彼女の場合 第五話
響士と30分近く通話していたので夜の9時を過ぎてしまいどうしようか迷ったものの、
少しでも情報を仕入れておきたいと思った私は清亮に話を聞くことにした。
未だにカード型端末の特徴である液晶画面のタッチ操作というものに慣れないけれど、
あと数回操作すれば何とかなるだろう。
「…楳澤だが」
「遅くにごめんなさい。です。
今日初めて会った別の世界の」
「…別の、世界か」
「うん」
「そうか。それで傷痕がなかったのか」
清亮は低い声で短く返事をする。
それ以上は何も言わない。
「傷のこと、気付いてたんだ?」
「ああ、倒れてるのを抱え起こした時にも違和感があったんだが、
お前がファミレスでジュースを飲もうとして髪の毛をかき上げた時に気が付いた。
そうすると服装も一瞬だけだが見たものと違うような気がしてな。
…それを見た時に思ったんだ。
きっとお前は俺たちの知っているとは別人で、お前が言っているチンプンカンプンなことは事実なんだろう、と」
「…そうか。
楳澤くんは冷静で聡い人だね」
清亮は注意力があるらしい。
そして物事を冷静に判断し、すぐに受け入れ決断できる潔さがある。
しかも別の世界という単語を聞いて驚いたり疑ったりしないというのは凄い度胸だと思った。
もしくは私と同じでSFや空想好きでそんな言葉に馴染みがあるのかもしれない。
「楳澤くんの前に植松くんと話したんだけど、楳澤くんにも話を聞きたいの。
犯人のこととか、自身のこととか」
「…犯人のことは悪いと思ってる。
俺がすぐに追っていれば捕まえられたかもしれないのに」
「それは仕方がないよ。目の前に殴られて倒れた友人がいたんだから」
「…それでも、もう少し何かできたんじゃないかと思う。
大声で“そいつを捕まえてくれ”とか叫べば違っていたかもしれない」
「咄嗟にあれこれできないのが普通だよ。楳澤くんはあの状況でよくやってくれたよ。
それに…フォローにならないかもしれないけど、は多分大丈夫。
私と入れ替わりになったのなら、すぐに専門家から手当てして貰えた筈だから」
私は清亮に向こうにいた自分が意識を失う際、救急車のサイレンを聞いたことを話した。
彼はそんなことでは悔やむのをやめないだろうが、とりあえず伝えておいた方が良いだろうと思って。
そんな私の気持ちを察してくれたのか、彼は少し穏やかな声で「ああ」と短めに返事をした。
「犯人は男っぽいって言ってたけど、他に特徴とか覚えてる?」
「身長は響士と同じくらい…男では平均的な背の高さだと思う。
服装で誤魔化している可能性もあるが、痩せ形から普通の体型。
確か左手に金づちを持ってたから左利きだと思う。
とはいえ、わざと利き手の反対で持ってる可能性もあるし両利きの可能性もあるが…」
「ふむ…。でも、それはいい着眼点だね。
犯人が左利きかもしれないっていうのは重要だよ」
「あとは…下半身はよく見てないけど、だぼっとした帽子とマスクをつけたモッズコート姿だったんだが、
人ごみに紛れたら見つけられないような普通の格好だったな。
特に目を引くような恰好じゃなかった」
「私たちと同年代くらいのファッションだった?」
「ああ、見た感じはな。
もしかしたらおっさんが若作りしてただけかもしれないが」
「でも、をターゲットにして襲うとしたら同年代が一番考えられるよね。
植松くんに聞いた限りじゃアルバイトも今は辞めてるって言うし、サークルとか習い事とかもしてないって言うから
年の離れた知り合いってそうそういないと思うの」
「そうだな」
私は清亮の話から犯人像を予想したがそこまで絞れそうになかった。
ただ左利きもしくは両利きの可能性が高いということは頭に入れておいた方がいいだろう。
「そういえば、楳澤くんはから呼び出されたのよね?
どんな用件だったのか思い当たることある?」
「いや、全く。俺は響士と違ってこれまであいつと二人で会うことはなかった。
そういう状況は俺が避けてたんだ。未だに怪我させたことが申し訳なくてな。
あの時、響士は自分にも責任があるって言って一緒に謝ったけど実際にあいつを突き飛ばして怪我をさせたのは俺だから。
あいつが許してくれてもあの傷を気にして髪で隠してる限り、俺は心の中でずっと詫び続けるつもりだ」
清亮の声は弱々しく苦しげだった。
を傷つけてしまった日のことをずっと後悔し、心の中で彼女に詫び続けているのだろう。
見た目は威圧感すら感じるのに、随分と繊細な人だ。
彼もまたを大切に思っている。
けれど、初音は清亮の為には傷痕を隠していたと思うと言っていた。
もしそれが本当ならば、お互いを思い遣っているのに微妙にすれ違っていて気の毒である。
「その気持ちは楳澤くんが真面目で優しい性格から来るもの?
