意識を取り戻したは体力も徐々に回復していった。
リハビリによりある程度自力で生活できる程度まで筋力も戻し、
退院する頃にはすっかり元の朗らかで明るい人格を取り戻したようだった。
 それでも記憶は未だ戻ってはいなかった。
元々の後見人を勤めていたデルタが彼女の退院の手続きをして、
その後は以前住んでいたカイトたちとの共同宿舎に戻ることになった。
まだ完全に体力が戻っていないのと力も衰えているので、傭兵の仕事は暫く休んで
家事などをしながら少しずつ体を鍛えることになった。
 カイトは遠出する任務は受けずにギルドの事務手伝いや、サンティアカ内の依頼を受けるようにして
常に夜にはの待つ家に帰るようにした。
 先の任務が終わったら旅立とうとしていたアステムも暫くの間はサンティアカに残ることにして、
カイトほどではないけれどできる限り毎日家に帰れるような任務を選ぶようにしていた。

 それ以外のメンバーはの帰還を見届けると家を出て行った。
リットンは実家に戻って家督を継ぐ為の準備をするらしい。
魔王となったレディネスはまず自国の制度を整え、獣型魔物の被害を抑えるべく制御方法を研究したりパトロールを強化しているようだが、
時々堅苦しい生活に嫌気がさして傭兵団のギルドへ顔を出すようで、その途中でたちに土産物を渡しに立ち寄ったりもする。

 は自分を心配してくれて回復を喜んでくれたメンバーを思い出せないまま見送ったことを申し訳なく思っていた。
しかしながらカイトやパッシが無理に思い出そうとしなくても良いし、もし思い出した時はまたいつでも集まれるさ、と励ましてくれるし、
何も言わないけれども任務から戻ってきたアステムが渡してくれる街の外に生えている花や木の実などを眺めていると
慌てなくてもいいのかしら、と穏やかな気持ちで過ごせているのだった。
それでもまずは介助がなくても重い荷物を運べるようになりたいと考えているし、アステムと一緒に実際に生えている花や木々を見て回れたらと思っている。

 リットンやレディネスがいなくなり広くなってしまった家で一緒に暮らしているカイトは面倒見が良く明るくて頼もしい人で、
すっかり兄のような親しみを抱いている。
それでも踏み込んではいけないような一面もありそうで、そこは彼の領域を越えないように気をつけているつもりだ。
 もう一人の仲間であるアステムはエルフという種族であるからかは分からないけれど、冷静で寡黙がちな人だ。
しかしながらが目を覚ました時に泣きそうな顔をして喜んでくれたのが忘れられないし、
冷静で寡黙ではあるが対応や人となりが冷たいわけではなく、早く誰かの役に立ちたいと無理をしがちなに対して
いつの間にか傍にいて手助けをしてくれる人で、優しげな表情で「無理をするな。助けがいるなら遠慮なく言え」と言ってくれる人である。
 穏やかで、時々眩しそうにしてみせる彼の眼差しと、が自分が記憶を失う前から身につけていたという
波のような白い線が入った青い石のブレスレットを時々彼がじっと見つめる姿から、
どうやらこれは彼がプレゼントしてくれたもので、私たちは特別な関係だったのかもしれないとは考えたが、
それは自分の願望なのかもしれないとも思っている。
 カイトよりも過ごす時間は短いかもしれないが、アステムと一緒にいる時間はとても静かで穏やかで自然体でいられる気がした。
それに彼は常に真っ直ぐこちらを見つめて優しげな表情を浮かべていて、大切にされているし見守られていると感じる。
回復薬の調合や、武器や包丁などの道具の手入れなども丁寧に教えてくれて、その時は師弟関係のようではあるけれども
彼に色々なことを教わる時間は楽しくて幸せな気持ちになるのだった。
 記憶を失う前の自分も同じような時間を過ごしたのだろうか?と、時々嫉妬じみた気持ちすら浮かぶ。
以前の自分はどのくらいアステムのことを知っていたのだろう。彼は自分にどのくらい自己開示していたのだろう。
カイトもできるだけとアステムの一緒の時間を邪魔しないように配慮してくれているように感じるので、
特別な関係なのは間違いなさそうだが、どこまで特別な存在だったのだろうか。
 仲の良い師弟関係?仕事の相棒?それとも何か共通の趣味などがある親友?もしくは…恋人、とか?
左手首に装着しているブレスレットは美しい石のブレスレットで、これが彼からのプレゼントであるならば恋人に贈ったようにも見えるが。
は関係がおかしくなりそうで記憶を失う前のことを聞くことができない。
このままずっと穏やかにゆっくりと彼と一緒に過ごしていけたら恋人らしい二人にいずれはなれるかもしれない、と思う程度には
はアステムへ思いを寄せていた。


