「あ、そろそろ本格的に暗くなりそうね。じゃあ次が最後にしましょうか」

 奥から美味しそうな香りがしてきたのを合図に窓の外を確認したは最後の一枚を手に取った。
最後に作るのはあれにしよう、と思いつく。
 紙を折っている間、レジェンスとの思い出が頭を過ぎる。
生き返る前に関わったのはバーン国へ行くまでのひと月と少しという期間ではあったが、
彼ら一行もバーン国の皆同様に優しくしてくれた。彼らとの思い出も数多くある。

「はい、できたわ」

 鋏が見当たらなかったのでは手で一辺に切れ目を入れた。
するとレジェンスの表情が一際明るくなる。恐らく完成したものが何なのか分かったのだろう。

「これはウサギだな」
「ええ、そうよ」

 そう言ってはレジェンスにウサギの折り紙を渡す。
あの時もこんな風に喜んでくれたなとは思った。
自然と笑みが零れる彼女を見たレジェンスは不思議そうな顔を浮かべる。

「…私の友達もね、こんな風にウサギを見て貴方と同じように喜んでくれたことがあったなって思い出したの。
 その時は折り紙じゃなくてリンゴだったけれど」
「リンゴ?」
「ええ、リンゴを小さく切り分けて皮をウサギの耳の形に切ってあげたのよ。
 その時の彼のキラキラした目と嬉しそうな顔は忘れられないわ。
 今でも会うと時々その時の話をするのよ」
「そうか。その者にとっても良い思い出なのだろう」
「…そうだったら良いのだけれど」
「きっと良い思い出だ。私も今日のことはいい思い出になる」

 そう言ってレジェンスは笑顔を向けた後、少し寂しげな表情を見せる。
有難いことにこの時間がもっと続けばいいと思ってくれているらしい。

、また遊びに来てくれるか?」
「それは無理かもしれないわね。またすぐに旅立つ予定なのよ」
「だが私は見ていただけでまだ折り方を習っていない」
「折り方が知りたい時は私が作ったものを順に開いてみたらいいのよ」
「元に戻せなくなったら?」
「その時はレジェンスが新しい折り方で作り出せばいいのよ。正解は貴方の中にあるの。
 ああでもないこうでもないって悩みながら何かを生み出していくのは難しいことだけれど、楽しいことでもあるわ。
 貴方にもその楽しさを知ってもらいたい」
「…分かった」

 納得したのか引き止めるのを諦めたのかは不明だが、レジェンスはに向かって手を差し出した。
微笑みながらは彼の手を握り締める。

「さようなら、レジェンス。貴方の未来が一際輝かしいものになりますように」
「ありがとう、。そなたの旅が安全で良いものになるよう祈っている」
「ありがとう」

 自分の世界のレジェンスとはこれからも親交が続いていくというのに、には何だかこれが最後の別れのように思えた。
こちらの世界の彼とは恐らく二度と会わないだろうからその感覚は間違いではないのだが、頭では分かっていても寂しさが込み上げて来て涙が出そうになる。
レジェンスが自分のことを何も知らずに無邪気に慕ってくれたから尚更辛いのかもしれない。
しかし、素人判断なので何の根拠もないけれど時間をかけて人や自然などの良い環境に囲まれている今の生活を続けていけば
彼は平穏な人生を送れるようになるのではないだろうかとは思った。
 いつか彼が真実に向き合う時が来るのかもしれないけれど、今のにはそれが必ず必要だとはとても言えない。
きっと受け入れるのに多大な苦痛を味わうことになるだろうし、時間もかかるだろうということは想像に難くないからだ。
やはり大切な友人には苦しんでもらいたくはない。何も知らずに穏やかに過ごせるならそれでいいじゃないかと思う気持ちもある。
けれど彼はただ守られるだけの弱い存在でもないということも知っている身としては、全てを知りそれを乗り越えることができる人物だとは信じているのだった。

「あら、お帰りですか?皆様の食事も作りましたのでご一緒なさいませんか?
 もうすぐ夫や息子も帰って来るでしょうし」
「それは有難いことだがすまない。ちと時間がなくてな。また今度の機会に誘って欲しい」

 奥からエプロン姿のマーサが出て来てそう告げるが、カルトスは丁重に断った。
これからヤンと会って話をすることになっているのであまりここに長居するわけにはいかないのだ。
そのことを予め聞いていた彼女は予想していたようで「そうですか」と言うと奥に一度引っ込み、バスケットを抱えて戻ってくる。

「皆さんでお召し上がりください。大したものではありませんがスープとサラダを作りましたので」
「それは嬉しい申し出だ。マーサの料理は何でも美味で好きだ。有難くいただくとしよう」

