ふと気がつくと、真っ白な景色が360度広がる。
ここはいったいどこだろう。
――君を一番必要としている者のところに行くんだ。
レディネスが言っていたことを思い出す。
……そうだ、私は天摩に会う為にここに来たんだ。
静かな水面に水滴が落ちたかのごとく、足元から波紋のようにある景色が広がっていく。
「わぁ、綺麗な色の海……」
大きな船の甲板から海を眺めた私は、海のあまりの美しさに思わず溜息をついた。
臨邪期後、私と天摩は当てのない旅をすることにして、ジッカラートからチャイラ、チャイラからサウスランドへ渡り、
一度ジッカラートのウメ婆にお土産を持ち帰って一族の状況を聞いた後、今度は南東のアークバーン大陸へ向かっている。
透き通ったシアンの海に囲まれたアークバーン大陸は、近年、ジッカラートと国交を開始しており、
魔法、即ちジッカラートで言うところの霊気を機械に取り込む技術を持っているというその国はジッカラートの人々からしてみると不思議の国である。
「――そうだ、天摩は……」
後ろを振り向くと、天摩の姿はない。
一緒に海を見ようと思ったのに、一体彼はどこに行ってしまったのだろう。
もしかすると――と私は嫌な予感がして船内へ駆け戻った。
彼がいそうな場所をあちこちを歩き回って捜すが、どこにも姿はない。
「船室に戻って寝てるだけかも……」
気持ちを落ち着けるべく、ブツブツ独りごとを言いながら自分たちの部屋に戻ることにする。
しかし、その手前で私は立ち止まった。
彼が他の乗客の部屋から出てきたところに出くわしたのだ。
「ここにいたんだ。捜したんだよ。
この部屋の人と仲良くなったの?」
彼の姿を見つけてホッとしたものの、次の瞬間、私は凍りつく。
「えっと……君とどこかで会ったことあったかな?
君みたいな綺麗な子、一度話したら忘れる筈はないんだけど」
彼は少し照れた様子でこちらに笑顔を向ける。
――嘘……天摩、私のこと忘れてる――っ
目の前が真っ暗になって、足元がふらつく。
そんな私を咄嗟に天摩が支えた。
「大丈夫? 顔色が悪いね」
「……胸が…痛いの…」
言葉と共に涙がぽろぽろと零れていく。
私は間に合わなかったのだ。
これまで彼と関わった過去もこれから二人で共に生きる筈だであった未来も、全て失われてしまった。
「――泣かないで…?
君に泣かれると……俺も…何だか凄く胸が痛い…。
……何でだろう。君のそんな顔を見ると…身体が勝手に……」
たどたどしく涙を拭う彼の指の変わらない温もりが余計につらい。
「――て…ん……ま……っ」
喉から声を絞り出して彼の名前を呼ぶ。
もしかしたらこれが最後になるかもしれない。
「…お嫁さ…んに…してくれるって……言ったじゃない……。
籍だけ…で……まだ…式……挙げてないのに…」
「――ちゃん…」
ポロリと天摩の口から出た言葉に息が止まりそうになる。
じっと彼を見つめると、パチパチと瞬きする彼と目があった。
「俺、今…何か変…だった?」
「…ん……っ――」
船の廊下だということも忘れて私は彼の胸に激しく飛び込む。
声というよりも奇声を上げながら泣き続ける私を天摩は力強く抱きしめた。
「ちゃん……ごめんね。
俺、何か変なことになってたみたいだね。
一瞬でも君のことを忘れるなんて……」
「ぅ……あっう…う…ううっ」
私たちに気付いた人々がちらほらと船室から出てきて様子を窺っている。
天摩はそんな彼らに照れ笑いを振り撒きながら、自分たちの部屋へ私を連れていった。
「――言い訳するつもりはないけど、今日は朝から変な感覚だったんだよ。
君の名前を呼ぼうとすると頭痛がしたり、気分が悪くなったりして」
「……」
私をベッドに座らせ、その隣に天摩も腰を下ろす。
目が腫れぼったいのを感じながらも、私は心から安堵して彼に寄りかかった。
「まさか君を忘れた状態にも関わらず、君を口説くとは思わなかったけど……。
結局、俺が好きになるのはちゃんだけってこと…じゃない?」
そう言って気まずそうに頭を掻く天摩を見上げて私は軽く横腹に拳を入れる。
彼は大袈裟にゲホっと咳き込んでベッドに倒れ込んだ。
私はそんな彼の上に寝そべる。
ふと天摩と初めてキスをした時のことを思い出した。
あのキスから私たちの恋が始まったのだ――
