「――ミュウ!
目が覚めましたか!?」
ゆっくりと開いていく視界にぼんやりと天井が映る。
その景色によく知った顔が割り込んできた。
「…ここは?」
「市街地にある病院ですよ。
覚えていませんか?貴方は事故に遭ったんです。
奇跡的に外傷は有りませんでしたが、約2週間眠っていたんですよ。
…僕は貴方が事故に遭ったその夜から眠り続けたらしいですが、目覚めたのは昨日です」
ミカサは点滴が繋がったミュウの腕をそっと撫でた。
その優しく温かな感触に懐かしさや申し訳なさという複雑な感情が混ざり合い、
ミュウは涙を滲ませながら掠れた声で「ごめん」と呟いた。
「は…?」
「……この現実の世界ではまだ出会ってすらいません。
彼女も少し前に目が覚めている筈ですよ。少し前に廊下が慌ただしくなりましたから」
「…そう」
「母さんがそろそろ担当医師や看護師を連れて戻って来ます。
うんと甘えて安心させてやってくださいね」
「うん…そうする」
現実世界に戻ったミュウは同じように眠っていたミカサやよりも消耗が激しく衰弱していた。
けれど適切な治療や両親の世話の甲斐もあり、検査なども含めて1週間程で退院することになった。
「――ミュウ。僕、の家に行ってみようと思います」
見舞いに来たミカサは、検査を終えて部屋に戻ってきたミュウに切り出す。
ミュウは「うん、行っておいでよ」と彼を送り出した。
そしてもし彼女が夢のことを覚えていたら、彼女にごめんと伝えてくれと託ける。
分かった、と返事をしてミカサは病院を出ての屋敷へと向かった。
ミカサは前に訪れたことのある塀に囲まれた屋敷を見上げる。
あの日と同じようにピアノ曲が外まで聞こえていた。
ミカサは緊張した面持ちで門扉のブザーを鳴らす。
するとハウスキーパーと思われる女性が現れ、不思議そうな顔をして「どのような用件ですか?」と尋ねてきた。
ミカサは鼓動が速まるのを感じながらも「ここに僕と同じ年代の子がいると聞き、友達になりたくて来ました」と努めて冷静に話した。
そして自分の住所と氏名、年齢も伝える。
すると一旦女性は下がり、主であるの祖母に是非を聞きに行ったのだろう。ミカサは少し待たされる。
「――奥様から許可が出ました。どうぞ」
「ありがとうございます」
ミカサは玄関に招き入れられる。
するとそこには杖を持った年配の女性が立っていた。
年齢は60代後半から70代と言ったところで、身なりを綺麗に整え聡明な顔をしている気品溢れる人だった。
彼女がの祖母であり、人権団体のリーダーをしていた篤志家で有名な元弁護士だろう。
「ここにのお客様が来るのは初めてです。
…貴方はどうしてあの子のことを知ったのですか?」
「以前、ここから聞こえてくるピアノの話をした時に母に教えてもらいました。
ここには僕と同じくらいの子がいるからその子が弾いているかもしれない、と。
だから…会いたいと思って」
「そうですか。
…あの子はこの奥にいます。優しくて頭の良い子です。
難しいことを考えすぎて自分の思っていることを素直に言えないところもありますが、ゆっくり話を聞いてやってください」
「はい」
ミカサの返事を聞いた彼女は一度立ち去ろうとしたが足を止め、表情を曇らせ奥の扉の方に視線を向けた。
「…私はあの子に見つめられるのが怖くて最近までずっと避けていました。
あの子は聡明です。とってつけたような優しさや同情などは見抜いてしまうでしょう。
私は自然体で彼女と話ができる勇気がありませんでした。私はあの子を哀れだと思っていたから…。
ですが、あの子を失うかもしれないと思った時に漸く気づきました。
頭で色々と考えるのはやめて、思うままに話し接していこうと。話をしなければずっと理解し合えないのですから」
ミカサは黙って頷いた。
それを見た彼女も静かに頷いた。その表情はもう曇ってはいない。
「あの子には寂しい思いをたくさんさせましたし、子どもなのに色々と気を遣わせてしまいました。
これからはそんな思いをさせないつもりですが、私はいつまであの子の傍にいられるか分かりません。
…貴方からしてみたら変わっている子かもしれませんが、あの子の力になってくださいますか?」
「はい」
ミカサの言葉を聞いたこの家の主は穏やかに微笑んだ後、「ありがとう」と会釈をして自室と思われる部屋に戻っていく。
ハウスキーパーは彼女を介助しようとしたがやんわりと断り、ミカサを案内した後お茶を出すように指示して部屋の奥へ姿を消した。
その後、戻ってきたハウスキーパーに連れられ、ミカサは奥に通される。
美しい装飾がなされた木製のドアを女性がノックすると、ピアノの音がぴたりと止んだ。
「お嬢様、お嬢様とお友達になりたいという方がいらっしゃいました」
「私と…友達にですか?」
部屋の中央に置かれたピアノの方から、白いワンピースを身に着けた少女が歩いてくる。
