ふと気がつくと、真っ白な景色が360度広がる。
ここはいったいどこだろう。
――君を一番必要としている者のところに行くんだ。
レディネスが言っていたことを思い出す。
……そうだ、私はサルサラに会う為にここに来たんだ。
静かな水面に水滴が落ちたかのごとく、足元から波紋のようにある景色が広がっていく。
「――サルサラっ」
バタバタと部屋に入って来た私に驚いてサルサラは振り向いた。
彼の手には製作中の陶器の土がある。
サルサラが人間になった二週間後に私たちはジッカラートを発ち、船に二ヶ月程揺られて、サウスランド大陸の最西端に降り立った。
サウスランドは加護する神が不在で大陸の八割が砂漠、一割が凍土、森が残っているのは残りの一割というとても厳しい環境の大陸である。
神の愛を受けられないこの大陸で生まれた人間は霊力を持たず、環境にも恵まれなかったことから
どの大陸よりも先駆けて道具を作ることに特化していったようで機械文化がいち早く栄え、
今では南側の海岸沿いは金属で作られた街・メタルシティと呼ばれた街が続々と増えているらしい。
しかし、それ以外の砂漠地域では未だに小さな部族間での紛争が絶えず、
また、厳しい環境を生き抜いてきた獰猛な動物たちがあちらこちらに生息し、常に危険と背中合わせの生活をしている者も多いという。
そんな中、最西端にかろうじて残っている森林地帯には、南にあるイビリア大陸から魔物が渡ってきており、
人と魔物、そして自然が共存する村が存在するという噂があった。
私たちはその村に興味を持ち、はるばるジッカラートからやって来たのだった。
そうしてその村を訪れた私たちはエルフの村長から許可を得て、村人の一員になった。
サウスランドに渡ってからもう5年が過ぎようとしている。
魔物と人間が共存する村だからか、村人たちはとても歓迎してくれてほっとしたものの、
最初は村で何をしたらよいのか分からなかった私たちだったが、
一緒にご飯を食べたり、少しずつ仕事を手伝ったりするうちに何となくこの村での生き方が分かって来た。
畑を耕したり、森で食べ物を探すことが大体の日課なのだが、サルサラは昔取った杵柄か何かを作ることが非常に上手であることが判明し、
特に陶芸や彫像などに興味を持ったらしく、趣味であれこれ作っているうちに村の人から器を作ってくれと頼まれるようになってからは
陶芸を自分の仕事だと思っているようである。
一方、私はサウスランドに渡って来てからというもの、何故か霊気を放出できなくなり、
そうなると私の取り柄は鍛えてきた身体しかないので、子どもたちに護身術を教えている。
魔物と共存しているといっても、知能と人格のある魔物に限られていて
村の外には凶暴で大型の獣型魔物や猛獣がうろついている為、戦える人間は重宝されるのだった。
しかし、それはあくまでも護身の為であって、普段は農耕と付近を流れる川での漁獲で十分にやっていけるので私たちの仕事は趣味を少し延長した程度のものである。
「…何?」
「……あ…えーっと……」
レディネスが言っていた病気のことが心配で思わずサルサラの部屋に駆け込んだものの、彼にそんなことを言える筈もないし、
また彼を見ても何の変化もなさそうなので尚更、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。
それでも、どこか違和感を感じる。
「――っサルサラ、目が……」
訝しそうにこちらを見つめる彼を前にして漸く違和感の正体に気付いた。
彼の赤い瞳は人間になった時から濃い灰色になったのだ。
だが、今の彼の目は薄らと赤くなっている。
――私のことを忘れかけているのかもしれない。
嫌な予感がした。
そう言えば、彼は眉間に皺を寄せて厳しい顔をしている。
人間になってからこんな顔はしたことがなかったのに……。
やっぱり記憶が消えかけてるんだ。
サルサラが私のことを忘れたら……もしかしてまた邪神に戻ってしまうの――?
「サルサラ…っ」
「…何なの、さっきから煩いな」
「私のこと、覚えてる……?」
「何言ってんの、これまでずっと一緒に暮らしてきたでしょ」
「じゃあ、私の名前は?」
「はぁ? ボクのこと、馬鹿にしてるの?