 その後、バスケットを受け取り皆口々にマーサに礼を言って家から出たところで蹄の音が近づいてくる。
薄暗い中で馬とそれに跨る者のシルエットはまるで映画のようだとには思えた。
広い肩幅の青年は馬の速度を落とし、ゆっくりと停止させる。
 バーン国にいた頃、度々レノンと一緒に研究所を往復していたは馬の乗り方について簡単にレクチャーを受けたことがあった。
特に覚えていることは停止させる時のことで、ただ手綱を引っ張ればいいというものではなく、
踵を下げ、腰を張り重心を後ろにしてまず馬に減速させる合図を送ってから足で馬の身体を締め推進を止める。
そして最後に拳を握り停止を伝えると馬を驚かせたりストレスをかけることなく停止させることができるというものだった。
 突然口を思いきり引っ張られる馬の気持ちを考えるととてもそんなことはできないとレノンは言っていた。
寡黙ではあるが質問されると丁寧に答えを返してくれるし、動植物を愛する彼を優しい人だと実感した出来事だ。

「あれ、今日は大勢でどうした?」

 先程の会話である程度の予想はついていた。
停止した馬から降りたマーサに似た猫のような大きな瞳の青年がこちらの面々を驚きの表情で見つめる。
 ――ああ、ククルも私のことを知らないのだ、とは心の中で嘆いた。
彼はやや乱暴な物の言い方をすることもあるけれど、それは照れ隠しだということは彼と過ごすうちに気づくことができた。
物知りで勇敢、そして心配性な彼はやレジェンスにとって親友でもあり兄のようでもあった。
シャルトリューが後ろで見守るタイプなら、ククルは前に出て背中で守るタイプだった。
短い旅の間だけでなくが宝玉で生き返ってからもククルは色々と世話をしてくれている。
そんな交流を持っているククルだが、今、目の前にいる彼との間には何もないのだ。
分かっていてもやはり寂しい、とは思う。

「丁度良かった。ククル、お前に話したいことがある。一緒に来てくれるか」
「はぁ、いいけど」
「食事は用意してるからククルも持って行きなさい」

 明るい声でマーサがククルにバスケットを手渡した。
先程のバスケットにも十分な量の料理が入っていたように思えたが、更に追加されはマーサらの分は大丈夫なのかふと心配になる。
それを察したのか、彼女はに「沢山作ってるから大丈夫」とウインクしてみせた。
チャーミングで素敵な女性だなとはマーサに笑顔を返す。

「エドの家に行こう。恐らくレノンとヤンもそろそろ到着する頃だ」
「分かった。…その前に気になってることがあるんだが」

 そう言うとククルはの方を一瞥する。
は努めて心からの笑顔を向けて挨拶してみせた。
現在の状況と彼女の存在である程度理解できたのか、ククルは静かに頷き「じゃあ行こうぜ」とカルトスらを促す。
 その時、先程までマーサの隣にいたレジェンスが何かを思いついたのか急いで家に戻っていくと、革張りで角型の鞄を持って来た。
そしてそのままの前に進み出てその鞄を彼女に手渡す。
瞬間、ククルやカルトスの目が大きく開かれた。彼らの反応と鞄の重みでははっとする。

、これをそなたに」
「レジェンス、これは…」
「これは私の一番の宝物だ」

 もしかしなくてもこれはアーク国の宝玉であろうということはすぐに分かった。
のいた世界ではバーン国とアーク国でそれぞれ4つ集めていたがこちらでもそうだったのかもしれない。
鞄はそれ程大きくはないけれども横長で宝玉が4つは入りそうな大きさだった。

「申し訳ないけど、それはいただけないわ。
 それは貴方だけでなく周りの人にとっても大切なもののような気がするの」

 そう言って彼の手に戻そうとするが、レジェンスは首を振りの手にしっかりとカバンの提げ手を握らせる。
宝玉を押し合うような形になり困ったはレイラやカルトスの方を向いた。何とか彼らにレジェンスを説得してもらいたかった。
こればかりは折り紙のように簡単にプレゼントできるものではないのだ。
レジェンスは宝玉が何たるものかは知っているのかもしれないが、目の前の鞄に入っているものが本物の宝玉だと信じていないのかもしれない。
だからこんな初めて会った人間にも関わらず渡そうとしているのだろう。
彼は人が良いから…とはレジェンスに気づかれないように苦笑した。

「今この国には宝玉は必要ないと私は思う。ククルやヴォルフから聞いた話ではこの大陸は一つになっており、
 皆が手を取り合い、より幸せな明日を目指して今日を精一杯生きていると言う。
 私は以前、父上について国を巡っていた時にどのような国にしたいかとよく問われていた。
 その時、私は人々が希望に満ちた生活を送れるような国にしたいと答えていた。
 現在の国の状態は私の理想そのもののように思える。この国にはもう王は必要ない。
 私はまだ子どもで自分の体調も管理できないが、いずれは皆のように自らの手で地を耕し命を育みながら生きていきたい。
 だから宝玉に希望を託す必要などないと思うのだ。希望は我らの手で掴み取れる、そうだろう?」

