二階にあるナヲミの病室から出たユウはステートを確認する為に携帯端末にログインする。
端末には数件のメッセージが届いていた。その中の一つを開く。
送信者はミュウで、メッセージが送信されたのは今から5分程前である。
内容は五階の休憩室でミカサも含めた三人で一緒に食事をしようというものだった。
 丁度、食事をとる為に食堂に向かおうとしていたユウは携帯端末の音声コンタクト機能を使い、ミュウにコンタクトを試みる。
2回の呼び出し音の後、ミュウの声が飛び込んできた。
 ミュウとミカサの二人は既に昼食を購入しているとのことだったのでユウは食堂でサンドイッチの詰め合わせパックとサラダを購入し、
ユウたちの研究室の向かいにある休憩所へ向かった。ちなみに四階のミカサの研究室の向かいにも同じレイアウトの休憩室がある。
 休憩所は文字通り所員が休憩する場所だ。テーブル2つとそれぞれ4つの椅子があり、雑誌や本などの娯楽品もある。
その奥は仮眠室となっており、ロッカーやベッドが置かれている。
 多忙のユウたちは職場に泊まることが当たり前のようになっており、ロッカーに着替えを常備していて
三階の洗濯室で洗濯乾燥をしている間にベッドで睡眠をとるというような生活を送っているのだった。
ベッドで寝る時間も惜しい場合はユウのブースに敷いているラグで横になっている三人は周囲からよく過労死に気をつけろと忠告されるが、
正直あり得る話だとユウは思いつつも生活を変える気はなかった。
職場の仕事とミュウの手伝い、更にはナヲミの病気の研究をする為には時間がいくらあっても足りないのだ。

「…お疲れ様です」
「二人もお疲れ様です」
「今日もナヲミのところへ行ったの?」
「はい、行ってきました」

 スライドしたドアを抜けたユウはミュウの前に腰を下ろし、三人はコの字型に座る。
ミュウは硬めのトマトソースを絡めたパスタをクレープで包んだティン島料理を、
ミカサはネープル料理である茹でた卵と挽肉を詰めて揚げたパイをテーブルの上に並べていた。

「ナヲミ、どうだった?」
「昨日と変わらずです。ただ毎日のように検査があるので睡眠をとっても疲労が少し残っているとのことでした」
「そっか…」

 ユウはレタスとハムとトマトの入ったサンドイッチの端を少し齧る。
ナヲミは自分にとってナナミに関係なく救わねばならない大切な存在だが、
ミュウやミカサはどのように考えているのだろうかとユウはふと思った。
ミュウはナヲミの病について最近調べているようだから親しみを感じているのだろうが、
殆ど関わりを持とうとしていないミカサは何とも思わないのだろうか。

「あの、ナヲミさんのことをどう思いますか?」
「ナヲミのこと? …君も言ってたけど、本当にナナミにそっくりだよね。
 初めて会った時、何だかナナミが長い旅から帰って来たみたいな気がしたよ」

 ミュウは懐かしさと切なさを含んだ微笑を浮かべる。
彼のそんな表情を見てユウの胸は締めつけられた。
彼の気持ちを痛い程に理解できたからだ。

「重い病気だけど、彼女が明るく振舞ってることが救いかな。
 …できるだけ苦しむところは見たくないんだ」
「そうですね…。こうやって彼女と出会ったのも縁ですし、何か力になりたいのですが」
「君が見つけた有効成分を使った薬は、まだ治験の段階ですらないんだよね?
 他に何かいい方法があればいいんだけど…」
「…そうですね。研究チームが発足したとのことでしたので色々とアイデアを提案してはいるのですが。
 とりあえず、今の私たちにできることは研究を続けることと彼女を励ますことだと思います」

 持っていたサンドイッチを下ろし、ユウはミュウの顔をじっと見つめた。
彼は真剣な表情で頷く。童顔だからか彼の真面目な表情はどこか悲痛に見える。
しかし、次に息を吐き出した時には彼の顔はいつもの明るいものになっていた。

