彼女の場合 第三話
 

 妹と一緒に実家に戻ると、並行世界というものの存在が途端に真実味を帯びてきた。
玄関のドアを開けた先には離婚している筈の両親が揃って結婚指輪をはめた状態で私を出迎える為に待っていたのだから。
 そこからは病院に行けなくてすまなかっただの、殴られたらしいが警備隊に届けなくていいのかだの、
記憶が混同してるなら専門の病院に行った方がいいのではないかだのと、帰宅後30分で両親と数年分の会話をした気がした。
 別に私は両親が嫌いではない。
けれど私が私立の女子高に行ったことで父親の残業が多くなり夫婦の関係がぎくしゃくし始めたのかもしれない、と思っていた。
なので両親に関して負い目がある為、私が一方的に距離を置いている。
妹に比べ、私は精神が幼稚なのだろう。

「――お姉ちゃんさぁ、誰かから急に襲われるなんて今まで一体どんな付き合いしてきたのよ」

 夕食後、私と初音は私の部屋に籠って机を囲んだ。
妹はクッションを抱きかかえたまま背を丸めテーブルに顎を載せて私を睨んでいる。

「この私に言われても分からないわよ。
 ――実際、どうだったの?初音から見た姉の交友関係とか」
「うーん…まぁ、自分の姉のことを褒めるのもアレだけど、基本的には感じが良くて誰とでも仲良くなれる人だよ。
 まぁ、ちょっと控えめで受動的だった気もするけど。
 特定の交友関係っていうと最近仲が良かったのは植松さんかな」
「響士って人ね。格好いい今風の男の人だったけど。
 …確かに最初に会った時私が”知らない”って言った時、ショック受けてたように見えたね」
「そうだよ。しかも今日、植松さんの前に楳澤さんと待ち合わせしてたなんて。
 お姉ちゃん、何考えてたんだろ」
「ホントにね」

 受け入れがたいことではあるが、いつの間にかもう一人の私の存在を別の存在として認識している。
そう考えた方がこの状況を理解しやすいからだ。
なので初音にも先程考え付いた並行世界についての話をしてみた。
するとその考えを前提として彼女も少しずつ二人のを区別して話し始めたようだ。

「……そう言われたら、頷けるよ。
 だって今のお姉ちゃんは…確実にお姉ちゃんとは違うって分かるもん」
「違うって…どこが?洋服とか髪型とか?」
「洋服は流石に違うかどうかは分からないけど…お姉ちゃんはね、絶対に右耳に髪をかけないんだ。
 右のこめかみ辺りに傷痕があるから」
「傷?いつできたの?」
「高校二年生の二学期だったかな。
 転んでロッカーの角にぶつけたらしくて、六針縫ったの。
 とはいえ、できるだけ傷が残らないように細かく縫ったからであって傷自体はそこまで大したことなかったんだけど。
 それでも知ってる人が見たらすぐに気づく程度に痕が残ってるから、結構気にしてたみたい」
「それで髪の毛で隠してたのか」
「うん。でもね、その怪我って実は楳澤さんと植松さんが喧嘩してるのを止めに入ろうとして、
 運悪く楳澤さんに弾き飛ばされたのが原因らしいんだ。
 それをきっかけに植松さんとお姉ちゃんは仲良くなったんだけど、楳澤さんはずっとそのことを気にしてるみたいで。
 多分、お姉ちゃんは楳澤さんに傷痕を見せたくなかったんだと思うの。彼がその度に悔やむことになるから」
「…そっか。あの三人の関係はそういう始まりなのか」
「うん。でも、私が見る限りギクシャクとかはしてなかったよ。
 高校三年生に進級したくらいから三人で出かけたりするようになって、
 私を入れて四人で遊んだりする時も自然に会話してるように見えたし。
 とはいえ、植松さんに比べると楳澤さんの方は二人きりで会ったり話したりする程の仲ではないと思ってたけど…、
 今日は待ち合わせしてたんだんだよね」
「そうなのよね。
 は何をしようとしてたんだろう。二人の男友達と時間をずらして会うなんて…」

