休憩所を出たはふとミカサの顔を想い浮かべる。
ミカサもミュウと同じかそれ以上に食事に気を遣わないタイプだ。
きちんと食事を取っているか怪しく思ったは彼を食事に誘うことにする。
“よろしければ一緒に夕食をとりませんか?
18時に5F休憩所にいます”
ミカサに携帯端末でメッセージを送るとは仕事を再開する為に自室へと戻った。
予定していた18時を目がけて仕事に取り組んでいたのもあり、18時5分前に仕事が一段落する。
は伸びをしながら椅子の背もたれに凭れかかった。
一呼吸おきゆっくりと立ち上がると、ステートを“移動中”に変更して食堂へと向かう。
そしてテイクアウト用のBセットメニューを頼み、売店で食後用のフランボワーズを購入した。
「お疲れ様です、ミカサ。来てくれたのですね」
「ええまあ、一日一回くらいはゆっくり食事をしてもいいと思いまして」
「いやだ、貴方また食事を抜いたのですか?」
「朝だけです。昼はビスコットを食べてエネルギーは十分確保していますし、サプリメントも飲んでいますから」
「野菜ジュースを飲む私が言っても説得力はありませんが、サプリメントは補助的役割を果たすものです。
基本は食物から摂るべきですよ。何より、咀嚼することは脳の活性化にもつながります。
脳の働きが落ちた状態で仕事をしても効率が悪いし質も下がりますよ」
「本当にまあ、君はいつだって効率だとか合理的だとかそればかり…」
扉が開いた早々にから説教されたミカサは彼女やミュウにしか分からないであろうむっとした顔つきで腰掛けた。
一方、彼のこんな物言いに慣れているは涼しい顔でステートを変更して
給水機から自分と彼の分の炭酸水を抽出し机の上にコップを置く。
「結局、君は仕事やAL研究のことしか頭にないんでしょう?
自分や僕たちの体調を気にするのも効率や能率が下がるからで…」
「あら、そんなつもりはありませんよ。
貴方がたは色褪せた世界に住んでいた私に鮮やかな世界があることを気づかせてくれた大切な存在です。
ナナミ亡き今、ミカサとミュウの二人の幸せが私の幸せであり願いです。
ALを早く完成させたいが為に貴方には無茶なことを言ってはいますが、無理はしなくてもいいのですよ?
もしも貴方を失ってしまったらきっとミュウは立ち直れません。勿論、私も」
「全く君は…。そうやって僕を丸めこんで結局無茶をさせるんです」
「そんなつもりはないのですが…私の言葉が逆に癪に障ったのならすみません」
は本心を言ったつもりであったがミカサはいっそう不機嫌になってしまった。
チクリと嫌味を言うミカサの態度は慣れているけれど、それでも彼の言う通りに自分の言葉で無茶をさせているのなら
それは恩を仇で返していることになってしまうと思い至りは萎れる。
「…すみません。疲れていたので大人気なく君に八つ当たりしました」
目の前でブラックオリーブ入りポテトサラダを突き回して見るからに消沈した彼女を一目したミカサはため息を漏らした。
そして静かに「無茶はしていませんし、君のことも本当に合理主義一辺倒だと思っているわけではありません」と付け加える。
そんなミカサの言葉には思わず笑みを零した。彼の言葉が純粋に嬉しかった。
「何です、そんなに笑って」
「すみません、何だか嬉しくて」
はミュウが以前、言っていたことを思い出す。
ミカサが露骨に嫌味を言ったり渋い表情を見せるのは彼にとって気を許せる相手だからできることなんだ。
だから自分はミカサが不機嫌になると嬉しいんだ、ミカサにとっては不快だろうけどね――と。
ミュウはミカサが不機嫌さを表現することが彼にとっての甘えの表現なのだと考えている。もその考えに共感していた。
したがってミカサの棘のある物言いも笑顔で受け止められる。まあ時々は萎れたり拗ねたりもするけれども。
「人が素直に謝ったことがそんなに嬉しいですか」
「いえ、貴方が私に八つ当たりしたことが嬉しいんです」
「え…君、苛められるのが好きなんですか?」
ミカサは驚きの表情を浮かべている。そんな彼が愛らしくて再びは笑った。
自分はミカサにとって感情をぶつけることのできる気が置けない存在なのだということが嬉しかった。
彼に甘えられることで自分の存在を肯定されたような気がしたのだ。
「…僕はもっと素直になった方がいいでしょうか?」
「私はそうは思いませんけど。ミカサは十分素直だと思いますよ」
ミカサは何となくの心中を察したようだった。
そして面白くないという顔をして見せる。
やはりミカサは聡い、とは思う。
「納得がいかないようですね。
それなら貴方は自分をどのように考えているのですか?
