隣の石田くん 特別編 〜It is love〜
スーツ姿の私は背筋を伸ばして校門から一歩踏み出し、
学校の敷地内に入った。
私は春からこの学校の先生になる――
――晴れ晴れとした気持ちで校舎を見上げる。
すると、数百メートルほど先にある玄関と思われる場所から1人の男性が出てきた。
「あの…すみません。職員室の場所を――っ」
声をかけて相手が振り返った瞬間、私と目の前の人物は固まった。
なんと目の前にいたのは――
「石田くん!?」
「及川!?」
パーカーにジャージ姿の彼は、あの頃よりも少し頬が細くなっていて青年の顔をしていた。
それでもやはり彼の真っ直ぐな瞳は変わらない。
何だか夢でも見ているような気持ちでポカーンと口を開けたまま彼の顔を眺めると、石田くんは昔のように強気にニヤっと笑った。
「まさか母校でもない学校で再会するなんてな」
「ホントに…。 っていうか、何でこっちに戻ってるのに連絡もしなかったのよ!」
スーツ姿でプンスカ怒る様子が可笑しかったのか、彼は肩を震わせて笑っていた。
あれから7年も経ったのに、私たちの間にはあの時代の風が流れているような気がして
彼の返事などどうでもよくなり、私も彼と同じように体全体で笑った。
父親の仕事の都合でアメリカに一家で引っ越した後、二年次に向こうの大学から日本の大学に編入して卒業した石田くんは
この県の教員採用試験を受け、現役で合格して体育教師になったそうだ。
そうしてこの春からは1年生の担任になるらしい。
実家から通いの私とは違い、彼は去年から教員住宅を出て、駅前にマンションを借りて独り暮らしをしているそうで
そんな話をしてくれる彼は、何だか精神的にもとても逞しく見えた。
私の学校生活は、彼のおかげでスムーズに学校の行事や風習、そして人間関係にも溶け込め、
専門が専門なだけに当たり前だが、この学校では歴史の古い美術部の顧問も受け持つことにもなり、漸く夢見ていた将来が形になった。
しかし、最初はバタバタと慌しく日々が過ぎ、実際に充実感を得たのは新入生が入学後、2ヶ月ほど経った頃だった。
そんな梅雨のある金曜日――
「よぉ」
昼休み、美術室の奥にある美術準備室のドアをノックする音と共に石田くんもとい石田先生が顔を出した。
「どうしたの?」
キョロキョロと辺りを見回した後、誰もいないのを確認して私は口を開く。
さすがに職場では彼のことを“くん”付けでは呼べないし、生徒や他の教師らの手前、敬語で話すようにしていた為、
彼が普通に話しかけてきたときは、いつも辺りを確認してしまうのだった。
「何かここんトコずっと雨で気が滅入るからパァっと飲まねぇ?」
美術準備室に前々から置いてある古いソファにドカッと彼が座った。
キャンバスに向かっていた私は手を止めて彼の方に体を向ける。
「いいわよ。今日?明日?」
「明日の方がいいな」
「分かった。 ――あ!そうだ。折角だし…お願い聞いてもらっていいかな?」
「お願い?」
「うん」
手帳に明日の予定を書き込みながら、私は前から考えていたことを彼に話すことにした。
「石田くん、絵のモデルになってくれない? モデルっていうか、デッサンを取らせてもらいたいんだけど。
今度、コンクールがあってさ、なかなかいい構図が思い浮かばないの」
「構わねぇけど…もしや、オールヌードか!?」
「そんなの私がお断り」
2人でそんな話をしながら笑い合う。
いつの間にか昼休みや放課後に彼がここにやってきて世間話をするようになった。
かつて児童公園のブランコで話していた時と話の内容は変わっても話すジャンルはあまり変わっていない。
同級生の話や高校時代の話や、これまでの経緯や彼がいなくなってからの話、
今後の展望や更なる希望や夢などの話、そして悠樹くんとの関係の始まりから終わりまでの話など。
――そういえば、彼はあれから恋をしたのだろうかと、以前恋の話になった時にふと思った。
結局、自分が悠樹くんとのことを話してばかりで彼のことを聞けなかったけれど、彼はあの時“惚れた女”と言ってくれた。
突然の再会から今まですっかり意識していなかったけれど、今、彼は私を見てどう感じるのだろうと思いながら横顔を見つめる。
