レナードと付き合い始めて少しずつ彼の情報を得る。
彼は静かな場所を好み、映画館よりも家でフィルムディスクを見る方が好きだ。
そして指フェチなのかよく私の指を弄ぶように触りキスをする。
私はそんな彼の閉じられた瞼と長い睫毛を眺めるのが好きだ。彼の顔は作り物のように美しい。
中性的で繊細な造りをした顔は母親似なのかもしれない。
付き合う中でレナードは前情報の通りデート中に女友達と携帯端末で音声通話したりメッセージをやり取りしたりすることがあった。
私は特に気にせず彼の用事が終わるまで外の景色に意識を向けるか手持ちの本を読むかで待つのが常だ。
二週間経った交際最終日でも彼は私を放置して本屋の店員と楽しそうに話している。
「待たせてごめん」
「いいえ、私も気になってた本買うことにしたから」
私がそう言うとレナードは眉間に皺を寄せた。
あからさまに不機嫌なのが分かる。
「…ずっと思ってたことだけど、は僕が何していようと気にしないよな」
「無関心というわけではないけれど、貴方は用事があってそうしてるんだろうから私は何も言わないわよ。
貴方の用事の内容まで私が気にするのはお門違いでしょう?
恋人だからといって何もかもプライバシーに踏み込んでいいわけではないと思うし。
それに貴方が別れようって言うまで私は貴方の恋人なんだもの。その事実だけで十分だわ」
私の所見に彼は言葉を無くしたようで、書店を出たところで黙って立ち尽くす。
もしやトリガーを引いてしまったか、と私も固まった。
嫉妬しているような言葉は出さなかったつもりだが、無自覚で怒ったような表情をしていたのだろうか。
私は不安で心拍数を増やしながらも何事もないように彼の顔を覗き込んだ。
彼の顔は少し青白い。
「…レナード、大丈夫?」
「ちょっと気持ち悪い感じ。どっか静かで涼しいところで休みたい」
「じゃあここからなら私の家が近いから行きましょう」
私はレナードの手を引き家へと早足で向かった。
玄関から一番近い私の部屋に通しベッドに寝かせて熱を測ると平熱だった。
熱失神や熱疲労の可能性もあるので、室温を少し低めにしてレナードの襟元のボタンを外した後、
私はキッチンでコップに水を入れ、塩ひとつまみと砂糖はその約5倍の量を溶かしてレモン汁を加え即席経口補水液を作る。
それと一緒に氷嚢とタオルも用意して持っていった。
「レナード、少し体を起こせる?」
「うん」
「少しずつ飲んで」
「…美味しい」
「そう、それが美味しく感じるなら軽い脱水状態だったのかもしれない。
暫く安静にした方がいいわ」
「、君は本当に……」
「何?」
レナードはベッドに身を任せ、目元を隠すように右腕を顔に被せている。
私はそんな彼の髪の毛をそっと梳いた。彼のストレートの髪は絹のような手触りがして気持ちがいい。
昔、一度だけ母親が同じようにしてくれたことがある。熱が下がらなかった私に母親が一晩ついていてくれたのだ。
それ以来、病気らしい病気を患うことなく育ったので母親の看病は受けてはいないが、その際に彼女が作ってくれたのがこの経口補水液だった。
そんな子ども時代のことを思い出していると、レナードは横向きに体位交換し私の手を握った。
何だか急に幼くなってしまったように思える。レナードもハリソンのようにどこか子どもらしさを残しているのかもしれない。
過去、母親に思いのまま甘えられなかったことが影響しているのだろうか。
「、僕はね、君があまりにも自立した考えを持ってるから、そんな君にやきもきする自分が酷く幼く思えたんだ。
だから僕はすぐにでも君を押し倒して君と一つになりたかった。体が近づけば心も近づくと思ったんだ。
なのに君はそんな僕の下心に全然気づかずに僕の心配までして…。
――ねえ、。君は僕を好きじゃないだろ?もし君が僕を好きならもっと僕に執着してくれるのか?」
「それは…今の私には分からないわ。でも、相手に執着するような恋は怖いと思っているのは確かね。
感情をコントロール出来なくなった暴走状態なんてそれはもう私ではない気がする。
貴方はそんな私を好きだと思える?多分、違和感を覚えて嫌になるはずよ」
私は正直に答える。私と似たところがあり鋭そうなレナードには小細工は通用しない気がするからだ。
それにどこまでが彼の本当の姿なのかも分からない。交際初日のように何かしらの作戦を立てている可能性もある。
弱い自分を見せることで私を油断させようとしているのかもしれない、と考えた私は
彼の行動や視線、表情などの変化を一ミリも逃さないようにじっと凝視するが、
レナードは自身の言葉そのままに酷く参った様子で目を閉じている。
私が相手の心に寄り添えたら、こんなにもレナードを傷つけることはなかったのだろうか。