そんなの――――っ……あれ…何だっけ……」
彼のその言葉に私は卒倒しそうになる。
しかし、倒れている場合ではないのだ。
どうにかして彼に私を思い出してもらって、忘れないようにしっかりと心に刻んでもらわねば。
「……サルサラ。
私の名前は裕だよ。思い出したでしょ? ちょっとだけ、ど忘れしただけだよね?」
笑顔で彼に話しかけるが、彼はまだどこかぼんやりとしたままで、瞳も元の色に戻ってはいない。
「……裕…だよね、うん。言われたらそんな気がするけど……。
――何でだろう、君のことを考えようとすると頭が痛い……」
そう言って彼は頭を抱える。
「サルサラ……」
もし病気の症状が出ていても、会えばすぐに記憶が消えるのを止められると思っていたのに。
どうしたら彼の記憶が失われるのを防げるのだろう。
「――忘れないで。
このままじゃサルサラ、邪神に戻っちゃう。
そうなったら私……もう奇跡なんて起こせないかもしれない。
そしたら貴方と一緒にいられなくなる…………そんなの嫌だ…」
彼を激しく揺さぶった私の目からは涙が次々と零れていく。
そんな私を彼は茫然と見つめる。
「――私、サルサラがいなくなったら何の為に生きたらいいのか分かんない!」
私は彼の胸ぐらを掴み、一喝した。
それでも彼はまだ反応を示さない。
希望を失った私は項垂れ、その場に崩れ落ちる。
もうどうにもならないの?
一緒に幸せになろうと決めたのに。
私を幸せにすると彼が言っていたのに――
ぺたりと床に座り込み、ボロボロと涙を零す私を見かねたのか、
サルサラは膝をついて私をじっと見つめると、涙で濡れた私の頬にそっと触れた。
彼の手は温かい。まだ彼は人間で、生きているのだ。
私は彼の手を取って両手で挟む。
「……もういい。忘れてもいい。
私、もう弱音なんて吐いたりしない。私の取り柄は戦うことだけだもの。
貴方を取り戻すまで、貴方の魂を救えるまで、何度でも戦う。
そしてもう一度、貴方の中に私を刻み込ませてみせる。
貴方を愛してる気持ちは永遠に変わらないから」
「――裕…」
サルサラはパチパチと瞬きをした。
すると瞳の色がスッと元に戻って行く。
「……久しぶりに巫女の君を見た気がする」
「サルサラ…っ」
彼は少し照れ笑いをしながら私を力強く抱き寄せた。
そのまま身体を彼に預ける。
「もう一度、愛してるって言ってよ。
最近、聞いてない気がする」
「愛してる……愛してるよ…」
「ボクも愛してるよ、裕…」
彼の背中をギュウッと抱きしめる。
これでもう大丈夫だと心の底から安心した。
「――介入者……見つけた」
安心した次の瞬間、聞こえてきた声に時間が凍りついたような気がした。
落ち着いた心が一気にざわつく。
自分たちしかいない筈の空間なのに、確実に空耳ではない程のはっきりした声が聞こえるなんて明らかにおかしい。
サルサラも声が聞こえたようで身体を硬直させ、殺気を放っている。
「――お姉ちゃん、こっちに来てよ」
誰かが呼んでいる。
小学生くらいの女の子のような可愛らしい声。
「……裕を呼んでるね」
「うん、そうみたい」
ピリッとした緊張感が辺りを包む。
私たちはバッと背中合わせになって周囲を見回した。
「話をしましょ、介入者のお姉ちゃん――」
姿は見えないが、少女の声が私を呼び続ける。
「……悪霊みたいな感覚だね」
「でも、そんな邪悪な感じはしないよ。
……まぁ、私も今は霊力使えないからホントにただの勘だけど」
とりあえずこの部屋には誰もいないし気配も感じなかった為、私たちは部屋の外へ飛び出した。
すると見慣れた筈の村の景色が、がらりと変わっている。
自分の足元に広がるのは花畑。
遠くは霧でぼんやりと白んでいるが、花畑はずっと地平線の先まで繋がっていそうだった。
状況がまったく掴めずに私たちは互いに顔を見合わせる。
あり得ない状況に戸惑うばかりだ。
「――やっと会えたね、介入者のお姉ちゃん――」
突如、白いワンピースを着た少女が霧の中からスッと現れた。
サルサラが言ったような悪霊には見えないものの、生きた人間とは思えない不思議な雰囲気を醸し出している。
「……あ…貴女は誰?」
私の頭の中はたいそう混乱していたが、冷静さを保つように努めて少女に優しく問いかけた。
彼女は静かにその場にしゃがみ込むと足元に咲いている黄色い花を撫でる。
「――私はリグレス」
顔を上げずに少女は口を開く。
「リグレスちゃん……。
貴女はどうしてここにいるの? ここはどこ?