「…ボク、何だか最近、ユウもナナミに似てきた気がするんだ。前向きな姿勢とか。
 ミカサはそう思わない?」
「え、僕にそれを聞くんですか?
 ――何度も言いますが、ナナミという人に関しては全く覚えていません。
 なので君らの情報がそのまま僕のナナミ像です。
 そのナナミ像とユウを比較したとして…僕には似ているとは思えませんね」
「ちなみに、貴方のナナミ像とはどんなものなのですか?」
「明るくてお転婆で、ミュウや僕をグイグイ引っ張っていくような人だったとしか聞いていませんので」
「うん、そうだね。そのままの子だったよ」

 ミュウがそう言うと、ミカサは僅かではあるが表情を暗くした。
恐らく彼のその変化に気づく者はこの場にいるミュウとユウだけだ。
ミカサもユウと同じく表情の変化に乏しい。
子どもの頃の彼女と違い感情を知らない為に無表情でいるわけではないのだが、
元々冷静な性格で表情にすら大きな変化を見せないまま育ってきたらしい。
 一方、ミュウは快活で人懐っこくコロコロと表情を変える為、何を考えているのかはとても分かりやすい。
――とユウは思っているのだが、ミカサ曰くミュウ程分かりにくくややこしい人間はいないという。
そんな話を個々人から聞く度にユウは二人の仲の良さを微笑ましく思うのだった。

「そういえば、私が会う前からミュウたちとナナミは親しかったですよね。
 貴方たちの出会いはいつ頃ですか?」
「多分、ボクが4歳くらいの頃からかな。
 今の家に引き取られた当初はボクは家に引き籠りがちだったんだけど。
 ナナミが急にやってきてね、そのまま遊ぶことになったんだ。
 お隣同士だったからさ、すぐに仲良くなって毎日遊んでた」

 皆の止まっていた手が再び動き始める。
ナナミの話題とあってか、ミュウとユウの表情は先程よりも穏やかだ。

「最初からナナミは先頭に立つような子だったんですか?」
「うん、そうだよ。
 心配性なミカサを引きずって会ったこともない君の家の庭に忍び込むくらい」
「あの時は本当に驚きましたよ。
 だからか、あの日のことは鮮明に覚えているんですよね。
 子どもの頃の貴方たちと遊んだ具体的な記憶は、その時のものと私の家で遊んだものしかありませんから」
「…僕はナナミの記憶がないからか彼女に関する他の記憶もないんです。
 その、君と初めて出会った時のこととか」
「え、そうなのですか?
 私が部屋でピアノを弾いていたら窓の外から物音がしたので見に行くと貴方たちが現れたんです。
 あの時は本当に驚きましたよ」
「…不法侵入に僕も加担させられていたとは」
「でも、そんな意表を突いた登場があったからからこそ人見知りする暇もなく仲良くなれたと思いますよ」
「あはは、そうかもしれないね」
「……そんな風に話されると本当に当時、君が感情を欠如していたのか疑いたくなりますね」
「全部、貴方たちのおかげですよ」

 子どもの頃には恐らくできなかったであろう優しい表情でユウはミュウとミカサに微笑んだ。
ミュウは一瞬複雑な表情を浮かべた後笑い返し、彼女と目が合ったミカサは憂いの表情を崩して面映ゆげにスッと視線を逸らした。
ユウが感情を知り得たのはナナミの死が大きく関わっているとはいえ、現在の感情がある彼女は好ましいと二人とも思っている。
ただナナミが生きていたとしてもユウの感情表現はいずれ今のように豊かになっていたかもしれないと思うと、この悲しい運命が悔まれてしまうのだ。

「…ねえ、ユウ。
 ナナミがいなかったら、ボクたちは君と出会えてなかったかもしれないね」
「そうでしょうね。
 もし貴方たちと出会っていなかったら、きっと私はあのまま何の感情も知らずに部屋に引き籠っていたと思いますよ」

 ユウは屈託のない笑顔を二人に向けた。
この表情も彼ら以外にとってはそこまでの笑顔ではないのだが。
 ――本当に、この人は他人のことはどうでもいいようなことでも気にする癖に、
自分のことは悲しい程に客観的に突き放してしまえる人だ、とミカサは自分にも似た彼女の性質に
若干腹立たしさを感じながらも嫌いになることはできなかった。
ミュウにしてもそれは恐らく同じで、いや、寧ろミュウはそんな不器用なところを愛している。

