一日完全に私は私だけのものとなり、冷静に自分の心を見つめてみた。
最初で最後になるかもしれないこの勝負。良くも悪くも一番思い入れのある相手を選んだ方がいいだろう。
――そうして、真っ先に私の頭に思い浮かんだのはルゥだった。
夏休み終了二日前となり私はルゥに告白する覚悟を決めた。
こちらの告白を受け入れてもらえない可能性はあったが、杞憂に終わりそうだとも思う。
別れてからまだ1日しか経っていない上、本当に彼が私を想ってくれているなら
交際が終了した今も彼女など作らず私の言葉を喜んで受け入れてくれるし、
もし遊びだったとしても私の告白を面白がって受け入れるだろうと思ったからだ。
――もう私を傷つけないと誓ったくれた、今度は自分が待つと言ってくれたルゥ。
その言葉は本気のものに聞こえたし、嬉しかった。そんな貴方を傷つけるのは酷く胸が痛い。
けれど、私は心の片隅で違う恐怖も感じている。
もし、私がトリガーを引き彼がルールを発動した瞬間、私は自分の勝利に思わず笑みを浮かべてしまうのではないか。
或いは私が遊びだったことを知り本気で傷つくルゥを見て喜ぶという嗜虐な心が目覚めやしないか。
完全にゲームの虜になってしまったら、この先私はもう純粋な恋愛は望めないだろう。
そんな狂気に憑りつかれてしまうかもしれない自分を何より恐ろしく感じるのだ。
もしもそんな私が生まれるようなことがあったら、その時はルゥがサンディにしたように冷たい視線で私を刺し、何事もなかったように接してくれたらいい。
そうすれば私はこれまでのように見えない血縁者に怯え、人と距離を置く日々に戻ることができる。
何度も目覚めながら漸く朝になり、私はルゥに告白することにした。
気持ちを落ち着ける為に甘めのホットカフェオレを作って一杯飲んだ後、私はルゥに連絡を入れる。
もしかするともう彼女がいて断られるかもしれない、と不安が襲った。
一日しか経っていないし、と思っていたがタイミングよく魅力的な女性から告白を受けて昨日から交際し始めた可能性もあるのだ。
不安や恐怖心で心拍数が上昇しているのが分かる。
「…もしもしルゥ?です。朝の忙しい時間にごめんなさい」
「いや、今なら大丈夫だ。どうした?」
一日空いただけなのにルゥの声が懐かしく思えて安堵感を覚える。
先程まではあんなに不安だったのに不思議だ。
「昨日一日考えたの。私、ルゥが好き。
…今、誰かと付き合ってる?」
「いや、そんなわけないだろ。お前のこと待ち続けるって言ったんだから」
「じゃあ、私と付き合ってくれる?」
「ああ、勿論OKだ」
携帯端末の向こうのルゥが「良かった」と安堵を漏らす声が聞こえてくる。
それが本当の気持ちなのか、手玉に取ってやったという気持ちからくるものなのかは私には分からない。
けれど私も同じようなものだ。騙し合っているのならお互い傷つかずに済むのに、と思う私の顔は何故か晴れなかった。
「あー、正式に付き合い始めた初日だからお前と二人で会いたいけど今日は合宿で別の学校に泊まり込んでるし、明日も練習試合なんだよ」
「そうなのね。明日の試合にルゥは出るの?」
「三年生が中心だけど多分出られると思う。
森林公園グラウンドであるから良ければ応援しに来てくれよ」
「ええ、行くわ。何時から?」
「試合自体は10時過ぎからだと思う。うちの学校は9時からそこで練習することになってるけどな。
応援席はあるが暑いだろうから帽子とかタオルとか用意しといた方がいいぞ」
「分かった、ありがとう。じゃあ、間に合うように行くわ。
ルゥも怪我とか熱中症とか気を付けて頑張ってね」
「ああ、ありがとな。お前が来ると思ったら俄然やる気が出たよ。じゃあ明日な」
「ええ」
ルゥの応援に行く約束をし連絡を終えると、私の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
計画が着実に進んでいることにほっとしたのか、それとも純粋にルゥに会えるのが嬉しいのかは今の私には分からない。
私自身、深く考えないようにしている。
以前ルゥには依存心と言ったが、スコールに襲われたあの日、ルゥの顔を見た時の体の底から滲み出るような安心感は今でも覚えている。
