はのんびり星でも見ようと窓辺に向かう。
すると外から微かに邪気を感じた。
…サルサラじゃ…ないよね。伊絽波ちゃん…は当分私に近づかないって言ってたし…。
もしかして――
「アゲハくん?いるの?」
はウメ婆に聞こえないくらいの声で呼びかけた。
するとシュッと窓の縁に真っ赤な髪をした少年が腰掛けて現れる。
「よく分かったな。さすが巫女だぜ」
そんな彼の言葉にムッとしては少し頬を膨らませた。
「君もサルサラも巫女巫女って言うけど、私はって名前があるんだからね」
「知ってるよ、あんたの名前くらい。サルサラ様から嫌なほど聞かされたからな」
そう言ってアゲハは皮肉笑いをしてみせる。
可愛くないなぁ、とはそんな彼を見つめた。
「まぁいいや。今日は何しに来たの?」
「監視だよ。 あんたがイロハに会いに行こうとしないか、可笑しな行動をしたりしないか見張るようにって
サルサラ様に命じられたからな」
――サルサラの忠実な僕。
は先日アゲハの言った言葉を思い出す。
この人は自分の意思を持たないのだろうか。
自由に行動したいとは思わないのだろうか。
「アゲハくんってああしたいとかこうしたいとかないの?
自由になりたいっていう気持ちはないの?」
「ないな。感情は不要だからってサルサラ様がオレを作る時に排除したって聞いたぜ。
ああしたいとかこうしたいとかっていうのは感情があるから思いつくモンじゃねーの?
それにオレは魂だけの存在だったんだ。魂魄の寄席集まり…っつーのかな。
死んだ小さい生物とかの魂が集まってできた1つの魂っていうか……オレも詳しく覚えてねーけど。
気がついた時には海の底にいたし。
……だからお前の言うような感情とか心とか、元々ないと思うぜ」
「…感情や心がない…?」
だから初めて会った時、違和感を感じたのだろうか。
中身が空っぽのような、ただの邪気の入れ物のような…そんな感じ。
そんなことを考えていると急に胸が痛くなり、の目から涙が零れた。
「何だ?どうしたんだよ、どっか痛いのか?」
アゲハはポカーンとした表情で彼女を見るが、は首を横に振った。
こうやって人の形をして生まれてきたのに、感情も心もないなんて…。
そんなの生きてるって言えるの?
はアゲハの身の上に心を痛ませる。
彼の姿に今までの自分の姿が重なったのだ。
それでも今の自分は、自分の意思で精を受けるのを回避し続けている。
ただ嫌なことを先延ばししているだけかもしれないけれど…、
それでも何も考えずに大人の言うことを守って修行に明け暮れていた頃とは違い、自分の頭で考えてはいるのだ。
だから尚更、思考する機会も奪われたアゲハが気の毒に思えてしまう。
「――仕方ねぇなぁ」
そんな彼女の扱いに困ったのか、突然、アゲハはの身体を抱えて空へ飛び上がった。
「ちょっ…えっ!?」
いきなり外へ連れ出されたは驚き、涙どころではなくなる。
しかし彼女を抱えたままアゲハは家々の屋根を飛び移り、この町で一番高い山の上の更に一番高い木の上に向かう。
「ほらよ。ここ見晴らしがいいだろ」
そう言ってアゲハは木の枝にを下ろした。
「うん。確かに」
そこからは辺りがよく見回せて町の明かりが小さく見える程の高さだった。
しかも空には降って来そうな程の星が輝いている。
「わぁ、綺麗!」
はその星空に歓喜の声を上げた。
「お、元気になったみたいだな」
アゲハは彼女の様子を見て、屈託の無い笑顔を浮かべる。
「…アゲハくん……?」
この人は本当に感情がないのだろうか。
彼の笑顔を見ての心に疑問が生まれた。
ここに私を連れてきたのは私を元気付けたかったからなのではないだろうか。
だとしたら彼には感情があると言えるだろう。
それも優しさとか思いやりという素晴らしい心が。
「ありがとう」
ともかく、はアゲハに礼を言う。
「え? 何だ…その言葉?」
「んー、何ていうのかなぁ。上手くいえないけど…。でも、今の私はありがとうって気持ちなの」
照れや説明不足を笑って誤魔化しつつ、は満天の星空に目をやった。
今日の星は今まで見た中で一番綺麗に思えた。
は静かに微笑む。
「…あんたって…不思議な人だな。泣いたり笑ったり…」
そんなの横顔を眺めながらアゲハはひっそりと呟いた。
しかし次第にその表情は曇り、身体が震えていく。
「どうしたの!?」