何故、私を知っているの……?」
少女の隣に腰掛けて彼女の動作を眺めた。
彼女の長い睫毛が目線に合わせて微かに揺れる。
「ここははじまりの大陸」
「はじまりの大陸って……そんな大陸、聞いたことないな。
サルサラ……も知らないよね?」
「……多分ね」
「そう……。それもそうね。
はじまりの大陸は普段は誰にも見えないから……」
「そんな大陸にどうして私を呼んだの?」
「私がお姉ちゃんを呼んだのは……会ってみたかったから。
この世界を変える最大の可能性を持つ存在であるお姉ちゃんにね」
少女は静かに瞳を閉じる。
「リグレスちゃん、貴女は一体……?」
そう言うと彼女はすっと立ち上がり、凍りつきそうな鋭い視線をこちらに向けた。
「この世界はね……私の為に作られたのよ、お姉ちゃん」
「貴女の…為に?」
「そう。
私のお姉ちゃんがもうすぐ死ぬ私の為に作ったのがこの世界。
私が死を恐れないように作ってくれた死後に暮らす世界」
「……だったらどうして貴女と無関係の私やサルサラがこの世界にいるの?」
「それは色んな人の祈りと私のお姉ちゃんの祈りが一つになったから。
最初はお姉ちゃんが作ってくれたこの小さな大陸一つしか存在しなかった。
でも、不運にも死んでしまった人の冥福を祈る世界中の人たちの願いが次第に集まってきて、
いつしかこのはじまりの大陸に植物という命が宿り始めたの。
そうして少しずつ生物が増え、大陸が増え、結果、今のこの世界になった」
――この世界はそうやって死んでしまった人の魂と、その人を想う人の祈りで作られているの、と少女は寂しそうに続けた。
「私は夢を見ている状態でしか、この世界に来ることができない。
私の為の世界の筈なのに、私がこの世界の核の一つである筈なのに……。
なのに、お姉ちゃんは世界を超えてここにやってきた。
そして次々と世界を変えていく……」
少女は悔しそうな表情を浮かべて涙を流し始めた。
青白い程であった頬や鼻が赤く浮かび上がる。
「……私は可能性が憎い。お姉ちゃんが憎い。
どうして私にはもう死しかないのに、お姉ちゃんにはそんな力があるの?
私はいずれこの世界の住人になるのに、これまで私はこの世界に干渉することもできなかった。
――死を目前とした今になって漸く干渉できるようになったけど、
こんなのって不公平過ぎる……っ」
両手を目に当てて泣く少女は今にも消えてしまいそうな程、弱々しく肩を震わせる。
「……それに、この世界は良からぬ方向に変わっていってるの。
介入者の数だけ、未来は分岐していってる。
それと同時に、同じようで違う世界が並行に存在しているわ。
このはじまりの大陸はどの世界にも繋がってるみたいだけど……」
そう言うと、少女は歩いてどこかへ向かう。
慌てて彼女についていくと、霧の向こうに薄ら見えるのは大きな湖。
その水の中には沢山の惑星のようなものが漂って宇宙に似た空間が広がっていた。
「――こうなったのはお姉ちゃんみたいな介入者が原因よ。
こんなんじゃ……死んだ私は一体どの世界に生まれてくるの?
私、迷子になっちゃう……」
「リグレスちゃん……」
彼女が本当に恐れているのは死だと何となく分かった。
死というものは誰もが一度しか経験しないこと。
そしてその瞬間は誰にも必ず訪れるもの。
先の見えない恐怖と、終わりが近づく恐怖は言葉にしがたい恐ろしさがあるだろう。
――この子の心をどうやったら救えるのだろう。
このままでは彼女は邪神だった頃のサルサラのようになって何もかもを憎んでしまう。
「――もしかして、それでボクの記憶に干渉したの?
そんな理由で裕を忘れさせようとしたのなら、遠慮なく殺すよ」
「ちょっ……サルサラ、恐ろしいこと言わないでよ!」
一緒に彼女を見つめていたサルサラの発した言葉に私は焦って彼の腕を掴み、
何とか彼の気を削ごうと、リグレスに話しかける。
「……ねぇ、リグレスちゃん。
永遠の命と終わりのある命、どちらがいいと思うかは人によって異なるとは思うけど、
でも、永遠ということは大まかにみると大きな変化がないということでしょ?
