レナードとの交際期間が終了し、日付が変わってもルゥからは連絡がない。
実は私が一番不安を抱いている相手がルゥなのだ。
あの三人娘の話の中でルゥだけトリガーがはっきり分からなかった。
思い当たることといえば、彼にナンセンスな質問をすることだろうか。
まず、自分と友達とどちらが大事なのかという質問だが、彼女と友人は謂わば違う次元のものだ。
それを比較して相手に選ばせようとする行為自体、私には理解できない。
更に自分のことをどう思っているかという質問もよく分からない。
付き合っている以上、女の中では彼女が一番の存在だというのは明らかなことだ。
とはいえ、中には二股をかけたり遊びで付き合ったりする者もいるのだろうけれど、
そういう人にとっても「どう思ってるの?」と詰め寄ったところで最悪の結果しか生み出さないと思うのだが。
そうやって考えると、私が無意識にルゥのトリガーを引く確率は限りなく低いはずではあるが、
実際のところよくわかっていない為に簡単には結論を出せない。
他の兄弟らと同じように付き合いながら探っていくしかないだろう。
翌朝、ルゥから連絡があった。午後から植物園に誘われたので快く承諾する。
事前情報として、ルゥはフットボール部に所属していて活動的だということは分かっている。
日に焼けた肌と短くてツンツンとした髪型はいかにもスポーツ少年そのものだ。
サンディが言うには気さくで付き合いやすいタイプらしいが、その彼女は突然振られているしその後の対応も実に誠意のないものだった。
油断ならないし許せない奴だと私は思う。
しかしながらこれはゲームだ。彼の遊びを見抜き陥れることを楽しもう。
ハリソンは繊細さ、レナードは執着心という子どもらしさを見せてくれた。
ルゥはどんな一面を見せてくれるのだろうか。
時間になったが、交際初日の初デートというのにルゥは待ち合わせ場所に現れない。
これはもしかするとサンディが言っていたように土壇場でのキャンセル作戦かもしれない。
こちらを不快に、もしくは不安にさせ感情を揺さぶって禁句を言わせようとしている可能性がある。
とはいえ、私はそんなことは気にしない。
相手が遅れるならその分本が読めるし、来ないなら私一人で植物園を回ってもいい。
――そんなことを考えていると、ルゥから音声通信が入る。
「もしもし、か?」
「ええ、そうだけど。ルゥ、何かあったの?事故とかに遭ってるんじゃ…?」
朝のメッセージのやり取りで名前は呼び捨てでいいと言われている為、初めて敬称なしで彼を呼ぶ。
確かにレナードの時もそうだったが名前を呼び捨てにした方が親密感があるし、ルゥ相手にはそれが合っていると思った。
「いや、そういうことは起きてないから心配いらないよ。
ただ部活の仲間に練習に誘われちまって断り切れなくてさ」
「そう、事故とか事件に巻き込まれたんじゃないかって心配だったけれど、そういう事情なら気にしないで。
私は近くまで来たことだし一人で植物園を回って帰るから」
「…悪い。明日、絶対埋め合わせするから」
「いいの、気にしないで」
案の定、キャンセルの連絡だったなと私は少しにやりとする。
サンディはこのような仕打ちを数回受けて我慢ならなくなったのだろう。
確かに好きな相手が突然予定をキャンセルしたら不安になる気持ちは理解できなくもない。
もしレナードにそんなことをしたものならどんな仕打ちをされるか分からないな、と私はリセットしたはずの元彼氏のことを思い返した。
その後、ルゥに言った通り一人で植物園を回りつつ気に入った花の前のベンチで本を読んでいると再びルゥから連絡があった。
すると彼は元気のない声を出し、今すぐ会いたいと言う。
訝しく思ったがOKして私の家の近くにある公園で待ち合わせをすることにした。
私が彼の作戦に食いつかなかったから別の作戦に移行したのか、それともこれも作戦の一部なのか。
とりあえずトリガーを引いてしまわない為にも、妙な疑念を抱きそれをぶつけるような真似だけはするまい、と私は思った。
「、悪い。色々と我儘言っちまって」
「それはいいのよ、もうすぐ帰宅するつもりだったから。
それよりも右頬、どうしたの?」
私は思わずルゥに駆け寄った。彼の右頬は発赤しておりしかも腫れている。
私の質問に彼は苦笑いを浮かべた。
「ああ…これはちょっとその、練習に集中できてなかったから気合い入れられて」
「まあ、その人はとても真面目で激しい人なのね。
とりあえず手当もせずにここまで来たみたいだから、手当しましょう。
私の家が近いからそこでいい?」
「ああ、ホントに悪い」
「いいのよ。あ、途中で湿布薬買って行きましょう」
「ああ。あ、荷物持つ。貸せよ」
「これくらいいいわ、重いものでもないし」
「このくらいさせてくれ」
「…ありがとう」
ルゥは私の鞄を流れるように受け取り持った。こういうところでやはり女性の扱いに慣れていると分かる。
更に彼は無言で私の手を取り、手を引くように先を歩く。所謂リーダーシップに優れているタイプなのだろうか。
手を引かれる私は斜め後ろから彼を眺めた。兄弟の中では一番筋肉質なルゥは肩幅が広く頼もしく見える。
「――はい、打ち身部分はこれでいいわ」
「ありがとな」
私はリビングのソファにルゥを座らせ患部を暫し冷やして腫れが完全に引いた後、湿布を貼った。
外傷はないので、あとは内出血が引くのを待つだけだ。早くて3,4日で表面上は分からなくなるだろう。
しかしながらルゥは口内を切っていた。
口内に怪我があると常に違和感や痛みがあったり、痛みのために食事ができなかったりして生活の質が下がる。
その為にも粘膜の再生を早めた方がいいだろう。
「ルゥは今、何か薬とかサプリメントとか飲んでる?