 この三人の関係が今回の事件と何か関係があるのだろうか。
もし三角関係がこじれたのが原因だとすると後から会う予定だった響士が犯人という可能性もあるし、
唯一の目撃者である清亮が実は犯人であり私たちに嘘をついていることだって考えられるのだ。

「…もしかして二人を疑ってる?」
「うん、疑ってる。
 仕方ないでしょ、私にとっては初対面の人たちで情なんてないんだから。
 この状況においてはフラットに見れて丁度いいわ」
「やめようよ、そういうの。お姉ちゃんが友達に襲われたなんて考えたくないよ。
 ――はい、この話題はこれでやめ!!」
「分かったわよ」
「ところで、こっちの世界のお姉ちゃんはどこに行っちゃったんだろうね」
「もしかしたら私がいた世界にいるのかもしれないよ。
 何らかの力が働いてという存在だけが入れ替わったのかも」

 …だとしたら、はこちらの世界よりも早く怪我の処置をされている筈だろうからその点だけは良かったと思う。
私が意識を手放す前に聞こえたサイレンが幻聴でないならば、だが。
 しかし、ただの貧血で倒れていた人間が左側頭部を殴られた状態の人間に成り替わっているわけであるから、
何も知らない救急隊の人たちに事件性を臭わせることになるだろう。
 更に運転席に座っている人間の左側頭部に殴打となるとそれまでに助手席に乗った人物が怪しまれるだろうから、
もしかすると待ち合わせをしていた向こうの初音が疑われたりしないかと不安になる。
しかも怪我をしている分、こちらの私以上に心配させてしまうことになるのだ。

「それにしても、やっぱり犯人が気になるわ。
 男友達二人はとりあえず外して考えるとして、犯人はどんな人だろう」
「鈍器で殴るってことはお姉ちゃんを殺したいくらい恨んでたんだよね…?」
「私が恨まれてたのかな?それとも通り魔的なもの?」
「通り魔なら午前中のオープンカフェなんて場所で犯行なんてしないと思うよ」
「じゃあやっぱり私個人に恨みがあるのか。楳澤くんは男みたいって言ってたし、の元彼かな?」
「元彼って…。友達はいたけど恋人まで進展した人はいなかったとは思うよ。
 私の知る範囲で一番恋人に近い人は植松さんだし」
「じゃあ無意識のうちに恨みを買ったっていうの?」
「もしかしてこれまでに振った男の人の中にいるんじゃない?逆恨みとか」
「そんなの私の知ったことじゃないよ…。
 でも、犯人が捕まってないんだから今後も私って命を狙われる可能性が高いよね?」
「やっぱりそうなのかな…。でも、警備隊に何て言う?
 楳澤さんのいうことを信じるなら誰かに殴られたのは確かだろうけど、今のお姉ちゃんには怪我一つないんだよ?
 傷害罪ってわけにもいかないし、どう説明するの」
「そうなのよね…」

 私と初音は共に項垂れた。
元に戻る方法が見つかり実行に移さない限り、私はこの世界に存在し続けることになるのだ。
どこの誰に命を狙われているか分からないという状況はとても不安で恐ろしい。
かといって大学を休み続けて家に引きこもり続けるわけにもいかないだろうし…本当に参ってしまう。

「一先ず警備隊に相談するのはやめておこうか。多分、信じてもらえないだろうし。
 そうなると私のできる範囲で犯人の手掛かりを探したいね。
 とりあえずの交友関係を調べた方がいいのかもしれない。
 …もしかしたら私はこの先ずっとこの世界で暮らしていくことになるかもしれないしね。
 その時はと違う人生を歩んでいる期間に知り合った人たちに対しては記憶喪失キャラを演じながら生きていくことになるのか…」
「そうなるとお姉ちゃんは向こうで暮らすってことでしょ?
 …大丈夫かな。頭も怪我してるだろうし、今の私たちよりずっと混乱してそう」
「そうだね、多分目が覚めてから酷く混乱すると思うし、頭の怪我について病院から警備隊に通報されたら事件になるかもしれない。
 向こうの世界にいる筈のない犯人捜しで暫く警備隊は忙しくなるだろうし、
 周りの人たちの対応によっては自身も精神とか頭を疑われるかもしれないね」
「向こうには植松さんや楳澤さんはいないのよね。
 同じような頼れる存在の友達はいるの?」
「あんなに親身になってくれる異性の友達はいないよ。個人的に待ち合わせして会うような人なんて皆無。
 ゼミとかサークルの大勢のメンバーでわいわいと万遍なく話す程度の人ばかりかな」
「…お姉ちゃん、なんか寂しいよ。こっちのお姉ちゃんを少しは見習ってよ」
「いいじゃない、数人だけど女友達はいるしちゃんと初音もいるんだから。
 それに男関係で命を狙われた可能性があるんだから見習わない方がいいと思うけど」
「うーん…」