いつも石田くんはここに来ると、壁やそこら辺に飾ってある有名絵画のレプリカや製作途中の私の絵や生徒の絵をじっと眺めるのだ。
時間がある時は私が絵を描く姿を見ることもある。
「退屈じゃない?」と聞くと「全然」と言ってまた黙ってしまう。
最初は見られることに照れくさい気持ちがしていたが、最近はそれにも慣れてしまった。
寧ろ彼の気配を感じながら絵を描くと、優しい絵が描けるような気さえする。
――小学生の時は完全にジャイ●ンだった彼なのに、今では本当に不思議な人。
高校生になってからずっと、今でさえ、私は石田くんが何を考えているかちっとも分からない。
それでも昔とは違うことがある。
それは、以前は彼の手が近づくと身を縮めていたのに、今では胸がギュッと締め付けられるような気持ちになること。
昔は“バチン”だった音が、今は“くしゃ”になったこと。
彼が私の頭をくしゃっとする時、彼の顔もくしゃっとなって、あの頃よりも何だかずっと可愛らしく笑っているように見えること。
「私のこと、好き?」と心の中で何度も唱えてしまうこと。
――これからもずっと彼の隣にいたいと思うこと。
バシャバシャと私たちは走る。
突然振り出した大雨に笑い声や叫び声を上げながら走り続ける。
手には先程コンビニで買ったビールや酎ハイ。
食事を楽しみながら飲んだ少量のお酒では足りず、モデルの約束もあったので家で飲み直すことになったのだった。
先週買ったばかりのパンプスは既にびしょびしょでガバガバになり、水しぶきにより地面の砂が足に張り付き気持ちが悪い。
化粧だってきっとすっかり落ちているだろう。
それでもこんなに気分がいいのは、先程のアルコールのせいだろうか。
それとも…この手を引っ張ってくれる彼のせい?
「及川、大丈夫か?」
「へーきへーき! でもお酒はやばいよー。 今開けたら絶対プシューってなるね!!」
「こんなに濡れてりゃ、今更酒で濡れようが構わねぇな」
「右に同じ」
ヘラヘラと笑いながら彼のマンションのエレベータのボタンを押した。
そうして上機嫌のまま彼の部屋に着き、私は彼に続いて玄関に入る。
「ちょっと待ってろ。タオル取って来る」
「ごめんね」
私の手にあったコンビニ袋を取り、自分の持っていた袋もそこら辺に置いて、
彼はバタバタと洗面所らしきところへ走ると、バスタオルを2枚持って戻ってきた。
そうして自分はさておき、私の頭と肩にバサっとタオルをかける。
「何かもう風呂上りみてぇだぞ、お前」
「石田くんだって…」
私よりも20cmくらい上にある彼の前髪に背伸びをして手を伸ばした。
彼の髪から私の手に水が流れ落ちる。
途端に辺りから音が消えた。
石田くんがタオル越しに私の耳のあたりに手を添える。
視線を外すこともできず、互いを見つめ続ける私たち。
「…及川。今、幸せか?」
視線も体の位置も変えずそのまま静かに彼が口を開き、私は目を逸らさないように首を振った。
「じゃあ、もう待たなくていいんだな」
「…え…それって――」
パチパチと瞬きをした瞬間、彼の顔が近づいてきた。
躊躇することなく私はごく自然に目を閉じる。
雨で濡れているけれど、微かに感じる温もりは2人の新たな絆の印だ。
「…俺が幸せにしてやる」
「うん……」
頬に温かい涙が流れる。
そんな私の頭を勢いよくタオルで拭き、髪だけでなく顔もグチャグチャになった私を
石田くんは笑いながら胸に押し付けるように抱きしめて、愛してる、と優しい声で囁いた。
― 完 ―
恋愛部分が少ないですが…こいつらは動と静の差が激しい気がしたので
こんな感じの恋の始まりです。
何はともあれ、会長さんったら表現が捻じ曲がっていながらもストレートなんだからよぉ。
25話の最後の台詞がすーっと降臨した時には自分でもびっくりしました。
でも恐ろしく似合っていると思いました(笑)
まだまだ色んなことを書けそうな2人+生徒会メンバーですが今日のところはこの辺で。
また何か書きたくなったら書くかも…です^^;
最後まで読んでくださってありがとうございました^^
吉永裕 (2008.12.14)
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