自分はミュウが好きなのだとはこの時、漸く自覚した。
だから彼がナヲミと仲睦まじい様子を見た時に、どこか胸に寒い感情が走ったのだ。
けれど、自分は彼とどうこうなりたいという気持ちはない。
ミュウには幸せになって欲しい。いつまでも自分の好きな無邪気で明るいミュウでいて欲しい。
その為なら何でもしよう、とは思った。
だって自分は愚者なのだから。自分と世界を比べるよりもずっと簡単だ。
自分とミュウなら彼を選ぶに決まっている。
 彼の傍にナヲミがいてくれたらきっとミュウは以前の彼に戻ってくれる。
だからきっとナヲミを見つけ出す、と強くは思った。
大切なものを見つけた今の自分なら何でもできる気がした。不可能なことも可能にできる筈だ。
“だから、ほら、自分の望んだ物が机の奥から出てきた――”
は取り出したそれをジャケットの内ポケットに突っ込み、外へ飛び出す。


 研究所の外はこれまでと変わらず黒い雲に空が覆われ、辺りも霧が立ち込めている。
雲の中で時折光が見えるので雲の中では雷が発生しているようだ。
けれどはそんなことは気にも留めず、ただナヲミを求めて走った。
きっとナヲミはこの先にいる、と思い続けて走り続けた。
 すると、遥か前方に倒れ込んでいる小さな人影を見つける。
は確信をもってその人物に駆け寄った。

「――ナヲミさん!!しっかりしてください!」

 予想通り、倒れていたのはナヲミだった。
彼女の顔色は青色を通り越して土気色になっている。
多臓器不全を起こしているかもしれない、とは瞬間的に判断した。
 ナヲミを背負い、は立ち上がる。
そして来た道を一目散に帰った。


 研究所へ戻ったはそのままナヲミを二階の手術室の隣にある準備室へ運んだ。
そしては自身の消毒をしてある程度の準備をした後、
走り書きになってしまったが、遺書兼同意書にサインをする。

、やめて!!!」

 家族用待合室の自動ドアが開くと同時に入ってきたミュウが叫んだ。
ドアの前で懐に手を入れたは、冷たくて重い銃をしっかりと握って威嚇するようにミュウに向ける。

「どういうこと!?何で銃なんて持ってるの?
 何でそんなことするんだよ!!」
「ナヲミさんの培養組織が完成するまでにはまだ時間がかかります。
 だから、それまで彼女を生かす為に私の臓器を移植します」
「そんなことしたって無駄だよ!彼女は助からない!!」
「いいえ、助かります。私とナヲミさんの血液型は同じですし、奇跡的にドナー候補となっています。
 今日は外科部長が会議の為にこの階にいます。発砲音を聞いたらすぐに駆けつけてくれるでしょう。
 そしてそのまま新鮮な臓器を彼女に移植できます。機材の準備もできていますので問題ありません。
 ――ミュウ、絶対に移植は成功します」

 は微笑んでみせた。
その表情は自信と幸福感に満ちている。

「違う、違うよ!そんなこと、どうだっていいんだよ!!
 ボクはナヲミなんてどうでもいいんだ!彼女はしょせん僕が創り上げた偽物なんだよ!
 がいなきゃ、ボクは――っ」

 移植手術は絶対に成功するし、ナヲミは元気になる。
そうすればミュウだって絶対に喜ぶ筈だ。
そしてきっと二人は幸せになるのだ、そう考えるの心はぶれなかった。
ミュウの悲痛な叫びは彼女には届かない。

「ミュウ、ごめんなさい。
 貴方と一緒にいたいですが、私はやはり愚者なのです。
 好きな人の為なら私は――」
「やめてっ!話を聞いて、!!!」

 ミュウが絶叫するのも空しくは左手でハンドガンのスライドを引き、自分の顎の下に銃口を当てて引き金を強く引いた。
辺りには銃声が続けて二発響き、ミュウの目の前で赤い液体が飛散する。
その後、どさりという鈍い音を立ててだったモノが地面に倒れた。

「ど…どうして……?
 ここはボクの望みが反映される世界の筈なのに……」

 ミュウは膝から崩れ落ちる。
彼の耳にはもう何の音も聞こえなかった。
押し寄せて来る筈の人の足音も、の微かに呻いた声も。

「…そうか。ボクがを好きになって自由を与えすぎたから、
 この世界はの願いの影響を受けて変容して…彼女の望み通りに彼女を死なせてしまった……」

 咽び泣くミュウの周りの世界が歪み始める。
研究所の壁にひびが入り、建物内に靄が立ちこめていく。

「――もうボクの意思だけでこの世界を保つのは限界なのか」

 ミュウはゆっくり立ち上がり、の亡骸へ歩み寄る。
白い制服の肩口辺りから胸の方まで赤黒く染まっている彼女の姿は、後頭部が欠けた筈なのに何故か女神のような神々しさを放っていた。
恐らく自分の防衛本能が彼女を美しく見せているのだとミュウは思う。
でなければ回復不能なくらいに狂ってしまうだろうから。

「ボクが創り上げた架空の世界でも、君が死ぬなんて耐えられない…。
 ――目を覚ますよ」

 その言葉を発した瞬間、周囲は真っ白な光に包まれる。
辺りの景色は光の粒子となってそのまま空間に溶けていく。
 この世界が最期の時を迎えるのだ。
好きな者を呼び込んで偽りの記憶を埋め込み、ALという理由を作ってナナミすらも存在させようとした挙句、
ナナミのALを埋め込む為の器としてナヲミという架空の人物まで用意した。
残酷なまでに純粋にミュウは自分の為の、自分に優しい世界を創ろうとしたのだった。
 けれど、ミュウはと接するうちに彼女の優しさと寂しさに惹かれていった。
自分の気持ちを分かってくれて、更には自分よりも可哀想なの存在にミュウはナナミ以上の救いを求めたのだ。
だから彼女がナヲミを優先することが次第に許せなくなってしまった。
そしてナヲミを消し、この世界の謎に気づいたミカサも消した。
いずれからその二人の記憶も完全に消し、ここはミュウとだけの平和で幸せな世界となる筈だった。
それなのにが「ナヲミは絶対に見つける」という思い込みにも似た執念で捜したせいで世界がそれに呼応してしまったのだろう。
したがってこの悲劇は起きてしまった。
全てはミュウのせいであり、にとってはミュウの為であった。

「…皆、ごめん。ごめんよ、――」

 の形をしたものも光の一部となったのを見届けてから、ミュウは光の中心へと歩いて行った。
その姿は本来の10歳の少年の姿をしていた。




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