それともに特別な感情があるから?」
「それは恋愛感情ってことか?俺にはそんな感情はない。聞いたと思うが惚れてるのは響士の方だよ。
友人として付き合う分にはいい奴だと思う。響士があいつといると落ち着くっていう気持ちも何となく分かる。
大勢で遊んでる時なんかは普通に接してるつもりだから」
「そう、楳澤くんが抱いてるのは純粋に友情…か」
の方はどうだったのだろうか。
ずっと怪我をさせてしまったことを悔やみ続ける不器用な優しさを持つ清亮に惹かれていたのではないか。
彼女は今日、彼と会って何を話すつもりだったのだろう。何をしたかったのだろう。
「楳澤くんはがどうして自分を呼び出したか理由を知ってる?」
「いや、全く心当たりがない。しかも響士と会う前だったんだろ?
何で俺を呼び出したんだろうな」
「から連絡があったのはいつ?」
「昨日の夜…今くらいの時間だったか。
音声通話で話したいことがあるから会えないかと言われて、今日の10時に待ち合わせをすることになったんだ。
場所も日時も全部あいつが指定した。
普段、あいつは人に合わせるタイプだったのに昨日はやけに色々と自分から話すなと思って
余程何か困ったことがあったんだろうと思ったんだ。
どうかしたのかと聞いても、特に困ったことがあるわけでもないしちょっとした報告だけども会った時に話すと言うだけで
それ以上は何も話してくれなかったが」
「ふむ…自身は深刻な相談のつもりで呼び出したわけではなかった、と。
――今まで直接二人きりにはならなくても、携帯端末とかで恋愛相談とかされたこととかない?
植松くんのこととか、他の男の子のこととか」
「俺に恋愛相談?そんなこと有り得ない。
俺には無縁のジャンルだし、気の利いたことも言えないのに」
「そうなの?
植松くんと仲が良いからもしかして何かしら相談してるかなと思ったんだけど」
「俺に相談しなくても響士の気持ちには既に気付いてたと思うぞ。
奴の人となりも数年の付き合いでよく知ってるだろうし」
「…まあ確かにそうよね。
さっき話した限りでも植松くんはいい人だったし、への気持ちが言葉の端々に溢れ出てたわ。
もし今後、彼とのお付き合いを考えたとしても不安になる要素はないと思う」
「ふっ、お前は響士が好みなのか?」
「会ったばかりだから何とも言えないけど客観的にはいい男だと思うわよ、楳澤くんも含めてね。
私にはこんなに親身になってくれる異性の友人はいないからが羨ましいわ」
私がそんなことを言うと楳澤くんは控えめだが携帯端末の向こう側で笑っていた。
恐らく初音や響士のように彼もと私は随分と違うのだなと思ったことだろう。
「ともかく、の行動の謎はまだ解けそうにないか」
「その謎が解けたとしても、それが犯人の手掛かりになるのか?」
「それは分からない。
でも、のことを調べることで何故襲われたのか、何故犯人はあの場で襲ったのか分かるかもしれない。
通り魔的なものじゃなければ、だけど」
「俺は計画的なものだと思う。通り魔なら人目につかない時間や場所を選ぶんじゃないか。
あんな場所で襲うなんて計画的なものか、もしくは愉快犯とか心中覚悟で周りを巻き込みたかったとかそういう危ない輩だと思う」
「うん、私も初音ともそういう話をしたけどだけ狙って逃げたってことはやっぱり無差別な犯行じゃなくて私怨だと思う。
だからの周囲を調べることで何か出てくると踏んでるよ。
――それにさ、もしかしたら私、この世界でずっと生きていくことになるかもしれないから。
記憶喪失装い続けてもいいけど、できるだけと周囲の人だけでも知っておいた方がいいんじゃないかなって」
「…そうか」
お前は強いんだな、と清亮はぽつりと呟く。
その声はどこか優しくもあるし、自嘲しているようにも聞こえた。
「そうだ。お前、当分の間は一人でうろうろするなよ」
「うん、植松くんもそう言ってくれたよ。
共通の授業がある日はボディガードしてくれるんだって、楳澤くんも一緒に」
「なんだ、俺も数に入れられてるのか」
「そう。忙しいならいいけどよければ暫くの間、お願いします」
「ああ、それは構わない。いつも周りに誰かがいたら、犯人も襲おうなんて思わないかもしれないからな」
「そうだといいけど。
それでね、明日は7時半に植松くんが迎えに来てくれることになったよ。
授業に出る前にのアパートに行ってみる予定なんだ」
「そうか。じゃあ俺はその後をついて行くことにする」
「一緒に来ないの?」
「少し離れたところで他にお前の様子を窺ってる奴がいないか見張るんだよ。
いつどこで現れるか分からないしな」
「なるほど!それなら怪しい人がいたらすぐに分かるね。
でも、楳澤くんは危なくない?
もし変な人を見つけても、一人でどうにかしようとしちゃ駄目だよ。
さっき言ったみたいに大声出して周りに知らせるとか、写真を撮って警備隊に通報するとか方法はあるんだからね」
「ああ、分かってる」
――今度は必ず守る、と清亮は独りごちる。
なんとまあロマンチックなシチュエーションだろうと思うが、生憎私はときめく程まだ彼をよく知らないし、
彼の言葉もへの償いの気持ちから来るものだと重々分かっていたので私は聞こえなかったふりをして、
心の中で「おう、頼むよ」とおちゃらけながら返事をした。
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