「うう、痛いよー」

 鏡から飛び出してきたはそのまま床に転がるが、昨日怪我した膝を打ちつけて暫く悶えていた。
傷の手当てはしてもらっていたが、体勢を崩して膝から着地してしまったので打った痛みの方が強い。
とはいえ、実際に手当てされた膝を見ると本当に世界を越えて彼らと交流したのだと実感せざるを得ない。
さて、これをエドに正直に話すべきかどうかとは考えを巡らせるが、玄関のチャイムがなったので思考を停止し慌てて玄関へ走った。

「どうした、騒々しい」
「あ、エド!お帰りなさい」
「何かあったのか?各地に現れていた影は次々に消えているという報告を今、レノンから聞いたが」
「いいえ、危険なことは全く」
「そうか、それなら良いが」
「それにしても早かったわね。ちゃんと研修は受けてきたの?」
「ああ、受けた。帰りは転送装置を使わせてもらったのだ」
「え、個人的理由による使用は自己負担でしょ?高かったんじゃない?」
「そのくらい構わぬ」

 旅行用のアルミでできたトランクを置いてエドワードはを抱きしめる。
彼の薔薇の香りが何だか酷く懐かしく感じ、は安堵した。
エドが一緒に生きたいと宝玉に願ってくれたおかげで今の自分はここにいる。
あちらのエドワードにああは言ったけれど、やはり同じ時を同じ種族で生きていきたいものだとは思った。
いくら出会えたとしても猫として生まれた自分がエドワードに片想いするような状況は流石に悲しい。
 などとおかしな想像をしながらはエドワードの背中に回した腕に力を込めた。
そして、やはり彼には全て話しておこうと決心する。
信じてもらえないかもしれないけれど、でも、別の世界も存在するのだと言うことを、
別の世界で彼らは精一杯前を向いて生きているのだと知ってもらいたいから。


「…成程。それでか」
「何のこと?」

 登山をして汗をかいていたは気持ちを落ち着かせる為にも入浴することにし、
その後、リラックスした状態で一連のことを話した。
 こちらとは違う運命を辿った別の世界へ行ってしまったこと、そこで会った友人らが皆、逞しく生きていたこと、
カルトスとレジェンスに宝玉を渡されて神様を呼び出し話をしたこと、そして向こうのエドワードに抱いた感情のことも。

「お前は普段、愛称で呼びたがらないだろう」
「ああ!そういうことね。
 …愛称って親しみを表すものだけど、でも名前って大切に考えてつけられたものだから
 ちゃんと正確に呼びたいなって気持ちがあって今まで愛称は使わないようにしていたの。
 でも、呼び分ける為に使ってたから違和感なくなっちゃったわ」

 区別するつもりはないけれど、向こうの世界のエドワードを知ってしまった今は夫のことをエドワードと呼ぶことは少し戸惑われた。
同じ存在ではあるが二人は違う人間だ。これから先、もっと彼らは違う人生を歩んでいくことになる。
エドワードと言う度に自分はあちらの世界のエドワードを思い出すだろう。それは夫であるエドには失礼で不快なことだ。

「…嫌なら前のように呼ぶけど」
「構わない。呼び名などどうでもいい」

 エドワードはそう言うとを抱き寄せて唇を重ねる。
乾かしたばかりの彼女の髪は夫と同じ薔薇の香りを纏っており、甘やかな雰囲気の中でする口付けはとても甘美だ。

「…お前が無事に戻ってきて良かった。
 一人で無茶なことはしないでくれ、頼む」
「ごめんなさい、心配させてしまって」

 はエドワードの首筋に顔を埋めて目を閉じる。
彼と自分の心音が聞こえて何だかとても安心した。
 自分はきっと“エドワード・ロイセン”という存在に恋し続ける運命なのだ。
あれとはまた違う別の世界でも彼に惹かれている自分が存在するかもしれない。



「…それで結局、研究所は黒い影を追究できなかったのね?」
さんの話をそのまま報告書に書いても信じてもらえないでしょうし、参りましたよ。
 残念ですが影のことは原因不明で処理しました」
「それでいいのかもしれないわ。
 別の世界では自分が死んでいたかもしれないなんて知ったらパニックになる人もいるかもしれないし」
「アーク地方の皆にはそのことは?」
「話していないわ。とても私からは話せない…」
「確かにククル以外は複雑だろうな」