食事で摂れるなら問題ないとは思うけれど万遍なく摂取するのは難しいだろうし、
できれば粘膜の再生を促す為に色んなビタミンや亜鉛なんかのミネラルが入ったマルチビタミン剤を飲むことをお勧めするけれど。
うちにもあるから試しに一週間飲んでみる?」
「ああ、特に何も飲んでないし試してみるよ」
「用量や用法は守って飲むようにね。過剰摂取すると下痢とか神経異常が出るものもあるから。
あと飲んだ後で発疹が出たり発熱したり下痢になったりしたらすぐに中止して病院を受診してね」
「分かったよ。――ははっ、お前って医者みたいだな」
「そういうつもりはないけど、でも、もしもってことがあるから最低限の注意はしておかないと」
「ああ、そうだな。ありがとう」
ルゥはそう言って私の頭を撫でた。その感触に思わずむず痒いような感覚がするのは何故だろうか。
普段褒められることがない為に肯定感に飢えていたのかもしれない。
私は暫しその感触を味わった後、彼に渡すマルチビタミンを取りに行くことにした。
ビタミン剤を彼に渡して、お茶を淹れ直しながら私は彼の頬を眺める。
腫れは引いたが白いシップが貼られている姿はやはり痛々しい。
「それにしても殴られる程、練習に集中できなかったなんてどうしたの?
何か心配事でもあったの?」
「ああ、それはその…お前のこと考えてて」
「私のこと?
…ごめんなさい、私と約束していたせいで気を散らせてしまったのね」
「いや、お前は悪くないだろ。俺が勝手に誘って勝手にキャンセルしたんだし」
「いいえ、そもそも私が二週間付き合ってなんて非常識なこと頼んでなかったら貴方がこんな目に遭うことはなかった」
「――こーら、もう謝るのはなしだ。
俺は好きでお前と付き合うことにしたんだし、お前も楽しみにしてくれたんだろ?
だったらこんなことで謝り合う必要はない。違うか?」
「…そうね。ごめんなさい、つまらないこと言って。あ…」
「あはは、癖みたいになってるな」
朗らかに笑うとルゥは私の髪をくしゃくしゃとするように豪快に撫でた。
頭を撫でるのは彼の癖なのかもしれない。彼が一応長男だと言っていたが、兄らしい仕草ともいえる。
「そう言えば、ハリソンやレナードは何か失礼なこととか強引なこととかしなかったか?」
「ハリソンは私の気持ちを尊重してくれたし、レナードは突然キスされたけどそれ以外は強引なことはしなかった、と思う。
二人とも優しくしてくれたわ」
「そうか、が傷ついてないならそれでもいいけど。だが、レナードは駄目だな。
あいつ嫉妬深くて攻撃的なところがあるから。
ハリソンはどちらかというと女性不信なところがあるかもしれないから優しいことは優しいんだろうけど、
女子に対して見る目が厳しかったりするんだ」
「…そうなの。ルゥは流石に兄弟のことをよく分かっているわね」
「まあ、これでも長男だからな。
ハリソンから聞いただろ?家族のこと。ちょっと複雑なんだよ、うち。
実の母親は病弱だし、父親は代理出産した義理の妹と浮気するし」
「え?」
私は思いがけず片づけようとしていた鋏を床に落とした。吸音マットの上を鋏が音も立てずに転がる。
ルゥは私の反応に少し驚いた様子だったが、静かに鋏を拾って元の位置に戻した。
「聞いていなかったんだな」
「ええ、浮気の件までは」
父親と叔母の不義を知ってしまうなんて幼心に酷くショックなことだっただろう。
ハリソンが積極的な女性をトリガーにしているのは叔母のことに起因しているのかもしれないし、
レナードが嫉妬深いのは浮気した父親を見ているからかもしれない。
けれどやはり私は彼らに同情心を抱くことはできなかった。
彼らはどんなにつらい想いをしたのだろうかと推し量ることはできても、完全に理解できるはずもないし理解しようとも思わない。
苦しみは彼ら自身にしか分からない。私は彼らの心に寄り添えるほど苦しみを背負ったこともなければ情に厚い人間でもないのだ。
「…まぁ、そんなわけでちょっと癖のある兄弟かもしれないけど、よろしく頼むな」
「ええ、私の方こそ我儘で偏屈な女だけどよろしく」
「え、それってもしかしてあいつらが言ったのか?」
「いいえ、自己分析」
「じゃあ訂正。は我儘で偏屈なんかじゃなくて芯が強いんだ」
「…ありがとう、ルゥ」
私がルゥに微笑むと彼も柔らかな笑顔を浮かべた。
優しげで包容力がありそうなルゥだが、私は心の中に冷たい感情を忍ばせる。
いくら目の前の彼が優しく頼もしい恋人の顔をしているとしても、完全に信用するわけにはいかないのだ。
ハリソンやレナードがコンプレックスを抱えているように、ルゥも心に闇を抱えているのだろうか。
何かしらを抱えているからこそ彼らはゲームを繰り返し、女子らを悲しませ続けているのだろう。
彼らと交際を続ける為には攻略法を知っているだけでは駄目かもしれない、と私は思う。
彼らの蟠りが解消されない限り、彼らは永遠に人を愛せないだろう。
しかしながら、それは私にも言えることなのだ。
私が漠然とした恐怖を打ち払えない限り心から人を愛すことはない。
もしかすると私たちはゲームでしか恋愛を楽しめないのかもしれない。
レナードだけでなく、彼ら兄弟と私は本質的なところで似ているのだ。
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