せめて交際中だけでも彼の望むように彼に執着し愛情をぶつけていたら、彼はこんなことになっていなかったのだろうか。
しかし、レナードのトリガーは嫉妬を露わにすることだ。彼に執着し、嫉妬心を彼に悟られた時点でゲームは終了。
私が彼の望むような女になることが彼の狙いなのかもしれない、と私は思う。
「、少しでいいから添い寝してくれないか?」
「ええ、いいわよ」
私はレナードの隣で横になる。彼の方を向くと目が合った。
私の好きな涼しげな瞳と長い睫毛がこちらに向けられている。私はそろりと手を伸ばして彼の頬骨辺りを愛撫し、彼と暫し見つめ合う。
恋人ではあってもそれぞれ独立したような存在だった私とレナードだが、本の話をしたり食事をしたりする時は彼を凄く身近に感じられた。
彼が言ったように体を重ねたら確かな一体感を得られるのかもしれない。けれど彼が考えたように心の密着感は得られるかは分からない。
私はレナードと対話している時間が好きだ。自分と似ているところや違うところを見つける瞬間、とても愛しいと思う。
あと数時間後にはこの感情を一旦リセットすることになる。惜しく感じる私はレナードに執着しつつあるのかもしれない。
けれど、この想いはここで止めておこう。私はまだゲームを終えるわけにはいかないのだ。
頬を優しく撫でられる感覚がした。私はゆっくりと目を開ける。
すると上半身を起こしたレナードが私を見下ろしていた。
どうやら私は眠ってしまっていたらしい。
ごめんと謝る私に例の意地悪そうな顔をした彼は携帯端末をちらつかせた。
「――、君は危機感が足りないよ。
押し倒そうとしたって僕が言ったのを忘れたのか?
もし君が寝ている間に僕が君に何かして君のあられもない姿を画像データ化していたらどうするつもりなんだ」
「どうって…、そもそもレナードはそんなことをしてどうするつもりなの?」
「その画像で君を脅すんだ。これを周りにばら撒かれたくなければ僕と付き合えって」
「申し訳ないけれど私はそんな画像をばら撒かれても全然構わないわ。私は別に周りの評価なんて気にして生きてない。
寧ろそんな女と付き合っていた貴方の評価が下がるかもしれないし、画像を広めたことが知れたら今後の交際に影響が出るかもしれないわよ」
「……まったく、君には脅迫すら通じないのか。君の気高い心には尊敬どころか脅威すら覚える」
「けれど貴方はそんな偏屈な私だからこそ、こうやって構ってくれるのでしょう?」
「そうかもしれないな」
最後まで私たちは互いを探りながら自分の考えをぶつけるような会話しかできないらしい。
けれど私はこの時間が楽しい。自分と相手が分かり合えないこのもどかしい瞬間をゲームの世界以外で実際に味わえるとは思わなかったからだ。
それでも楽しんでばかりもいられない。私は更に言葉を続けなければならない。
視線の先にある壁掛け時計はもう交際の終わりの時間を告げようとしている。
「――レナード、貴方と付き合うことで自分がいかに無神経な女かよく分かったわ。
色々と気が利かなくてごめんなさい」
「…もう時間か。君の気持ちを僕に向けられなかったのは残念だ。
でも、まだ完全に諦めたわけじゃない。ルゥと付き合った後、僕を恋しく思ってくれることを祈ってる」
「ありがとう、レナード。これでさよならね」
私たちは互いの頬に手を添えてお別れを言った後、すぐに離れた。
先程まで遠慮なくものを言い合えるほどに気を許していたはずの相手だが、既に私たちの心は遠く離れてしまったように思える。
やはりレナードもゲームの一環で付き合っていたのか。
胸に軽い痛みを覚えるがそれもすぐに心の奥へ押し込めてしまおう。
――そんなことを考えながら玄関で彼を見送ろうと顔を上げた瞬間、レナードに引き寄せられた。
そして二度目となる口づけをされる。
「…やっぱり君は危機感が足りないな。
そういうところも好きだけど」
「私も貴方のそういう食えないところを魅力的だと思う」
私たちは鏡を見ているかのようなタイミングで同じように目を合わせて笑い合い、手を振った。
その後、扉の向こうにレナードが消えていく。私たちの交際はこれで終わったのだ。
私の心をあの手この手で揺さぶろうとしたレナード。彼の身体一致の考えはある意味正しかったのかもしれない。
私が動揺したのは彼にキスされた時だけだ。最後のキスも瞼を閉じることすらできなかったのに心から離れない。
彼がきょうだいでないことを私は心から祈った。但しその祈りは恐怖からくるものではなかったのだ。
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