「――ミュウ!
 目が覚めましたか!?」

 ゆっくりと開いていく視界にぼんやりと天井が映る。
その景色によく知った顔が割り込んできた。

「…ここは?」
「市街地にある病院ですよ。
 覚えていませんか?貴方は事故に遭ったんです。
 奇跡的に外傷は有りませんでしたが、約2週間眠っていたんですよ。
 …僕は貴方が事故に遭ったその夜から眠り続けたらしいですが、目覚めたのは昨日です」

 ミカサは点滴が繋がったミュウの腕をそっと撫でた。
その優しく温かな感触に懐かしさや申し訳なさという複雑な感情が混ざり合い、
ミュウは涙を滲ませながら掠れた声で「ごめん」と呟いた。

は…?」
「……この現実の世界ではまだ出会ってすらいません。
 彼女も少し前に目が覚めている筈ですよ。少し前に廊下が慌ただしくなりましたから」
「…そう」
「母さんがそろそろ担当医師や看護師を連れて戻って来ます。
 うんと甘えて安心させてやってくださいね」
「うん…そうする」

 現実世界に戻ったミュウは同じように眠っていたミカサやよりも消耗が激しく衰弱していた。
けれど適切な治療や両親の世話の甲斐もあり、検査なども含めて1週間程で退院することになった。


 退院から1週間後、体力が完全に回復し通常の生活を送れるようになったミュウは、
近所にある塀に囲まれた屋敷を見上げていた。
 裏の鉄製の門扉は比較的隙間が大きい四つ葉のデザインなので華奢な子どもだったら何とか通り抜けられそうだ。
恐らくミカサの侵入経路もここからだろう、と思いながらミュウは身体を少し捻って門扉を通り抜けた。
 ミュウは素早く植木の陰に移動してピアノが聞こえてくる方へと向かう。
手入れされた芝生の庭に降りることのできる大きな窓がついた部屋で少女はピアノを弾いていた。
窓は解放され、レースのカーテンが風に揺れて彼女の姿はよく見えない。

「わんっ!」

 突然後ろから吠えられたミュウは文字通り飛び上がる。
慌てて振り向くと、そこには真っ黒で鼻が長く耳の先が少し丸い子犬が尻尾を立ててミュウを見上げていた。

「――ソーン、どうしましたか?」

 ピアノの音が止み、少女がカーテンの隙間から顔を覗かせる。
すると子犬は嬉しそうに彼女の元へ走り、庭への降り口に行儀よく座った。
少女が庭に降りて来て子犬を撫でる姿を確認してから、ミュウは木陰から出て、彼女に姿を晒す。

「あの、勝手にお庭に入ってごめんなさい。
 ピアノが…聞こえたから。
 ――ボクの名前はミュウ。この近くに住んでるんだ、10歳だよ」

 そう言った後、ミュウは深呼吸した。
心臓の音が煩くて辺りの音が聞こえないようだった。

「…君、ボクのこと知ってる?」

 ミュウの問いに目の前の少女は首を振る。
けれど特に追い出そうとか家の者を呼ぼうという素振りはない。

「…すみません。
 私はあまり外に出ないので、貴方のことは知りません」

 申し訳なさそうに頭を下げる少女にミュウは酷く落胆したけれど、これでいい、とも思った。
あんな悪夢は忘れてしまった方がいいに決まっている。
それに自分たちの関係はこれから始めればいいのだから。

「ねえ、良かったら友達になってよ。
 君のピアノ、いつも素敵だなって思ってたんだ」
「…はい。ありがとうございます。
 私の名前はです。よろしくお願いします、ミュウさん」

 ははにかんでミュウに礼を言い、手を差し出した。
ミュウは「よろしく」と言いながら彼女の手を握る。
その手はミュウがよく知っていて愛していたものと同じ温かさではあったが、記憶の中のものよりもずっと小さかった。




―それから10年後―


 出会った時と同じようにミュウはの部屋に招き入れられ、柔らかなソファに身を任せて彼女のピアノを聞いていた。
あれから毎日のように会いに行き、ミュウはと親しくなった。
ミカサにも紹介して三人で遊ぶことも増えたが、大人になるにつれてミュウとは再び二人で会うことが増えていった。
 少女だったは玲瓏とした顔と柔らかな物腰の大人の女性へと成長し、
目が大きく女の子に間違えられることもあった可愛らしい顔をしていたミュウも、
同年代の中では若く見られがちだが知的で意志の強そうな目を持つ美青年となっていた。

「――ミュウ、仕事は進んでいるのですか?
 貴方が私によく話してくれた貴方とミカサと私と、亡くなったナナミさんをモデルにした物語、
 今か今かと完成を楽しみにしているんですよ」

