いつも明るくてチャーミングな夏香が、ここ最近は難しい顔をして考え込むような時間が増えたような気がする。
しかし美景たちの前では可愛い彼女のままなので、もしかすると他の者は気付いていないかもしれないけれども、
さすがにいつも元気な彼女が物思いに耽っていたら、彼女をアイドル視している緑と匡も気づくだろうし、と美景は思った。
それでも夏香は何か話を聞いてほしいことがあれば自分から話すタイプで、話したくないことは全く話さないし詮索されるのを嫌うので、
今回も彼女のやりたいようにさせておこう、と美景は考えた。



 ――そうして、美景が何となく皆に違和感を感じるようになって1週間。
美景は帰宅中、ふと足を止める。
そして汚いとか服が汚れるとか考えるよりも先に、慌ててアパートの階段に身を伏せた。
自分でも何故そんな不審者の様なことをしてしまったのかは分からない。
しかし、見てはいけないようなものを見てしまったと思った。

それは、夏香が幹の部屋に入っていく後姿。
今まで自分を介して二人が関わることはあったが、直接二人があんな風に会っているところなど見たことがない。
もしかすると、以前言っていた“付き合っている”というのは、本当のことだったのだろうか、と美景は暫く呆然としたまま、階段に膝と手をついていた。

何も考えられないまま、漸く立ち上がった美景は自分の部屋に帰る。
隣には夏香と幹が一緒にいると思うとどこか落ち着かず、
一体二人はどんなことをしているのだろうかとあらゆる可能性を考えては中断し、自分の愚かしさに恥じた。
こんな気持ちになったことなんて今までなかったのに――何故かは分からないものの、美景は泣きたい気持ちだった。
胸が苦しくて締め付けられるのに、ズキズキと切り裂かれたような痛み。
今まで経験したことのない感情や心の痛みに困惑しながら、美景は何も考えないようにする為に寝ることにした。



 そうこうしているうちに冬期休業がやってくる。
今年の授業は22日で終了。
構内はどこもかしこもクリスマスや忘年会の話題で賑わう。
美景たちも友人らで24日に鍋パーティーを開くことになっているし、
サークルの忘年会が26日に入っているので、一通り年末のイベントは経験することになる。
恐らく遅い初詣にも友人らで行くことになるだろうと想像し、美景はそれぞれの取るであろう行動を思い描いてひっそりと笑った。

だが、夏香の姿を思い浮かべた途端、幹の姿も浮かんでくる。
その瞬間、美景はため息をついた。
何故ならここ数日、幹と顔を合わせても彼は何も言わず逃げるようにその場からいなくなってしまうからである。
その時の彼の表情はとても悲しく苦しそうなものなのだが、もしかすると自分が何か失礼なことや傷つけるようなことでもしたのだろうかと色々と考えてはみたものの、思い当たる節はない。
だとしたら、考えられるのは夏香関連である。
彼女の親友である自分に対して、もしかするとどこか気まずい思いがあるのかもしれない、と思った。
恋人の親友が隣に住んでいるなんて嫌かもしれないし、
自分は夏香をいつも頼りにしているから、そんな自分の存在を腹立たしく思っているのかも……などと。

「……ん。赤坂さん、どうかしたの?」
「……あ、いや……何でもない」

思いつめていた表情をしていた美景に気づいた緑が声をかけた。
皆と昼食を取る為に学食で夏香と匡を待っていたのである。

「……そう? それならいいんだけど。
 もし何か悩みでもあるなら、遠慮せずに言ってね?」

そう言うと彼は穏やかに微笑んだ。
美景は「ありがとう」と言い、少し表情を和らげる。
そんな彼女に何か思ったのか、緑は真剣な表情で美景に話しかけた。

「――あのさ、赤坂さんは春日のこと、ホントに許せるの?」
「……え…っ?」
「…いや、あのさ……ゴメンっ!
 俺、誕生日会の時に二人が話してるの聞いちゃってさ。
 春日の苛めのせいで赤坂さんは酷く苦しんだんでしょ? 生き方を変えるくらいにまで」
「……ああ、そのことか。確かにそんな時期もあった。
 でも、私が変わった原因は苛められたことじゃないと気づいたから。
 直接の原因は、両親との関係……かな。
 あんな状況にあっても助けを求められない両親との関係が原因で今のような人間になった。
 春日は真面目な人だから、重く考え過ぎているんだと思う。
 もしかすると私よりも苦しんできたかもしれない。
 何年も何年も、私のことを思い出しては自分の行いを悔いて恥じてきたみたいだから……」
「……そうなのかな……。
 俺は幸いにもそういう経験がないから、完全に理解することはできそうにないけど……」
「いいじゃないか。苛められた方がもういいと思っているんだ。
 その時点でもう時効だ」
「赤坂さんって本当にいい人だね……。俺も見習わなきゃな。
 ――ここ最近、それがずっと気になっててさ。
 春日と切り離した方がいいんじゃないかとか匡と話したりして」
「え? 匡と二人でそんなことまで考えていたのか?」
「うん、匡もここ最近機嫌が悪いでしょ? そのせいなんだよ。
 観月さんも最近元気がないから、同じようなこと考えてる気がするし」
「そう…なのかな……」

