「――おお、カルトスとレイラ、それにエドワードも。珍しいな、皆が来てくれるとは」

 彼らに案内してもらったのはエドワード達の住まいから少し離れた場所に建てられた小さな家だった。
そこにはレジェンスと一緒にククルの家族が住んでいるらしい。
 その家の庭と思わしき空間にしゃがみ込んで何か作業をしていた二人の青年が立ち上がり、金髪で見た目美しい青年が柔らかい笑顔を浮かべる。
彼の隣に立っているのは顔に大きな傷があり隻眼ではあるものの中性的な顔立ちの青年。
は思わずレジェンスとレノンの名前を叫びそうになる。
 ――廃人なんかではないじゃないか、レジェンスはあんなにも素敵に笑えている!!
話を聞き、てっきりベッドに臥せているものと思っていたが目の前の彼は何だかとても元気そうで、“普通”だった。
しかしそんなの心情を察したのか、エドワードはすかさず彼女に耳打ちする。
 アーク国で投与されていた薬の影響は薄れてきているが彼は未だ精神を病んでおり、専用の薬を飲んでいる。
精神的に不安定な時は部屋に閉じ籠っているが、調子がよくても以前とは確実に違う。
彼は退行してしまっているのだ。自身の心を守る為に皆に愛され父親を慕っていた少年時代に戻ってしまっている、と。
 その言葉はの喜びや期待といった感情をあっさりと打ち砕いた。
側にあった井戸で無邪気に手や顔を洗うレジェンスは確かにの知っている彼とどこか違う。
町の中で肩の力を抜いていても彼は気品に溢れて優美であったが、服を濡らして頭を振る今の彼は下品というわけではないけれど奔放で自由気ままに見える。
もし王家で育っていなければこんな風になっていたのかもしれないとは思った。
そしてそんな姿はもしかすると彼にとっては真に望んでいたことかもしれないとも。

「今日は調子が良さそうだな」
「ああ、今日は頗る調子が良い故、レノンと一緒に花の種を植えたぞ。
 ――ところで、その女性は初めて見る。そなたらの知り合いか?」

 そう言った後、レジェンスはレノンに少し隠れ警戒した様子でを見つめた。
自分に危害を与える者なのではないだろうかという彼の怯えた目線は彼女の胸を締め付ける。
けれど、とは考え直した。レジェンスは生きているのだ。だとしたらこれから先の未来は色んな可能性を秘めている。
少しずつ、もしくは劇的に改善に向かい以前のような彼に戻る可能性は大いにあるのだ。
 は思う。自分の取り柄は何事も恐れずぶつかっていく図太さと無謀とも思える前向きさだ。
だとしたら自分はどこまでもレジェンスの幸せな未来を信じるしかないのだ、と。

「初めまして、私はよ。貴方のお名前は?」

 はレジェンスと目線を合わせて穏やかに挨拶をした。
彼女の柔らかな笑顔と雰囲気にレジェンスのみならずレノンも緊張を解いたようで二人の表情の硬さは取れていき、
レジェンスはおずおずとレノンの背後から出てくると、はにかみながらを見た。

「私はレジェンスだ。…ところで、そなたはどこから来たのだ?
 カルトス達と同じ所に住んでいるのかと思ったが、レノンも知らないようだから」

 レジェンスがそう言うとレノンが頷く。
もうここでは数回経験したことなのにもかかわらず、友人から知らない素振りをされることには傷付いてしまう。
そのくらい彼女にとっては彼らが大事な存在なのだ。胸の痛みはそのことを自身に否応なく実感させる。
だが、は発奮した。自分の存在をレジェンスにとっての傷にしてはならないと。

「ええ、私はここの人間じゃないわ。あちらこちらを旅して回っているの。だからカルトス達にもさっき出会ったばかりよ。
 そうしたらカルトスに素敵な友人がいると教えてもらって、ここまで連れて来てもらったの。
 ここには少しだけしかいられないけれど、私も貴方とお友達になれるかしら?」

