初恋クインテット<小説版>  一音目(side A)



 入学式の日、慣れないスーツ姿で家を出る。
来なくていいと言ったが母親も出席すると言ってきかないので仕方なく揃って大学から少し離れた会館へ徒歩で向かうことに。
その途中でちゃんと彼女の母親が家から出てきたところに遭遇する。

「あら、ちゃん?」
「そうだよ。大学に通う為にちゃんだけ戻ってきたって」
「久しぶりねぇ」

 そう言って母はちゃんの母親に「さん!」と呼びかけた。
ご近所だったのもあってうちの母とちゃんのお母さんは仲が良かったのだ。

「まぁ、章博君のお母さん!お久しぶり〜」
「おはよう、あっくん」

 スーツ姿のちゃんと彼女の母親はよく似た顔で微笑んで会釈した。
俺たち母子も会釈した後合流する。

「本当は私たちもここに戻っておばあちゃんを施設から引き取ってまた皆で住みたかったんだけど、
 今からこっちで働けるところを探すのは私も主人も難しそうだし、せめて主人だけでも定年までは働いてもらわないと…」
「働ける間は働いた方がいいもの。落ち着いたらゆっくり戻って余生を楽しめばいいのよ。
 ちゃんも独り暮らしできる年齢になったんだし、仕事が休みの時に時々遊びにいらっしゃいよ」
「そうねぇ」

 母親たちの会話は盛り上がっているようである。
俺はと言うと少しどきどきしながらもそんな動揺を悟られないようにちゃんと並んで歩く。

「未だにあっくんのイメージが子ども時代で止まってるからスーツ姿が凄く新鮮だよ」
「俺もそうだよ。自分でもスーツ似合わないなとは思うけど。
 でもちゃんは…その、大人って感じでいいと思う。似合ってる」
「本当?良かった!」
 
 浩輝なら可愛いとか綺麗とかいう言葉を簡単に言ってしまうのだろうが、俺にはそんな気の利いたことは言えない。
社交辞令ではなく素直な気持ちですら上手く言えない。
変なことを言って困らせたらどうしようだとか嫌われるのが怖いとか、そんなことばかりが頭を過って。
俺はそう、弱虫なのだ。
こういう時は浩輝の馬鹿正直さや、一言に重みがあるナオが羨ましい。
孝輔は好きな子はいじめるという子どもっぽいところがあるので逆に分かり易いが、
女の子にとってはいじめられるのはあまり嬉しいものではないと思うので奴のことは羨ましくない。

「あっくんは何か部活かサークルに入るの?」
「今のところは何も考えてないんだよね。アルバイトはしたいと思ってるんだけど。
 ちゃんは?」
「私は料理研究同好会っていうのが気になってるんだ。
 留学生も多いみたいで毎週色んな国の料理を作って食べるんだって」
「うわー、俺、食べる専門でいいならそこに入りたいわー」
「楽しそうでしょ。あっくんも入ったら料理好きになるかもよ」
「そうかなぁ。俺、高校の時の調理実習も苦手だったからなぁ」

 俺は早く食べたい気持ちが逸り、料理のひと手間を省いてしまうのだ。
しかもきっちり分量を量ることを怠る。
そこまで厳密でなくてもいいだろうという気持ちになってしまうのだ。
なので普通以上の料理を作れた試しはないし、同じ班の特に女子からは
「洗い物をしていてくれ」と洗い物係を指示されていたのであった。

ちゃんは料理が好きなんだね」
「独り暮らしもするからね、ある程度はできるようにあらかじめ練習はしてたんだけど。
 元々お菓子作りとか好きだったからね」
「え、お菓子作れるの?凄い!」
「そんなに大したものじゃないけどね。良かったら今度作って持って行こうか」
「マジで!?嬉しい!」
「あっくんは食べるのが好きなんだね。じゃあ楽しみにしててね」
「うん!」