 退院してから1年程経った頃、漸く体力も筋力も以前と同じようになったと思えるくらいに回復させたは傭兵に復帰することになった。
復帰後初の任務はアローア洞窟の守護石の様子を見に行く仕事で、アステムに同行してもらうことが条件だった。
ギルドで受付してパッシに元気よく送り出されると、は緊張しながらも意気揚々とサンティアカを出発した。
アステムからは「肩の力を抜け。もう少し辺りの風景を楽しむくらい楽な気持ちで行け」と言われて、どこまで自分はギクシャク歩いていたのだろうかと
少し恥ずかしくなるくらいだったが、彼の言葉に従って辺りを見回しながら歩を進めると青い空が気持ちよく澄んでいて、
木々の緑色はそれぞれ違い、道端に生えている草花は以前アステムが摘んできてくれたものだと気づいた。
 そのことを彼に話して、花の名前などを聞きながら歩いているとアローア洞窟には思ったよりも早く着いた。
洞窟内は少し肌寒く、岩肌にある苔や鉱石が薄く光っている。
「ここにはよく来るな。縁のある場所らしい」とアステムが独り言を漏らす。
その言葉には続いた。

「ここって初心者向けの任務地みたいな扱いですよね?
 レディネスが整備してくれたせいか以前よりも魔物が出なくなったからより安全になったってパッシさんが言ってましたけど」
「ああ。傭兵の登録試験にも使われている所だ。お前の試験の時にも皆で来たし、
 その後、凶暴な魔物が出ると言うことで引き返すようにまたここに来てヒドラを討伐した」
「そうなんですね。ヒドラなんて魔物がこんな狭いところにいたんですね。
 ――あ、紅色水晶が見えてきました」

 洞窟の奥に広い空間が現れる。
泉が湧き出ており、その真ん中には大きな紅色水晶と呼ばれる石が薄ら光を放って浮かんでいた。
 この紅色水晶の核となっているのが守護石と呼ばれる石で、記憶を失う前のたちはエウリードへ対抗する為の事前準備として
この守護石を入れ替えた過去があるのだとアステムから聞いていた。
 それまでは紅色水晶は曰く付きの石で、「今まで何度も盗人達がこの石を盗みに来たが、悉く失敗した。
石に触れたある者は失明し、ある者は幻覚に襲われ、またある者は手を失った。そうして今では、誰もこの不思議な宙に浮く石に触れる者はいなくなった」
と誰もが知っている噂が必ず紅色水晶の話題をするとついて回っていた。
 そんな石に触れて核まで抜き取ってしまったのだから、今の二人には恐怖などは微塵もなかった。

「魔物の気配もないし、石は静かに浮いているようだな」
「はい。…少し近づいてみますね」

 泉は浅いと聞いていたので、は紅色水晶に向かって歩を進める。
紅色水晶の中央に薄らと丸い石があるのが見える。
けれど自分が以前切ったという跡などは全く分からなかった。

「問題なさそうです!」
「ああ、良かった。では帰ろう」
「報告までが任務ですもんね。気をつけて帰りましょう――っわ!」

 気をつけると言ったばかりなのに泉から上がるところで滑って後ろ向きに倒れそうになる。
咄嗟にアステムがの手を引き寄せ抱き止めた。

「す、すみません。油断しました」

 は転びそうになったことだけでなくアステムと密着していることにも鼓動が早まっていると、
アステムはそのままを離そうとしない。

「こんなことで…動揺するなんて」

 アステムの呟きには恐縮する。
しかしながらそれはを責めるものではなかった。

「――が離れていくのが怖い。俺は守ると言ったのに守れなかった。
 また目の前でお前に何かあったらと思うと……怖いのだ」
「アステムさん、それは…」

 私がこうなったのは貴方のせいではない、とはアステムの胸に埋もれていた顔を上げてしっかりと言った。
に視線を下ろしたアステムは記憶を失って初めて見るような悲しげな瞳をしていた。

「以前の私が貴方とどういう関係だったか、私が貴方にどんな言葉をかけていたかは分かりませんが、
 今の私が思うのは、ただただ貴方とこのまま一緒にいられたらって…」
「そうか、そう思ってくれるのか」

 アステムは少し表情を緩め、を解放した。
そして彼女の髪の毛にそっと触れて、頭にポンと手を乗せる。

「…帰るか」

 彼がそう声をかけた瞬間、の頭の中にこれまでのアステムとのやりとりが流れ込んできた。
優しく頭をポンとされてくすぐったいような嬉しいような気持ちがしたこと、
機械や魔硝石、欲深い人間を憎む心をどこか持て余している熱い彼の姿、
幼馴染みを探していたけれど時間がかかりすぎて諦めかけたことに罪悪感を抱いていると教えてくれたこと、
愛していると告げた自分の気持ちを受け止めてくれたあの日のこと、それまでの何気ない日々のやりとりも全て。