「ナナミはいなくなってしまったけど、君に会えて良かった。
 ……本当に、良かったよ」
「ミュウ…」

 ミュウはそう言うと「ご馳走様」と手を合わせて机の上の物を片付ける。
そして仕事が溜まっているからと言ってユウとミカサを残して休憩室を後にした。
 ユウは心配そうな表情で彼の背中を見送る。
ミュウの心の傷は未だに深く、化膿し続けているのかもしれないと察した。

「…ユウ、少し良いですか」
「はい。何でしょう」
「ナヲミのことです。ミュウがいる前で言えなかったのですが」
「はい」
「君と一緒に何度か会いましたが、見覚えはありませんでした」
「そうですか…」
「それで、彼女個人についての感想を言えば、気の毒だなと僕は思います。
 君はともかく、ミュウは彼女にナナミを重ねています。…彼女は彼女だというのに」
「そうですね…、確かにナヲミさんにナナミを重ねるのは失礼なことです」
「しかし、それ以上にあのナヲミという人は不思議な人だと思いますよ。
 病が進行するにつれて痛みや不安に襲われることもある筈なのにいつも明るく笑っていて…」
「…はい、強い人ですよね。そういうところもナナミに似ていると思ってしまいました」

 ユウはミカサの言葉に頷いた。
ミカサは視線を落とし、己の組んだ指を見つめている。

「恐らく現状の医療技術では彼女を完治させることはできません。君の方が詳しいと思いますが、そうでしょう?」
「ですが、ミュウは必死になって専門外である医学や生物学の勉強もしているようです。
 それに私だって……」
「二人の頑張りは認めますし、僕も彼女が助かればいいと思います。
 …でも、覚悟はしておくべきです」
「それは……そう、ですけど」

 ユウは口を噤んだ。確かに薬のみでの治療は今のところは不可能に近い。
しかし、彼女や同じ病気で苦しむ人々の為にも簡単に諦めるわけにはいかないのだ、とユウは思う。
それが不完全な論文を発表した自分の責務だと考えるからだ。

「ですが、完全に手詰まりというわけではないんです。
 現在、細胞の再生化によって硬化した臓器をある程度回復できないか仮説を立てているところなんですよ」
「そんなことが可能なのですか?」
「ええ、筋肉の再生修復機能に着眼しまして。これで心筋機能を回復できないかと思っています。
 それから幹細胞による再生治療も考えています」
「ですが、下垂体機能低下症の基本的な原因はまだ解明されていないのでしょう。
 遺伝的な要因や下垂体の異常をそのままにした場合、再生された臓器もいずれ不全になるのではないですか?」
「その可能性はあります。ですので現時点では硬化した臓器を正常なものと入れ替えていく臓器移植しかないと思います。
 ただ、本土では人工細胞の作製の研究が進んでいるんですよ。
 限定された遺伝子を正常な細胞に組み込むことで細胞が分化していない初期状態に戻り、
 内胚葉や中胚葉、外胚葉関係なく目的の細胞を作り出すことができるそうです。
 この技術の安全性と確実性が実証されれば、硬化した臓器も完全に再生できるでしょうね」
「遺伝子を細胞に組み込むって…もはや人力の域ではなく神の領域にも思えますが」
「…ですが、原因の解明や治療法の確立には患者にも研究者にも時間が必要なのです。細胞再生を試す価値はあると思います。
 それにこの人工細胞の優れたところは異常のある遺伝子を修復して正常にしてから移植することが可能なところなんですよ。
 これにより先天的な病を治療できる可能性も出てきたのですから。
 ……ただ、ナヲミさんが重篤になる前に実用化することは難しいでしょう。
 それでも私は諦めるわけにはいきません」
 
 いつになく熱く語るユウの話を真剣に聞いていたミカサは降参とでも言うように肩を竦めて微かに笑みを零した。
そしてゆっくりと頷く。

「君の考えは分かりましたよ。覚悟もね。
 ただ、それだけのことをしようとすると今のままでは時間が足りないでしょう」
「はい、そうなんです」
「ナナミのALの件は期限はないわけですし今は程々にしたらどうですか?
 このままでは君が倒れますよ」
「ありがとうございます、ミカサ。気をつけます」

 今度はユウが頷いた。実際に彼女はAL製作よりもナヲミのことを優先させてはいるのだが、
それでもミュウのことを考えると完全に手を止めてしまうのは気が引ける。
ナヲミの症状が進行しないようにとユウは切に祈った。




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