「伊吹兄のところに行こうかな」
ふと伊吹のことを思い浮かべる。
幼い頃、一族の中では連絡役の伊吹兄の家によくウメ婆と行っていた私は、大人たちが話し合いをしている間、
ずっと伊吹兄に相手をしてもらっていた。
私がイタズラしても、何をしても笑って許してくれた大人の伊吹兄。
そのイメージが強いので、私の中で伊吹兄は憧れとも言える存在なのだ。
「…こんばんは」
は庵の玄関から頭をひょこっと出す。
その声を聞き、奥から伊吹がやってきてニコっと笑い手招きした。
「おう、よく来たな。入れよ」
「…お邪魔します」
そう言っては若干緊張しながら伊吹兄の庵に入り、クッションの上に座り込んだ。
「…っていうかさ、お前よく戻ってきたな。 普通よく知らない男に抱かれるなんて嫌だろ?」
「うん、嫌。…でも……」
嫌なものは嫌だ。
しかし…私はそんなことを言ってはいけないのだ。
頭に過ぎった考えを口には出さなかったが伊吹にはお見通しのようで、彼は苦笑するとポン、との頭に手を乗せた。
「そんなに深く考えない方がいいぞ。考えるだけ、疲れるってもんだ。 俺たちの一族は狂ってるんだよ」
「…そう…かもしれないけど」
――当事者の私としては、そこまで無責任になれない。
「…は昔からそういう目、よくしてた。 自分は犠牲になっても仕方ないっていう、な」
「…」
再びポンポン、と伊吹が頭を軽く叩く。
「じゃあさ、考え方変えようぜ」
「考え方?」
「10日間頑張れば、は自由になれる」
「…自由に…なれる…」
「そ。だからこの10日はもう少し辛抱しろ。 10日後、結界を張ればお前はもう巫女じゃなくなるんだから」
巫女でなくなる。
それはどんなに心を軽くする言葉だろう。
「その日が過ぎたらどっか行っても大丈夫だよ。
家を飛び出して、違う国で暮らして、好きな男と結婚して、好きな男の子どもを産む。
…な?これだったら気が少しは楽になるだろ?」
「うん」
は心から微笑んだ。
「あ、でも…」
「ん?」
「婚姻の儀までずっと男の人の精を受け続けたら、かなり妊娠する確率高くなるよね…」
「だったら子どもは俺が引き取ってやるよ。お前は好きなように生きろ」
「え…」
は信じられない様子で伊吹の目を見上げた。
何故この人はこんなことを簡単に言ってしまえるのだろう。
「もしかしたら俺の子どもかもしれないしな」
そう言ってニカッと笑う伊吹を見ては涙が溢れてきた。
いつだってそうだ。
彼はいつでものことを第一に考えてくれていた。
ただ単に優しい人だと思っていたけれど、もしかしたら許婚という立場だから
自分を犠牲にしようとしているのではないだろうか、とも思う。
そんな彼の気持ちが嬉しくて悲しい。
「…伊吹兄…」
「泣くなって。お前、昔は木から落ちても泣かなかっただろ?」
そう言って伊吹は頭を撫で続けた。
『ピチチチ』
窓から差し込んでくる光と小鳥の声で目が覚める。
私、昨日伊吹兄の所に行って…、泣いて…。
それからどうしたっけ…?
「起きたか?」
「!?」
声のする方を見ると、伊吹が隣で自分の方を見ている。
「も、もしかして…私っ…」
「大丈夫だって、何も起こってないから。
急に泣き出したと思ったら、すぐに眠っちまったんだよ、お前」
「あ、そうなんだ。びっくりした〜」
安堵するに伊吹は少し近づく。
「寝顔、可愛かったぞ」
「え!?」
「あとは寝相がよければ…」
「すみませんね!!」
そうしてたちは布団の中で笑いあった。
これから先、伊吹兄と私は今まで以上の仲になれるに違いない。
私はこの久しぶりの再会にワクワクしていた。
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