「――介入者……見つけた」
瞬間、心がざわつく。
自分たちしかいない筈の空間で確実に空耳ではない程のはっきりした声が聞こえたのだ。
「――お姉ちゃん、こっちに来てよ」
誰かが呼んでいる。
小学生くらいの女の子のような可愛らしい声。
「……えーっと…こんな人様には見られたくない状況で声かけられるとは……君の知り合い?」
「ううん、全然思い当たる節はないけど……」
どうやら天摩も謎の声が聞こえるらしい。
しかし二人で辺りを見回しても、部屋には誰もいないし気配も感じない。
「話をしましょ、介入者のお姉ちゃん――」
とりあえずこのままでは気味悪いし、声の主が気になったので私たちは身体を離してベッドから降りた。
そして部屋の外に出てみようとドアを開けた瞬間、眩しい光に襲われる。
咄嗟に私は目を瞑るのと同時に天摩の腕を掴んだ。
「――ここは……」
目の奥まで突き抜けるような眩しい光の感覚が和らいだのでゆっくり目を開けると、そこには霧がかった花畑が広がっていた。
自分はどうやらその花畑の中で倒れているようだ――とぼんやりと考える。
「――ちゃん…っ!」
天摩の声で意識がはっきりとし、私は瞬きした後、身体を一気に起こした。
「大丈夫?」
「うん、私は何ともないよ」
彼に手を引かれて立ち上がり、周りを見回す。
「見たこともない景色だね……」
「俺たち、どこに来ちゃったんだろ」
天摩が私の手をギュッと握った。
彼の手の温もりと感触が私を落ち着かせる。
「――やっと会えたね、介入者のお姉ちゃん――」
突如、真後ろから聞こえた声に驚き振り向くと、白いワンピースを着た少女が立っていた。
「貴女は……誰?」
敵か味方かどうかも分からないその少女に努めて冷静に問いかける。
彼女は静かにその場にしゃがみ込むと足元に咲いている黄色い花を撫でた。
「――私はリグレス」
顔を上げずに少女は口を開く。
「リグレスちゃん……?
貴女はどうしてここにいるの? ここはどこ?
貴女が私を呼んだみたいだけど……何故、私を知っているの?」
少女の隣に腰掛けて彼女の動作を眺めた。
彼女の長い睫毛が目線に合わせて微かに揺れる。
「ここははじまりの大陸」
「はじまりの大陸って……そんな大陸、地図にあったっけ?」
「……子どもの頃に話してもらったおとぎ話でそんな名前を聞いたことがある気がするけど」
「うん、そうね。
はじまりの大陸は普段は誰にも見えないから、
その存在を知っていてもおとぎ話に出てくる幻の大陸くらいにしか思われないみたいね」
「そんな大陸にどうして私を呼んだの?」
「私がお姉ちゃんを呼んだのは……会ってみたかったから。
この世界を変える最大の可能性を持つ存在であるお姉ちゃんにね」
少女は静かに瞳を閉じる。
「リグレスちゃん、貴女は一体何者なの……?」
そう言うと彼女はすっと立ち上がり、凍りつきそうな鋭い視線をこちらに向けた。
「この世界はね……私の為に作られたのよ、お姉ちゃん」
「貴女の…為に?」
「そう。
私のお姉ちゃんがもうすぐ死ぬ私の為に作ったのがこの世界。
私が死を恐れないように作ってくれた死後に暮らす世界」
「……だったらどうして貴女と無関係の私や天摩がこの世界にいるの?」
「それは色んな人の祈りと私のお姉ちゃんの祈りが一つになったから。
最初はお姉ちゃんが作ってくれたこの小さな大陸一つしか存在しなかった。
でも、不運にも死んでしまった人の冥福を祈る世界中の人たちの願いが次第に集まってきて、
いつしかこのはじまりの大陸に植物という命が宿り始めたの。
そうして少しずつ生物が増え、大陸が増え、結果、今のこの世界になった」
――この世界はそうやって死んでしまった人の魂と、その人を想う人の祈りで作られているの、と少女は寂しそうに続けた。
「私は夢を見ている状態でしか、この世界に来ることができない。
私の為の世界の筈なのに、私がこの世界の核の一つである筈なのに……。
なのに、お姉ちゃんは世界を超えてここにやってきた。
そして次々と世界を変えていく……」
少女は悔しそうな表情を浮かべて涙を流し始めた。
青白い程であった頬や鼻が赤く浮かび上がる。
「……私は可能性が憎い。お姉ちゃんが憎い。
どうして私にはもう死しかないのに、お姉ちゃんにはそんな力があるの?