是非とも貴方の自己分析を聞かせていただきたいですね」
「…僕に語れるようなことはないですよ。
気になるなら公用プロフィールを見ればいいでしょう」
「ふむ、つれないですね。分かりました」
は言われた通り携帯端末にログインしてミカサのプロフィールを開く。
公用プロフィールとはいえ、所員の中には敢えて見た人が親しみを抱くようなコメントを書いている者もいる。
確実な仕事ぶりは当然ではあるが社会性のある人と仕事をしたいと考える依頼人へ向けたアピールだという。
一方、ミカサのプロフィールといったら最低限の情報しか書かれていない。
AHD2841年12月5日生まれ、O型、趣味は読書という項目の他には請け負った仕事の一覧表が載っているだけだ。
しかしながらその仕事一覧はこの業界の人間がみれば頌徳するに値する業績である。
「…この公用プロフィールからは読書が趣味で無駄を好まず実力主義なことが伺えます。
ですが温かみは感じませんね」
「温かみは仕事を請け負うのに無用でしょう。
僕は営業ではないですし依頼者と直接接する機会もありません。相手が求める技術を提供することが仕事です」
「勿論、正確で確実な仕事は最重要です」
そう言い、は口を噤んだが何か言いたげである。
ミカサは彼女の考えていることが薄らと分かっていた。
彼女は仕事を任せるにしても人間味のある相手に任せたいと思う依頼者もいる、と言いたかったのだろう。
業界内には一緒に造り上げていくという共同意識を大切にする依頼者も少なくない。
たとえ交渉や注文の不利になるになるとしてもあまり依頼人に感情を入れたくはなかった。
――感情を入れると何が何でも相手の要望を叶えたくなってしまう。
ミュウやのAL製作において無茶な注文ばかりきいて徹夜を繰り返すのもその為だ。
勿論、彼らの願いを叶えてやりたいということが第一の理由であるし、
もしかするとそのALを見たらナナミという少女のことを思い出せるかもしれないと考えたからだ。
忘れてしまっている記憶を思い出すことに怖いという気持ちもある。
しかし、何故自分だけが忘れてしまったのか、自分にとってどんな存在だったのか純粋に知りたいと思った。
それにどうしてかは分からないけれど自分がここにいること自体に違和感を覚え始めている。
ナナミを失い落ち込みが激しくなったミュウの為に何かしたいと考えたことがここにいる理由なのだろうとは思う。
けれど細かいところをはっきりは思い出せない。
最近、ナナミ以外の過去についても薄らとしか思い出せなくなる時があるのだ。
それでもそんなことを話すと恐らくは今以上に同情するだろうと考え、ミカサは一人自分の胸に押し込めた。
「ミカサ、とにかく身体には気をつけてくださいね。
あ、そうです。何か好きなものなどはないですか?
たまには好きなものでも食べてリフレッシュしたらどうです?」
「好きなもの…ですか。
そういえば、久しぶりに母の作ったアップルパイが食べたくなりました。
僕らがあまり好まないのでシナモンは少なめで、うんと甘くしてあるんです。
健康には悪いでしょうが、疲れた時に無性に食べたくなる」
「まあ、そうなのですか!
二人の為に焼いてくれていたなんて優しいお母様ですね。
たまには一日休みを取って帰宅したらどうですか?」
「またそんなことを言う。僕を無理させている張本人の君が」
ミカサが意地悪くそう言うと、は「うっ」と詰まったような声を出した。
傷付けたいわけではないが、普段あまり表情を変えない彼女の困った表情を見るとなんだかミカサは嬉しくなるのだった。
なのでその欲に負けていつもつまらない嫌味や意地悪を言ってしまう。
しかしそんな性格も彼女は分かっているのだろう、と思っている。
そしてその自分を間近で見ているミュウも…。
「できるだけ無理はさせないようにします。ミカサも、ミュウも」
「その分、君が抱え込んでも困るんです」
「それも気をつけます」
至極真面目に返答したに向かってミカサは苦笑した。
ミュウと同じでも一度決心したら心は動かさない。
辺に意地を張らせて彼女を追い込まない為にも自分が引くのが正しい、とミカサは思った。
「心配はいりませんよ。
アップルパイなら時々売店にスティック状のが置いてありますのでいつでも食べられます。
味はやはりちょっと違いますが。
――とりあえずALの基盤を構築するのが一段落するまでは変えるつもりはありません。
それが終わったらゆっくり2週間くらい休暇を取ります」
「はい、そうしてください」
はミカサに向かって微笑みかけた。
彼の好きなものを今まで知らなかったことに少々ショックを受けたものの、
知らなかったミカサのことを知れた嬉しさの方が大きかった。
それにミカサはこうと決めたらそれを貫き通す意志の強さと情熱を保ち続ける心を持っている。
は彼の言うように実家へ帰宅する日がそう遠くないうちに訪れることを祈っているし、
そうなるように自分も頑張らねば、と改めて思った。
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