 ピアノを一曲弾き終えたはミュウの隣に座り、紅茶に手を伸ばす。
その姿は上品ではあったが、どこか甘えたような表情が愛らしいとミュウは思った。

「安心して、もうすぐ完成しそうだよ」
「そうなんですね!それは楽しみです。
 ――その物語は貴方が子どもの頃に見た夢をもとに書いているんでしたっけ?
 昔からよく聞かされましたが、貴方の記憶力は本当にいいですね」
「君にそれを言われるとなぁ…。
 でも、凄く強烈な印象の夢だったからさ、あれだけは忘れられないよ」

 ミュウはあの時の胸の痛みを思い返しながら寂しげに微笑んだ。
はそんな彼の表情に気づき、そっと手を握る。

「あの、ミュウ。貴方にとってナナミさんはどんな存在ですか?
 私は彼女のことをよく知りませんし…」
「ナナミのこと?そうだね…」

 ミュウはの手を優しく握り返しながら過去に想いを馳せた。
ミカサの家に引き取られるよりも前のことだ。

「実はボクね、研究所に連れて行かれたことがあるんだ。
 ほら、ボクって目の色が皆と違うでしょ。
 だから帝国で生まれた人間なのに他の地域で生まれた人みたいに魔法が使えるか調べたみたい。
 ――結果はNOだよ。求められた時に力を発現させられなかったから、魔法は使えないって判断が下されたんだ。
 だからボクは用なしになった。
 何らかの力があれば金になると思ったんだろうけど、何もなかったから落胆したんだろうね。
 両親はボクが研究所から帰ってきた途端にボクを児童養護施設に預けて、そのまま逃げるように別の土地に行っちゃった。
 ……だからね、ボクは皆が嫌いだった。ボクのことをじろじろ観察する研究所の人間も、実の子どもを捨てて行く両親も、
 ボクに近づく人間はろくな奴がいなかった。
 でもね、そんなボクを引き取ろうと言い出した夫婦がいたんだ。そう、今の両親だよ。
 最初はね、全然信じてなかった。きっと彼らもいずれボクが邪魔になって捨てるんだって思ってた。
 それでも辛抱強く彼らは愛情持って接してくれたんだ。
 ミカサも無理にボクの心を開かせようなんてことはせずに、ボクの心から不信感がなくなるまで待っててくれた。
 あの家族は皆揃って優しいんだ。包み込むような優しさを持つ人たちなんだよ」

 ミュウは刺々しい雰囲気を出してミカサの家にやってきた時のことを苦笑しながら思い出す。
あの時の態度は我ながら酷いものだったな、と。
警戒心丸出しで、誰も信じない、皆敵だという態度をとっていたにもかかわらず、
彼らはそんなミュウの気持ちを理解し受け入れてくれた。
 ミュウが危ないことをした時は実の子どもと同じように強く叱り、
その後「怪我がなくてよかった」と泣きそうな声で抱き締めてくれた。
 そんな家族と過ごすことで、「自分の知っている人間がこの世の全てではない」とミュウは思えたのだ。
だからミュウは今の家族にとても感謝している。

「――彼らはホントに優しかったんだ。無理にボクを外に連れ出すようなことはしなかった。
 だけどね、ナナミは話すよりも先に手を引っ張って行っちゃう子だったんだ。
 初めて会った時、ボクとミカサは庭で遊んでたんだけどね、
 ナナミが“こんにちはー!”って入ってきたかと思うと“あー!この子がミカサ君のお兄さん!?”って言って
 突然ボクの手を取ってぶんぶんと握手をしてきたんだ。
 しかもその後、“公園で遊ぼう!”って言ってさ、呆気にとられたボクをそのまま引っ張って行っちゃうんだもん」 

 ミュウが身振り手振りを加えながら昔話をするとは笑った。
そして「今のミュウ以上に無邪気な方ですね。それで?」と目を細めて彼に続きを催促する。

「そんな感じで、ナナミはボクが余計なことを考える暇もなくあちこち引っ張り回して
 何事かに巻き込んでくれたお転婆な友達だったよ。
 そうだな……、ミカサはボクに安らぎと温もりをくれたけど、
 ナナミはボクに明るさと元気をくれた太陽みたいな人だった」

 ミカサたち家族がミュウを受け入れてくれたことでミュウは自分に対する嫌悪や周囲に対する敵意を薄めることになり、
ナナミと出会ったことでミュウは己を解放することができたのだ。

「…貴方が作った物語のように、また彼女に会いたいと思いますか?」
「ううん、思わないよ。
 ナナミを人工的に生き返らせることに意味がないって今は思うし、
 彼女に精神的に依存する程、今のボクは弱くない」