 がそう言うとレジェンスは驚いたような様子だった。
しかし彼女の申し出は嫌ではなかったようで、家を見せてやると言っての手を引っ張っていく。
そうして連れて行かれた家は木と土の簡素な造りだったが、漆喰の壁にはレジェンスが描いたと思われる絵が点在しており、は温かみのある家だと感じ取った。

「あら、お客様ですか?」
「ああ、皆ともう一人客人が来てくれた。、彼女はマーサ。私の幼馴染のククルという者の母親だ。
 マーサ、彼女は。旅をして回っているそうだ」
「まあ!旅の方」
「はい。初めまして、と申します。突然お邪魔してすみません」
「いえいえ、お客様は大歓迎ですよ」

 扉の開いた音に奥からポニーテールの女性が出てきて会釈をする。
好奇心旺盛に見える大きな瞳にククルの面影を感じたはククルは母親似なのだろうと思いながら会釈を返した。
その後、簡単に挨拶するとカルトスがそっと彼女とレノンを外に連れ出す。
恐らく自分のことについて説明してくれるのだろうとは思って気づかないふりをして見送った。

「これはレジェンスが描いたの?素敵な絵ね」

 が壁を差してそう言うと彼は嬉しそうに笑い、自室の机から紙の束のようなものを取り出してきてに見せた。
そこには沢山の花や動物が描かれている。王族としての教養で身に着けていたのかは不明だが、彼の絵は素人目に見ても非常に上手であり
彼が精神を病んでいることをうっかり忘れてしまう程であった。

「これはエドワードが作ってくれた積み木だ。数字が書かれているから色々な遊び方が出来るのだ」
「まあ、それは面白そうね。それにしてもレジェンスは綺麗にしまっているのね、とても大切にしているように見えるわ」
「ああ、この積み木や色鉛筆は私の宝物だ。勿論、カルトス達も宝物なのだぞ」
「ふふふ、素敵なことね。お友達と一緒の時間は楽しいものね」
「ああ、楽しい」

 そうして二人は顔を見合せて微笑み合った。
達が話している間にカルトス達は外から戻って来ており、ヤンを連れて来るように言われたらしいレノンはそのまま研究所に向かったようで彼の姿だけなかったが、
少し離れたところから見ていた彼らも皆優しい顔をしている。

「私も貴方に何かプレゼントできたらいいのだけれど……あっ!」

 首を捻ってレジェンスへのプレゼントを考えていたはふと閃く。
そしてレジェンスの紙の束から一枚譲ってもらっても良いか、と彼に尋ねた。
不思議そうな顔をしてレジェンスが頷くと、は一枚の紙を三角形に折り、正方形を形作って余った部分を手で丁寧に千切っていく。
彼女が一体何をしようとしているのか予測できないレジェンスはの細い指の動きを興味津々に見つめているが、すぐに彼女は「でーきた!」と明るい声を上げた。

「これ、何か分かる?」

 がそう言って差し出したのはチューリップの折り紙であった。
のいた世界ではアークバーン大陸に折り紙という文化はなかったと記憶している。
見たことがあるのは精々食事用の折られたナプキン程度で、紙を折って作られた物は出回っていなかった。
だとしたらこれはレジェンスが初めて見て触れる文化であり、何かしらの刺激になるか記憶に残るかもしれないとは思った。

「分かったぞ、それは花だろう!もしかしてチューリップか?」

 レジェンスは嬉しそうに折り紙を指差した。も笑って「凄いね、当たり!」と彼に手渡す。
するとレジェンスは色鉛筆を取り出してきて、それに色をつけ始めた。
チューリップが眩しい黄色に染まっていく様はまるで命が吹き込まれていくようだ、とは思った。

は他には何が作れるのだ?」
「そうだなー、じゃあ次はね…」

 そうして彼に望まれるまま、は暫く折り紙を折り続けた。
レジェンスは彼女の指を目を輝かせて追ったり、次に折る用の正方形を作っていたりもした。
彼女が作った星や苺や蝶、小鳥や馬などは次々と色づけされていき、レジェンスの宝物を入れる箱の中に収められていく。

