――日付が変わってすぐに携帯端末に連絡が入った。
携帯端末は腕に嵌める形態のものが我が国では一般的だ。
見た目はデジタル腕時計そのものだが、液晶の下に配置されている球体のボタンを長押しするとプログラムが作動する。
空間に使用者にしか見えない角度で薄いホログラムが展開され、画面を見ながら球体ボタンで操作でき、
コンピュータと同様の演算処理能力と情報共有システム接続機能は勿論、音声通話機能やメッセージ交換機能、チャット機能などもある為、国民にとっては生活必需品だ。
 短い受信音の後、レナードからのデートのお誘いメッセージが目の前の空間に表示される。
明日の11時に図書館一階のカフェで待ち合わせることになった。
私の好きな場所をハリソンから聞いたのか、もしくはレナードにとっても好きな場所なのかは分からないが、
あの場所ならハリソンの時と同様に会話も弾みそうだ。
レナードがどんな人間なのかは未だ不明ではあるものの、今回も最大限に楽しむことにしよう。

 今日からレナードと交際が始まる。私は手早く身支度を整えた。
相手を待たせていきなり不機嫌にさせたり、もしかしたらトリガーの一つだったりしても悪いので早めに目的地へ向かうことにする。
 図書館の入り口にある端末で気になる本を検索して選ぶとその本が目の前のボックスに送られる。
どの本を読むか決まっていない時は二階の本棚を眺めながら決めるが、借りる本が決まっている時は時間を短縮できてとても助かるシステムだ。
資源問題や利便性、資金の問題で紙媒体の本は減少傾向にあるが、私は本を捲る時の紙の手触りが好きだし
分厚い本を開いた時の古臭い黴たような匂いも好きなので、私は図書館にはずっと紙媒体の本を取り扱ってほしいと思っている。

「おはよう」
「おはよう、待たせてごめん」
「いいえ、本を読むつもりで早めに来たから気にしてない」

 カフェで本を読んでいた私にレナードが声をかけた。
もっと早くに気づけば良かったのだが集中していて声をかけられるまで気づかなかったようだ。
交際一日目なのだからどうせなら笑顔で手を振って迎えたかった。
ゲームのヒロインなら間違いなくそうする。

「何の本を読んでるんだ?」
「遺伝子の本」
「化学の勉強?」

 レナードが本を覗き込む為に私の隣に来たので私は席を譲りもう一つ隣の椅子に座り直す。
彼は興味深げに本の表紙や中身を眺めた。
 ハリソンやルゥと比べるのは悪いけれど、彼らがアウトドア派だとするとレナードはインドア派のように見える。
色が白くて涼しげな目元の彼は図書館が良く似合うと思った。

「勉強のつもりもないけど、母親の仕事の関係もあって興味はあるの」
「ああ、大学病院で先生しながら研究してるんだったな」
「ええ、そう」

 どうやらハリソンと情報を共有しているらしい。
ならば私の過去や家族のことなどもレナードは知っていると考えていいだろう。
知っているとしても別に構わない。同じことを話す手間が省けていい。
…こういう思考だからシオに心配をかけてしまうのだろうが。

「レナードくんも本が好きなの?
 ハリソンくんが一緒についてきたことがあるって言ってた」
「…うん、まあね。僕は英雄譚とか冒険小説とかが好きだよ」

 そう言った彼は突然私の手首を掴み、何も言わずに唇を重ねてきた。
思いがけないことだったので私は目を大きく開いたまま固まる。
初めてのキスの衝撃は一生忘れないかもしれないが、感触は記憶にすら残りそうにない。
 座り直したレナードは涼しい顔で私と目を合わせると、冷たく微笑んで見せた。
その笑顔はぞっとする程美しく絵になる。

「――ハリソンとはキスしなかったの?」
「しなかった」
「そう。ハリソンは臆病だからな」
「優しい人なのよ、きっと」

 昨日まで付き合っていた彼氏の悪口にもとれるような言葉を聞くのは酷く痛ましい。
それが現在の彼氏であり実の兄弟が言うのだから尚更だ。
 それでもハリソンに対する情は一先ず昨日に置いてきた。
今はもう彼に対する想いはただの知り合いの一人だった頃にリセットしたつもりだ。
最後の仕上げの際にもう一度あの感情を呼び出せるかは分からないが、そのつもりでいる。