私はいずれこの世界の住人になるのに、これまで私はこの世界に干渉することもできなかった。
――死を目前とした今になって漸く干渉できるようになったけど、
こんなのって不公平過ぎる……っ」
両手を目に当てて泣く少女は今にも消えてしまいそうな程、弱々しく肩を震わせる。
「……それに、この世界は良からぬ方向に変わっていってるの。
介入者の数だけ、未来は分岐していってる。
それと同時に、同じようで違う世界が並行に存在しているわ。
このはじまりの大陸はどの世界にも繋がってるみたいだけど……」
そう言うと、少女は歩いてどこかへ向かう。
慌てて彼女についていくと、霧の向こうに薄ら見えるのは大きな湖。
その水の中には沢山の惑星のようなものが漂って宇宙に似た空間が広がっていた。
「――こうなったのはお姉ちゃんみたいな介入者が原因よ。
こんなんじゃ……死んだ私は一体どの世界に生まれてくるの?
私、迷子になっちゃう……」
「リグレスちゃん……」
彼女が本当に恐れているのは死だと何となく分かった。
死というものは誰もが一度しか経験しないこと。
そしてその瞬間は誰にも必ず訪れるもの。
先の見えない恐怖と、終わりが近づく恐怖は言葉にしがたい恐ろしさがあるだろう。
――この子の心をどうやったら救えるのだろう。
このままでは彼女は第二のサルサラになって何もかもを憎んでしまう。
「――ちゃんをそんな風に憎むのはやめて欲しいな」
一緒に彼女を見つめていた天摩がゆっくり口を開いた。
「君が言うように、元は君の為に作られて、次第にそこに人の想いが集まって大きくなっていったのがこの世界なら
ちゃんの存在はまさにそんな人たちの想いの塊だと思うよ。
彼女はね、自分以上に誰かの為に泣くんだよ。
そしてその人を救えない自分を責めるような人なんだ。
世界を救う為に生きることはしても、壊すような人じゃない。
――現に、こんな状況下でもちゃんは君のことを心配してる。俺には分かるよ」
「天摩……」
そっと彼に寄り添う。
「……確かに…そうかもね。
お姉ちゃんは恨まれるような存在じゃないってことは自分でも理解してる。
…でもね、それでもお姉ちゃんは力を持ち過ぎなのよ。
身体はこちらの世界のものだけど、精神や魂は外から介入されたものじゃない」
「……うん、そうかもしれない。
私はこの世界で暮らす人たちと比べたら、特殊過ぎるかも。
でもこうやって貴女や天摩の話を聞いていたら、私、何となく分かった気がするの。
そもそも自分が何故この世界にやってきたか……」
自分は入り口を通ってこちらの世界にやってきた。
しかしその入り口とこちらの世界での“魂の入れ物”は予め用意されていたのだ。
自分はゼロから作られたものではない。
だとするとそうさせた者が必ずいる筈である。
「――私は誰かに呼ばれてこの世界に来た気がする。
はっきりと名を呼ばれたわけじゃないし、指図されたわけでもない。
ふと興味を惹かれて進んだ先にあったのがこの世界の入り口だった。
ただの好奇心から始まったものだと思っていたけど、でも、今思えばこれは必然的なものだったのかもしれない。
……きっとその入り口は、この世界をもっと良くしたいと願った人が作ったんだと思うの。
もしかしたらリグレスちゃんのお姉さんかもしれないし、全く知らない人が作ったかもしれないけど、
でも、祈りは届いて私のような介入者を呼び、この世界で形と成ったんだわ。
だから私は今、この世界にいるのよ」
「でも、世界は分岐してしまったのよ?