 レジェンスはククルやカルトスの方を向いて口元を綻ばせた。
彼が自身を子どもだと信じ込んでいることは悲しいが、彼の端厳な顔は立派な青年のものだ。
心が退行していてもその内に国や民への想いを秘めている。いや、子どもの頃からずっと秘めていたのだろう。
レジェンスは人々を導く資質を昔から具えていたし、その資質を開花させるべく育てられたのだ。
しかしながら彼を立派に育てた父親の心が迫りくる災害の恐怖と国政の重圧に耐えきれなかった。
 はレジェンスの父親を知っている。
の世界ではアークバーン国の大統領に選出された程の人物であり、ドルス・ホーリー大統領を知らない者はいない。
バーン国王であったカルトスの推薦とアーク国民の圧倒的支持により第一代アークバーン国大統領となったのだ。
統一国家となった為に新たな社会基盤の確立と、アーク地方とバーン地方それぞれの特色を生かしながらも交流を深めて相互理解し合い
皆が手を取り合う国となるべく尽力しているドルスは大統領になって四年目に突入しているが未だに支持率は高く、引き続きもう一期努めるのではないかと言われている。
 そんな彼だが、この世界では何もかもが思い通りに行かずに絶望してしまったのだろう。
王の責任を放棄し民を見殺しにしたことは許されることではないが、人の心は本来とても脆く弱いものだ。
詳しいことは分からない自分が簡単に口にしてはいけないことなのだろうけれど、極限まで追い込まれたドルスは気の毒だと思う。
そしてそんな彼に酷い仕打ちをされたレジェンスや亡くなった大勢の人々はもっと…と、は自分の顔を穴の開く程見つめるレジェンスを打ち見るがすぐに目を伏せた。

「宝玉は全て集まってはいない故、伝説のように奇跡は起こせぬが単体でも不思議な力があるという。
 私やヴォルフ達が助かったのも恐らく宝玉の加護だろう。
 そなたは旅をしていると言ったな。この時勢だ、危険なこともあるだろう。
 どうかそなたに持っていて欲しい。そなたに何かあったと知れば、私は酷く悲しむことになる」
「レジェンス、でも…」
、折角の申し出だ。受け取るといい」

 レジェンスとマーサを除き、を含む周りの者が一斉にカルトスの方を向く。
レジェンスだけでなくカルトスも宝玉の大切さを知っている筈だ。
彼がバーン国には関係のないアーク国の宝玉だから良いなどと言うような無責任な人ではないことをは良く知っているし、
宝玉はアークバーン大陸にとって重要なものなのだ。それなのに何故彼もまた異世界の者に渡しても良いと思ったのだろうか。
勿論、は受け取るつもりなどないけれども。

「でも…」
「現時点でこの大陸には宝玉を必要とする者はいないということだ」
「だったらいざという時の為に大切に保管しておくべきよ」
「もし宝玉に頼らねばならないような得難い未来を手に入れたとして、人々はそれまでと同じように生きていけるものなのだろうか。
 努力せずただ与えられるだけの環境はいずれどこかに歪みが生まれるような気がするのだ」
「だけど、もしまた今回のようなことがあったらそんなことは言っていられないと思うの」
「…その時もまた乗り越えてみせますわ。自らの力で」

 そう言ってレイラはカルトスの隣に立ち、彼の腕にそっと触れる。
そして二人で暫し見つめ合った後、一緒に頷いた。

「兄が貴女に宝玉を託したいと思った気持ち、私にも分かります。
 少ししか関わっていないけれど、貴女はとても優しい方。
 …どうか宝玉を受け取ってくださいまし」

 レイラの柔和な笑顔にはついに根負けした。仕方なくと言っては失礼であるが心ならずも宝玉を受け取る。
とはいえ、自分の世界に持って帰ることもできないので後でこっそりククルにでも渡すつもりではあるが。

「分かったわ。有難く頂戴します」
「良かった。そなたならば宝玉の持ち手として間違いあるまい」

 漸くレジェンスは安堵の表情を浮かべる。
そんな彼とマーサに今度こそ別れを告げ、とカルトスらはレジェンスの家を後にした。
完全に日が沈み、ランタンの光だけでは少し心許なく思える程に辺りには人工物が何もない。
自分達の足音だけが浮き立って聞こえる程に静寂が広がる荒野のような光景には差し含む涙を誰にも気づかれないように拭った。
レジェンスがいずれ自分の手でこの地に命を育みたいと言うのだからきっと近い未来ここは緑あふれる地になる筈だ、と
は祈りにも似た思いで心の中で自分に言い聞かせた。





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