「うむ、これは何だ?」

 それまで見事に何を折ったのか当てていたレジェンスであったが、次にが差し出した折り紙を見て唸り声を上げる。
色がついていない状態では何を折ったものか分かりづらいかもしれない、とは思った。

「そうね…じゃあヒント。私が色をつけても良いかしら?」
「ああ」

 はレジェンスから色鉛筆を借りた。借りたのは赤の色鉛筆。
自分にとってそれは大切なものである。最愛の夫の象徴とも呼べるものかもしれない。

「分かった!それは薔薇だな?」
「正解よ。察しが良いわね、レジェンス」

 そう、薔薇だ。いつも薔薇の香りを纏っている夫をは思い出す。
女性的な香りの筈なのに何故かとても合っていて、出会った時から印象的だった。
こちらの世界のエドワードに背負われた時は感じなかったけれど、恐らく状況が状況なだけに
薔薇を入手することが難しく風呂に浮かべるどころではないのだろう、とは想像する。

「私の夫は薔薇が好きなの。だから私にとっても一番好きな花になったわ」
「ほう、は結婚しているのか」
「ええ、一年程前に結婚したわ」
「そうなのか。どのような者なのだ?」
「そうね…。吊り目がちで愛想が良くないから見た目は冷たそうに見えるかもしれないわね。
 他の人に対してはどうか分からないけど物の言い方も突き放したような言い方をすることがあるし。
 だけど本当は情の厚い人よ。大局を見据えて自分が悪者になっても仕方がないと割り切って自分のことを後回しにする人だわ」
「成程。そなたは夫君を余程愛していると見える」
「ええ、勿論よ」

 とレジェンスが会話をしている様子をエドワードは渋面を作って見ていた。
彼女の夫が誰かを知っている為、何だか自分のことを話されているようだと思うし、先程知り合ったばかりの人間に何もかも見透かされているようで気に食わない。
ただ、違う未来を歩んでいる二人のエドワードが現在の時点で全く同じだとは思わないし、エドワード自身、彼女が言ったような自己犠牲的精神は持っていないつもりだ。
それでも捻くれていると自覚している自分の性質を好意的に捉えてくれる人間もいることは悪い気はしなかったし、
実際にそんな自分でも重宝し宰相という位を与えてくれたカルトスや、こちらが皮肉を言っても気兼ねなく接してくれるレノンやヤン、ククルの存在もあって彼らの前では少し肩の力を抜けた。
有難いことに彼らは“エドワード”という人間を理解しようとし受け入れようとしてくれているし、能力や技量的にも頼りになるという信用があるからである。
勿論、災害前は誰も頼れなかったというわけではないのだが、人に任せるよりも自分がした方が早いと思っていたエドワードにとっては自分が仕事を抱え込んだ方が結局は早く済むので誰も頼れずにいたのだった。
 しかしながら災害後に気づかされたことがある。
自分はあまり肉体労働は向いていないということと自分で考えているよりずっと短気で完璧主義者だったということだ。
津波が地面を抉り地表のものを悉く奪って行った後、圧倒的に人手が足りない中で家の土台作りや開墾、井戸掘りなどしなければならなかったが
文官であった己の手には作業道具が全く馴染まず多々苦労したし、
やっとのことで除塩作業が済んだ畑に育苗した苗を植えた後も育成が天候に左右され心を大いに乱されたことは予想外であった。
すぐに望んだ結果を欲しがるのは何だか子どもじみていると何度も自己嫌悪したものだ。
今ではそれなりにデータがあるのである程度の天候の予測はたてられるし、復旧と復興には気の遠くなるような期間が必要であると理解できた為、
比較的穏やかに日々の仕事に着手している。
 そんな自分との世界にいる自分が全て同じということはないだろう。
いや、恐怖や苦労を味わったことのない者と同じであってたまるものかとエドワードは思った。





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