緑や匡の厚い友情を感じ、美景は感動して有難く思うものの、何だか夏香のことはよく分からなかった。
もしかしたら、夏香は幹との関係のことで悩んでいるのかもしれない。
自分の昔からの知り合いだから、夏香は気を遣って皆に公表できずにいるのかも――と。



 「ゴホン、ゴホン……っゲホっ」

冬休みに入り、ゆったりと時間に余裕を持ってゴミ捨てにやってきた美景の後ろから誰かの咳き込む声が聞こえる。
後ろを振り向くと、目いっぱい厚着をしている幹がゴミ袋と雑誌などが入った紙袋を下げてやって来ていた。

「風邪か? きつそうだな」
「ん……あ…まぁ」

美景が話しかけると、彼はすっと顔を逸らす。
そんな彼の態度に動悸がした。
昔、感じたことのある鈍い痛みと、更にそれ以上の激しい痛みに心が支配されていく。
それでもこの前、何もかも話して分かり合えたのだから、と気持ちを奮い立たせて美景は幹に話しかけた。

「……不動産屋のパンフレット? バイトでも始めるのか」
「いや……引っ越し先、探してんの」
「え……」

幹のその言葉に衝撃を受ける美景。
彼が自分の隣の部屋に越してきたのは偶然だったけれども、何だかんだで隣人関係はうまくやってきたような気がしていた。
最初は抵抗があったけれど、今では隣の幹の存在が凄く頼りになるし有難いのに……と美景は内心落ち込む。

「――ほら、お隣さんって人気者だからよく人が遊びに来るし、煩いんだよね」
「……それは……すまない」

自分が原因だと知り、美景は申し訳なさそうな表情で俯いた。
胸の痛みは激しくなるばかりだ。

「……っ……」

そんな彼女の姿に幹は顔を歪めて手を伸ばそうとしたが、手に持った荷物が視界に入るとゆっくり下ろす。
そして暫く無言のまま二人は立ち尽くした。

「……俺が関わるとろくなことにならないしさ、俺が引っ越せば、お前、きっと楽しい毎日が送れると思うぜ」
「――っ…そんなこと!」

投げ捨てたような言い方をする幹に向って美景は勢いよく顔を上げた。
その瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうである。

「……っ…」

幹はハッとした表情を浮かべた後、苦み走った顔で美景の隣を通り過ぎ、ゴミを所定の位置に置いてそのまま部屋まで走っていく。
美景は彼の後姿を呆然とした様子で見送ると、暫くその場に佇んでじっと涙を堪えた。


 「……」

その夜、美景は夕食を作りながら考える。
どうすれば幹と関係を切らずにいられるのかを。
互いに言いたいことを言い合って、分かり合えたと思ったのに――今日、何度目かの涙がこぼれる。

 彼に嫌われてしまったのだろうか。
 もしかすると昔のように自分はどこか苛立つ雰囲気を与えてしまうのだろうか。
 もっと静かに過ごせば、彼は引っ越さないでくれるのだろうか。
 どうしたら彼をここに引き留められるのだろうか――

――今回のことで美景は自分がどれだけ我儘な性格かを知った。
頭の中には、引っ越さないでほしいという願いしか浮かばない。
それでも、そんなことは自分が願っていいことではない。
相手が嫌だと思う場所に繋ぎとめておきたいだなんて、なんて自分は醜い心の持ち主だろうと美景はため息をついた。

そんな中、隣でガタンと大きな物音がする。
何か棚の上から物が落ちたような、そんな音だ。
美景は気になって幹の部屋に行ってみることにした。
ひょっとすると、体調が悪い彼が倒れたのかもしれないと思ったのである。
ざわつく胸を抑えながら美景は呼び鈴を押した。
ドアの向こうから、ゴホゴホ言いながら彼が近づいてくるのが分かる。