ここにいる彼が……まさにそんな感じだったんだよ。
身体だけでなく魂もその時やその時の感情にずっと縛られたまま。
他人の私から見てもそれはとても不幸なことだと思った。
だから、私は彼を救いたいと思って最後まで戦うことにしたの。
結果、彼は時間や憎しみから解放されて、今こうやって私の傍にいてくれてる。
変わらないなんてそんな悲しい世界、嫌じゃない? そんな世界を望む人はいるかな?
もしも本当に貴女の言葉通り、人々の願いや祈りでこの世界が作られたとしたのなら、
きっと幸せな世界に生まれ変われるようにって祈ると思うよ。
私だったらそう願う」
「裕……」
サルサラはそっと私の手を握る。
私はそんな彼にニコッと笑顔で頷いた。
「……確かにそう。
お姉ちゃんの言うことは何となく分かる気がする。
でもね、それでもお姉ちゃんは力を持ち過ぎよ。
身体はこちらの世界のものだけど、精神や魂は外から介入されたものじゃない」
「……うん、そうね。
でもこうやって貴女と話していたら、私、何となく分かった気がするの。
そもそも自分が何故この世界にやってきたか……」
自分は入り口を通ってこちらの世界にやってきた。
しかしその入り口とこちらの世界での“魂の入れ物”は予め用意されていたのだ。
自分はゼロから作られたものではない。
だとするとそうさせた者が必ずいる筈である。
「――私は誰かに呼ばれてこの世界に来た気がする。
はっきりと名を呼ばれたわけじゃないし、指図されたわけでもない。
ふと興味を惹かれて進んだ先にあったのがこの世界の入り口だった。
ただの好奇心から始まったものだと思っていたけど、でも、今思えばこれは必然的なものだったのかもしれない。
……きっとその入り口は、この世界を良くしたいと願った人が作ったんだと思うの。
もしかしたらリグレスちゃんのお姉さんかもしれないし、全く知らない人が作ったかもしれないけど、
でも、祈りは届いて私のような介入者を呼び、この世界で形と成ったんだわ。
だから私は今、この世界にいるのよ」
「でも、世界は分岐してしまったのよ?
いずれはバランスを失って全て壊れてしまうかもしれない」
「大丈夫。今なら私、その並行した沢山の世界がどこにあるか分かるわ」
そう言って自分の胸に手を当てる。
「ここよ、人の心の中にあるのよ。
この世界に介入する人たちや死んだ人を想う人たちの心の中に、この世界は存在しているのよ。
そしてそれぞれの世界は違う未来へ向かって進むの、希望と祈りに包まれて。
でもその想いの根本は同じ、“相手を想う気持ち”よ。
だからこのはじまりの大陸は全ての世界に通じているんだわ」
「じゃあ、私が死んだらは全ての世界に生まれてくるの?」
「そうかもしれないし、貴女を想う人の心の中の世界にだけ存在するかもしれない。
でも、存在しないことはあり得ないと思うわ。
貴女にはこの世界を作る程に愛してくれる人がいるんだもの」
「それも……そうね…」
いつの間にか少女の涙は止まっていた。
ふと気がつくと、靄の隙間から光の筋がいくつも零れている。
「――お姉ちゃんは…今の“裕”になれて良かったと思う?」
「うん、そう思うよ。
大切な人に会えたし、その人を通して自分のことも世界も好きになれたもの」
「そっか。そういう幸せの形もあるんだね。
……ありがとう、裕お姉ちゃん。
私も、生まれ変わったら素敵な恋をしたいな」
リグレスはそう言うと穏やかに笑った。
――不思議な夢を見ていた気がする。
世界の全てが愛おしくなるような、温かい夢……。
ゆっくりと目を開けると、いつもの廊下の光景だった。
それと同時に右手に温かいぬくもりを感じる。
もしかすると先程の夢のような出来事は、ドアを開いて外に出た一瞬のことだったのだろうか。
「……ふーん…」
ポツリと隣でサルサラが呟く。
「どうしたの?」
「やっぱりあの子、懲らしめた方が良かったかも。
……別れ際に色んな世界をボクに見せてきたよ」
「はじまりの大陸から繋がってる別の世界を見たってこと?」
「うん……」
そう言うと、彼は遠くを眺めるような目で私を見つめる。
「どんな世界だったの?」
「ジッカラートが滅んでたり、平和になったり、ホントに色々。
でも、最終的にはボクは君と一緒にいられて、それなりに幸せになれたみたいだけどね」
「そうなんだ。じゃあ、今とそんなに変わりない?」
「いいや、全然違うかな。
ボクは今の自分が一番気に入ってるし、どの世界のボクよりも幸せだと思ってる」
「そっか」
嬉しくなった私は笑顔で彼の腕に抱きついた。
彼とこうして一緒に過ごせるのも想いの力によるものだ。
彼だけでなく温かい風、揺れる花、空を飛ぶ鳥たち――これら全ても人々の想いと願い、そして死した者の新たな魂の輝きによって作られた存在だったなんて。
サルサラが人間になった時以上に、この世界の何もかもに感謝したい気持ちになる。
この優しさに溢れた世界をリグレスは何と呼んでいたのだろう。
……リグレスがこの世界の核と言うならば――
――Regres――
そう名付けよう。
回帰世界――私の中に存在するただ一つの世界。
~エピローグ~
「……ねぇ、ずっと聞きたかったんだけどさ。アゲハくんって…どうしてるんだろ」
何となく顔が見辛くなった私は、彼に背中を向けて静かに尋ねた。
「へぇ、ボクの前で他の男の話?」
サルサラは私の前に移動すると、顎をクイッと持ち上げてにっこり笑う。
「男っていうのかな……?
