進まないからさ…。
さて、今回はイベント関係なく最大のヒロインイジイジ箇所ですので
正直お客様は萎えまくりだろうなと思うのですが、恐らくここが最後と思います…よ。
第3章も次の節で終わり。最終章に向けてスパートかけていきたいと思いますので
どうぞこれからも宜しくお願い致します。読んでくださいましてありがとうございました!!
裕 (2013.5.2)
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