「…眠れないのか」
「あ…ごめんなさい。色々と考えてたら眠れなくて。
私がうろうろしてたら貴方が寝られないわね」
不思議な事態に遭遇したことで心のざわつきが静まらず全く眠くならなかったは窓辺に佇んでいた。
そんな彼女の気配を感じたのかドアの隙間からエドワードが顔を覗かせる。
「何を考えていた」
「…私のいた世界のこと」
は窓の外を寂しげに眺める。空には無数の星が青光りしていた。
星の数は変わらない筈なのにこちらの方が星が多く小さな光までよく見えるのはやはり圧倒的に灯りが少ないからだろうとは思うのだが、
死んだ人は星になるという話を聞いたことがあるは、実際に沢山の人が亡くなったこの世界ではそれがただの作り話だとは言えそうにない。
夜の冷気によるものなのか悲しいこの世界の現実に対する恐怖なのかは分からないが、はぶるりと身体を震わせた。
「……私は盲進する人間だから考えたこともなかった。
私は自分が死ぬと分かった時、大陸のことはきっと皆が何とかしてくれると信じて疑わなかったの。
だからエドにきちんと好きだと言えなかったこと以外は心残りなく命を終えたわ。
だけどよく考えたらあの世界もこの世界のように何もかも奪われてしまっていたかもしれないのよね。
そう考えたらとても怖くなったの…」
消え入るように呟いたは自身を両手で抱くようにして俯いた。
自分はなんて能天気なのだろう。当たり前のように生きているが、人や環境が変わらず存在すること自体が奇跡なのだ。
それに気付いたと同時にの胸に浮かんできた感情が二つある。
一つは恐怖。そしてもう一つは――
「それと、貴方がこうやって生きていることが凄く嬉しいと思った。
突然現れた私にも貴方は優しくしてくれた。そんな情に厚いところは貴方の本質であって世界が違っても変わらない。
たとえ私の夫とは違う人生を歩んだとしても、やっぱり貴方は私にとっては“エドワード・ロイセン”なのよ。
もし、シャルトリューさんやランくんのように貴方も死んでいたと伝えられていたら、私はきっと正気ではいられなかった。
沢山亡くなった人もいるのに自分本位だと思うけど、でも、貴方が生きていて本当に良かったって思うの……」
はそう言うと両手で顔を覆い声を殺して泣いた。
彼女の華奢な肩が震えるのを見ていられず、エドワードは羽織っていたカーディガンを静かに彼女の肩にかけそっと彼女の腕に手を添える。
それ以上のことはできなかった。夫と同じ存在である自分が抱きしめれば彼女を落ち着かせることができるのではないかとも思ったが、
エドワードはこれ以上に近づくのは良くないと考えたのだ。
これ以上彼女に心を寄せれば彼女がこの世界に存在しなかったことに対して怒りをぶつけてしまいそうだった。
彼女にとっては謂れのないことにもかかわらず、だ。
――何故もっと早くこちらの世界に現れてくれなかった?
何故よりによって別の世界の私を愛した?
何故、私はお前と出会ってしまったのだ――と。
「――エドワード。申し訳ないけれど明日、ラスティア山に連れて行って欲しいの。
私、宝玉の神様に会いたい」
急に顔を上げたと目が合い、エドワードは瞬間息を呑んで手を離し一歩後ずさる。
目と鼻の頭が赤いものの毅然とした顔で振り返った彼女の姿を不覚にも美しいと思ってしまったのだ。
エドワードは彼女の世界の自分が彼女のどこに惹かれたのか何となく分かった気がした。
ただ短絡的なのかもしれないが力強く前進するから目が離せない。そしてそんな彼女に巻き込まれることを悪くないと思ってしまう自分がいる。
彼女に関することで面倒なことを背負い込んでもきっと許せてしまえるだろう。恐らく彼女にはカルトスと似通うところがあるからだとエドワードは分析する。
カルトスは自分のことはさて置き、誰かのこととなると頑固で図太くなる。
思考は自分を起点としているけれども相手の存在を受け入れて自分のことのように相手の心を感じ取る性質を持つ彼女もまたカルトスと同じように他人中心に生きているように思えた。
「…分かった。連れて行こう」
「ありがとう」
エドワードの返答には安堵した様子で口元を綻ばせた。
そんな彼女を見てエドワードは無意識に眉間に皺を寄せる。
何故こんなにも彼女の求心力は強いのだ、とエドワードは思う。
くるくると変わる表情はレイラにも通ずるものがあり、彼女も驚く程の短い間にバーン国城に馴染み、災害後は人々を纏めるリーダーとなっている。
気丈で逞しいところも持ち合わせているがレイラもも本質が天真爛漫なのだろう。
そんな性質に無意識に慕情を抱いてしまうのはもしかしなくても自分が捻くれ者だからだ、とエドワードは眉間に皺を寄せたまま唇を噛んだ。
「提案があるのだが、ラスティア山に行く前に鏡を見に行かないか。
その鏡で問題なくお前が元の世界へ戻れるようならそれを持ってラスティア山に行く。
そしてラスティア山で事が済んだ後にすぐ鏡を使ってお前が戻れば日暮れ前には元の世界に戻れるだろう」
「そうね、流石エドワード!!
こっちの鏡はそんなに大きなものじゃなかったから持ち運びできるわね。
それならラスティア山から帰ってくる時間を考えなくても良いわ。ありがとう」
無邪気に喜ぶ様は先程までが纏っていた大人びた女性の雰囲気を一掃してしまい、一気に愛くるしいものとなってしまった。
それでついにエドワードは観念して苦笑する。
「ふん…お前の世界の私に深く同情する」
「え、どうしてよ?」
「お前と一緒の日々は騒々しいだろうと思ってな」
「それは否定できないけど……」
思い当たることが多々あったは返す言葉もない。夫には未だに落ち着けだの淑やかにしろだの言われているのだ。
出会ったばかりのエドワードにすらそう思われてしまったのは、己のがさつく性格に因るところであろう。
とはいえ、苦笑いを漏らした目の前のエドワードは今はもう目を細めている。
どうやら呆れられてしまったようだ、とは落胆した。やはり夫と存在を同じくする人間に愛想を尽かされるのは切ない。
一方、エドワードは別の世界の自分に羨望を抱いていた。
と共に過ごす日々は騒がしいことこの上ないのだろうが、毎日彼女の色んな表情を見れて退屈しないだろうと思う。
あちらのエドワードは文句を言いながらも彼女に振り回されることを喜び、また自分の行動に対して彼女がどんな反応を見せるのか楽しみに生きているのではないだろうか。
それはとても幸せな日々であろう。
「――夜深だ。もう休め、明日は早いぞ」
「ええ、そうするわ」
しっとりと柔らかくエドワードが声をかける。
その瞬間、はエドワードと打ち解けられたように思えて相好を崩した。
「エドワード、上着ありがとう。
おやすみなさい」
「…おやすみ」
そう言って二人はそれぞれの部屋に戻った。
一人でいては不安と恐怖に飲み込まれそうな静寂が辺りを支配していたが、
エドワードの存在で安心感に満たされたは異世界においても穏やかな気持ちで眠ることができたのだった。
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