 ミュウはナナミが好きだった。
やりたいことをやりたいと素直に言えて、無理そうなことでもやってみて、
怒られたら素直に謝る癖に大人がいなくなった後で「えへへ」とおどけて笑って見せるような
自由で強かな心を持つナナミがミュウには眩しく見えた。
彼女みたいになれたら世界がもっと楽しく見えてくるだろうと思った。
 それからミュウは冷たく棘のある心を封印し、人に対する不信感や警戒心を忘れようとしたし、
ナナミに習って喜怒哀楽を表に出すようにして自分の意思もきちんと相手に伝えるようにした。
 すると心が軽くなった気がした。
両親との間にあった見えない“遠慮”という壁も薄くなったように思えた。
ナナミのおかげでミュウは変われた。
だからナナミを失って一年が経ってもミュウは立ち直れなかったし、
いつまで経っても「ナナミがここにいてくれたら」という気持ちを持ち続けていた。
 その為、ミュウが事故に遭った時、外的ショックもあって感情がピークに達したことで
あんな不思議で恐ろしい力を発現させてしまったのだろうとミュウは考えている。
 しかし、もうナナミの面影にすがる必要はない。
憧れた彼女の心の強さと真の明るさを今のミュウは手に入れたからだ。

「――それに、がいるから。
 この世界に君さえ居れば、ボクはもう何も要らないよ」
「ミュウ…私も――」

 隣り合った二人は手を取り合い、見つめ合った。
の瞳は潤み、頬が紅潮している。

が好きだよ。
 ボクの幸せは君と一緒に生きていくことなんだ」

 だからもう、君は愚者になる必要なんてない――ミュウは心の中でそう呟いて
の身体を抱き締めた。








〜エンドロール〜


「――どうして彼女には記憶がなかったんだろう」
「恐らく貴方がナナミの存在を起点に彼女の過去の記憶を創り上げたからだと思いますよ。
 ボクも彼女も、貴方の許す範囲である程度は自我を持って行動できました。
 そこでは貴方の創り上げた設定を土台にして人格を形成します。
 きっとミュウのナナミに対する感情の影響を受けたことに加え、僕らと仲良くなる設定の根拠のようなものを無意識に補完したのでしょう。
 それ以外にも彼女はあの世界の設定を随分と補強していましたよね。
 研究所があれだけ詳細に作られていたのも、僕らが勉強してもないのに知識を得てあんな仕事をしていたのも、
 ナヲミの病気のことだって全部の記憶によって設定に肉付けされたからでしょう。
 だから彼女は“ナナミたちとの出会いによって自分は変わった”という自分の設定をも創り上げた」
「ふむ、確かに今思うとのあの思考はボクの影響を受けてるね」
「はい、そうだと思います。
 ――その後、彼女は意識が戻りましたが、現実世界に戻ったはナナミを知らない9歳の状態に戻るということです。
 なのでの“ナナミによって感情を与えられた”という設定の核が崩れ、
 作られた人格の時の記憶全てをなぞることができなくなったと考えられます」
「なるほど。あの世界でのナナミを知っている彼女は、今の彼女の中にそもそも存在しなかったことになるってわけだね」
「そうです、この世界の彼女はナナミという人物自体を知りませんから」
「じゃあ彼女にとってはあの世界が存在しなかったことになっちゃったわけだ」
「…自業自得ですよ。
 ナナミの思い出を独り占めしようとして僕の記憶から消し去ったり、あの世界にを閉じ込めようとするから。
 …独占欲が強い男は嫌われますよ」
「気をつけるよ。
 もし彼女に嫌われたりしたら世界を滅亡させちゃうかもしれないしね」
「今の貴方じゃそんなことできませんよ。
 科学者じゃなくて小説家なんですから」
「あれーミカサ、本の力を馬鹿にしちゃいけないよ?
 ペン一つで民衆の思想をコントロールすることだってできちゃうんだから」
「……世界の為にも末永くお幸せに」
「うん、ありがとう」








−君の居る世界・終−





間に合ってよかったー!サイト11周年作品です。
とはいえ、この話、本当は2012年の9月頃から書いていたのです。
ネープル帝国のロストテクノロジー以前の話だから近未来っぽい話にしたいなと思って、
当時テレビで見た幹細胞を使った治療なんかを話に盛り込みたいなーと思って話を書き始めたら、
その翌月にiPS細胞で山中教授がノーベル賞受賞、「うわー現実はもうこんなとこまできてたんだ。私の想像する未来って遅れてるわ…」と思いつつ、
じゃあ折角なのでiPS細胞をそのままは使わないまでも人工細胞を使った話にするかと考えたものの、それ以降、なかなか話を書けずに放置していたら
今ではiPS細胞を使った治療まで行われているというこの時代の速さ…。
どんどん置いていかれる前にいい加減に話を書かねばと、サイト11周年に公開するぞ!と目標を決めてやっと書きあがりました。
四年も寝かせた割にはいつもの妄想たっぷりな話なんですけど…、今回この話を書く中で
分子生物学について色々なサイトを参考にさせていただきましたが、本当に楽しかった!!
高校生の頃からクローンを題材にしたサスペンスを書いたりしてたのですが、こういうテーマが自分の好みなんだなと再確認。
あと記憶操作モノ本当に好きだなとも(;´▽`A`` 

