は生まれながらの天才である。しかしながら人の数倍優れた理解力を持っていることを本人は意識していない。
その為か何に対しても飽き易く物事に対して興味を抱くことがなかったし、
――恐らく物心つく前から両親がいなかったことが一番の理由であろうが――感情の起伏がない子どもであった。
また環境にも恵まれず、両親のいない彼女を引き取った祖母は昔ながらの名家で裕福ではあったけれども
病を患ってからは人付き合いが苦手となり、それは孫のに対しても同じだった為に基本的には放任されて育った。
因って彼女は喜怒哀楽をはじめとする多様な感情を辞書等から知識としては知っていても感覚では理解できずに過ごすこととなった。
 そんな孫を一応は心配したのか本人の趣向であったのかは不明だが、唯一祖母は彼女に楽器を弾くように勧め、
それ以外のことには興味を持たなくていい、学問はお前を不幸にする、と呪文のように聞かされては育った。
理不尽なことを言われていると子ども心に思ったは目を盗み、
既に亡くなったという祖父の形見である書庫の本を暇潰しがてらに読んでいたのだけれども、
表面上は祖母に言われるままに様々な楽器を習い、それぞれそれなりの演奏ができるようになってしまった彼女が最後に選んだのはピアノだった。
 何故ピアノを選んだのかと祖母に問われた際にが出した答えは“お婆様が好きそうだったから”であった。
それを聞くと祖母の顔は複雑そうに歪んでいたけれど、それ以来何も言わなくなったので
恐らくピアノを続けることを許可してくれたのだろうとは考える。
そして彼女は興味もなかったので家から一歩も出ることなく、楽譜を読んでピアノを弾き、音楽盤を聞き続ける毎日を送った。
若かりし頃の祖母のコレクションらしい音楽盤は歌が入っているものが多かったが、はそれらを音の聞き取りの練習に利用していたのだ。
 天才肌の彼女は音楽に関しても能力を発揮してすぐに上達していったけれども、
音楽盤から流れる曲の一音一音やリズムは真似できてもその曲をマスターしたとは言い難かった。
恐らく感情を理解していないせいか技術は高くても表現力が劣っていたのだろう。
楽譜に書かれた“affettuoso(愛情込めて)”や“appassionato(情熱的に)”といった指示が理解できないし、
音楽盤の曲が最高潮に盛り上がる時の感情の高ぶりを表現できなかった。
それでもできるだけ耳から入ってくる原曲をコピーすると次第に素人が聞く分には同じように弾けるようになっていった。
 結局のところ、は表面上であれば何でも真似をすることは可能であると思っている。
異なったデータを少しずつ近似値に調整し、最終的に重ねることができれば同じものになるのだ、と。
したがってたとえ自分が指示されている感情を理解できなくても、音の速さや大きさ、
鍵盤を弾くタイミング等を全て同じに弾けるようになれば原曲と同じように弾けると考えたのだ。
そして彼女は実際にその理論を実行し、家にあった音楽盤の曲の全てをマスターしてしまった。
それも天才のなせる業であるのだが自身にもあまり興味のないはそのことに気づくこともなければ、
家から出ないのもあって外部の者は誰もそのことには気づいていないようだった。
 無表情で身体を微動だにしない彼女の手は完成された曲を弾き出す。
そんな彼女の姿は完璧な演奏をプログラミングされた美しい人形のようであった。
それでもは自覚はしていなかったものの不満を抱えていた。
演奏は“の演奏”とは言えないものだったからである。
誰かをコピーしているだけで“誰かの真似をしているの演奏”なのだといつも彼女は思う。
元となる曲がなければ自分は何も生み出せない。中身が空っぽな人間なのだ――と。

「――私は素敵だと思うわ。私はのピアノが好きよ。のピアノの音は優しいから」

 先程のようなことをちらりと話した時に可愛らしい笑顔でこう言ってくれた少女のことを、
その少女と初めて出会った時のことをは20歳になった今でも覚えている。
その時に初めて知った嬉しいという感覚も、微かに抱いた罪悪感も胸に刻まれている。


 彼女と出会ったのはが4歳の時だった。
いつものようにピアノを弾いていると庭から何やら物音がした。
演奏を中断しては立ちあがり窓の方を見ると窓の縁から小さな頭が三つ覗いている。
 ふと、その中の一人の女児と目が合った。大きくて活き活きとした目をしていたのを覚えている。
が歩み寄るにつれて頭だけでなく顔や装いも見えてきた。外にいたのは自分と同じ年頃の男児二人と女児一人。
不法侵入には違いないが不審者とも思えなかったので部屋に招き入れ話を聞いてみたところ、
その子らは仲良しでありの家の近所でよく遊ぶそうで、時折聞こえるピアノの音がずっと気になっていたらしい。
そして女児がどうしても演者が見たいと言うのでこっそり庭に忍び込んだ、というわけである。
 そんな行動力を持つ好奇心旺盛な女児の名はナナミ、「だからやめましょうと言ったんです」と説教する男児の名はミカサ、
その二人と手を繋いでニコニコと笑っている男児の名はミュウといった。
 彼女らはの了解を得ると嬉しそうにピアノを取り囲み、人差し指で鍵盤を弾いていく。
三人が皆バラバラに適当に出した音はおかしなメロディではあったけれど聞き苦しいとは思わなかったし、
彼女らが好きなように生み出す音階は何だかとても魅力的で自分も彼女らのように弾けたらいいのにとは薄ら思った程だった。
 その後も彼女らは度々の家を訪れるようになり、の“完璧に真似をした”演奏を聴いたり、自分たちもピアノで遊ぶようになった。
次第に彼女らは部屋を飛び出しを庭に連れ出して草花や鳥や昆虫などを一緒に眺め、
事典等から知識を得て自分たちよりも遥かに物知りだったに生物の名前を聞いて回るようになった。
感情や感覚に刺激の少なかった生活を送っていたには彼らと過ごす時間だけ世界が色づいて見えた。
 ナナミが「綺麗」と言って見せてくれる花は綺麗だと思えたし、
笑顔で摘んでその花をとナナミに渡すミュウと自分は同じように笑っていたと思う。
そして「人の家の花を勝手に摘んでは駄目でしょう」とミュウを叱るミカサの怒った顔に自分まで萎縮した。
 そんな風に彼女らと過ごす時間をは待ち遠しく思うようになった。
彼女らと一緒の時間は常にわくわくと胸が躍り、更なる興味で心が占められていたし、胸は温かい気持ちで満たされていた。
その感覚の名前をミカサに尋ねると「楽しいということでしょうか」という答えが返って来た。
それを聞いたミュウは人懐っこい笑顔を浮かべ、ナナミは「私も楽しいわ」とはしゃいだ。
その時、初めては自分に芽生えた感覚が“楽しい”という感情なのだと理解したのだった。

 しかしながら、のそんな生活は長くは続かなかった。
彼女が9歳の時にナナミは自動車輪に轢かれて死んでしまったのだ。
その時、は身体の中から込み上げてくる行き場のない憤りと胸に穴が開いたような喪失感を味わった。
皮肉だがナナミを失ったことで彼女は生まれて初めて喜怒哀楽、即ち人間らしさを手に入れたのである。




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