いずれはバランスを失って全て壊れてしまうかもしれない」
「大丈夫。今なら私、その並行した沢山の世界がどこにあるか分かるわ」
そう言って自分の胸に手を当てる。
「ここよ、人の心の中にあるのよ。
この世界に介入する人たちや死んだ人を想う人たちの心の中に、この世界は存在しているのよ。
そしてそれぞれの世界は違う未来へ向かって進むの、希望と祈りに包まれて。
でもその想いの根本は同じ、“相手を想う気持ち”よ。
だからこのはじまりの大陸は全ての世界に通じているんだわ」
「じゃあ、私が死んだらは全ての世界に生まれてくるの?」
「そうかもしれないし、貴女を想う人の心の中の世界にだけ存在するかもしれない。
でも、存在しないことはあり得ないと思うわ。
貴女にはこの世界を作る程に愛してくれる人がいるんだもの」
「それも……そうね…」
いつの間にか少女の涙は止まっていた。
ふと気がつくと、靄の隙間から光の筋がいくつも零れている。
「――お姉ちゃんは…今の“”になれて良かったと思う?」
「うん、そう思うよ。
大切な人に会えたし、その人を通して自分のことも世界も好きになれたもの」
「そっか。そういう幸せの形もあるんだね。
……ありがとう、お姉ちゃん。
私も、生まれ変わったら素敵な恋をしたいな」
リグレスはそう言うと穏やかに笑った。
――不思議な夢を見ていた気がする。
世界の全てが愛おしくなるような、温かい夢……。
人の話し声でハッと意識を取り戻した。
辺りを見回すと、部屋から次々と船客が出てくる。
状況が理解できず、隣にいる天摩と手を繋いだままドアの前に突っ立っている私。
先程の夢のような出来事はドアを開けたその一瞬の事だったのだろうか。
「――あ、先程はどうもありがとうございました」
私たちの前を通りかかろうとしていた老夫婦が声をかけてきた。
「ああ、いえいえ。
足はどうです? 歩いても平気ですか?」
「ええ、お陰様で。貴方が早く処置してくださったからすぐに腫れも引きました」
「いやいや、俺は医務室に連れて行っただけで、処置はしてませんよ」
そう言って天摩は婦人に笑顔を向ける。
すると夫婦は揃って優しく笑い返した。
どうやら彼らは、先程、天摩が出てきた部屋に泊まっている客らしい。
話の流れからするに、天摩が捻挫でもして動けなくなった婦人を医務室まで連れて行き、部屋まで送り届けてやったようである。
「――それで、ご夫婦揃って今からどこへ?」
「そろそろ夕食の時間なので」
「ああ、そうか。もうそんな時間でしたね」
そんな話をした後、夫婦と別れる。
「俺たちも行こうか、ご飯食べに」
「うん、そうだね」
「甲板でも食べれるらしいからそっちに行こうか」
「うん。きっと夕焼けが綺麗だよ」
そうして私たちは甲板に向かう。
「……それにしても、さっきのご夫婦、素敵だったね。
奥さんの足が悪いのもあるかもしれないけど、手を繋いでたし。
二人とも笑顔が可愛くて、どことなく似てた気がする」
「そうだね。ずっと一緒にいると雰囲気とか似てくるんじゃないかな?
俺たちもあんな風に年取っても仲良い夫婦でいたいね」
「うん……」
甲板に出たと同時に、オレンジというよりもピンクがかった空が一面に広がる。
少し上の方は紫がかったグラデーションで、雲も薄いピンク色。
――ああ、なんてこの世界は美しいのだろう。
何だか今まで以上にこの世界を愛しく思えた。
「……ちゃんの髪と瞳の色だ。
優しくて神秘的で少し寂しげだけど、温かい……愛しく思える色」
天摩がそっと手を握る。
ゴツゴツしていて硬いけど、太陽みたいに温かい手。
世界を愛しいと思える最大の理由がこの彼の存在にあるのだと実感する。
「天摩……ありがとう」
頬を撫でる温かい風、揺れる波、空を飛ぶ鳥たち、そして愛しい天摩――これら全て人々の想いと願い、
そして死した者の新たな魂の輝きによって作られた存在なのだ。
この優しさに溢れた世界をリグレスは何と呼んでいたのだろう。
……リグレスがこの世界の核と言うならば――
――Regres――
そう名付けよう。
回帰世界――私の中に存在するただ一つの世界。
〜エピローグ〜
空の色が紫から紺に変わろうとする頃、天摩は船員を呼んで耳元で何かを囁く。
「……追加注文?」
「うん、まあ、そんなとこ」
「えー、それなら私もデザート1つ注文すればよかった」
「大丈夫。俺が美味しそうな奴、注文しといてあげたから」
「ホントに!? ありがとう!」
そうして私はウキウキしながら目の前の食事を次々と片づけ、最後のデザートを心待ちにしていると
先程天摩が呼んだ船員がトレイにホールのケーキとシャンパングラス2つを載せてやってきた。
「わぁ、美味しそうなケーキ…っ!」
「ちゃんの好み、よく分ってるでしょ?」
「うんっ! ……でも、ホールはちょっと多すぎるんじゃない?
