は濃厚カフェオレを買ってミカサのところへ向かう。
個人のブースは扉がなく通路から入ってすぐに目隠しの衝立が立っている為、は衝立の前でミカサに呼び掛けた。
すると彼が顔を出す。
「、何か用ですか?」
「今日は息抜きに会いに来ただけですよ。ミカサ、少し休憩しませんか?」
「今、君と会話をしている時点で休憩していると思うんですけど…。
…まあ、いいです」
そう言ってミカサはの差し出したカフェオレを受け取り彼女を部屋に通した。
彼の部屋にあるテーブルには実験用のブレッドボードやコンデンサ、オシロスコープ、
ピンセットやラジオペンチなどの工具やワイヤーが整理されて箱に入れられている。
は試作段階の電子回路を眺めるのが好きだった。
思考錯誤して作り上げていく過程は自分の仕事にも通ずるものがあるし、
特にミカサの仕事は組み上げた時に目に見えて結果が出る。
テーブルの上の物を見ながら完成品を想像するのはにとっては非常に気分の高揚することだ。
それに自分の設計したソフトウェアが組み込まれた日には更に喜ばしい。
「それで、どうやって時間を過ごすつもりですか?」
「特に考えていませんでした。貴方を強制的に休ませられたらそれでいいと思って」
「…それは仕事の妨害になりませんか」
「私の行動は貴方の体調を心配してのことですよ?何十分も時間をいただくつもりはありません。
とりあえず、飲み物が無くなる位の時間でいいので何かお話でもしませんか?」
「はあ…」
ミカサはよく溜息を吐く。言葉を変換するように長い溜息で会話を終わらせることが多い。
恐らく心の中では色々と考えているに違いないが、言葉を発することを慎んでいるのか
それとも発言によって更に反応が返ってくることが面倒なのか、
それはには分からないし何を言おうとしているのかまでは想像がつかない。
恐らく正論か相手に対する皮肉めいた言葉を考えていることには違いないと思うのだが。
それでもはずっと傍にいる為か溜息で彼の現在の感情を感じ取れる。
今、恐らく彼は忙しいのに時間を取られることをつまらなく思っている筈だ。
しかし、心配されることは悪くない…というような心情だろう。
溜息を吐く彼の顔はそんなに嫌そうな顔をしていないようにには見えた。
そう考えるとは彼の溜息で感情が分かるわけではなく表情の変化を読み取っているだけだということに気がついた。
自分も表情が硬く感情表現に乏しい人間なので同じようにクールでポーカーフェイスな
ミカサの気持ちも理解しやすいのかもしれない、と彼女は思う。
それにしても沈着冷静で大人しいミカサと、明るく元気でバイタリティー溢れるミュウとは違い過ぎるにもかかわらず、二人の仲はとても良好である。
義理の兄弟とはいえ性格が全く違う二人が長い時間同じ空間にいればどこかで衝突しそうなものだが、
今まで二人が大きな諍いを起こしたところをは見たことがない。
自分に足りないところを補い合う関係なのか、それとも自分とは違う相手の個性をそのまま受け入れる者同士なのかは分からないものの、
仲の良い二人はとても微笑ましいし、見ていると彼女自身も楽しい気持ちになれるのだった。
「ミカサとミュウは本当に仲が良いですよね。貴方がここで働くようになったのも彼の影響ですか?」
「ミュウの影響がないとは言いきれませんが、兄弟だからとかは関係なく純粋に彼の手伝いがしたいと思っています。
ですからここに入社しましたし、ALの研究にも手を貸しています」
ミカサは少し視線を落とす。灰色の瞳に長い睫毛の影ができた彼は少し物憂げに見えた。
しかしそんなアンニュイな表情を隠すように彼は右手で頬杖をつきながら左手でカフェオレを持ちゆっくり口に含む。
カッターシャツを腕まくりした彼の手は色白でどちらかというと華奢であり、指も女性のように細長くて綺麗だ。
「――ああ見えて彼、繊細ですし。放っておけないんですよね、どこか危うい人ですから」
「確かにナナミを失った時のミュウは精神的にまいっていて見ていられなかったですよね。
今は目標も見つかりましたし、元気になって本当に良かったです」
がそう言うとミカサは薄く笑って彼女から目線を逸らした。
そしてカフェオレの入れ物を静かに揺らす。
「ミュウが元のような元気を取り戻したのは、君が傍にいたことが大きいと思いますよ」
「傍にいたのはミカサも同じでしょう?」
「僕はただ傍観していただけです。君のように彼の気持ちには寄り添えなかった。
――僕には肝心のナナミの記憶がないんですから」
甘いカフェオレをまるで苦い薬のように飲み込み、ミカサは小さく呟いた。
きっとミカサもミュウと同じように苦しんだに違いないとは思う。
大切なミュウが悲しんでいるのを間近で見ることになったつらさだけでなく、
彼の悲しみを真に理解してあげられない苦しみを恐らくミカサは今でも胸に抱えて生きている。
「ミカサ…」
ミカサの苦しみを知ったもののには彼に対してどう行動すれば良いのかが分からなかった。
プログラムを組むのは好きなのに、人を前にするとそれに対応したif文やswitch文が思いつかない。
機械上の動作を読むのとは違い、人は感情と思考を持つ故に相手の返す行動を完全に予測するのは難しいということなのだろう。
そしてミュウやミカサ以外の人との付き合いをしていない自分ならば尚更経験値が不足しており、
正しい答えを導き出せないのは当然なことだと自分に言い聞かせ、は努めて冷静を保とうとした。
そうでもしなければ、思わずミカサに手を伸ばしてしまうところだったからだ。
は疲弊時にミュウに頭を撫でられて元気を取り戻した経験から、彼が疲れた様子を見せた際は自らも同じことをするようにしている。
勿論、最初はミカサの疲労時にもしていたのだが非常に不機嫌になる為、
ミカサに限っては彼が顔を上げる力も出ないような時のみ頭を撫でているのだった。
この頭を撫でるという行為は疲労感だけでなく精神的苦痛も和らげてくれるとは信じている。
現在のネープル帝国では緊急に値しないとされ科学的な証明はされていないがタッチセラピーという健康法が世間で話題になる程だ、
いずれは脳波や唾液を調べればストレスが緩和されていることが証明されるだろう。
とはいえ、彼を撫でて逆に不快にさせるわけにもいかない。
ミカサに元気になってもらいたいのに適切な言葉や表情が分からず、かといってむやみに撫でることもできず
は彼の名を呼んだ後はただ黙るしかなかった。
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