――葉月はどうしてるだろう。
「…会いに行くだけなら大丈夫よね」
そうしては葉月の見舞いに行くことにした。
「…葉月」
目の前で寝ている彼は未だに顔色が悪い。
「…?」
「あ、目が覚めた?」
彼女の気配を感じたのか、ゆっくりと葉月の瞼が開いていく。
「…ずっと目、覚まさなかったんだよ。大丈夫?」
「…まだちょっとダルイね」
そう言って彼は少し身体を起こした。
「ダルイだけ?痛かったり苦しかったりしない?」
「うん。それは大丈夫だけどね」
「大丈夫だけど?」
は葉月の顔を覗き込む。
「――嫌な夢、見たよ」
静かな低い声で呟き、少し長い前髪を右手でかき上げるようにして彼は頭を抑えた。
「ここに引き取られる前の夢。 …いつも通りが助けてくれたけどね」
そんな彼の言葉で昔のことが思い出されてくる。
ここに来る前の葉月は、今よりずっと何もかもに無関心な目をしていた。
無関心、無表情、無感動――そんな子ども。
初めて彼の家に連れて行かれて、“イイナズケだ”とウメ婆に紹介された時から無口でこちらをあまり見ようとしなかった。
それでもこちらから手を握ると握り返してくれた。
何か話しかけると無表情だったけれど頷いてくれた。
静かで反応は薄かったけれど、彼は必ず受け入れてくれた。
だから私は彼と一緒にいるのが好きだった。
「もう2度とあの声を聞くこともないって思ったのにね。
邪気に反応して記憶が呼び起こされたみたい」
昔、遊びに行った時にその現場を見たことがある。
「何とか言いなさいよ!あんたのせいで私まで化け物扱いじゃないの!!
一族からも白い目で見られて、近所からは嫌がらせの毎日よ!」
「――あんたなんて産まなきゃよかった!!」
他人の私が聞いても胸が痛んだ。
ヒステリックに泣き叫ぶ葉月の母親は、悲しみを通り越し自分の殻に感情を閉じ込めてしまった無表情の彼に近づき、
何度も何度も平手を浴びせ、髪の毛を引っ張り、床に叩き付ける。
そんな状況に耐えられなくなった私は玄関の外から
「葉月くーん。遊ぼう!だよ」
と今、遊びに来たかのように呼びかけた。
すると私の名を聞いた母親が急いでやって来て、葉月の所へ案内してくれる。
その時のぎこちない笑顔は今でも忘れない。
「…ねぇ、葉月」
部屋で空を眺め続ける無表情な葉月の横顔を見つめ、私は口を開く。
助けたい。幼心にそう思った。
「うちにおいでよ」
その時の葉月の顔が忘れられない。
灯篭に灯が点ったような顔。
彼が初めて見せたホッとした顔だった。
「――葉月」
はベッドに腰掛け、葉月を抱き締める。
「どうしたの?」
「…無事でよかったと思って」
葉月が倒れて死ぬほど苦しかった。
昔の比じゃないくらい苦しくて、怖くて。
「葉月が無事でよかった」
「…ごめん、心配かけて」
そっと葉月は彼女の背に手を回す。
「はいつだって俺に手を差し伸べてくれた」
そう言うと彼は身体を離して彼女の手を握った。
「…今だってそうだ。の発する温かい光が俺を照らしてくれるから俺は生きていられる」
「葉月…?」
「ねぇ、」
心配そうに見上げた彼女を見つめたまま、葉月は穏やかな表情にも苦しそうな表情にも見える顔で口を開く。
「――結婚しようか」
「え…」
静かに発された言葉で時間が止まる。
しかし、次に葉月から発された言葉はズキンと胸を痛める言葉だった。
「…何てね。嘘だよ。 俺がお前と結ばれるなんて…許されないし」
は呆然と葉月から離れる。
切りつけられ潰された様な胸の痛みと、彼の“嘘”という言葉を受け止めることができない。
「…呪いのこと、気にしてるの?」
「気にしないわけないでしょ?」
「私は気にしない」
「前にも言ったでしょ。は良くても周りが――」
「そんなの関係ない!私は葉月以外の人の子どもなんて産みたくないっ!!」
「…」
は立ち上がると葉月に背を向け、溢れ出そうとする涙を必死に堪える。
好きなのに。
好きな人と結ばれたいのに。
相手が幸運にも許婚で、堂々と好きになれるのに。
何故、貴方はそれを許してくれないの?
『ガタン』
後ろから音がした。
振り向くとふらつきながら葉月が立ち上がっている。
「ちょっと駄目よ!まだ安静にしてなきゃ!!」
涙を拭くことも忘れて葉月に駆け寄るが、ギュッと抱き締められた。
「葉月…?」
「…俺にはを幸せにできる自信がないんだ」
細々とした葉月の声が聴こえる。
彼が何を考えているのか分からず、また突き放されてしまう恐怖には怯えた。
「俺は永遠に救われない。…そういう運命だから」
ウンメイダカラ…。
そんな言葉で片付けて欲しくない。
そんな言葉で諦めたくない。
だって私の人生も“運命”で片付けられてしまうじゃない。
「私は諦めない。運命だって何だって変えてみせるっ!」
だってそうじゃなきゃ、何の為に私たちは生まれてきたの?
ただ世界の為に自分を犠牲にして、未来へ子孫を残す為だけに道具のような生き方しか知らずに生きるなんて
あまりにも、あまりにも悲しすぎるではないか。
「葉月。私たちは…幸せになる為に生まれてきたんだよ。 葉月は勿論、きっと私も…」
「…がそんなことを言う人間じゃなければ。 巫女がじゃなければ…こんなにも悩まなかったのに」
「はづ――」
「好きだ。好きなんだ…っ!」
まるでそれは悲鳴のような告白だった。
「だから余計にを苦しめたくない。 に蔑まれる苦しみなんて知って欲しくない。
俺は絶対を不幸にしてしまう…!」
「…葉月…」
苦しいくらいに抱き締める彼からは悲痛さとへの愛が溢れていた。
「――私は、苦しんだりしないよ」
は葉月の背中に手を回して強く抱きしめる。
「私たちを傷つけようとする人がいるなら、私は戦うよ。
もしそれが無理なら私たちのことを全く知らない人しかいない遠く離れた土地に行こう?
葉月と一緒なら違う大陸に行ってもいい」
「…」
グッと瞳を真っ直ぐに見つめるの姿に葉月は涙を零した。
「…俺をもし救えるとしたら。それは…、お前だけだよ」
「救ってみせる。2人で幸せになろうよ、葉月」
「…うん」
優しい笑顔だった。
ずっと昔に失った感情を取り戻した笑顔の葉月がいる。
「好きだよ、葉月」
「知ってる」
そう言って葉月はにそっと唇を落とした。
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