まぁ、食べるけど――」
ケーキを囲んでそんな話をしていると、それまで静かな曲を演奏していた楽団が演奏を中止した。
すると人々も静かになり、今まで楽しそうに話していたカップルや家族連れは口を閉ざす。
「……なんか急に静かになっちゃったね…?」
少し前のめりになって、ヒソヒソと天摩に話しかけると彼は笑顔で「ふふふ」と笑う。
「――ちゃん、突然だけどさ…」
そう言うと、天摩は私の手を取って立ち上がらせた。
もしかしてこれからダンスタイムなのかなと思いつつ、彼のやりたいようにさせて様子を窺う。
「今から結婚式しよう」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げた瞬間、彼がぐっと私を抱え上げた。
辺りからは祝福の言葉や歓声が上がる。
そんな人々のテーブルの間を天摩は移動して、曲を演奏していた楽団の前まで私は連れられて行く。
そうしてトンと床に下ろされると、彼は私の両手を握った。
「突然の思い付きだから、指輪も衣装も何もないけど、
でも、忘れられない思い出にしたかったから……。
この世界に生まれた人達に見守られながらの結婚式っていうのも、神前と同じくらい有り難いことだと思ってね」
「……うん…」
「それに装飾品がなくても、ちゃんは綺麗だから」
「…ありがと」
涙がじわじわと溢れるのを感じながら私は笑顔で天摩の手を握り返す。
周りは拍手の嵐だ。
そうしてその拍手が収まると、料理長と思わしき装いの男性がやってくる。
「さすがに船長さんに頼むのは皆の安全の面で無理そうだったから、
料理長さんに司会を頼んだんだ」
そう言うと料理長はパチンとこちらにウインクをする。
そうして簡略なものながらも、結婚式は進められ、私たちが互いに愛を違うと、彼は「お幸せに」とその場にいた者全てに聞こえる声で宣言した。
すると楽団が明るくて優雅な曲の演奏を始め、式を見届けた船客たちが「乾杯」と一斉にグラスを上げる。
名前も知らない人たちから沢山の祝福を受け、驚きと喜びが身体中を駆け巡った。
まさか天摩が結婚式を挙げようと思っていたとは予想もしておらず、また、
一組のカップルの我儘に船員だけでなく船客まで付き合ってくれるとは、夢にも思わなかった。
天摩だけでなく、この場の全員を抱きしめたい気持ちになる。
「――天摩、ありがとう。私、凄く幸せだよ」
「良かった。俺もここまで大事になるとは思ってなかったんだけどさ。
でも、皆いい人ばかりで良かったね」
「うん」
天摩と協力して、先程のケーキをその場にいる子どもたちに切り分けることにする。
「お姉ちゃんたち、お似合いね」
「ありがとう」
ケーキを貰って嬉しそうに自分の席に戻って行く女の子に手を振った。
辺りの人々は未だ興奮状態で食事やお酒を楽しんでいるようだ。
「――あ、勿論、ジッカラートに戻ったら、婆ちゃんの前でまたちゃんとした式を挙げようね。
婆ちゃんもちゃんの花嫁姿楽しみにしてるだろうし、俺も見たいし……」
「そんなに何度も式を挙げて大丈夫なのかな?
バチが当らない?」
「この世界はそんな冷たい世界じゃないでしょ。
きっと祝福してくれる」
「うん、そうだね」
そう言って私たちはシャンパングラスを掲げた。
「ちゃん、これからもよろしく」
「うん、私こそよろしくね」
――貴方とこの世界に、乾杯。
――介入を終了する――