というわけで、今回のこの話は夢の中(ミュウの精神世界)の話でした。
なので、最初にヒロインを“天才”と書いている割には物覚え悪いな、とか、他の人物や風景の描写が適当だな、とか、
読んでくださる方も違和感を覚えるような書き方をしたつもりなのですが…よく分からなかったでしょうね、きっと(*_*)
我ながら時間がなかった後半の書き方が雑だなと思ったりもしましたが、自分の描写力を考えると時間があってもあれ以上に書けないなと。
そして第三者視点で書こうとしたけれど、書けてないという…。
最初はヒロインの目線だったのが、後半混ざりまくる結果になってしまいました。
分かりにくくて本当にすみません。
そして、ミュウのエンドを見ていただいたらお分かりいただけると思いますが、
タイトルの『君のいる世界』は居る、と要る、をかけたものになっております。
珍しく最初にタイトルがびしっと決まった作品です。

さて、キャラクターについてですが。
ミュウはこの話の黒幕というのもあって恋愛そっちのけで後半は不気味なキャラになってしまいました。
ヒロインさんが身体を差し出す(こう書くとなんかエロいですが)ことで世界が終ることは最初から考えていたので、ミュウのルートでは全然ラブラブしません。
ラブラブしたら自分を犠牲にしてまでナヲミを救わなくなっちゃうんじゃないかと思ってね。
なので最後までヒロインさんは勘違いと犠牲の愛を貫きました。
そしてミュウはミカサルートでははっきり書いているのですが、魔力持ちです。
事故に遭って命の危機を感じた時に魔力が暴走し、安全で安心な場所を求めて自分の中で精神世界を作ってしまいます。
その後、一緒にいたいと思ったミカサと、大人たちの噂話やミカサの話を聞いたことで会ってみたいと思っていたヒロインさんを夢の世界に引きずり込みます。
ミュウはある程度の(ミカサとミュウとユウは仲良しで、いずれ皆が大好きだったナナミを復活させるという)世界の流れは考えていましたが、
ヒロインさんは事細かく(死んだ人を復活→機械ならできる、機械で復活させるならプログラマーが必要、プログラマーがいる場所は自分も見慣れた研究室、というように)場景を想像してしまった為、
世界はほぼヒロインさんの脳内イメージから構成されてしまいます。
その後、ミュウがナナミを人間として甦らせたいと思った為、ナナミの入れ物としてナヲミを創造します。
いずれはナヲミの意思を奪い、ナナミのALを埋め込んでナヲミをナナミにとって変えようと思っていたようですが、
ミュウがヒロインを好きになるにつれて精神世界がヒロインに影響を受けるようになっていき、
ナヲミを一人の人間として大切に思うヒロインの影響で、ナヲミは「生きたい」と自我を持つようになっていきます。
(それまではミュウの創造するナナミ像を演じる操り人形みたいなものでした)
そんなナヲミが邪魔になったのと、ヒロインに大切に想われるナヲミに嫉妬して結局ミュウはナヲミを消してしまいます。
その時点でミュウはヒロインと二人きりで生きる世界を望んでいて、ナナミのことは機械で良いやくらいに思うようになりますが、
ハッピーエンドではヒロインが暴走して、「ナヲミは絶対にいる、絶対に見つける」と思い込むことで消えたナヲミをあの世界に復元してしまいます。
その後もヒロインがそんな予想外のことばかりをしてしまうので、そこで夢の終わりとなりました。
――という真相でした。分かりにくい話で本当にすみませんでした(´д`、)

ちなみに、元が10歳、9歳の少年少女なので、できるだけ接触するシーンでもセクシャルに感じさせないように書いたつもりです。
ミュウは子どもが甘える感じに書きました。色々と物足りなかったと思います、すみません。
蛇足になりますが、ナナミは『タッチ』の南ちゃんやゲームメーカーのコナミと同じイントネーションのつもりです。

いつものことではありますが、完全に私好みの話となってしまいましたが、
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
ミュウの目を覚ましてくださったお客様、ありがとうございました!!
よろしければ他のエンドもご覧下さいませ。

裕 (2016.11.3)




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