ミカサは駆け寄りたい気持ちをぐっとこらえた。
目の前のはミカサの姿を見ても特に反応を示さない。
あの世界の姿は大人のものだったけれど、髪の色は同じであるし身長以外は特に今の自分と変化がなかったようにミカサは思っていた。
それでも彼女が自分の顔にピンとこないということは、はミュウの創った世界の記憶を持っていないと考えられる。
「――はじめまして。僕の名前はミカサといいます。9歳です。
近所に住んでいる者ですが、時折この家から聞こえるピアノの曲が素敵だなと思っていて…。
よろしければ僕と友達になってもらえませんか?」
「それは、ありがとうございます。
私も9歳です。名前はといいます。
私で良ければお友達になってください、ミカサさん」
「はい。よろしくお願いします」
そうして二人は現実世界で無事に出会うことができた。
の記憶はなかったけれど、ミカサは約束を守ることができたのだ。
「ミカサさん、お婆様には会いましたか?」
「はい、先程会いました」
「もう一人、家族がいますので紹介しますね」
はそう言って大きな窓を開けて「ソーン」と呼びかけた。
すると真っ黒で鼻が長く耳の先が少し丸い子犬が嬉しそうに彼女の元へ走り、庭への降り口に行儀よく座る。
「この子はソーンといいます。私の妹です。
一昨日からこの家にきました」
「可愛いですね」
「はい」
二人に撫でられ、ソーンは嬉しそうに地面を転げ回っている。
ころころした子犬を撫でながら、ミカサは自分とのこれからの未来を楽しみに思うのだった。
―それから11年後―
白いハンカチに刺繍をし終わったは綺麗に折り畳んでポケットにしまった。
夢に出てきた人物がに手渡してくれたハンカチを思い出しながら。
20歳になってからは不思議と同じ夢を見るようになっていた。
毎日ではないもののその夢は連続した内容で、だけでなくミカサや彼を通して知り合った彼の兄のミュウも出て来てくるのだ。
その中ではミカサに南天の実が刺繍されたハンカチを手渡される。
そのハンカチは夢の中のを癒し、励ますのだった。
――結局、その夢の中ではハンカチを返すことができなかった。
はそのことがずっと気にかかっていたのである。
「、お邪魔します」
ノックの音がして、ミカサがドアの隙間から顔を覗かせる。
少年から青年に成長した彼はよりもずっと身長が高くなってしまったし、
可愛らしかった子ども特有の下膨れ顔は、いつしか引き締まり鼻筋の通ったハンサムなものとなっていた。
夢の中のミカサは皮肉屋なところもあったけれど、
実際のミカサは子どもの頃からずっと優しく、穏やかにを見守ってくれた。
はそんなミカサが好きだった。
「ソーンのところへ行ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
ミカサと出会った時は子犬だったソーンもすっかり大型犬となり、今ではシニア初期に入る年齢だった。
とはいえ、成犬の時のように食欲も体格も変わらず元気で聡明なままだ。犬にも個体差があるのだろう。
小屋の前に行儀よく座り、尻尾を振りながらソーンはミカサとが近づくのを待っている。
子どもの頃、毎日のようにミカサが遊びに来てくれたこともあって
ソーンは彼に非常に懐いているし、彼によって躾けられたところもあるので従順だ。
「ソーンは私よりもミカサの方が好きみたいですね」
「まさか。いつも一緒にいるからそんな風に思うだけですよ。
僕もミュウと一緒にいる時、はミュウの方が好きなように感じます」
「そんなことはありません!」
は激しく首を振った。
ミュウのことは大切な友達と思っているが、ミカサはもっと特別なのだ。
「そんなに否定しなくてもいいですよ、ミュウが気の毒です」
「気の毒って…ミュウのことを嫌いというわけではないんですよ。
貴方が特別なだけで」
はそう言ってポケットの中に入れていたハンカチをミカサに差し出す。
そのハンカチを受け取ったミカサは思わず彼女の手を握り締めた。
手を取り合い、見つめ合う二人に気を利かせたのか。ソーンは小屋に入って伏せをして寝てしまう。
「…私、最近夢を見るんです。
私と貴方とミュウの三人で研究所で働く夢なのですが」
ミカサと向かい合った状態では口を開いた。
はそこで過ごした日々と、ミカサから渡されたハンカチのことを話す。
「不思議な夢でした。妙にリアリティがあって…。
でも、貴方は夢の中でも優しかった。
…私は夢の中の貴方に恋しいという感情を教わりました。
ですが、実際の貴方に対するこの気持ちは…もっと穏やかで温かな愛しいという感情です」
がそう言うと、ミカサは力強く彼女を抱きしめた。
は驚いたもののゆっくりとミカサの背中に手を回し、彼の胸に身を任せる。
少し速い気もするが、彼の鼓動の音は心地よかった。
「、僕は君を愛しています。
これからも君の傍でピアノを聞かせてください。