 初音は唸ってしまった。犯人がどんな人間なのか分からないので確かにそれも正論だと思ったのだろう。
ともあれ、初音が傍にいてくれることが何より心強い。
それまでのとは違うというのに一先ず受け入れてくれて一緒に今後のことを考えてくれる存在は本当にありがたいものだ。
この世界において私の味方になってくれる存在を一人でも多く見つけておくのが急務かもしれない、と私は思う。

「まずは仲が良かったっていう植松くんと楳澤くんから詳しく話を聞いてみようかな。
 私自身、まだ彼らを信じられる程よく知らないしね」
「そうだね。二人とも待ち合わせしてたって言うし、お姉ちゃんが今日どんな行動をとろうとしてたのか、
 普段どんな行動してるのかなんかも聞いといた方がいいんじゃない」
「そうね。習慣とか趣味とか聞いておこうか。
 趣味繋がりで知り合った中に犯人がいるかもしれないし」

 話が一段落したので解散し、私たちはそれぞれの部屋に戻ることにした。
頭をすっきりさせる為にも彼らに連絡する前に入浴しようと考える。

「先にお風呂入っていい?」
「うん、いいよ。私のシャンプーとトリートメント使う?」
「いいの?やったね!」

 初音はいつも通っている美容院でシャンプーなどを購入しているのもあって髪がとても綺麗なのだ。
私は通える範囲に大学があるにもかかわらず無理を言って独り暮らしさせてもらっている身でもあるので、
美容院のシャンプーはどうしても割高な気がして勧められても手が出せずにいる。
美容師さんに言わせると結構長持ちするそうなのでコスパはいいらしいのだが。
 憧れのシャンプーを使えるとあって途端にご機嫌になった私から漏れる鼻歌を聞き、初音はくすっと笑みを零した。
今日初めて彼女の笑った顔を見た気がする。

「――ねぇ、お姉ちゃん。
 私の知ってるお姉ちゃんよりも、今のお姉ちゃんの方が明るくてサバサバしてて話しやすい気がする」
「え?もしかして性格結構違うの」
「そうかも。話し方も若干違うしね。
 どちらかというと、お姉ちゃんはやんわりとしててあまり自分の意思を表に出さないような人だったから新鮮だよ」
「うーむ…なるほどね。
 もしかすると私は女子高に行って色々と鍛えられちゃったのかもね」
「私、優しいお姉ちゃんも好きだけど、今のお姉ちゃんも好きだよ。お茶目で可愛いと思う」
「ありがとう、妹よ…!」

 私は初音をぎゅうっと抱き締めた。
小さい頃は「これは私のだ」「いや、私のものだ」「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「いつも初音ばっかり!」「あっかんべー」といった
やりとりをよく母子間でしていたものだが、大人になるにつれて姉妹は親友のような存在になっていった。
洋服を交換したり、雑誌を回し読みしたりできるのは経済的にも便利だし、
身近に自分のことをよく知っている味方がいるというのは本当に心強いものだった。
 学科は違うけれど私と同じ大学に行きたいと言ってくれたことも嬉しかった。
身内自慢になってしまうが、本当によくできた妹なのだ。

「このお姉ちゃん、面白いなぁ」

 笑いながら初音は私の背中をぽんぽんと優しく叩いた。
この世界に突然迷い込んでしまった私を励ましてくれているのかもしれない。
 私も彼女の背中をそっと撫でる。
どうか向こうのにも初音が寄り添ってくれていますように。
向こうでと初音がお互いを拒絶して傷つけ合ったりしませんように――と、私は心の底から願った。






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