「――、君は分かってないな。
 彼氏の前で他の男の話なんてするもんじゃない。特に前の彼氏を褒めるような話なんてね」
「ごめんなさい、無神経だった」

 レナードは固まった私の手を取り右手で私の指を一本ずつ弄んだ後、物語の王子様がするように私の左薬指に唇を落とした。
俯いた彼の長い睫毛が白い肌にとても映える。

「僕の方こそ強引なことして悪かった。こう見えて嫉妬深いんだ。
 ――ねえ、二階を見て回っていいかな?」
「ええ、行きましょう」

 自称嫉妬深いというレナード。彼のトリガーは女が嫉妬した時だった筈だ。
自分が嫉妬深いからこそ相手の嫉妬も許せないのだろうか。
それともこれは彼から出されたトラップか、或いは攻略のヒントか。
 私はレナードについてはハリソンに聞いた家庭環境以外のことを何も知らない。
暫くは彼の情報を注意深く集めよう。


 日も暮れかけた頃、私たちは数冊の本を手に帰宅していた。
レナードは物語のコーナーをじっくり見て回り自身が好きだと言っていた冒険小説とその話の元となった歴史書を選び、
私は彼のおススメだという小説を二冊と、待ち合わせまで読んでいた遺伝子の本を借りることにした。

「そう言えばこの前のゲーム、プレイし終わったんだ。
 また別の借りていいかな?」
「ええ。少し帰宅が遅くなってもいいならこれから私の家に寄って選んで行く?」
「うん、そうさせてもらうよ。何かゲームが手元にないとそわそわするんだ。
 本は一日あれば読めるしね」
「分かる気がする。私もそうだった」

 今は貴方とのお付き合いが楽しみだけれど、と私は付け加える。
その言葉で彼は口角を少し上げる。レナードは私と同じように表情差分が少ない。
もう少し分かり易く笑ってくれたらいいのにと思うが、私も人のことを言えないと思い直し、
自らを省みるつもりで彼に笑いかけてみる。

はゲームとか本の話をしている時、楽しそうにするな」
「そうなの?自分では気づかなかった。
 そう言うレナードくんもそういう話をする時、楽しそうに見える」
「そうか。似てるのかな、僕ら」
「そうかもしれないね」

 顔を見合わせて微笑み合った私たちはごく自然に手を繋いだ。
レナードは指を絡ませるような手の繋ぎ方をする。こちらの方が密着度が高いのでドキリとしてしまった。
 彼はいつもこんな付き合い方をしているのだろうかと私は思う。
他の女子とも指を絡ませ、相手に嫉妬しながらもキスをしているのか。
彼を本気で愛しているのならば歴代の彼女相手にやきもきするのかもしれないが、今の私はそんな気持ちは抱けない。
二週間が終わる頃、私は彼のトリガーを思わず引いてしまいそうになる程嫉妬心を抱けるくらいに彼を好ましく思っているのだろうか。

 私に連れられ家へとやってきたレナードは私の部屋でゲームを物色し、そのまま部屋の様子も見て回った。
そろそろ夕食の時間になるので一緒にどうかと勧めると喜んで承諾する。
 この時間にも帰ってこないところを見ると、母親は今日も帰宅が遅くなるかもう一つの家にいるか徹夜で仕事をするのだろう。
一応母親が帰って来た時用であり、帰ってこなかったら明日の私の朝食にもなるおにぎりを別に用意しておく。
 そんな私の調理風景を見ていたレナードは心なしか機嫌が良いようだった。
物珍しい様子でおにぎりが握られていく様を見つめる。そんな彼は少し幼く見えた。

「手馴れてるんだな」
「ええ、母親が全然食に関心がなくてサプリメントや栄養補助ジュースで済まそうとするから昔から私が作ってる」
「君の母親ってホントに仕事人間なんだ」
「そうみたい。とりあえず医者なんだから自分の体も大事にしてほしいけれど」

 私はスープの様子を見る為、レナードに背を向けコンロの前に立つ。ホールトマトを使った夏野菜のスープだ。
生のトマトはこの辺の都市部では作られず高額なのと私は青臭さが苦手なのでホールトマト缶をストックしている。
トマトはうまみ成分を含んでおり、上手に調理すれば単品でもコクが出るので重宝しているのだ。
――そんな世間話を背中越しにレナードとしていると、彼がすぐ傍にやってきて鍋を覗く。

「良い匂いがする」
「味見してみる?貴方好みの塩加減が分からないし」
「うん――あ、美味しい」
「もう少し塩と胡椒を入れた方がいいかなと思ったんだけどどう?」
「うん、もう少し欲しいかも。
 …何だかこうやってると新婚の夫婦みたいな気持ちになるな」

 恋人ごっこをしている二人が新婚ごっこか、と私は一歩引いたことを考えてしまう。
それでもこうやって会話をしながら料理をするのは確かに楽しいと思った。

「そう、夫婦ってこういう感じなのね」
「…ああ、君は父親がいなかったんだっけ?」
「ええ」
「ごめん、配慮が足らなくて。
 だけど、夫婦や恋人にこれという形が存在するわけじゃない。僕は君とこうやってるのが楽しいしホッとする」
「…私もよ」

