君の嫌いな花の名は



 偶然だったんだ。
アラームが鳴る前にすっきり目が覚めたのも、たまには一本前の電車で行こうかと思えたのも。

 その偶然の重なりによって俺は教室に足を踏み入れた瞬間に恋に落ちた。
ある女子生徒が花瓶に花を生けているその姿と横顔が目に飛び込んできた途端、俺は歩んでいた足も呼吸も止めた。
彼女の持つ凜とした雰囲気がいつもの教室の空気をうんと鋭く研ぎ澄ましていた。
彼女の周りには張り詰めた緊張感と透き通った空気が満ちており、
自分の命でも削って花に与えているのかとでもいうように一輪一輪を大切に生けていく。
そして時間をかけて花瓶に生けられた花は優雅に瑞々しく佇んでいた。
俺は花の名前なんて片手で数えられる程度しか知らないから
彼女が今生けたこの花のことも知らないけれど、
白いひらひらとした柔らかそうな花びらと中心の黄緑色がとても優しく爽やかに見え、
高校一年生の新学期の教室によく似合っているような気がした。
 今まで教室にあった花瓶なんて意識したこともなかった。
もしかしていつも彼女が生けていたのか。

「おはよう、林藤(りんどう)くん」
「お、おはよう…菊池さん」

 高校に入って二週間程経ったけれど、彼女とは話したことも挨拶すらしたことがなかった。
自分が言えたことではないけれど、物静かな生徒だったように思う。
けれどストレートロングの髪の毛がさらりとして綺麗だなと後ろ姿を見て思ったことがあった。
しかしながらそれ以上の興味はなかった。だから名前を呼んだこともなかったのだ。
それよりも新しい友人たちとの交流が楽しかったし、高校での勉強にも一生懸命ついて行っていたので。
 それでも先程の花を生ける時のすっと伸びた背筋、くっと引かれた顎、花を食い入るように見つめる燃える瞳、
周囲の空気をも変えてしまう菊池華子(きくちかこ)の挙動と姿、全てが美しいと思ったのだ。

「いつも花を生けてるの?」
「ええ」
「花が好きなんだね」

 俺がそう言うと彼女は見るからに拒絶の反応を示した。
右手を左腕に回して顔を背ける。
けれど会話は続けてくれるようだ。

「…好き、とは違うと思う。どちらかというと憎い」
「え、何で?」
「私は花に好かれていないから」

 彼女は酷く悲しげな顔をしていた。
長い睫毛が俯くことで更に長く見える。

「そんなことないよ!俺、君が花を生けるのを見て感動した。
 この花瓶の花、君が命を吹き込んだみたいに綺麗だ」
 
 俺の言葉に彼女は驚いた様子で顔を上げた。
ほんのりと頬に赤みが差していく。

「――ねえ、この花はなんていう名前なの?
 花びらがひらひらして可愛いね」

 途端に照れ臭くなった俺は話題を変えた。
彼女が生けたばかりの花瓶を指差しながら。
 すると彼女は窓から入る朝日を背にして柔らかく微笑んだ。
そして花瓶にゆっくりと近寄る。
俺はその姿を息を呑むように目で追う。

「この花の名は、アネモネ。
 但し、貴方が言うような花びらはないの。
 ひらひらしているのはガクよ。花びらのない花なんて珍しいでしょう」
「うん…」

 彼女がテレビの子ども番組に出てくるお姉さんのように優しく穏やかな声で語りかけるのを
俺はうっとりとした気持ちで聞いた。
一目惚れではあったけれど、ほんの少しの時間しか経っていないのにどんどん彼女を好きになっていく。

「じゃあ、菊池さんの一番好きな花は何?」
「…ないわ。嫌いな花ならあるけれど」
「それは何?」
「私。華の字があるのに“はな”になれない私自身。
 偽物のはな…」

 最初ピンと来なかったが、自分の名前が華子と書いてカコと読むことを揶揄っているのかとワンテンポ遅れて気づいた。
それにしてもどうして彼女は自分のことを嫌うのだろうか?
 今の俺には分からないし、これ以上突っ込んで聞いて良いのかも分からない。
俺はキョトンとしてほんのり首を捻るくらいしか反応ができなかった。

「ねえ、菊池さんは華道部とか入ってないの?
 その花瓶の生け方ってフラワーアレンジメントだっけ?それとは違う感じがするし」
「入ってないし、入らない。
 ――それにしても、林藤くんはそんな言葉も知ってるのね」
「ああ、うん。母親が教室に通ってるから。
 俺は花の名前すら全然知らないけど」
「そう」