その時の安心感や彼に頭を撫でられる時の心地良さはもしかすると血の繋がりがあるからではないだろうか、などという考えも浮かぶのだ。
そんなありえもしないような考えを頭から切り捨てない限り、私は人を心から愛せないのだろう。
けれどルゥときょうだいでなければいいと思った私は、この時点でゲームの敗北条件を満たしているかもしれないとも思い至り、
一先ずゲームの遂行のみを考えることにしてそれ以外の感情は心の隅に追いやることにした。
翌日、試合前にルゥに差し入れを渡そうと思い早めに家を出た私だったが、差し入れすることも彼の雄姿を見ることもなかった。
行く途中にあるもう一つの家を簡単に掃除しようと立ち寄った際に床に落ちていた包装紙に気づかず踏んだ私は
そのままスリッパを滑らせ後ろ向きに転んでしまったのだ。
両手に乾燥させた洗濯物が詰まった籠を持っていたこともあり後頭部を打つ。
防音用のマットを敷いていたので外傷はないし打ち身も酷くはないようだが、場所が悪かったようで意識が薄れてくる。
しかし、薄れかけていた私の意識を完全に呼び起こしたのは携帯端末の緊急呼び出し音だった。
携帯端末にはバイタルサインに大きな変化が起こった際に位置情報と一緒に指定の連絡先に自動連絡する機能がある。
プライバシーを極端に気にする者からは批判される機能ではあるものの、
事故や急病の際に早急に対処でき、尚且つ犯罪抑制の効果もあり世間では注目されている機能だ。
任意でオンオフできるこの機能を私は常時作動させており、緊急連絡先は母親の携帯端末を指定していた。
「、大丈夫!?どうしたの?」
「…後ろ向きに転んで頭を打った。外傷も手足の痺れも吐き気もない。…けど意識が飛びかけた」
「打った場所を触れる?冷たい?熱い?」
「…熱い、かな。たんこぶみたいになってきてる」
「そう。それならすぐに命の危険があるというわけではなさそうだけど、でも、管理人と救急隊に連絡したからそのまま動かないで」
「分かった」
その後、すぐに管理人と救急隊員が来て私は母親が勤めている大学病院へ搬送された。
そして念の為にあらゆる検査を受けた後、今日一日は安静にするようにとベッドに寝かされた私は
突然のアクシデントによるショックと検査の疲れでうとうとし始める。
夢か現かの状態で私はルゥのことを思い出した。
今日は彼に会うはずだったのに、そして機を見てトリガーを引くはずだったのに。
こんなことになってしまったのは、もしかするとゲームを企てた私への罰だったのかもしれない。
「――ルゥ…」
夢の中の私は激しい雨の中にいた。暗くて冷たいこの場所は凄く怖い。
早く会いたい、早く迎えに来て、と私はルゥの名前を呼ぶ。
――その瞬間、手が温もりに包まれた。
待ちに待った人の声が優しく私の名前を呼んだ。
私の視界は一気に明るくなっていく。
「…大丈夫か?」
白い天井にゆっくりと焦点を合わせた後、私は声のする方を向いた。
そこには青ざめた顔をしたルゥが両手で私の右手を握っている。
彼の手は大きくて私の手と比べると少し硬く、一生懸命握っていたからなのか若干汗ばんでいた。
「ルゥ…来てくれたの?」
「当たり前だろ。お前が救急搬送されてるのを見たってハリソンから連絡があったんだ。
それで慌ててここに来たんだが受付に問い合わせても教えてもらえなくてさ。
イライラしながら待合室で待ってたら丁度お前のお母さんらしき人が現れたんで無理言って状態と部屋を教えてもらったんだ」
私は携帯端末で時間を確認する。
最後に母親と通信したのが9時45分で、現在は16時を回っていた。
私がうとうとし始めて一時間も経っていないような気もするし、いつからルゥが病院に来たのか正確な時間は分からないが
先程の話だと試合開始頃には病院に向かったようにも思える。
とにかく、完全に部活が終わる前に彼が来てくれたのは確かなのだ。
「そう。…ごめんなさい、大事な部活中だったのに」
「気にするなって。どっちみちお前のことが気になって試合に集中なんてできなかっただろうし」
穏やかな表情を浮かべてルゥは私の手を親指で撫でる。
その瞬間、私の目には涙が浮かんでいた。
――ああ、私が求めていたのはこの安心感だったのだ。
ルゥが傍にいて優しい眼差しを向けてくれるだけで私は幸せな気持ちになれる。
そんな彼に私も触れたい、彼に凭れかかるようにして抱きつきたい、という思いに駆られる。