「……お前かよ」
「…あ……具合はどうだ? もしかしたら倒れてるんじゃないかと思って」
「…へーき。平気だから」
「食事は? 作れないだろう?」
「それも平気……ってか何だよお前は……。人が関わるまいとし始めたら急に……」
「……」

幹の一言一言に胸を切り裂かれる想いがする。
そんな彼女の目からは堪え切れない涙が溢れてきた。
それを見た幹は慌てて部屋の中に入れる。

「――ったく…何でこうなるんだ……。あーもうっ、頭いてぇ……」

頭を抱える幹に美景は泣きながら手を添えた。
彼女のそんな行動に幹は苦い表情を浮かべる。

「――だから、もう…俺には関わるなって…」
「……や…だ。……嫌だ…」

美景は駄々をこねる子どものように首を振った。
涙がぽろぽろと落ちる。

「どうして……?
 私が…何かしたのなら……謝るから…」
「――ちがっ……違う! お前はただの被害者だろ!! お前じゃなくて…俺が……っ!」

突き放そうとしても離れない彼女に幹は苦しそうに声を上げる。
しかし美景は再び首を降った。

「まだ昔のことを言っているのか? 私はもう気にしていないと言っただろう」
「違うっ! そんなことよりももっと酷い……酷いことを俺はしてる……」

そう言うと幹は力を無くしたように床に座り込んだ。
そして膝を抱えるようにして顔を埋める。

「――俺は…知らなかった。ずっと知らずに生きてきたんだ。
 お前が…っクラスの皆に苛められてたってこと。 そして俺がその発端だったったことを……」

顔を伏せたままの幹は泣いているようだった。
そして、苦しそうにつらそうにここ数日間のことを美景に話す。

「この前、観月さんがうちに来て話をしたんだ。
 誕生日会の時の話を偶々耳にしたけど、俺は自分が苛めたことだけしか謝ってないって。
 お前が中学の時にクラスの奴らからも苛めを受けてて、しかもその発端は俺だったのに許しを得るなんて調子が良すぎるんじゃないかって」
「――夏香、そんなこと気にして……」
「俺はあの時、自分のことだけしか見えてなかった。周りなんて全く気にしてなかった。
 俺の世界はお前と俺しか存在してなかったんだ……。
 なのに、お前を酷く傷つけてることを何年も知らずに生きてきて、しかもこんな酷い奴が先生になりたいだなんてほざいて……っ
 俺…なんて馬鹿だったんだろう……。
 お前をどのくらい傷つけてきたんだ……? どんなに謝っても許されることじゃない。そうだろ?
 ――何が友達になろうだ。何が一緒に星を見に行こうだっ。
 俺は……お前の傍にいられる資格なんてこれっぽっちもないっていうのに」

美景は彼の傍らに腰を下ろし、背中を丸めて咽び泣く幹の姿を見つめた。
夏香が言ったようなことは考えたこともなかった。
ただ、今の彼を見ているととても胸が痛く、たまらなくもどかしい気持ちが込み上げてくる。
その時、美景はこの感情こそが愛しさなのだと知った。
彼の痛みを取ってやりたい、どうにかして救ってあげられたらと思う気持ちはどうすれば彼に伝わるのだろう。

「だから……お前とはもう、関わらないって決めた。
 その方がいいって…思った。俺は今も昔もお前を傷つける」
「――馬鹿だ」

美景は静かにそう言い放った。
幹は驚いて顔をゆっくりと上げる。

「お前は馬鹿だ! どうして…どうして私の気持ちを聞いてくれない!?
 私が傷ついたといつ言った? いつお前を許さないと言ったんだ!?
 私は……っ…お前と仲良くなれて嬉しかった……。
 最初は苦手だったが……でも今は――っ…違う……。
 もっとお前のことを知りたいし、これからも傍にいてほしいと……思っているのに……」

涙で言葉が続かなくなり、美景は肩を揺らしながら首を下げた。
涙がポトポトと膝の上に落ちる。
 
「……星、見に行きたい。それで春になったら桜、夏になったら蛍や花火、秋は紅葉で、冬は夜景とまた星で……」
「赤坂……」

二人は距離を縮めて互いの頬に手を伸ばし、涙に触れた。
そして涙を拭うと、ゆっくり優しく抱きしめる。

「……まだ…引っ越したいか…?」
「ん……そうだな。 ――お前と…一緒に住むか」
「……このアパートは同居・同棲は許されていない」
「じゃあ、他のトコ探す? ……いやいや、冗談だって。
 ここに永住するならまだしも、いつかは卒業するんだしね」