 華道部という名を出した瞬間、酷く冷たい声でぴしゃりと拒絶された気がした。
彼女は花に対して何か複雑な事情を抱えているのかもしれない。

「俺、華道部に入ろうかな」
「どうして?」
「菊池さんの生ける姿、凄く綺麗で格好良かったし、花も生け方でこんなに魅力的に見えるんだって知ったから」

 そう言うと菊池さんはどんな顔をしたら良いのか分からない様子で
「んんっ」と咳払いをして俺に背を向けた。

「林藤くんって変わってるって言われたことない?」
「今のところはそこまで飛び抜けて変なことをした覚えはないんだけど。
 でも、結構思い込んだら一途なんだなっていうのは今日知ったよ」
「ふーん?」

 そんなことを言っていると廊下から数人の足音が聞こえてきた。
そろそろ皆の登校時間が迫ってきているらしい。
菊池さんも手を洗いに一旦教室から出て行く。
 俺は彼女の後ろ姿を見送りながら、もし彼女が一目を置くくらい俺が花を上手に生けられるようになれば
もっと彼女のことについて話してくれるのではないだろうかと考えた。
彼女がどうして自分の名前を嫌うのかや、華道を学んでいる様子なのに何故学校では華道部に入らないのかなんかも。
本当はそれだけでなく、彼女の学校以外での日常の様子とか、趣味とか、好きなものとかも知りたいけれど。

 見てろよ、菊池華子。
俺は君に惚れられる程の花を生けてみせる!



 




  



華道のことなんか全然分かんないんですけど、
ふと「華道部をメインにした少女漫画ってないのかなー綺麗な花が見たいなーー」と思って
まぁ、冒頭だけでも自分で書くか。と思い立ち書きました。
以下、ありきたりですが設定など。
(続きを書く予定がないので)

菊池華子(きくち かこ)
 …華道の本家である前当主の隠し子。その存在を知った現当主や前当主の妻などが華道(と本家)に一切関わらせるなとカコの母親に言い含めて脅した為に
  カコはセンスもあるし努力もするので実力はあるのだけれど、表立って花を生けてはいけないと母からいつも言われている。
  (本家に見つかれば何をされるか分からないので。けれど花に興味があったカコの気持ちを尊重して母は彼女を育てていたら華道に興味を持ってしまった為、
   前当主との関係を全て話すことになった。それからカコは華をハナと呼ばずカと呼ぶ自分の名前が嫌いで仕方ない)
  花に触れることを許されないレールを敷かれたことが悔しくてたまらないくらい本当は花が好き。
  主人公のマサキと出会い、彼が華道にはまっていくにつれて彼の天性の才能を見出し、嫉妬に駆られる。
  華道から離れなければいけないのにどうしても離れられない苦しさで彼女は参っていくが、結局自分を癒やしてくれるのは花であり華道でありマサキなのであった。

林藤マサキ(りんどう まさき)
 …カコが花を生ける姿に一目惚れ。彼女の興味を引く為、彼女の隣に並ぶ為に華道部に入部する。
 最初は感性に任せて適当に生けていたが、それでも目を引く作品を作り上げる為、注目されていく。
 天性の才能があり、カコと切磋琢磨したり華道部で基本を学ぶうちに才能が開花していく。
 カコに近づきたい一心で華道の修行に力を入れるが、逆にカコからはライバル扱いされて恋愛関係にはほど遠い。
 華道部の他の女子からもちょっかい出されたり(ギャルゲー風味)
 カコの過去や生い立ちを知って華道に距離を置こうと考えるが、
 華道という道に囚われず自分たちで花を最大限生かそう、俺たちの道を作ろうとカコを熱く説得し、二人で新しい世界を開くことになる。
 「そういえば、柾っていう木があるのよ。貴方と同じ名前ね」っていつかカコに言わせたくてこの名前にしました。
 
植物の名前を名前に取り込んでますが、同じような名前ばかり浮かんできて自分の知識のなさが悲しい。
ネーミング辞典なんかで調べたりはするのですが、名前に使いやすい植物名って結構限られてる気がして。

というわけで、後書きの設定が本編な感じなんですが(^_^;)
楽しんでいただけていたら幸いです。


吉永裕 (2018.11.10)



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