 付け加えるように父親がいないことは何とも思わない、とハリソンにも言ったようなことをレナードにも話す。
彼はそうか、と短く答え一度頷いた。
 レナードの人に対するスタンスは私と似通ったものがある気がする。
彼はあまり表情も大きく変わらないし、相手の心に寄り添うような反応はしない。
かといって冷たく無礼というわけではないのだろうが、傍にいても一歩離れたところにいるような感覚だ。
それは相手と適度に距離を置く為にできるだけ物事を主観ではなく俯瞰で見るようにしている私と何となく近いものを感じた。
 しかしながら一方でレナードは嫉妬深い面を持っている。
性格と恋愛体質は一致しないということなのだろうか。
だとすると彼に似たところのある私が誰かを愛してしまったら、彼のように嫉妬深くなってしまうのだろうか。それはとても恐ろしい。
嫉妬深いということはそれ程相手を愛してしまうことであり、相手への独占欲に心を支配されてしまっているということだ。
欲望に呑まれた人間は感情を制御できない。それに伴って行動も乱れるしまともな思考すら困難になる。
私をそんな人間にしてしまう相手がもし血縁者だったら、私は身もボロボロになり、社会的立場も失ってしまう。
 そんなことを考えながら、ローズマリーを下に敷いてカジキをフライパンで焼く。
合わせるのはパンが良さそうだが、ご飯が余ってしまいそうだなとも考える。
もしレナードが嫌がらないなら彼におにぎりを作って持たせてもいい。彼は興味深そうにしていたから。

「――今日はありがとう。食事も美味しかったし色々話せて楽しかった」
「私も。また良かったら一緒に食事しましょう」
「うん、是非」
「これおにぎりなんだけどレナードくんが嫌いじゃなかったらどうぞ。
 できるだけ今日中に食べた方がいいけど、帰宅してすぐに冷凍したら明日の朝までなら大丈夫と思う」
「ありがとう、いただくよ。
 が握るのを見てて美味しそうだなって思ってたんだ」
「そう、それなら良かった」

 手提げ紙袋を私から受け取ったレナードは今日一番親しげな笑顔を向けた。
美形の彼の朗らかな笑顔の衝撃はうっかり見惚れてしまう程だ。
今まで人の顔にも注意を払っていなかったので気にしたことがなかったが、
私の好みの顔はレナードのようなクールで大人びた顔なのかもしれない。

「――そうだ、
 僕のこと好きって言ってみて」

 別れの挨拶を済ませ、玄関のドアを開けようとしたレナードは手を止めて振り返った。
その顔は図書館カフェでの冷たい笑みに近いものがあったが、あの時ほど威圧感はない。
もしかすると彼が何か企んでいる時に薄ら笑みが漏れてしまうのだろうか。
普通ならば事前に感じ取れる時点で企みは成さないだろうが、彼は分かっていてやっている節もある。
彼からは子どもが悪戯をする前のような高揚感が感じ取れた。
 恐らくレナードのトリガーは嫉妬することなので、彼の悪戯に乗ることは大丈夫だろうと推察する。
寧ろ彼の悪戯を受け入れることは彼と交際を続ける最低条件かもしれない。

「私はレナードくんが好きよ」
「うーん…呼び捨てでいい」
「レナードが好き」
「うん、僕もが好きだ」

 レナードは私の頬を撫でるように触れた。
先程の意地悪な表情とは打って変わって細められた彼の瞳は少し優しい気がする。

「突然変なことを言ってごめん。これは僕の作戦なんだ」
「作戦?」
「君が僕を好きになるように暗示をかけているのさ。
 それに言葉には特別な力が宿るっていうしな」
「成程。自分で言葉を発することで潜在意識に訴えることもできるし、言霊の力も借りる、と」
「うん。ただ親交を重ねるだけよりも意識することで効果が高まるはずだから」
「…そんなにまで想って貰えるなんて嬉しいことだわ」

 私は彼の手に触れる。ハリソンの時は自身に禁じていたが、レナードは大丈夫だろうという考えがあったのだ。
私の考えは正しかったらしく、彼は手を重ねられたまま私の頬を親指で撫でた。

「君が心から僕を好きになってくれることを祈ってる」
「そうなれたらいいと思う」
「そうなるさ」

 そう言ってレナードは触れていた頬にキスを落として今度こそ帰っていった。
私は彼の唇が触れた部分を鏡で見た。特に表面に変化はないが、心なしか熱い気がする。
 色んな作戦を企てて私の心を自分に向けようとするレナード。
その気持ちは純粋な好意なのだろうか、それとも彼もゲームを楽しんでいるだけなのか。
口づけすらも簡単にしてしまう男だ。ハリソン以上に油断ならない。
 レナード、貴方は私のきょうだいではないわよね――と私は静かに呟いた。







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