その尋常でない様子に気づいたはアゲハに近寄るが、「来るな!」と彼に制止された。
「っ…クソ」
「あ…手が…!」
アゲハの両手がサラサラと砂になって形を崩していく。
「…やっぱりあんたみたいな霊気の塊に触れると、器がもたねぇみたいだな」
「どういうこと!?」
目の前で人の形を崩していくアゲハに動揺しながらは叫んだ。
「オレはな、元は砂なんだよ。それをサルサラ様の邪気で今の姿にしてもらったんだ。
だから邪気を浄化するあんたと直接接触したら、オレの身体の中の邪気がなくなってオレは砂に戻っちまう」
「そんな…」
私のせいでアゲハくんが…。
申し訳なさでの目からは次々と涙が溢れ出した。
「何で泣くんだ?」
「だって…だって私のせいでアゲハくんが…っ!」
「…オレのことで泣いてんのか?」
アゲハは呆然とを見つめた。
「…わかんねぇな。何で?オレたち、敵同士だぜ」
「だったら何でアゲハくんは私をここに連れてきたの?」
「…それは…」
アゲハは答えに詰まる。
彼自身、何故自分がそのようなことをしたのかよくわからなかった。
巫女の一定距離以内に近づくなとサルサラに言われていたのに、自分から接触してしまったのは何故だろう、と思う。
「…っぅ…」
ただ、目の前で涙を流す巫女はサルサラが言っていたように今までの巫女とは違うようだ。
サルサラが手に入れたいと言うのも少しわかる気がした。
「…今は形を留めておけないだけで、他の身体の部分やそこら辺に漂ってる邪気を分ければ
またすぐに元に戻るんだよ。だから…気にするな」
「…」
こんな弱々しい巫女をサルサラは恐れ、また面白がって手に入れたがっている。
サルサラが望めば自分は喜んでこの身が消えてしまってもこの巫女を連れて行くだろう。
しかしこの巫女は自分の為にまた涙を流すのだろうか。
そう思うと彼女の前で無闇に砂へ戻ってはいけない気がした。
「ほらよ。もう戻ったから泣き止め」
「…うん」
そう言うとはマジマジとアゲハの両手を見つめた。
確かに以前と同じように腕が生えている。
ちゃんと自分の手にとって確認したいが、そうするとまた腕が消えてしまうのでそうすることもできない。
「私では君を救うことはできないの?」
「…救う?」
「例えばサルサラが邪気で貴方の身体を作れたように、私の霊気でも同じようなことはできないの?」
「…知らねぇよ、オレはそういうのに詳しくねえし」
「完全な人間にはなれないの?」
は悲痛な表情を浮かべてアゲハを見上げた。
「…なれないっつーの。元は砂だぜ?どうやって人間になるってんだよ」
諦めのような表情でアゲハは言う。
それがにとってはもどかしい。
「私には…どうしようもないことなんだね…」
邪気によって形を成すアゲハを、邪気を浄化する自分が救うことはできない。
は途轍もない失望を感じていた。
伊絽波なら救えるかもしれないのに、アゲハは救えない。
そしてサルサラも…。
は自分の無力さに悔しがり拳を振るわせた。
「あんたは考えすぎなんだよ。巫女らしく偉そうにしてろよな」
「だって…」
「元気ださねーとサルサラ様にあっけなく吸収されちまうぜ?」
アゲハはフッと笑いかける。
絶対心がないなんて嘘だ。
は彼の笑顔を見てそう確信する。
しかし、心があるなら尚更このままにしておけないという思いに駆られた。
「そろそろ帰るか」
すると思考を止める声が聞こえる。
「駄目、私に触っちゃ!」
そう言って再びを抱きかかえようとしたアゲハから慌てて離れた。
「…でもあんた、ここから降りれるのか?」
「降りれるわよ!こう見えていろんな修行してきたんだから!!」
そうしては枝から枝へ飛び移り、近くの屋根へ飛び降りる。
「やるじゃねーか!おもしれー、競争しよーぜ」
「いいわよ!」
2人はの屋敷まで競争することにした。
静かな夜に2人が屋根を飛び移る音が響く。
「負けねーぞ、!」
「私だって!」
顔を見合わせる2人には不思議な絆が生まれていた。
遅くに出てきた為に短期間でかなりの急接近ですが、
今後2人の仲はどうなることやら…。
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!!
吉永裕 (2006.2.8)
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