 が別の世界に行き、戻ってきてから数日後。
、エドワード、レノン、ヤンの四人は夜の教会に集まり、各々小さなキャンドルを手にする。
 カルトスは外国に住んでいるし、アーク地方の友人らには敢えて声をかけなかった。 
いつか彼らにも別の世界が存在するということは話す時が来るかもしれないが今のには上手く説明できそうにないし、真実を全て話す必要はないだろうとも思う。

「カーン・カーン」

 キャンドルに火が燈され、教会の鐘が夜のしじまに鳴り響く。
正式な儀式ではないしささやかではあるが、自分たちの祈りがあちらの世界に届けばいいとは思う。



 が鏡の世界から戻って以降、アークバーン国に不可思議な影は現れてはいない。
そして彼女の部屋の鏡が別の世界へ通じることも二度となかった。






−完−


何とか間に合いました!
サイト8周年記念作品でした。

ただ、アークバーン作品全般に言えることですが、災害の件は本当に書いててつらいです。
アークバーンの設定を考えたのは今から10年近く前のことで、当時は日本がまさかこんなことになろうとは考えてもいなかったものですから…。
拙宅の作品を読む中で拒否反応を示したり気分を害される方は勿論いらっしゃると思います。
そんな方には申し訳ありませんが読むのを中断していただく他にはありません。
一度公開した作品ですので、設定を捻じ曲げることもよろしくないと思い、そのままの設定で公開し続けていますし
今回のように新たな作品も書き続けております。
完全に私の考えた妄想上の物語であり、フィクションであるということを了承した上で楽しんでいただけたらと思っております。

さて、作品の話をさせていただきますと、今回はヒロインさんがエドワードをエドと呼ぶきっかけになった話を書けたらなと思って作った話です。
副題は「鏡の中のエドワード」です(笑)
それが何ともおかしな方向に行ってしまい、SSの筈だったのにもかかわらず収拾をつけられずになかなか書きあがらなかったのですが…。
また読んでいただいている方にはお分かりでしょうが、この話は普通小説部屋にある『アークバーン物語 〜The end of ArcBarn〜』とリンクしております。
勿論、『アークバーンの伝説』の相手をエドワードに固定しているわけではないので、
ヒロインとエドワードがくっついた場合の世界とヒロインの存在しない世界が繋がった一つの可能性の中の話です。
皆様のお気に入りの相手を夫とした場合、ヒロインさんの行動にどんな違いが出てくるだろうか、なんて考えて楽しんでいただけたら嬉しいです。
しかし夫がカルトスやアーク国の連中だとどんよりすることになりそうですが^^;

ちなみに、鏡の向こうに気配を感じ手を突っ込むと向こうの世界に行っちゃう、というのは私が夢で見たそのままの状況だったりします。
あと、本当は向こうのエドワードともっと突っ込んだ恋愛してて数ヵ月後妊娠したけど実は向こうのエドワードの子どもでしたみたいな昼ドラ的話にしてもいいかなとか、
向こうの世界のエドワードが鏡を割ろうとする、なんてシチュエーションも考えたりしたんですが、もう時間がなかったので構想を練れなくてこんな形に収まりました。
昼ドラ展開期待した方、ごめんなさいね。

というわけで、8周年という区切りにもかかわらず
完全に自己満足で既存の作品の外伝のようなものを書いてしまい申し訳ありませんでした!
本当は完全新作の話を間に合わせたかったんです。間に合わせたかったんですよ(´д`、)
その話も早めに公開できるように頑張ります。

作品の内容も拙く書き手自身も未熟者でございますが、なんとか8年もサイトを続けて来れましたのは応援してくださる皆様のおかげです。
今更一般的な話を書いてもつまらないのでこれからも私らしい作品を書き続けていこうと思っております。
R⇔Rと管理人はどこまでも突っ走って参りますのでこれからも宜しくお願い致します!

裕 (2013.11.3)


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