「――アステムさん。私、戻ってきました。
 シエルさんを探す旅にいつでも出られます。貴方と一緒に。
 今度こそ貴方を一人にしないから」

 がそう言うとアステムは目を見開いた後、うつむいた。
背の低いには下から彼が涙を流している顔が見える。
 自分はこんなにも彼に必要とされていたのだ、とは分かって、
アステムに抱きついてしっかりと腕を背に回した。

…。
 思い出してくれてありがとう。
 お前が記憶をなくしてもまた関係を作っていけば良いと思っていた。
 しかしこれまで過ごした日々はやはり大切で、捨てられなかった。
 俺を独りにしたくないと言ってくれたお前の言葉をなかったことにしたくなかった」
「大切に思ってくれてありがとうございます。
 記憶を失ってからも、ずっとアステムさんは傍にいてくれて、優しく見守ってくれた。
 昔も今もずっと大好きです」
「俺も愛している。いつのお前だって」

 とアステムは暫く抱きしめ合って泣き続けた。
アローア洞窟に鼻をすする音が響く。
 暫くそのままでいた二人だが、入り口付近に気配を感じたのでそっと離れた。
どうやら登録試験を受けに来た傭兵見習いが来たらしい。

「行きましょうか」
「ああ」

 二人は涙でぐちゃくちゃになった顔を拭って洞窟の入り口へ向かって歩き出す。
アステムが手を差し出したのでは力強く握った。

「足が濡れているだろう、洞窟を出たら少し休んで靴を乾かしてから帰ろう」
「そうですね、でも夜遅くなったらカイトさんが心配するかも」
「少しくらい心配させてやれ。記憶が戻ったと言ったらどうでも良くなるから」

 アステムらしからぬ軽口には声を出して笑った。
すれ違った傭兵見習いと付き添いの傭兵から「こんなところでデートかよ」とひそひそと噂されたのもなんだかおかしかった。
堅物そうなアステムが自分を選んでくれた、そのことがには何よりも嬉しくて
新しい世界が始まったような気がした。



 その後、は傭兵へ復帰したもののすぐにアステムと二人で傭兵団を退団し、シエルを探す為の旅へと出発した。
二人は人身売買やシエルの剥製ような非倫理的なものなどを売りさばくブローカーの情報を
レディネスに協力を仰いで定期的に受け取るようにしており、その情報を元に買い手の屋敷に押し入ったり、
取引の現場を押さえたりしながら各地を転々としていた。
 5年で20件ほどの犯罪者を引っ捕らえて警備隊に引き渡し、押収した所持品について尋ねてみたけれども、
シエルと思わしき剥製は見つからなかった。
 自分にとっての5年は大した年数ではないがにとっての5年は大事な時間だと思ったアステムは、もう諦めようと相談した。
闇ブローカーを相手にしている自分たちはそちらの世界で有名になってしまって野営するのが危険になってきたことと、
シエルも大事ではあるが必然的に自分よりも短いの人生をもっと大事に一緒に過ごしていきたいのだ、と渋る彼女を説得した。
 そんな二人は安住の地を求めてサウスランドの最西端のに近い森へと到達した。森を抜けると氷土となっていて、
氷の崖からは南にイビリア大陸、北西にリーフグラント大陸が微かに見える。
 白い息を吐いたが「ついに横断しちゃいましたね」と微笑むと、アステムも「ここまでよく歩いたな」と言い彼女の頭を撫でた。
氷土が近いけれども森は深く、ここなら水も手に入れやすいだろうということでとアステムはこの森で暫く暮らすことにした。