僕はそんなささやかな未来が愛しいんです」
「…ミカサったら。
そんなことなら――」
は彼から身体を離し、彼の手を取って部屋に戻った。
そして彼の為に愛情を込めてピアノを弾いてみせるのだった。
〜エンドロール〜
「…の記憶は夢という形で戻ったんだね」
「ええ、そのようです」
「良かったね、ミカサ」
「…どうでしょうね。
僕たちは夢の内容をなぞらないような生き方をしてきましたから、あまり関係ないかもしれません」
「あれあれ、夢の記憶がなくてもは自分に惚れたんだぞって自慢したいのかな?」
「どうとでも言ってくださいよ。今は何が起こっても怒る気がしません」
「あはは、ミカサらしからぬ顔しちゃって。
ともあれ、おめでとう。これから式の準備やら何やらで忙しくなるだろうけど、幸せにね」
「ありがとうございます」
−初恋は永遠にEND−
間に合ってよかったー!サイト11周年作品です。
とはいえ、この話、本当は2012年の9月頃から書いていたのです。
ネープル帝国のロストテクノロジー以前の話だから近未来っぽい話にしたいなと思って、
当時テレビで見た幹細胞を使った治療なんかを話に盛り込みたいなーと思って話を書き始めたら、
その翌月にiPS細胞で山中教授がノーベル賞受賞、「うわー現実はもうこんなとこまできてたんだ。私の想像する未来って遅れてるわ…」と思いつつ、
じゃあ折角なのでiPS細胞をそのままは使わないまでも人工細胞を使った話にするかと考えたものの、それ以降、なかなか話を書けずに放置していたら
今ではiPS細胞を使った治療まで行われているというこの時代の速さ…。
どんどん置いていかれる前にいい加減に話を書かねばと、サイト11周年に公開するぞ!と目標を決めてやっと書きあがりました。
四年も寝かせた割にはいつもの妄想たっぷりな話なんですけど…、今回この話を書く中で
分子生物学について色々なサイトを参考にさせていただきましたが、本当に楽しかった!!
高校生の頃からクローンを題材にしたサスペンスを書いたりしてたのですが、こういうテーマが自分の好みなんだなと再確認。
あと記憶操作モノ本当に好きだなとも(;´▽`A``
というわけで、今回のこの話は夢の中(ミュウの精神世界)の話でした。
なので、最初にヒロインを“天才”と書いている割には物覚え悪いな、とか、他の人物や風景の描写が適当だな、とか、
読んでくださる方も違和感を覚えるような書き方をしたつもりなのですが…よく分からなかったでしょうね、きっと(*_*)
我ながら時間がなかった後半の書き方が雑だなと思ったりもしましたが、自分の描写力を考えると時間があってもあれ以上に書けないなと。
そして第三者視点で書こうとしたけれど、書けてないという…。
最初はヒロインの目線だったのが、後半混ざりまくる結果になってしまいました。
分かりにくくて本当にすみません。
そして、ミュウのエンドを見ていただいたらお分かりいただけると思いますが、
タイトルの『君のいる世界』は居る、と要る、をかけたものになっております。
珍しく最初にタイトルがびしっと決まった作品です。
さて、キャラクターについてですが。
ミカサは最初から私の好きなキャラだったので物凄く筆が走る走る。
走り過ぎて思っていたのと違うエンドになってしまったような…。
もう少し、最後のミュウとヒロインとのやり取りをしっかり書きたかったのですが、
私の技量と残されたサイト更新までの時間を考えるとあれが精一杯でした。もっと盛り上げたかった…。
ミュウとは違い、ミカサルートはかなりヒロインが恋焦がれます。
その分、くよくよするのでミュウルートもミカサルートも(閲覧者的ヒロインの好みは)どっちもどっちだなぁと思いつつ、
ミカサルートのヒロインの方が雄々しい感じがあるので私は好きだったり。
ミュウエンドと違う目線でミカサエンドを書いたので、
こちらを読んだ方が精神世界の真相や、祖母とヒロインの関係など分かりやすいと思います。
ちなみに、元が10歳、9歳の少年少女なので、できるだけ接触するシーンでもセクシャルに感じさせないように書いたつもりです。
ミュウは子どもが甘える感じに書きました。色々と物足りなかったと思います、すみません。
蛇足になりますが、ナナミは『タッチ』の南ちゃんやゲームメーカーのコナミと同じイントネーションのつもりです。
いつものことではありますが、完全に私好みの話となってしまいましたが、
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
ミカサを信じてくださったお客様、ありがとうございました!!
よろしければ他のエンドもご覧下さいませ。
裕 (2016.11.3)
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