この湧き上がる感情を恋というのではないだろうか。
「…ルゥ、私は貴方に謝らなければならないことがある」
「謝られることなんてないと思うけど。
それに今は余計なことは考えずに安静にしてろよ」
「いいえ、今どうしても話しておきたいの」
私は己の計画を全てルゥに話すことにした。私の完全敗北だと悟ったからだ。
部活と私の二者択一で彼は私を選び、そして私は彼を愛してしまった。ゲームは終わりだ。
せめて最後は正直に向き合いたいと思い、私は彼に嫌われることを覚悟して口を開く。
「私は貴方たち兄弟が沢山の女子生徒と付き合っているという噂を聞いていたの。
大体の子が期間が短く、しかも突然別れを切り出されると。
そんな話を聞いて私は貴方たちが何らかのルールを持って付き合っているんじゃないかと考えたわ。
その仮説を証明する為に私は安易な気持ちで貴方たちに近づいた。
…私はゲームをする為に貴方たちと付き合っていたの。
貴方たちの別れのトリガーを探り、最後に自分で引いて証明する為に」
ルゥは静かに話を聞いていた。けれど手は握ったまま離さない。
その温もりが私に勇気を与えていた。我儘ではあるが最後まで握っていてくれたら、と思う。
本気でルゥを愛している、と言うその時まで。
「私が想定していたルゥのトリガーは自分の世界に己の感覚で踏み込むような行動をした時。
比べることのできない大切なもの同士を比べさせたり、選ばせたりするとNGだと考えた」
彼は私の考えがあっているというように小さく頷いた。
けれど、私の話を止めようとはしないので私はそのまま話し続ける。
「今回のことは完全なるアクシデントだったけれど、ルゥは部活と私という本来同列に並べられないものを比べ、しかも私を選んでくれた。
その時点で私は負けたの。更に言うと私は貴方に会えたことも、貴方が私を選んでくれたことも凄く嬉しかった。
――こんなことを言っても信じてもらえないと思うけれど、私はルゥが好きよ。本当に…。
真摯な貴方を裏切ってごめんなさい」
私が目を閉じると大粒の涙が零れ落ちる。
人を傷つけるということはこんなにも苦しいことなのだ。
自分が傷つく以上の苦痛なのかもしれない。特に相手が大切であればある程に。
「裏切ってなんかないよ」
手を離そうとした私を制するようにルゥは手に力を込めた。
私の所業を聞いたにもかかわらずルゥは穏やかな顔をこちらに向けている。
――冷たい視線で貫いてくれたらいいのに。
最後まで優しくされると殊更惨めだし、こんな状況でも高らかに脈打つ心臓が憎たらしく思える。
「お前が聞いた噂は本当だし、お前が立てた仮説もあってるよ。
でも、お前は俺たちみたいな悪意はなかったろ?」
「悪意?」
「俺たちは女に対していい感情を持ってなかった。正直、馬鹿にしてた。所詮女なんてこんなもんだろ、って。
…ゲームをしてたのは俺たちだよ。に狙いを絞って落とそうとしてたんだ。誰が先に落とせるか賭けてた。…すまない」
「私だって貴方たちを故意に傷つけることを前提としていたわ。悪意はあった」
「でも俺たちと接してる時のはそのままのお前だっただろ?特に繕ったり演じたりとかはしなかったはずだ」
「それは確かにそう。変に演技しても怪しまれたり見破られたりすると思ったし、何より自分らしさを忘れた私なんて気持ちが悪いから」
「…うん、そういうところを好きになったんだよ。俺は」
ルゥは笑顔でそう言って私の掌にキスを落とした。
掌へのキスが意味するのは懇願。
ルゥは私に何を求めるのだろうか。
「――もしお前が俺を許してくれるなら、俺が好きだっていうこと以外お前が今話したことは全部忘れるよ。
だから手を離さないでくれ。ずっと俺の傍にいてほしいんだ、」
「ルゥ…!」
咄嗟に起き上がろうとした私を急いで止めようとしてルゥは覆い被さった。
至近距離の彼は「こら」と口を窄めて私を諌める。けれど私は反省することなく笑った。
この瞬間、たとえ世界がどうなろうと、ルゥと血が繋がっていると言われても今の私は構わない。
「ルゥ、好きよ」
この気持ちは理性では抑えのきかない熱烈で一途なものなのだ。
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