 氷土からの帰りに森の中で老婆と出会った。
どうやら彼女は森の中で暮らす人間のようで、自分以外の人に会うのが久しぶりなようでとても驚いていたけれども大変喜んだ。
そして彼女が生活をしているという大きな木に案内してくれることになり、二人は着いていった。
 少し開けた空間があり、その中心には彼女が言ったように大きなブナの木が立っていた。
その木の奥には湯気を出す泉があり、どうやら温泉のようである。
二人は木に近づいていってあるものを目にした。
それはブナの太い幹が割れたようになっているところに、少女の像のようなものが埋まっていたのだ。
 アステムは声にならない声を上げて走り寄った。もそれに続く。
近づくとそれはエルフの少女の剥製だった。
そしてアステムの泣いて縋る様子を見るに、シエルという少女に間違いなさそうだ。
 その剥製は年月が経っているからか薄汚れており、ブナの幹が首の下まで飲み込んだように育っていた為に
ほぼ木と一体化しているようだった。
少女の表情は無表情でもあり、悲しみを湛えたような顔にも見えた。
 アステムはそっと彼女の頬を撫でて、何かを呟いているように見える。
は後ろでそれを見守った。会いたかった、遅くなってすまない、なんて言ってるのかなと思いつつ、
自分たちを案内してくれた老婆がきょとんとしているので、は自分たちの事情を話した。
 彼の幼馴染みが剥製にされてしまい、それを探す為に旅をしてきた。そして目的のものが見つかったのだ、と。
それを聞いた彼女はとても同情してくれて、そして喜んでくれた。
 彼女の話ではあの剥製は彼女がここに住み着いた時からあったらしい。
昔はブナの幹の割れたところに立てかけられていたのかもしれないがブナが生長するに従って飲み込んでしまい、
埋め込まれたようになってしまったのだろう、と言っていた。
 彼女が寂しげに見えたので独りにするのが可哀想でここに住み着くことにしたらしい。
丁度温泉も近くに湧いていたので温かくて暮らしやすいと思ったとのことだった。
 彼女は良ければ一緒に暮らそうと勧めてくれた。
彼女はサウスランドのザサスという国から来たという。
その国では強さこそ全てらしく、3年に一度ある武闘大会で優勝した者が次の王となるらしい。
なのでよく政策が変わって国は貧しいままだが、強さこそ全てという前提があるので
余程の暴君でない限りは皆、大人しく強い者が決めたルールに従うそうだ。
 女性は強き者を支える存在として大事にされるらしいが、怪我や病気をして動けなくなった主人や夫を持つと
一気に生活が苦しくなって生きていけなくなるそうで、彼女は夫が死去後に国を出たらしい。
 今は自由に寝起きできるし、食べ物もその日暮らしていくには十分なくらいには森で収穫できるそうなので
毎日ゆったり楽しく過ごせるということだった。
 一緒に住むかどうかはアステムと相談するとして、は老婆の温かな笑顔に疲れが癒やされていくような気がした。
余所からやってきた者に対しても温かく出迎えてくれる存在は尊いものだと思う。
自分たちもそんな居場所を作れたら良いなと思った。


、放っておいてしまってすまない」
「とんでもない。お話は終わりましたか?」
「…ああ。終わった」

 は先程の老婆の話をそのままアステムにすることにした。
そして色んな人の居場所を作りたいという新たな自分の目標も。
 アステムは笑顔で喜んでくれた。
出身や種族関係なく共存できる場所を作っていきたいと彼も賛同する。

「あの、私たちも良かったらここで一緒に暮らして良いですか?」

 は老婆に申し出る。
彼女は喜んで受け入れて「今日は宴だね!」と子どものように笑った。








-アステムルート BEST END-



これにて、 『missing』 完結です!!
サイト開設当初から公開していた連載小説で、完結するまでにまさかの20年かかるっていう……。
本当にお待たせいたしました。
さて、このmissing。
連載が長すぎて何でタイトルmissingなんだっけ?って成ってしまった情けない作者であります。
単語を調べたら、行方不明者とか失われた物とかで、
「ああ、そうだ。ティン島での傭兵行方不明事件とヒロインさんの記憶消失に絡めてmissingにしたんだった〜」と
20年経った今頃思い出しました。
各キャラそれぞれも失ったものがあって、そのトラウマ救済の為の小説でしたのであまり恋愛に力を置いていなかったのと、
戦闘シーンが難しくて手が止まっていました。

今回のアステムルート。一番時間がかかりました。
そもそもアステムさんは恋愛感情をあまり出さないのでいちゃいちゃすることもほぼなく。
静かに傍にいるような関係性なのでどう書いたら良いものかと、何度も手を止めました。
間に合って本当によかった。
最終的に、アステムはヒロインを失うことを何より恐れていたように書きました。
彼はシエルを探すことを諦めてしまった自分を罪だと思う潔癖な部分を持っていて、
そんな自分をヒロインは受け入れてくれて一緒に探そうと言ってくれる人なので、彼は救われたのでした。
彼女の素直で真面目で誰かの為に力になりたいという人となりを尊敬しているのし、
生きる時間が違うにもかかわらず一緒に生きていきたいと言ってくれたことがとても嬉しかったのだと思います。
この人多分、言わなきゃ分からない人なので。
そんなアステムさんを幸せにしてくださった皆様、ありがとうございました!!!!

サイト20周年を迎えることができましたのも、応援してくださる皆様のおかげです。
missingは完結しましたが、他にもまだ書きたい話や書き途中のものもあったりするので
今後も是非足をお運びいただけると幸いです。
どうぞ今後とも宜しくお願いいたします!

裕 (2025.11.3)


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