そう言う幹は涙の跡はあるものの、いつもの調子の良さそうな顔に戻っていた。
そして美景の長い髪を撫でながら口を開く。

「――今更、放してって言ってもダメだから」

彼の服を持つ手に力を込め、美景は静かに頷いた。
こうして幹と美景は紆余曲折あったものの、腐れ縁のような隣人から恋人という関係になったのである。












不器用な彼女 〜エピローグ〜


 
 「うわぁ……星が落ちてきそうだ」
「すげー……あ――っ、今見た!? 星流れた!! 流れ星見えたし!!」
「むぅ…見てない……」
「またすぐに見えるって。こんなに星があるんだから」

美景と幹は学生の中では有名な星が見えるスポットへ来ていた。
辺りは山や野原が広がり、電灯の明かりらしきものは遠くにポツンとしか見当たらない。
そんな開けた場所に二人は遠足の時に使うようなレジャーシートを敷き、その上に寝転がる。

「――っくしゅ…!」
「寒い? 車から毛布取ってこようか?」
「……いや、大丈夫だ」
「じゃあ、こっち来なよ」

幹がそう言うと、美景はずりずりと寝たまま移動して体を彼に近づける。
すると幹は彼女の頭の下に左手を入れ、腕枕をしてやった。

「腕、痛くないか?」
「平気だよ。美景は寒くない?」
「ああ。ありがとう」

彼の肩にこつんと頭をのせると、彼の右手が頬に触れる。

「――キスするよ?
 付き合っても付き合ってなくてもするつもりで誘ったから」
「付き合ってない時はダメだろう」
「だったら今は良いワケ?」
「……そういうのは……言わせるな」
「じゃあ、黙ってていいよ」
「――っ…」

『♪〜♪♪〜♪〜』

「あ、メール」
「――ってぇ! ……おまっ…痛いだろっ!」

顔が近づいた瞬間に鳴った携帯電話のメール音に反応して美景は頭を下げた為、幹の額に頭突きを喰らわすような形になったのだ。

「…す、すまない」
「ってか、こういう時はメールくらいスルーしようぜ……」
「だって夏香からのメールだし、何かあったのかも」

そう言ってメールを開くと、目いっぱいのハートが埋め尽くされていて
『デートの邪魔しちゃうもんね! 美景ちゃんのソウルメイトはこの私!』と書かれてあった。

「――ホントに絶妙のタイミングで邪魔してくれたな……」
「っはは! 夏香らしい」

器用な彼氏でも、不器用すぎる彼女のペースに巻き込まれてしまうようである。





−終−



うわぁーい終わったぁヽ(・∀・)ノ
今日はサイト4周年なので、それらしい企画が間に合わなかった為この作品だけでも完結させようと
死ぬ気で絞り出した話であります^^;
これまでもダラダラと長い話だったのですが最後の話が物凄いことになってしまって……すみません。
それでも最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!!!!

キャラについては取説に詳しく書こうと思いますが、皆様も幹については色々思うところがあるようで
この結末に納得していただけたかなぁ……と不安です(汗)
ってか、だんだん幹の口調がわけわかんなく……(;´▽`A``

さて、最初のキャラの設定を作り、流れを作る段階は非常にスムーズだったのですが
実際に小説として書き始めると、かなりの難産続きでしたorz
いっそ続けるのを諦めようかとも思ったのですが、今のところこのサイトで一番期待されている作品のようでしたので
やはり皆様の期待に副えねばと、頑張ってこれました^^
相変わらず最後が一番盛り上がりに欠けるような私らしい作品ですが、
少しでも「読んでよかった」と思っていただけたら幸いです。

本当は漫画ブログを先行させ、そこでのキャラとのやり取りや知られざるキャラの性格などを小出しにした上で小説を書いて、
漫画を知っている方に部分部分でニヤっとしてもらえたらいいなぁ、という思惑だったのですが
漫画の方が全然間に合わず……ところどころ、「あれ、こんなキャラなの?」というような描写があるかもしれません。
これからも漫画の方はボチボチ続けていきますし、大学1年編(出会い〜1年)が終わったら
本編である大学2年時のちょこちょこした日常や、もしもこのキャラと付き合っていたら…の後日談とか
寧ろ夏香エンド+ハーレムエンドの設定で日常を描くとかしていこうかと今から色々考えております。

…というわけで、この『不器用な彼女』の幹を除く同学年キャラの出会いを4コマ風にしてブログに描いています。
笑いは殆どなく^^;、各キャラの紹介的な感じの内容です。

ブログ版『不器用な彼女〜出会い編〜』はこちら。   漫画 第1話直結はこちら


吉永裕 (2009.11.3)


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         あとがき 兼 解説はこちら (完全にネタばれしています)