 我ながら子どものように目を輝かせて頷いたのだろう。
ちゃんはお姉さんのような優しい笑みを浮かべていた。

「――あ、皆もう来てるよ」

 ちゃんが横断歩道の向こう側を指差した。
市の中でも一際大きな会館で、有名な交響楽団の演奏会なども催される入学式の会場前には大勢の新入生とその家族の姿があった。
その中にいつものメンバーを見つける。
 俺だけでなくちゃんにも気づいた浩輝はよく通る声で俺と彼女の名前を呼び、スーツ姿なのに子どものように大きく手を振る。
ナオはいつもと変わらない様子でそっと手を上げ、孝輔は不機嫌そうに腕を組んでいるが
奴の不機嫌そうな顔はデフォルトなのであまり気にしない。

ちゃん、スーツ姿似合ってる!大人のお姉さんって感じ!超綺麗!」
「ありがとう。皆も格好いいよ」

 あっという間にちゃんの周りに輪ができる。
俺はさっきまでの時間のことは自分の胸の内だけに留めておこうと思った。
皆にお菓子のことを話すと「俺も」「俺も」となるのが目に見えていたし、
彼女が本気かどうかは分からないけれどちゃんとのささやかな約束が他の人に話した時点で叶わなくなってしまいそうだから。

「お前、ネクタイ曲がってるぞ」
「えー、これもう何度もやり直したのに」

 孝輔からネクタイの曲がりを指摘された俺は渋々結び目を解いた。
すると孝輔は横に並び自分のネクタイを解いてみせる。

「これをこうしてこうだろ。不器用だな」

 口は悪いが孝輔は面倒見はいいのだ。
ゆっくりと俺にネクタイの結び方を教えてくれる。
  
「俺たちの中では一番お前が様になってるな。
 ――老けてるってことだよ」
「何だよ、一瞬喜んじゃったじゃないか」

 親切にしたことを照れているのか嫌味を言う孝輔に肘打ちを食らわせる。
そして前に立っているナオのネクタイを見た俺は「ナオ、ネクタイ曲がってるぞ」と指摘した。

「俺が教えてやるよ。
 ――今、孝輔に習ったばっかりだけどな!」

 あっはっは、と笑いながら俺は孝輔がしてくれたのと同じようにナオにネクタイの結び方をレクチャーした。
浩輝は相変わらずちゃんと楽しそうに話している。
傍目から見ても目を引く見た目麗しい二人組だ。

 初恋はずるい。こっちがその気がなくても脳が勝手に特別な反応をしてしまう。
いい年にもなって可能性のない片想いなんてしたくなんてないのに
――というよりも今までもまともに女子と話せた試しがないので恋愛経験はゼロなのだが――
ちゃんがあまりにも理想的な女の子像…綺麗なのに可愛らしい女性だったものだから、
ただでさえ女性に免疫のない俺は彼女が微笑む度にときめいてしまう。
今のうちに諦めておくべきだと分かっていても、彼女に名前を呼ばれるだけでぐらぐらするこの気持ちを俺は持て余している。
 大丈夫。きっと大学生活が始まったらそれぞれのペースになって、ちゃんとも会う機会が減る筈だ。
そうすればこのざわつく気持ちもきっと落ち着く。彼女はまた単なる初恋の相手だったというポジションへと戻るだろう。
早くそうなればいい。
そうしたらもし他の誰かが彼女を本気で好きになったとしても仲間内でギスギスすることなんてないのだから。




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第一話…というような感じではないので、一音目にしてみました。一曲、って感じでもなく。
今回は章博回です。真面目で内気な子って書くのが難しいです(>_<)
ですが皆様の中に一人でも「あっくん可愛いなぁ」と思っていただけたなら幸いです!!

既に小説を書く手が止まりつつあります(^_^;)
漫画で描きたいシーンだけ頭にあったのですが、それを小説にしようとするのが難しくて。
漫画的シーンを中心に考えるのやめた方が良いのかなぁ。
次回から間が空くかもしれません。
元々更新が遅いサイトなので...期待せずのんびりお待ちいただけたら幸いです。

ここまで読んでくださったお客様、ありがとうございました!


吉永裕 (2017.7.21)




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