でも、サルサラが邪気を使って砂から作ったひとなんだよね。
だから、サルサラが人間になった時、彼も消えちゃったって……」
「うん、そうだよ」
「彼は……幸せにはなってないよね。
だとしたら、また別の姿で生まれ変わるのかな」
「そうかもね。
あいつの魂はあの時点で何回か再生と死を繰り返してたみたいだし」
「……もしかして、幸せになるまで生が繰り返されるってこと?」
「この世界が人を幸せにする為のものだとしたら、そういうことになるんじゃない」
「それってさ、意外と残酷な世界かもしれないね。
幸せになるまで何度も何度も生きなきゃいけないんでしょ?」
「それもそうだね。
――でも、この世界には大きく変われる可能性を持ってる」
「そっか。その気になれば、変わる世界なんだね。
……アゲハくん、次は幸せになれるといいな」
「……」
私がそう言うと、サルサラは酷く不機嫌そうな顔をする。
これまでも何の罪もない村の人や子どもたち相手にまで妬くことがあったけれど、
今回は自分が知っている相手だからか、えらく気にしているようである。
「――サルサラ、私たちはこれからもっと幸せになろうね」
「うん、なる」
子どもを宥めるように彼を優しく抱きしめると、彼の機嫌はすぐに直った。
分かりやすい性格だなぁと笑いつつ、彼の独占欲を何だか嬉しく思う。
サルサラは人生が始まったばかりなのだ。
子どもの頃に愛されずに育った彼は、今、漸く甘えたり我儘を言ったりする自由を手に入れたのである。
周りの子を見ていると、子どもが欲しいと思う時もあるんだけれど……もう少し後にしよう。
第一、その前に結婚もまだしていないし、今はまだサルサラに独り占めさせてあげたい。
……いや、私が独り占めされたいのかも。
私も17歳まで特殊な環境で育った為、普通の人と比べると社会的にも人間的にも未熟なのだ。
私の人生も始まったばかり。
「……ねぇ、いつか子どもとかできるのかな」
「え…欲しいの?」
そう言うとサルサラは私のお腹にそっと触れた。
「今は考えられないけど、でも……ボクにそういう機能があるんなら…」
「あるよ、きっと」
「うん…。
それで、その子どもに名前を付けるとしたら……惇がいいなって」
「惇? いい名前だけど、どうして?」
「……いや、特に理由はないんだけど。
もしボクに似た子どもが生まれたら、そういう名前がいいなと思っただけ」
「うん、いいんじゃないかな。
楽しみだね」
「ホントに?」
「うん」
サルサラは嬉しそうに笑った。
私も笑って彼の首に手を回す。
「……いっぱいいっぱい幸せになろうね」
「欲深いなぁ、裕は」
「良い生き方できるように努力するからいいでしょ?」
「まぁ、そうかもね。
――というわけで、今、ボクを幸せな気持ちにして欲しいんだけど?」
「いいよ」
少し背伸びをする。
目を閉じて彼の唇にキス。
「……私からキスするなんて滅多にないんだからね」
「うん」
照れた私に今度はサルサラがキスをした。
「「……愛してる」」
――介入を終了する――